第108話 襲来!ブッダタン
十月、二学期中間試験が終わると、文化祭の季節が来る。
三年生は文化祭後の推薦試験本番が控えているため、これに参加する余裕の無い者も居る。
そんな中でクラスの出し物をどうするか・・・を委員長の直江を議長として話合う。
「ここはやっぱり食べ物屋さん?」と直江が言うと、女子達が「で、メイド喫茶にって訳?」
「駄目?」と直江。
「駄目です」と女子たち。
「いっその事、執事喫茶にしたらどう? 執事の神様みたいな人が居るじゃない。津村さんから作法の指導受けてさ」と藤河が言い出す。
「いいね。矢吹君が居たらきっとお客さん大勢来るわよ」と吉江も乗り気だ。しかし・・・。
「残念だけどそれは無理」と米沢はきっぱり言った。
「当日、矢吹君は一日貸し出されるの。ファンクラブの人達にね」
「何でまた?」と吉江。
「米沢さんが賭けに負けたんだよ」と鹿島が笑いながら言う。
「あんなの絶対イカサマよ」と米沢が口を尖らす。
「俺もそう思います。ですが・・・」と、おろおろする矢吹。
「だったら、矢吹もそこに居たんだろ? 見破れなかったのかよ」と佐川が言う。
「まあ、相手が一枚上手だったって事さ」と鹿島は自慢げに言った。
「鹿島、てめぇ」と矢吹は柄にも無く声を荒げる。
「まあそう怒るなよ。鹿島英治探偵事務所は誰の依頼でも受ける」
その時、片桐が手を上げた。
「園芸部と合同で料亭をやるって、どうかな?」
「園芸部・・・って片桐さん、引退したよね?」と直江。
「入ってきなさい」と片桐が廊下に声をかけると、入ってきたのは二年で園芸部部長の渋谷だ。
「合同って、そんな事出来るのかよ」と山本。
「正式には三年二組の企画って事になるわね。それで園芸部は名前だけ出すって事になると思うわよ」と米沢が解説する。
「けど何でまたそんな事に?」と坂井。
「片桐先輩達が引退して新入生も入らなくて、部員が私一人じゃ、とても料亭なんて。しかも私自身料理は得意じゃないし」と渋谷は申し訳なさそうに言う。
「いや、別に無理にやらなくてもいいんじゃね?」と小島。
「そうはいかないんです。去年の文化祭で出した小料理屋に来たお客さんと約束したんです」と渋谷。
「お客さんって?」
「米沢先輩のお父さん」と片桐。
「えーっ?」と全員、驚きの声を上げた。
昨年の文化祭、ちょうど美人コンテストが終わって間もなく、一人の老人が園芸部の企画を訪れた。
料理は片桐が担当した。彼は出された料理を食べながら、企画の趣旨について聞く。
そして、園芸部として育てた野菜を食材として美味しく食べて貰い、農業の可能性を感じて貰う・・・と熱弁する渋谷の趣旨に、老人は興味を示した。
渋谷は、将来、故郷の農業を再生するために、自分の実家の農地を核として農業会社を設立する・・・という夢を話す。
老人は言った。自分は投資の仕事をしているが、その覚悟が本物なら、その会社への投資を考えてもいいと。
そして渋谷は次年度にも文化祭で同じ企画をする予定を話し、老人はまた食べに来ると言って、一年後の再会を約束した。
「それが米沢さんのお父さん?」と言う吉江に渋谷が答える。
「その時は不思議な人だな・・・としか思ってなかったんですが、春のPTA会報の新会長の写真を見て、あの人だ・・・って」
「ま、いいんじゃね? ちょうどうちも食べ物屋にしようか・・・って流れになってたし、じゃ何を出すかでも、どーせやりたい事なんて出ないだろうからね」と芝田がお気楽な事を言うと、次々に賛成意見が出た。
「いろんなものを出せる料亭ってポイント高いし」と秋葉。
「しかも食材の野菜はコストゼロ」と佐川。
準備が始まる。
料理で十分な心得のある生徒は限られる。
先ず秋葉。そして元家庭科部の薙沢。武藤はプロである父親から仕込まれた。更にその弟子である松本だ。
彼等を中心にメニューを考え、必要な食材をリストアップし、その過程で園芸部が用意できる食材になるべく重点を置く。
ただ、本来の渋谷の先輩である片桐と渡辺は、この企画に深く関わる事が出来ない。
何故なら彼等は本番後の国立大学の一般推薦試験を控えて、受験勉強の追い込みに直面していたからだ。
ランクの高い大学であり、推薦とはいえ難関である。
そしてそれは米沢老を知る者・・・米沢と矢吹も同様であった。
作業を進めながら、渋谷は不安を訴える。
「米沢さんのお父さんって、外食産業ですごい影響力持ってるそうなんですが、あの人の二つ名、知ってます?」
「二つ名って仇名だろ?」と内海。
「ブッダタン、仏の舌って言うんだそうです」と渋谷。
「仏の舌?」
「つまり、神様仏様並みに人間離れした味覚の持ち主って事?」と坂井。
「そんな人が外食産業支配してるって事は、その仏の舌とやらで美味しいって評価されたら・・・」と秋葉。
「グルメ界で凄いステータスって事になるよね」と松本。
その場に居る奴等の脳裏に一様に妄想が膨れ上がる。
米沢老が料理を口にした瞬間、電光が走り、目を見開き両手で宙を掴みながら「美味いぞぉ!」と叫んで巨大化する。
大地が裂け大波がうねり、世界は閃光に包まれる。
そんな中で内海が言った。
「けどさ、もし逆に不味いって言われたら、どうなるんだ?」
「食べ物産業では生きていけなくなるだろうな」と芝田。
「出資してもらうどころの話じゃないな」と柿崎。
場に不安な雰囲気が立ち込める。
「これは米沢さんに何とかしてもらうしか無いな。実の娘に一言言って貰えたら・・・」と直江。
すると「嫌です」と渋谷が叫んだ。
「いや、そんな人唸らせるような絶品料理とか、高校生には無理だろ」と芝田。
だが渋谷は「これは私が与えられたチャンスなんです。ちゃんと正面から向き合いたい。それが出来なきゃ農業会社で故郷を再生なんて、出来っこありません」
その日から、緊張に包まれる中で作業が続いた。
決めなければならない項目は多い。値段設定はいくらにするか。何食分作るか。どこでどう調理するか。
基本的に調理は設備の整った調理実習室で行われ、盛り付けて運ばれる。
だが、それでは途中で冷めてしまう。
「調理実習室では下ごしらえだけして、ここでカセットコンロで調理したらどうだ?」と村上が提案する。
「ルール違反とか言われないか?」と内海が疑問を呈する。
「冷めたんで再加熱してますとか、言い訳はいくらでも出来るだろ」と芝田が言った。
「それ、言い訳になるのか?」と津川。
「俺達は仏の舌を相手にしてるんだぞ。それくらいやらなきゃ先は無いぞ」と武藤。
調理・接客・運搬・下ごしらえの当番表を作り、全員を当てはめた。四サイクル交代で調理の得意な人を一人づつ付ける。
「問題は米沢さんのお父さんがいつ来るか・・・だよな」と大谷が言った。その時間に武藤を当てれば・・・。
すると松本が「米沢さんに聞けばわかるんじゃ・・・」
翌日登校した米沢は言った。
「最後じゃないかしら。閉会式でPTA会長が講評する事になってるから」
「その前って事は?」と直江。
「お昼過ぎから、この町の支店を視察するって聞いたわ。学校に来るのはその後ね」と米沢。
「じゃ、第四ターンに武藤って事で決まりだな」
文化祭当日。
料亭は気合の入ったメニューが並んでいるとの噂が広まり、好評だった。何しろグルメの神様みたいな人の相手を想定してのメニューだ。
来客の評判も上々で、用意した食材も順調に消化し、まもなく完売ではとさえ思われた。
「米沢パパの分は大丈夫?」と秋葉が確認。
「下ごしらえしたのをクーラーボックスで保管してるから」と直江。
第四ターンが来て秋葉は交代し、武藤が配置についた。
もう大丈夫・・・と誰もが思った時、トラブルは起こった。
体育館で行われているバスケ教室で、他校の生徒が因縁をつけに来たとの知らせが入ったのだ。
一触即発の状態にあるとの知らせに、後輩思いの武藤が反応し、後先考えずに体育館に走った。
「おい武藤、調理はどうするんだよ」
芝田が慌てて武藤を追いかけた。
その時「園芸部の料亭はここかね?」と威厳を感じさせる老人の声が響く。
米沢老だ。よりによって調理のホープが席を外した時に・・・。
万事窮すか・・・と思われた時。感動で涙目の渋谷が米沢老に声をかけた。
「あの・・・去年の事、憶えていて貰えて嬉しいです」
「ああ、君か。あの時の料理はなかなか美味かったぞ」と米沢老。
一年ぶりの再会に会話が弾む、渋谷と米沢老。
(いいぞ、渋谷さん、その調子で時間を稼いでくれ)と一同思う中、渋谷は「それで、ご注文は何になさいますか?」
「何がお勧めかな?」と米沢老。
全員前のめりにコケる。
武藤が居ない今、調理スタッフは村上と中条だけだ。
「どうしよう、真言君」と泣きそうな中条を前に、村上は覚悟を決めた。
料理歴は十分にある。自分が食べるものを作るだけなら・・・。もう運を天に任せるだけだと、フライパンを握りしめた。
その時「あら、お父様、いらしてたんですね?」と米沢が入ってきた。
「去年交わした約束でな。それがお前のクラスと合同とは、嬉しい偶然もあるものだな」と米沢老。
文化祭企画の料亭で向き合う父と娘の様子を見て、村上の脳裏に閃いたものがあった。
「米沢さんのお父さんですか。俺、今の調理当番になってる村上です。で、こっちが友達の中条さん」
「おお、そうか。娘が世話になっているようだな」と米沢老。
「いえ、こちらこそ」と村上。
「君は料理は得意なのかな?」と米沢老。
「独り暮らしで自炊が長いもので。けど中条さんはお爺さんと二人暮らしなんですが、もっと料理が上手で・・・」と村上。
「あの、真言君・・・」と青くなった中条がおろおろするが、村上は続けた。
「それで中条さんのお爺さん、孫娘の手料理を食べるのが生きがいだ・・・っていつも言うんですよ」と村上。
「なるほど。娘や孫娘が手料理を作ってくれるというのは、実に良いものだからな」と米沢老。
ようやく村上の意図を察した米沢が口を開いた。
「お父様、久しぶりに私の料理を召し上がりますか?」と米沢。
「作ってくれるか。いつ以来になるかな」と米沢老。
カセットガスコンロの火で加熱したフライパンで、下ごしらえした肉と野菜を放り込み、調味料をまぶす。
手並みは悪くは無いが、鮮やか・・・という訳でも無かった。
だが、出来上がった料理を米沢老は美味しそうに食べる。
「うむ。実に美味い。弥生、また腕を上げたな」と米沢老。
笑いながら受け答えする米沢。
食べ終わると米沢老は、渋谷に向かって満足気な笑顔で言った。
「久しぶりに良い食事が出来た。農業会社の件、頑張りなさい」と米沢老。
渋谷は感激の表情で「ありがとうございます」
米沢老が部屋を出るのを見届けると、渋谷は米沢に向かって膝と両手を床についた。
「米沢先輩、私を弟子にして下さい。そして料理を教えて下さい」
米沢は「はぁ?」と怪訝顔。
「私、今日の事で解りました。いくら見かけの良い野菜を作っても、それが本当に美味しいかは、料理の心が無いと解らないんですよね?」と渋谷。
「いや、私、料理ってそんなに得意じゃないから」と米沢。
「だって、あのお父様があんなに美味しいって言ったじゃないですか。いくら娘の手料理だからって、仏の舌と呼ばれた人が、そんな事で美味しいなんて言う筈ありません」と渋谷。
「仏の舌?」
米沢は笑った。
「あのね、仏様って神様と違って、人間が修行して悟りを開いてなるものなの。それでね、悟りを開くと、どんなものを食べても美味しいと感じるの」
「それって味音痴って事?」とクラスメート達。
「そうね。お父様は何を食べても美味しいって言うわよ。あの人に味覚なんて無いもの」と米沢。
一同唖然
「けど、外食産業の支配者でグルメの権威だって・・・」と内海。
「農業県の経済を盛んにするには外食産業で味を追及するのが良い・・・って、支援はしてるわよ。けど自分で味見なんてしないわ。ちゃんと美味しさを評価するスタッフが居るもの」と米沢。
「それじゃ、私の覚悟が本物なら投資するって言ったのは・・・」と渋谷。
「お父様はやる気のある若い人にはみんな言うわよ。けど実際に投資を決めるのは銀行の評価スタッフだから」と米沢。
茫然とその場に座り込んだまま渋谷は(今までの苦労は何だったのだろう)と呟いた。
その時武藤が帰還。
「いや、参った。うちの二年女子が自分の彼氏に手を出した、とか言う女子小学生が団体で押しかけて・・・。ああいう女って子供でも手が付けられないのな」と武藤は言って頭を掻く。
「武藤お前、肝心な時に何やってたんだよ」と村上。
「何って・・・もしかして米沢パパが来た?」と武藤。
「米沢さんの手料理で満足して帰ったよ」と村上。
「そりゃ残念だ。仏の舌に俺の修行の成果を見て欲しかったんだが・・・」と武藤。
「それはもういいから!」とクラスメート達。




