第138話 残念社会の懲りない集団
夏合宿の夜、村上の論評に対する論評会は続いた。
斎藤の発言を受けて秋葉が言った。
「権利って、経済的なものと政治的なものがあるよね。経済には基本的に"自分も含めた社会=みんな"を豊にする中で利益を得る、って本質があって、だからみんなが認める。その中で自分が作ったものだから権利が、って"経済的な権利"よね? それは、脅かされず自由に行動する権利の一部でもある。そういう権利って自然なもので、それを守るのは基本的に正義だと思うの。けど政治的な権利って、本来各人が対等に持っていて、それは国とか社会全体を良くするために、それを借り受けて使うのが権力よね? それはみんなから預かったもので、だから権力を預けている他の人達への責任がある。それが民主主義の基本だよね? その責任の元で、誰かを攻撃したり罰したり、社会の中で誰にどんな地位を認めるか・・・なんてのを決めたり。それを混同したら駄目だと思うの」
「政治的なものと経済的なものを混同するな、は有りだと思う。侵略って政治的支配だから問題な訳だ。なのに途上国に工場作るのを経済侵略とか言って被害者意識持つ人達が居たよね? けど、あれは職場を移転し輸出を増やして、移転を受けた国を大発展させたんだよね。そういうプラス面がはっきりして、あの被害者意識が駄目なのが露見したんだ」と住田。
「自分や他人に直接寄与する何かで協力を、じゃなくて、他人に対して要求するとか影響力を行使して何かを強制しよう・・・ってのが政治的権利って訳ね? それは政府だけじゃなくて、個人が個人として行使しているものもあるよね」と斎藤。
「他人に影響力を行使する権利は、それ自体が権利の行使に責任が伴う事になる。所謂"自由・・・つまり権利と責任は表裏一体"って奴だね?」と桜木。
「けど、個人の政治的権利行使って、例えば政治的発言とか? それの責任って、ペナルティでも課すの? それは出来んだろ」と芝田が言った。
「責任を取るってのはペナルティというより、マイナスにならないよう考えて自覚する、ってのが今は基本だ。切腹の昔じゃないんだから」と住田。
「それと、何に対する責任か・・・だね? それは"批判されたとか言って被害者意識持つ批判相手"に対してじゃなくて、みんなが良くなる社会を作るっていう目的と、どうすれば良くなるのか? っていう論理に対する責任じゃないのかな? だから責任の取り方は、反論に対してきっちり向き合うって事でしょ?」と村上が言った。
「そもそも政治的発言って、"個人みんなにとって良い社会をどうやって創るか"っていう方法を見極める・・・って目的のためのものである筈だからね。発言者個人の利益や名誉の問題じゃない筈なのよね」と戸田。
「本来、意見としての個人の発言は強制力を持たない。だから自由であるべきで、従うかどうかは聞いた人が決める・・・ってのが、発言の自由の原理だと思う。けど、大勢が言えば世論になって、暗黙の強制になる。だからちゃんと考えろって話になるし、自分勝手な主張が大勢の意見だと偽装する世論工作なんてのが出る」と村上。
「社会・・・つまり世論に対する影響力の違いね。マスコミは今もすごい影響力があって"マスコミが言ってる事だから事実"と個人に信用させる"社会の仕組み"の上に立って、"信用してくれる個人"の政治的権利を借り受けている、という事よね。政治権力と同じ。だから"第四の権力"と呼ばれるのは、単なる比喩じゃない。相応の大きな責任が求められる筈よ」と斎藤が言った。
「けどマスコミは嘘は言わないんでしょ?」と中条。
「そうでもないよ。例えば、教育で煽った憎悪で、"彼らにとっての外国"であるこちらに対して、歴史を捏造して無茶な攻撃を仕掛けて来る国があったりするよね? 当然それに対して反発や批判が起こる。すると"自分達があの国を嫌うのは、彼等が経済的に強くなったのが妬ましいからだ"・・・とか」と桜木。
「それはいくら何でも嘘だわな」と芝田。
「彼等にしてみりゃ、解釈の違いだから・・・って言いたいんだろうけど、あからさま過ぎるよね。あと"大学教授がこう言ってる"って伝聞形で、あからさまな嘘を拡散するとか、そういう人の"寄稿"って形で、嘘を言い張る文章を載せるとか」と住田。
「嘘をついてるのは新聞社じゃなくて教授だから・・・って訳だ。その嘘を拡散する場を提供したのは自分達なのに」と村上が笑う。
「教授ってマスコミと同じく権威だけど、嘘をつくからね。この前のジェンダーの講師みたいに(笑)」と秋葉。
「けど、経済的権利でも他人に影響しない?」と戸田が言う。
「それは、そうする事で他人に利益があるからでしょ。自由な商取引の中にある限り・・・。お前等とは取引しない、ってのはまた別の話だけど、相手が純粋な取引による経済的利益のために選択したのは、責任を伴う影響力行使とは違うかな」と秋葉。
「ただ逆に、そうでないのは、どんな権利でも他人に影響すれば責任はある。例えばナイフを握って前に突き出す権利はある。その前に人が居れば殺すわな。で、それは権利の行使だから悪くない・・・なんて話にはならない。だから、どうすればどうなるか因果関係を考えて行動しろ、って話になる。その因果関係は論理さ」と住田が言う
「影響って言っても、たとえば西風が吹けば桶屋が儲かるから、桶屋が儲かったのは西風の責任・・・とはならないよね? どう影響したかも責任の所在にかかって来る。よくアニメで、飛行機キャンセルしたら、キャンセル待ちの人が乗って、事故で死んだ。それはキャンセルした人のせいだ・・・って恨まれて、けどそれは違うだろ・・・みたいな場面とか」と芝田。
「だから芝田さぁ、そういうアニメの評論書きなよ」と村上が笑った。
「"国民の国民による国民のための政治"って、"国民の政治への参加を保障する政治的権利"の要件を示す代表的な言葉だ。裏を返せば政治に対する責任の要件でもある。つまりこの3つ、その行為の主体者・行為者・目的要求者として直接的に関わるってのが、責任の要件じゃないのかな?」と住田。
「結局、政治的権利ってのは、そういう他人への影響を前提とした行為・・・って所がポイントって事ね」と戸田。
「アリストテレスが正義とは平等である、って言ったけど、先ず、法や政治面で平等に扱われなければならない、が基本だろうね。所謂"法の下での平等"ってやつで、それが"対等"・・・つまり上も下も無い同じ立場で自己主張し会えるってのが人権の根幹と言えるだろうね」と住田。
「だから、その対等を否定する貴族制を廃止するのが民主革命の基本だった訳ね?」と斎藤。
「それを経済的な平等と同レベルで混同すると、おかしな事になるのよ。所得の平準化は"貧困による需要ロス"を防ぐためにも方向性として必要だろうけど、それが行き過ぎて結果平等で突っ走ると、共産主義の弊害みたいな残念な事になるのよね」と秋葉。
「国レベルで言うと、ある国の人が、日本は経済的に強いから対等じゃない。同じ国力になるまで騙して奪うのが正義で美しい志だ、それが実現しない以上"国家間の対等"なんて無いんだ・・・って言っちゃったりするのも、そういう悪しき混同の典型だね」と村上。
「まるで泥棒の正義だな」と芝田が笑った。
「世界には大国と小国がある。けれども立場として同じという"主権国家の対等"を認め合うのが近代だよ。外交で大国が有利だとしても、その有利を振りかざす暴力は批判され、国際法で否定される。"国力が同じじゃないから対等は無い"なんて理屈は無いよ」と桜木。
「リベルタニズム主義っていうのがあるよな? マスコミに信奉者が多くて、政治でも資本主義の反対派だったりするんだが、彼等は自分達の主張の原理は"自由な個人が、自らの可能性を社会の中で最大化できる"という理想だって言うんだよね」と住田が言う。
「それって、努力と自己責任で金持ちになる自由を強調するアメリカンドリーム的な発想と違うんですか? あれはむしろ資本主義の理想ですよね」と桜木。
「リベルタニズムってその反対だよ。普通に可能性って言ったら、力があってそれを引き出して、って話だけど、そうじゃない。彼等がその理想のためと称して言ってるの見ると、要するに"力の無い奴が自分の主観で理想とする個人としての成功"を社会が保障すべき、みたいな話になるんだよね」と住田。
「それ、おかしいよね。社会の中での成功って、何かやって社会に利益をもたらした見返りの筈でしょ?」と秋葉。
「結局、可能性の最大化って言うけど、その中身は何か、どうやって実現するのか・・・ってのが問題な訳で、そこらへんをぼかしたら、何でも有りになって、あり得ない理不尽がいくらでも通る」と村上。
「ただ、能力はあるけどお金が無くて進学できなくて・・・って場合もあるけどね」と中条。
「それは給付型奨学金ってのもあるんだけど」と斎藤。
「それでも、金も能力もある奴が自分の上に居るのが許せない、平等じゃない、だから彼が努力で上げた成果を奪って理不尽に蹴落として何が悪い・・・って言っちゃう奴が居る。それってただの妬みだよね?」と秋葉。
「圧政暴力ってのは、有り得ない理不尽を自己の感情で好きなようにやれる事から来るのさ。全員がそれを主張したら、それこそ"万人の万人に対する闘争"だよ。だから彼等は、その主張によって保護すべき対象を限定する訳だろ? 例えば少数者と認定した人達とかさ。昔の特権貴族だって少数者だったんだが、だから彼等は利益を享受できた。多数が利益の配分受けても一人一人の受け取りは限定されるからね」と桜木。
「権力的に他人に強制するのは圧力だよね。実は、これには"縦方向"と"横方向"があるんだよ。"縦方向の圧力"が政府とか上司とかによるもので、"横方向の圧力"はいわゆる同調圧力だね。リベルタニズムの人達って、政府によるものは縦方向で一方的に来るから悪い、横方向は悪くないって発想が根底なんだね。だけど"横方向の同調圧力"は個人や社会に害を成さないか?っていうと、そんな事は無い。憎悪教育で民族丸ごと特定外国への攻撃感情で凝り固まった人達が、互いに盛り上げ合って戦争に突っ走るのも、典型的な"横方向圧力"だよね? 村八分みたいな吊し上げとか、いじめだってそうでしょ? 下手すりゃ逆に"外国の不当な要求に抵抗するな"なんて"横方向圧力"を社会にかけた人達が居る。それを本当のみんなの立場で批判すると、その批判者を攻撃する。"個人の考えを無視して何かを強制する"って弊害に、縦も横も無い。そういう"横方向圧力"を主導するのがマスコミだよ。その"どうしてそうすべきか"って理由が必要だが、彼等の場合"みんな、というより自分たちの賛同者の感情が言ってるから"だけだったりする。感情じゃなくて論理的に"そうする事自体の意味"の説明が必要なのにね」と住田が解説。
「けど、自分たちにとって都合の悪い意見には、同調圧力だって言って無茶苦茶文句を言うのよね?」と斎藤が笑う。
「理屈抜きで自分達が正義だと言い張って聞く耳持たない。主張の中身はただの相手に対する人格攻撃。だから言ってる中身はただの罵詈雑言に走って、最後は暴力・・・つまりテロや戦争だよね。戦争は外国との話だけど、国内でもデモを暴力で襲撃するのが正義だとか、本当に襲撃してる映像まであったりする。それを批判した外国メディアにまで罵詈雑言を浴びせる」と住田が言った。
「デモを暴力で襲撃するとか、そりゃ批判されるわな。まあ罵詈雑言ってのも、ネットにはそういうのも居るけどね」と芝田。
「いや、その罵詈雑言を国会議員が言うんだよ」と村上。
「それは無いわ(笑)」
「ああいう人達、死ねとか平気で言って、それを流行語だとか言って祭り上げたりするもんなぁ。他人が言うと説教垂れるくせに(笑)」と斎藤。
「彼等の主張における保護対象って、少数ってだけじゃなくて、特殊な立場で被害者意識持って、自分達以外を政治的に攻撃したりするんだよね」と秋葉が言った。
「少数派って言っても、国外に大勢仲間が居たりする場合・・・例えば移民なんてどこの国にも居るけど、民族によっては移住先で組織作って、祖国の指令受けて国家間対立の道具になる、とか・・・ってのがあるから、一概に言えないんだよね。しかも彼等の祖国では、外国である"こちら側"に偏見拡散しまくって、憎悪煽ってそれをバックにする。そういうのをリベルタニズムの人達は擁護する。国境で区画して、国内での"移民としての立場"と国外に居る仲間の"祖国の国民としての立場"は無関係な別物として考えろ・・・とか言うけど、この情報国際化で"相手国内の排斥宣伝"も"移民の移住先国への攻撃"も簡単に国境越えて一体になってるから、そういう場合、国外か国内か・・・なんて意味無いんだよね」と桜木。
「しかも、だったら別問題として、彼らが祖国でやってる"多数派としての外国に対する憎悪扇動"自体を批判するかっていうと、それは彼らの民族の自由で、我々が意見するのは主権の侵害だから文句を言うな・・・とか言っちゃうとか、下手すると"そんな憎悪教育は無い"とか"彼らは他国にヘイトスピーチを吐いていない"とか、まるでネオナチが"アウシュビッツは無かった"と言うみたいな、しらじらしい嘘まで言う」と住田。
「民族の自由だから"外国人である自分達に対する不当な憎悪"を批判するな・・・は無いよなぁ。だって彼らは"外国が自分達を批判してるぞ"ってのを引用して、従えとか言ってるし。しかも相当無理筋な批判なのに、"外国=世界の声だから聞け"とか。それは主権の侵害じゃないのかよ」と村上。
「世界なんて国は無いわよ。あるのはアメリカとかイギリスとか、個々の国があるだけよ」と斎藤。
「だから"特定アジア"とか"特定世界"なんて言葉がある」と芝田が笑った。
「憎悪が駄目なのは、論理抜きの闘争を煽って、正当性を無視するからよ。少数派も多数派も含めて"みんな"を守るのが正当性であり、だからこそ、それを損なうヘイトは少数派も害するんだよね? 憎悪は相手を害する事自体が目的だからこそ止めなきゃいけない。なのに彼らは、自分達が自分達以外を憎悪する事自体を"正当でヘイトじゃない"って言い張る。それだって闘争を煽り正当性を害している事に変わりは無いのにね」と秋葉。
「自分の立場を主張するのは権利だから、仲間でまとまれば普通に発言は目立つし、むしろ少数派の立場だからって事で、聞く耳持って貰えるのが今の時代だろう。その発言力で復讐心的なヘイトを叫ぶ。そんな人達が、"自分達は少数派だから発言力が無い"とか言って特権を認めろ・・・的な事を言ってる。他者の発言を一方的に"ヘイト認定"して封じる特権があると思って、"自分達の主張に対する反論"自体をヘイト認定して拒絶するんだから、議論は成り立たない。そんなのが正当性だって彼らは言うんだが、本当に彼らの論に正当性があるなら、議論でそれを証明すべきだし、彼らが封じている批判に論理があれば、その論理が証明するものこそ本当の正当性だよ。議論そのものを否定する正当性なんて無い」と村上が言った。
「それって"お前等の尊厳を認めないのが人権だ"・・・って言ってるのと同じだものね。そんなの人権じゃないわよ」と戸田が言った。
「そんなのだから、攻撃対象になってる"彼等以外の人達"は当然不満を持つ訳だが、そういう人による批判がネットに出ると"批判する奴は私生活で負け組だから憂さ晴らしで叩いているだけ"とか言うでしょ? ネットで発言した人の私生活なんて解らないから、ただの決め付けなのに」と秋葉。
「それで人格攻撃すれば、相手が言ってる事が論理的でも"そんな奴等が言う事だから耳を貸さなくていいんだ"とか、下手すると"憎悪感情だから"と決め付けて弾圧しようとする。相手に対する批判は"マイナスの感情を促す=排斥行為=悪"だと。批判の中身から目を逸らして問題にしない事で、正当な批判を潰そうとしている」と村上。
「"そういう人にインタビューしたら、日常生活で何かの不安や不満を抱えていた"って言うジャーナリストが居るけど、何の不安も不満も無い人なんて居るのかな? ああいう人が拡散した"自国に攻撃的な外国を批判する人は貧困層だ"って思い込みだって、実は間違いで、後で統計とったら、ちゃんと収入のある人達だった、って話もある」と住田。
「"自分に都合の悪い発言するのはこういう奴だろ"って言い分って、公教育で外国叩いて軍国主義みたいな事やってる国で、それを批判する人を"あの国のスパイ"って言って吊るし上げるのと変わらないわよね?」と戸田が言う。
「まあ、スパイとか言っちゃうってのにも、相手国擁護に見えるって事で、その発言の中身には、少なくとも関わってはいる。けど私生活は主張の中身と無関係なんだから、もっと悪いだろ」と芝田が言う。
「自然な自己主張だから、反発する奴の発言は多い。けどマスコミに流される人も多い。特に"弱者のため"みたいな、いい加減な道徳論は感情レベルで人を流しやすいからね。それにマスコミは反対派に反論するより、ひたすら無視して、都合の悪い事実も"報道しない自由"ってやつで無かった事に・・・ってね」と桜木が言う。
「独裁的な大国に支配された民族が、五輪聖火リレーの時に抗議のアピールをして、その大国の留学生に袋叩きにされた暴力事件があった。あれもマスコミが報道しないのを、ネットで流れた動画でみんなが知った、なんて事もあったね。そういうマスコミに対する批判が、マスコミには"ネットで真実を知ったとか言ってる生意気な奴等"に見えるんだね。何が真実かを決めるのは自分達の特権だと思ってる」と村上。
「"メディアが隠蔽した真実がネットで知られたと彼らは信じている"とか言ってるけど、じゃ、メディアが報じない事実なんて無いとでも言うのかねぇ? "自分の知りたいことをネットで知って真実と呼んでるだけだろ"って言うけど、"現状はどうかっていう真実"を知りたいって需要は本来、マスコミの存在意義そのものだよね? つまりマスコミが知らせたくない事は真実と呼ぶなって事かいな?」と住田。
「例えば"自分達の国に対するヘイト"への批判を"相手国の経済発展への妬み"みたいに無理にすり替えるのって、ああいう国が嫌われる本当の原因である"対外憎悪政策"を無かった事にする事で成り立つんだよね?」と斎藤が言う。
「"怒る理由"が明らかに目の前にあって、みんながそれで怒ってる。その"怒る理由"を無かった事にする事って、要するに"隠蔽"なんだよね。その隠蔽によって、"有り得ない現状認識"を作って拡散しようってのが問題なんだよ」と村上が言う。
「そうやって"当たり前に怒ってる人達"に対して"排外主義者"なんてレッテルつけて罵声を浴びせてるのがマスコミなんだよね。当たり前に怒ってる人達に対して、"彼らが普通に怒っている理由"を隠蔽する事で、そんな馬鹿な事が言える。ああいうレッテル用語は全部、その"隠蔽"が前提なんだね。だからマスコミは事実を隠蔽してるって言われる。言われて当然だよ」と桜木が言った。
「ああいう人達は自分達が道徳的だと本気で思ってる。道徳論って理屈より感情的イメージが基本だからね。しかも、基準が批判する側・・・つまりマスコミの匙加減なんで、政権批判するのに大臣の顔の絆創膏まで槍玉に上がったりする」と住田が笑って言う。
「しかも、辞めろと散々言っておいて、辞めたら辞めたで無責任だとか。言う事が矛盾しまくり」と戸田。
「本来、政治問題って、社会全体にどんな影響があるか・・・ってのが基準の筈だよね。それを具体的に答えられない。信用されなくなるとか言うんだが、じゃ、信用しないのは誰かっていうと、要するに、結局は自分達反対派なんだよね」と桜木。
「発想がセクト思考なのよ。自分達反体制派として、って事になると、"政権の足を引っ張るために何でもあり"って事になる。下手すると"敵対的な外国は自国の政権を倒す頼もしい味方だ"なんて真顔で言う。政権=国じゃないんだが。国民として自覚を持ってりゃ、そりゃ怒るよ」と斎藤。
「移民に対して開かれるべき・・・ともよく言うけど、"開かれてる"とかいう言葉のイメージで事実を胡麻化す詐欺の論法だね。その"開かれる"って何?って話。移民って言っても国籍持って無い外国人に参政権を与えろとか。それは開かれてる外国が手本だ・・・って言うんだが、外国だって普通は外国人に参政権は認めて無い。言う事が矛盾しまくり」と桜木。
「それ、"日本は閉ざされた国だ"とかいう固定観念に胡坐かいてるだけだよ。既に広まってる偏見に乗れば、事実と無関係に正論言った事になると思ってる」と村上。
「国って、自分達が主権を認められた社会全体をカバーする、みんなを良くするための単位だからね。それを自覚する事から民主主義が始まるのよね。だから民族主義は民主主義と同時に意識される。それで"自国の人間としてのアイデンティティ"が当たり前になるんだけど、それが駄目だって言うのよね。"他に誇れるものが無いから、それに縋ってるだけだろ、この負け組がぁ"とか」と秋葉。
「"それがある"ってのと"それしか無い"ってのは全然違うのにね。それを混同するんだよ。そうやって相手を貶めて怯ませて口を塞ぐ。人間のマウンティング根性に付け込んだ、悪質な詐欺論法って言えるね」と村上。
「そういう反論が実在する事に対しても、マスコミは報道しない自由・・・って訳だ(笑)」と芝田。
「国対国って、ある意味典型的なセクトなんだよね。で、国の立場を主張するための論理を、ってのが普通なんだろうが、そうじゃなくて、発言者がその国=セクトに所属している事自体を主張の正当化の根拠にするとか、ってのがあるね。"不当に島を奪った側"の国の芸能人が"相手国の返還要求"を攻撃して、批判されると"その国の人間なんだから自国の肩を持って何が悪い"とか。そんな論理は無いよ。自分の国だからじゃなくて、どこの立場だろうが、不当に奪ったという事が問題なんだから」と住田。
「逆に"自国に敵対する国の側"に立ってるから、自分は"セクトから自由で良心的"なんだ・・・って思ってるんだよね。けど、どちらの側に立とうが、言ってる事が論理的でなきゃ話にならない。ああいう人は"彼らの側に立つ人間"・・・って事にアイデンティティを持つんだよ。それ自体がセクトなのに、それで自分とその主張を正当化できると思ってる。けど、政治的発言はそもそも本来は自分自身の立場を正当化するためのものではない。主張を正当化できるのは、その主張の論理の中身だけだよ」と村上。
「ああいう国って、自国を擁護してる"紛争敵対国の人"の国籍をやたらアピールするよね。言ってる中身が無茶でも関係無い。"発言者自身の国の利益"に反してまでも言ってる人だから"利益じゃなくて良心で言ってる"筈・・・的なイメージ刷り込みたい訳だけど、人それぞれ利益関係なんて違うから、"自身の利益のために自国に反対する人"なんて幾らでも居る。そういう変な道徳イメージで、主張の論理の中身が空っぽなのを胡麻化そうって訳よ」と秋葉。
「彼らに言わせると、自分は"そのセクトを、考えて正しいと思って選んだんだ"・・・って言うんだろうね。それ自体セクト思考が前提なんだが、"自国だってだけで擁護してるお前等とは違う"と。けど、そう思ったから・・・ってのが本当かどうかは別としても、その"正しいと思った"ってのが実は"自分が考えた"んじゃなくて"言い張ってる他人の受け売り"で、流されてるだけなのさ。要は単なる偏見・思い込み。正しいってのは反対する側の指摘に向き合って、論理的に証明して初めて言える事だよ」と村上。
「それに、結局は"正しいから"じゃなくて、声のデカい外国の尻馬で"国内の他人を攻撃したい"からでしょ? って。これ、彼らが反対派に対して"日常の不満のはけ口としての攻撃だろ"って決めつけてる話と、同じなんだよね。相手にそうだって決めつけてる彼らが、自分達は違うとでも? と」と斎藤。
「だから、動機じゃなくて、先ず、言ってる事の中身が論理的か? 結論ありきの感情的な断罪主張じゃないか? を検証するんだよ。で、一方は彼らの言う歴史が捏造だって事実を指摘して、その論が成り立ってる。他方は、そういう相手の指摘から目を背けて、精々が"昔支配したから仕方ない"っていう感情論的結論ありきで、それに対する反論には居直るだけ。それって客観的正しさ求めて無いって事だろ・・・みたいになって、初めて"他人を攻撃したいからでしょ?"って言えるのさ。そういう検証から逃げてるでしょ?って。逃げるための"日常の不満のはけ口"認定としか思えないじゃん・・・ってね」と住田。
「そもそも貶められてる自国の尊厳を守りたい・・・は"日常の不満のはけ口として攻撃したい"じゃないから。それに"守りたい"のは、その攻撃が不当だからであって、自国だってだけの理由じゃない。自分の身を護るのは先ず自分であって、それを利己主義扱いで弾圧とか、そんなのが道徳だとでも思ってるのかな?」と戸田が言った。




