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おどり場の中条さん  作者: 只野透四郎
137/343

第137話 村上君の正義

海辺の温泉での夏合宿。

食事が終わると、論評会だ。


先ず芝田のアニメ評論。みんなが用意された文章を読む。


「とりあえず、このアニメを見ていない人でも解るように書かなきゃ」と住田が言った。

「感覚的にどうだと言われてもなぁ」と桜木が言った。

「けどアニメの良し悪しを評価するのって感覚だろ?」と芝田。

「ショボいってのは、どれだけ派手にすりゃいいのかっていう、程度問題だからね」と秋葉が言った。

「けど、殴る蹴るの繰り返しが単調だっていうのは解る」と中条。

「確かに、吹っ飛ばされてコンクリの壁を何枚ぶち抜くとか、単なるパワーのインフレだもんね」と斎藤。

「だから最近のは、バトルでもスポーツでも、モノローグで解説しながらの頭脳プレーになる・・・って訳だ」と村上。


「それと、これなんか、よくあるよね。戦闘中に回想シーンが入って、終わったら何故かダメージから回復してるって奴」と住田。

「実際に経った時間は数秒も無いのに(笑)」と戸田。

「というより、回想で怒りを新たにして、折れた心を回復させたんだ・・・って精神主義なんだろうけどね? 俺はいいとは思わんけど」と桜木。

「そういうの繰り返して敵一人倒すのに三話くらいかけちゃう(笑)」と住田。

「結局アニメって・・・」と戸田が笑う。

「いや、いいアニメも多いんだよ。芝田もそういうのの評論書けばいいのに」と村上。

「一度言ってみたかったんだよ」と芝田。

「芝田は肉体派だからな」と村上。

「お前、俺を馬鹿だと思ってるだろ」と芝田。



次に俎上に乗るのが村上の評論だ。


「で、村上君は何について書いたの?」と斎藤が言った。

「正義について・・・」と言いかけて、村上は周囲の残念な視線に気付いて慌てる。

「何でみんなドン引きしてるの?」と村上。

「いや、正義って、正しいから・・・って事で何かを強制するって話だからね」と桜木が苦笑して言った。



「それは"何故強制って事になるのか?"って問題だと思う。それは社会の中で"人と人との対立を調整する"ものだからだよね? よく主観で正義を規定して"人の数だけ正義がある"とかいうのを肯定する人って居るけど、主観って自分の中で勝手に決めるものだから、それを正義と言っちゃうのは、自分の主観を各自が他人に強制するって事だよ。それじゃ、行きつく所は戦争だ。正義ってのは、客観的に"それが正しい"って事を論理で証明したものでなきゃいけないんだよね。客観的な正しさってのは、個人の主観と無関係に正しいって事だからこそ、誰もが認めるべき正義って言えるんだよ」と村上が一席ぶつ。


「なるほどね、どこぞの国の文化では、やたら正義って言葉を連呼して、他国を騙して無理筋な主張を押し通して島とか侵略するのが正義・・・みたいな話になってる。あれも結局は国単位の勝手な主観で、要するに自分が"誇らしい"と感じる物=正義って、感覚的に思い込むからだよね?」と住田が補足。

「つまり、他国に対して無理を通すのは"自国のみんなの利益のために力を示す"から誇らしい、って訳か。だから正義だ・・・は無いわな。しかもその"示した力"の中身が、相手に対する騙しだ・・・と来た日にゃ」と芝田。

「それを感覚で認定する訳。だから正義が何かって事を理屈で考えるのを止めると、勝手な都合を正義と言い張る人達に引っ張り回される」と村上が言う。


「そういう文化では、国単位ではみんな結束するけど、個人単位ではもう、好き勝手な言い張り合い。これをひたすら声の大きさと、相手を非難する言葉の汚さで、相手をねじ伏せようとするんだよ。"声闘"って言葉があってね。結局最後は格上が言った事が正しいって話になる。だから至る所で自分が上だと言い張るマウンティングが横行し、人と向き合うと、やたら上下を気にする」と言ったのは桜木だ。


「そこまで酷くなくても、我々の文化でも"客観的事実なんて無い"って主張する人も居る。事実とされるものは全て誰かの主観で、もし客観的事実があるとしたら、それは大勢が主観で認めたものだって。けど、大勢が主張する事だって間違ったものはある。社会的に流布された偏見とかね。けど、そういう人に、一言言ったら、間違いを認めて客観的事実はあるって肯定したよ」と住田が言った。

「何と言ったんですか?」と村上。

「基本的人権の存在は客観的事実じゃないんですか? ってね」と住田が答えた。



「政治的正義って言葉があるよね? 論理的正義じゃない、論理で認定されないものを"政治的権威"で認定するから政治的正義だよ」と村上。

「権力と権威は違うの?」と中条。

「権力は命令による強制だけど、権威はその人が言ったから正しい・・・みたいなのを、社会的な共通認識として強制しようってものだろうね。"大学教授とかマスコミの誰某が言った事をお前如きがケチ付けるのか?"みたいに。それで正当性が証明されたと思ってる。だから批判は物理的には可能だけど"一般人のくせに"って地位で抑え込もうとしたり、妄信する人達を動員して同調圧力をかけたりする。どっちみち"論理抜きの強制"を指向する存在には違いないのさ。そういう信用を保障される社会的地位にあるから、間違った事を言えば責任を問われる筈だけど、同等以上の権威にのみ、責任を問う資格があると思ってるらしい。一般人がネットで何か言っても逆ギレるだけさ」と村上が答える。


「上山教授が学生にいつも言ってる事があるの。"上山信者にだけはなるな"・・・ってね。そういう良識のある学者ならいいんだけど、逆に言えば、自分を権威だと思ってる人は大抵、信者になる事を周囲に要求してる困った人達だ・・・って事の裏返しよね?」と斎藤が言った。


「批判的思考を拒否して妄信を要求できる立場・・・ってのを想定してるんだよね? そんなもの無い筈なのに。そういうのに対して、きちんと論理的に考えて本当の正しさを追及しようとして"事実はこうじゃないんですか?"って根拠を挙げて指摘すると、"お前みたいなのが権威を気取って自分の主張の妄信を要求するんじゃない"とか、見当違いな事を言って逆ギレる奴って居るね。議論ってのは、互いの論理に向き合った反論をやり取りして、真実を検証する事なんだが、それを求める相手が自分と同じ妄信要求者に見えてしまう」と住田。

「そういうのをミラーイメージって言うんですよね?」と桜木。



「正義に限らず、平和とか人権とか、そういう言葉を勝手に自分の都合で連呼して、人権でないものを人権と呼び、平和でないものを平和と呼ぶ、みたいなのって、いろんな所にあるよね。他国が攻めてきたら降参して支配されるのが平和だ・・・なんて言う人も居るけど、そんなの平和じゃないよ。平和ってのは争いを暴力ではなく"論理で証明された正しさ"で解決する事さ」と住田が言う。

「だから、そういう人達に"あなたの言う平和って何ですか?"って、その概念の具体的な中身の説明を要求すると、途端にボロが出る。最近、日本人が議論でそれをやりだした・・・って閉口してる外国人達が居るけどね」と村上。


「けどさ、音楽とか、何を好きで何に感動して、何をつまらないと思うかってのは、主観とか感覚であって、本来理屈で決めるものじゃないだろ?」は芝田の発言。

「自分の主観でつまらないと思ったとか言って、正義ヅラして叩く奴も居るよね。国際イベントの開会式とか、それ自体に反対する意図丸出しの人が」と秋葉が言った。

「そういう、個人の感性を尊重する範囲をはっきりさせるってのも、正義で決める事に含まれている筈だよ」と村上。



「とりあえず、読んでみようよ」

全員、村上が書いた文章を読む


「正義とは、社会の中で個々が"尊重する事"を要求される"論理的に証明された正当性"・・・ってことは、感覚的な"可愛いは正義"なんてのは無い訳だ」と秋葉が言った。

「あれは単なるネタだから(笑)」と斎藤。

「"可愛い"ってのは"愛"が担当する分野で、正義と愛は別次元だからね」と村上。

「そうしなきゃいけない、が正義で、そうしたい、が愛って訳ね?」と戸田が言った。

「拓真君は私を愛しているから、私のために命を投げ出したい筈・・・とか(笑)」と秋葉。

「それは怖い」と言って芝田が笑う。


「アリストテレスは"友愛"は"正義"の上位互換みたいに言ってるね」と住田が指摘した。

「それって"俺達友達だろ"でイジメへの服従を要求するような理屈の元ですね? だから、外国に対して不合理な譲歩をすべきだと主張する残念な政治家が、友好だの友愛だのといった台詞を連呼して、論理的な正しさを帳消しにしようとする訳だ」と桜木。

「正義は何かを要求して自由を抑圧するもの、みたいなイメージ持ってる人って居るけど、本当の正義は本当の自由を守るものだって事だね? それが、間違った偽物の正義が横行して残念な事になってる、って事なんだよね」と村上。

「俺の自由を抑圧する気か?・・・、って言ってる人の、その抑圧されるっていう"自由"の中身が"誰かを不当に攻撃する自由"だったりする、とか」と斎藤が補足。

芝田が「そんな自由は無い・・・と(笑)」



「たださ、その攻撃が、本当に不当なのか、それとも相手から攻撃されている事に対する正当な抵抗なのか・・・って事もあるよ」と戸田が言う。

「だから、それを見極めるのが論理なのさ。例えば、どちらも"やられた事"に対して・・・って事だから"どちらも同じだ"とか言ってる人が居るよね? それでダブスタとか見当違いな事を言う。けど抵抗って、現在やられてる事に対して、だよね? 抵抗しなきゃ被害は続く訳だから、それは権利だ。ところが、それと"同じ"と言ってる事の中身が"今やられている事に対する抵抗"ではなく"過去に対する報復"だったりする。その場合は、続くような被害なんてもう起きない。しかもその"やられた事"が法的に処理されて問題は終わってる。全然違う話なのに同じと言い張る・・・とか」と村上が説明する。

「自分達はダブスタを許さないぞ・・・ってドヤ顔して、そういう事を言う。けど実態は"ダブスタじゃない"ものを"ダブスタだ"って言い張ってるだけ」と桜木。

「例の独裁国がスパイ工作用に他国の女性を拉致して、拉致被害者を返せと被害国が要求している件で、拉致した独裁国が"お前の国は昔戦争したから、それを非難する資格は無い、言うのはダブスタだ"・・・とか言ってるけど、それなんか典型よね。しかもマスコミによく居るリベルタン主義者が、その反人権的な間違った理屈に賛同して"自分たちの統一意見だ"とか言ってる、そんな馬鹿な現実があるのよ」と斎藤。


「彼らは、自分達の主観では"感情的に終わってない"って言ってる訳でしょ? けど、その感情って、国の教育で政策的に憎悪を煽ったり、歴史を歪めて、こんな被害を受けました、って話を誇張したり捏造したりして作ったものなのね。そんなので煽った感情を理由に、だから仕方ない・・・なんて無いよね」と秋葉が言った。

「そういう人達って"煽りが無くても同じ憎悪を持ってた筈だ"って言うんだが、今の感情が現実に、煽りの元で滾らせてるのは事実なんだよね。それに、どう言い繕おうと、過去の戦争の被害そのものは終わってる以上、拉致被害自体を終わらせる要求と"同じ"なんて有り得ない」と桜木。

「だから彼らの同調者は、それが捏造かどうかは関係無い、とか言ったりする。そのくせ、宣伝されてる捏造された歴史を"事実だと思う"と言ったりする。相手の指摘に耳を貸さないのさ。嘘で煽らなくても同じだと言うなら、嘘は嘘と認めればいいのに、それが出来ないのは、その嘘が彼らの憎悪にとって必要だからさ」と住田。


「最近じゃ、歴史と言わずに"記憶"って言うよね? つまり歴史は嘘ならアウトだけど、"記憶"は嘘を記憶しても"記憶"だからアウトじゃないと。それで"自分達は記憶の伝道者"だ・・・とかドヤってるけど、その正体は早い話が"嘘ついていいよね?"って宣言さ」と村上。

「捏造歴史で憎悪を煽るのが伝道者かよ(笑)」と芝田。

「けど、ここまで嘘が露見すると、反対派が居て反論する所では、さすがに嘘は言い張り切れないよ。だから、そっち系の人は"たとえ嘘の部分があったとしても、戦争があったのは事実なんだから、それを認識しろ"って言うのな。それだけであの感情は仕方ないんだ・・・とか言い張れると思ってる。けど、世界では同様な事例はいくらでもあるけど、ここまであからさまに歴史を捏造したり、挙句に条約破ったりするなんて、他に無いものね。だから彼らは"自分達と相手国の歴史は他に例の無い酷いものなんだ"と言い張る。で、その"酷い"の中身が捏造」と桜木。

「"それだけで仕方ない"はどこに行った?(笑)」と芝田が言った。



「"心の中で何かを考えるのは、行動に現さない限り自由"って考えがあるんだよね。たとえそれが憎悪であっても。だから国内で他国を憎悪する教育や歴史の捏造は、心の中限定の憎悪であって自由・・・とか言ったりする。けど実際には、その憎悪を理由に条約を破り、相手国の外交を妨害し、しかもそれを、その憎悪で正当化しているのは、行動に現してるじゃん・・・って事だよね。それに教育ってのは、上の世代が下の世代に対して行う事で、つまり下の世代に相手国への悪意を植え付けて攻撃を促す訳だから、攻撃として行動に現れているよね。歴史の捏造は誹謗中傷そのもので、誹謗中傷は普通に犯罪。それ自体が行動に現れた攻撃って事になる」と指摘したのは住田だ。

「そういう人達って、相手が自分たちを批判すると"批判は憎悪でヘイトだからヘイトスピーチで止めるべき"と言う。自分たちが"言論だけだから心の中限定"と自己正当化した理屈を、簡単に覆す。そもそもそういう人達って、自分達のやってる事は"相手に対して謝罪や賠償を要求する正当な主張だ"とか言ってる訳ですよね。要求というのは"相手を動かす"ために"主張"という行動に現すから要求なんだから、心の中限定とは完全に矛盾する」と桜木。


「大体、その"謝罪"って何? "賠償"って何? って話ね」と戸田。

「心からの謝罪じゃない、とか、誰某は土下座してるのに、とか、謝罪したって事は"自分を絶対悪と認めた"筈なのに何で"歴史的事実が違う"とか指摘するんだ?、とか、俺達を"絶対善な被害者"と認めたんだから、俺達の感情が満足するまで奉仕しろ、とか」と秋葉。

「まるっきりヤクザだよね。被害加害ったって、その中身とか、そこに至った経緯とか、いろんな要素があって、それによって"こうすべき"って事を決めるのであって、絶対善だの絶対悪だの、そんなものは無いし、その評価対象が歴史なんだから、その歴史事実が言ってる事と違えば、そりゃ指摘するだろ。そもそも"心からの謝罪"って何だよ。ヤクザが言う"誠意を見せろ"って金要求むするのと、どこが違うんだか」と村上。

「しかも、賠償だって、実は"話し合いによる条約"の中で、終わってる問題だったり・・・」と斎藤。



「ともあれ"自分の主観的な感情を満足させろ"って言うのは、自分勝手な感情に奉仕しろって事だから、つまり"奴隷になれ"って事さ」と住田。

「彼らの言い分だと、謝罪とは"相手に対する引け目を永遠に持ち続ける"事だと。それに付け込ませて"お前を支配させろ"って訳。だからいつまでも謝罪しろと、一回で終わったと思うのは"形だけの不道徳な責任逃れだ"と、"加害者の立場は永遠に続くんだ"・・・と。対等な人権を否定する支配願望のための勝手な理屈で、謝罪の概念の捻じ曲げだよね」と桜木。


「だから個人間なら法律で処理の仕方を決めているし、国家間なら条約とかの国際法で処理する訳だ。法律と人権は別とか言う人も居るけど、法ってのは人権を守るためのものだよ。法と人権が別なんて話は無い」と村上。

「謝罪って"正常な関係"への復帰の手続きだと思う。それによって"どちらも相手を支配しない対等な関係"を再構築して認識し直すための、ね。元々それは加害という"行為"を批判し否定するためのもので、否定する"行為"はそもそも"加害側による支配"という関係性の現れなんだから、その目的は対等な関係性であって、一方による支配であってはならないし、感情的満足も目的じゃない」と斎藤。


「日本には、"筋を通す"って言葉があるよな。アニメのシーンなんだが、主人公が友達を助けるために、村の有力者の所に直談判に行く。有力者は、あいつは裏切り者の子だから知らんと突っぱね、言い合いになる。それで売り言葉に買い言葉で、主人公が暴言吐いて、目上に対して無礼だと窘められるんだが、主人公はそれを認めて言うんだよね。"分かった。筋を通すために一度だけ頭を下げる。けど二度とは下げない"と言って謝罪する。有力者はそれを認めて主人公の言い分を聞き、友達は救われる」と芝田。

「芝田さぁ、そういうアニメの評論書きなよ」と村上が笑った。



「けど、恋愛って、相手が感情レベルで自分を好きになるよう頑張るものなんだよね?」と中条が言う。

「愛と正義は別次元だから」と村上が笑って言った。

「ウーマニズムの人がね、そうやって恋愛で頑張るヤリチンの発想自体が傲慢だって言ってた。相手の心をコントロールできるって信じてるのかって。人間は機械みたいに操作できないぞ・・・と」と秋葉。


「それは男がやってる事だから言ってるだけなんだろうけど、それ自体ある意味間違ってないと思うよ。例えば、A国の人がB国に対する憎悪を滾らせながら"俺達に奉仕してこの憎悪を解消させろ"って言う。けど、こんな言葉があるよね? "人は人を変えられない、変えられるのは自分だけだ"って。つまりA国を変えるのはB国じゃなくてA国自身なのさ、それを"お前が変えさせろ"なんて言うのは、ただの甘えだよ。そもそもA国の、そういう憎悪を作ったのはA国自身の憎悪教育なんだから」と村上。



「特定の立場の主観だから、って主張があるよね。例えば"被害者"って立場だから、とか。正義とは被害者の感情を満足させるものである、なんて・・・」と斎藤が言った。

「で、彼等による歴史の捏造を指摘すると、こう言う訳だよね。"その指摘自体が被害者の心を傷つけた。今までの謝罪が帳消しだ。被害者の言葉なんだから矛盾を指摘するんじゃない"・・・って」と桜木。


「それは無いよね。もし"被害者の感情の満足"なんて言い分が通るなら、刑事裁判は原告の求刑を判決にしろ、って事になって、刑法は要らないって話になる。それに被害者って言っても、その被害の中身って何だとか、それに至った原因はどうだとか、いろいろある訳だ。その"いろいろ"の中身が歴史で、それが事実と違ってたら話にならない」と村上。

「加害者だから自己主張の権利は無いなんて話も無いよ。裁判は加害者含めた双方が自己主張する事で成り立つもの。それが人権だよ」と戸田。


「国際社会では、戦後処理を終えて、もう被害者加害者の関係じゃないのに、未だに・・・とか」と芝田。

「今後"戦場における人権侵害"が起きないための一罰百戒だから、捏造で叩かれて惨めさを強いるために、事実は無関係でいいんだ・・・と言っちゃうのよね。要するに、攻撃自体が被害者の癒しで支持者の目的だと。駄目だよね。憎いから殴りたい、は人権でも癒しでも無いよ」と秋葉。

「口先で事実の究明を・・・とか言ってる中身が、実は攻撃のための捏造とか。そういう嘘つき宣言って、"自分は相手にする価値の無い存在です"って自白と受け取るのが普通なんだが。ってか発想が丸っきりリンチヒャッハーだよ。チンピラとどこが違うんだか?」と芝田。

「目的で手段を正当化するんだ、って言いたいんだろうけど、その理屈にすらなってない。同じような事が起きないよう・・・ってんなら、現在起こってる事を問題にしろって話の筈なのに、これは他に類例の無い酷い事だと言い張る。で、その"酷い事"の中身が捏造」と桜木。



「あと、弱者だから守れとか強者だから叩けとか、攻撃の対象が政府だから"これは権力批判で正義なんだ"とか。批判ってのは、誰に対するかの問題じゃない。何を批判するか、つまりその"誰か"がやった事の中身とかを、どう考えるか、そして社会を良くするためにどう処理するか・・・の問題なんだよ。それが、ややもすると"誰の利益が正義か"なんて話になる。それがおかしい。もし利益って言うなら、どういう利益かの中身の問題だろ・・・ってね」と住田。


「ただ、弱者は他の人が自力で出来る事が出来ないから、そのための助けが必要・・・ってのはあるよね」と中条。

「助けは必要だと思うよ。ただ、その自力でやりたい事って何なのか、そのための助けって何であるべきかを判断する論理が必要だよね。例えば強者の暴力から自分を守れないから、みんなで守ろうってのは解るけど、そっち側に加担するのが正義だとか言って、"強者の側"と認定されただけの、何もしてない人を叩きに来る。守りたいからってんなら、掣肘すべきは強者ではなく暴力だよ。誰かが憎いから殴りたい・・・を助けるのは正義でも権利でもない」と村上。


「それに強者ったって、男性だからとかその国の国民だからとか、要するに普通に生きてるだけの人だったりするんだが・・・」と芝田。

「誰の利益だから正義だって理屈だと、その利益の中身が"理不尽な我儘で他人から奪う事"であっても正義だから実現させろって事になる。けど、理不尽は正義になり得ない。必然的に他の誰かの権利を侵すからね」と村上。



「じゃなくて、頑張って自分が造ったものだから、それに関しては自分に権利が・・・ってのを認めるのが正義だろうね。カエサルのものはカエサルに、って言葉が、それが誰のものかを判断して権利と認めるのが正義だ・・・って意味なんだって誰かが言ってた」と秋葉。

「ただね、ある発明で会社が儲けた利益は全部自分のものだからって、莫大な報酬を要求して裁判を起こした人が居たんだ。けどそれって、その実用化のために尽力した他の社員の貢献を無視してるんだよね」と桜木。

「そういうのをはっきりさせるのが論理だと思う。自分が努力して手に入れたものだから、って言って権利を主張する人も居るけど、その努力の中身が騙したり奪ったり・・・って事じゃ駄目だよな」と村上。


「正義って、みんなが自由に幸せに利益を得られる場をどうやって造るか・・・って目的のためにあるんだと思うの。80年代にいろんな発明で社会が大きな利益を得られた、って事があって、そうやって社会に利益をもたらした人は、その分け前として利益を得て当然・・・って話になって、大金持ちが出て貧富の差が広がって、ってなったのね。金持ちが金持ちになる事自体が正義に反するって考えがあったけど、それは当然の分け前を否定する事だから止めよう。自分が社会にもたらした利益の一部だから、奪ったものじゃないだろ? って」と秋葉が言った。

「ただ結局あれって、発明を盛んにするための御褒美として、発明者の利益を正義としよう、みたいな変な発想に化けちゃったよね? で、利益の中身じゃなくて、また誰の利益か・・・って発想になって、さっきの裁判みたいな話になるのさ」と桜木。


「その重視して利益を与える基準としての"社会にとってプラスか否か"・・・自体が悪だって言う奴がいるのよ。ナチスと同じだから、とか。例えばジプシーは社会にプラスにならないから迫害された・・・っていうのと同じだって。意味不明な謎論理よね?」と斎藤。

「あれは迫害したのが悪いんであって、重視や利益とは別の話だよ。それにジプシーが迫害されたのは、ゲルマン純血主義的偏見な価値観で有害認定されたからで、プラスにもマイナスにもならないものを迫害したって話じゃないし、そもそも悪いのは、彼らを有害認定したナチス的偏見だろ。論理も糞も無いよ。全然違うものを混同する詐欺の手法で、どう悪いのか、って具体的に追及すれば簡単に破綻する主張だね」と村上。

「プラスになるものを肯定するのは政治でも経済でも当たり前の基準よ。政策決めるのに効果を考えるべからず、なんて言ったら、政治家の役目って何だ? って話になるわよ。当然国民にも不利益になる。有権者を裏切れって言ってるようなものだわ」と斎藤が言った。

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