1話 男装お嬢様は正義感が強い
ここはアステリア皇国の端にある小さな町、エリアザである。
人の往来は少なく、戦略的価値がそれほど高くはないが、アステリア皇国と犬猿の仲であるシャズート王国と隣接しているため、一応低いながらも城壁に囲まれた城塞都市だ。
よく小競り合いをしている両国は国境線が変わることは珍しくなく、国境付近の街の人間は、自分がどちらの国に所属しているかについて興味がないことが多い。だが、このエリアザという町は、南の本当に端っこに位置しているため、戦場になったことなどなく、一応はアステリア皇国への帰属意識は存在する様だ。
門は夜以外は開きっぱなし、検問をすることなどなく、衛兵は欠伸しながら酒を飲むという何のための城壁かわからない堕落っぷり、よく平和ボケをしている。
そんなのんびりとした小さな町に幼い叫び声があがった。
「財布がない!」
切実な叫び声をあげたのはエル、偽名である。
エルの身長は140セント程度、綺麗な金色の髪と瞳を持っていて、短く切られた髪は絹の糸のように柔らかい。その上、アーモンド形の目に、筋の通った鼻、薄いが形のいい唇をもつ中世的な顔立ちは、まだまだ幼さは残ってはいるが、十人中十人は美少年だと答えるだろう。
「坊ちゃん……本当ですか?」
坊ちゃんとは叫び声をあげたエルに対する呼び名である。
私の名前は荒愧景光、荒愧が家名で景光が名だ。
坊ちゃんからはアラキと呼ばれている。
「本当だ! たしかに朝はここにあったんだ!」
「……たしかに無くなっていますね……」
エルが指さすのは腰に巻いたベルトの前部分だ。
普段ならそこには財布の袋が釣られているはずなのだが、使い込んでしわしわになった皮ベルトがあるだけでそこには何もない。
念のために後ろに回り込んでみれば、必要最低限の道具袋とナイフが吊るされているだけで、財布らしきものは見えない。
「心当たりは?」
「ない!」
一応聞いてみたのだが心当たりはないらしい。
たしかに朝に宿から出る時は、財布を持っていたのを見た覚えはあるから、宿に忘れたということはないだろう。
「野宿は嫌ですよ」
「僕だって嫌さ!」
「これはスリにあいましたね」
「何他人事みたいに言ってるんだ! アラキは僕の用心棒だろう?!」
そうなのである。
私は坊ちゃんの用心棒なのだ。
そのため、坊ちゃんのお金がないという事は私のお金もないということで、それは非常に困る。
なので、
「坊ちゃん、責任持って探してきてください」
「だ! か! ら!アラキは僕の用心棒だろう?!」
そうなのである。
彼女の偽名はエル、本名はエイミー=アルドリッジ、12歳。彼女は胸も腰もお尻もまだまだ薄い男装少女で、俺の雇い主なのだ。
恵まれた容姿と12歳という年齢、短く切られた髪と男物の服を着ているため、一応大体の人間からは男と見なされる。
ちなみに私は一応は彼女の親に金で雇われていることになっているが、そんなものはとうの昔に尽きているし、現在彼女の分のお金稼いでるのは私だ。もっといえば私にはへそくりがあるため野宿するような心配は実はない。
でも言えないからへそくりなので、最後までそれを言うつもりはない。
「私は私で心当たりを当たるので坊ちゃんは一人で探してください」
「はあ? ひ……一人でか?」
私に心当たりはない。
この町に来てまだ二日、そんな私がスリをしそうな人間も、いるかもしれない元締めの存在も知るはずがない。
まあ、財布がないなら稼げばいい話だし、エルには協力してもらう事にしよう。
そんな私の内心を知ってか知らずか、一人で探して来いと言われて、さっきまでの勢いが空気が抜けるように無くなり、不安げな様子になってしまったので、もう一言付け加えることにしよう。
「これくらい出来なければお家復興など夢のまた夢ですよ?」
「く……ああいえばこういう……」
こう言えば坊ちゃんは引けなくなる。
彼女の悲願であるアルドリッジ家の再興と、このことは関係ないが、根は素直な子なのであっさりその気になってしまう。
用心棒として大変心配ではあるが、これもいい経験だ。
「わかったよ! 行けばいいんだろ! 行けば!」
「お昼にはここに戻ってきてくださいね」
「ちゃんとアラキも探すんだぞ!」
坊ちゃんはそう言うと今来た道へ振り返り、キョロキョロしながら歩き始めた。
どうやら怪しい人を探しているようだ。
怪しい人を見かけたら声をかけるつもりだろうか?
手がかりが何もないため、まず見つからないし、もし見つけたところで非力な少女がスリに声をかけるなどもってのほかだ。
彼女には私が護身のために稽古をつけているが、彼女の才能は凡人そのものなので、大人の男に敵う程ではないし、男女差を覆す域にも達していない。
男装しているが、それは美少女に見えるか美少年に見えるかの違いでしかないので、どちらにしても悪い大人からはいい獲物になるだろう。
そういうわけで用心棒である私は坊ちゃんを尾行することにした。
用心棒は護衛対象から決して目を離さないのだ。
てくてくと歩く坊ちゃんの後をつける事10分、尾行仲間が増えてきた。
私を除いて3人の男が、買い物や同じ方向に用がある風を装いながら坊ちゃんに熱視線を送っている。
場所は露店が並ぶ市場で、向き出しの土を踏み固めただけの、石畳で舗装されたメインストリートから外れた通りにある。
人の往来もそこそこで、尾行されていてもまず気付くことはできないだろう。
そうしているうちにキョロキョロと見回しながら一人で歩くよそ者丸出しの美少年(美少女)に、また一人尾行する男が増えた。
合計4人の尾行者はお互いに目配せをしていることから、どうやら彼らは知り合いのようである。
身代金か人身売買目的かはわからないが、ソワソワとしだしたその様子から、いよいよ実行に移そうとしているのが見て取れた。
そろそろ頃合いか。
私はまずは一番後ろにいる、リンゴの店の前で冷やかしをしている男に声をかけることにした。が、お嬢様の叫び声が聞こえてきたので中断する。
「お前なにをしている!」
「なんだ?このガキは」
ビシッと指を指しながらエルが怒鳴りつけた相手は、バンダナにタンクトップという自分の体に自信のありそうな男だった。
恐らく、この男は買い物をする女性にスリを働いていたので、それを目撃したエルが止めようとしたのだろう。
「今その人から取ったものを返すんだ!」
「はあ? 何のことだ?」
「私の財布がない!」
男はとぼけるが、女性も自分がスリにあったことに気付いたようだ。
女性は男の方へ向き直るが、
「俺が取ったっていうのか?」
「いえ……」
男に睨まれ女性は何も言えなくなってしまった。
彼女は彼に取られたという証拠は坊ちゃんの発言だけだし、見るからにガラの悪そうな男に強く言う事ができるような人ではないようだ。
「僕は見たんだ。そのポケットの膨らみが何なのか見せてみろ」
「生意気なガキだな。なんで俺がそんなことしなきゃなんねぇんだ?」
「やましいことがないんだったら見せればいいじゃないか。数秒で済む事だろ」
「喧嘩売ってんのか?」
そんなエルに男はオラつきながら近寄っていく。
エルはちんまい体で腕を組み、男の目を反らすことなく睨んでいる。
彼女たちの間にはおよそ40セントほどの身長差があるため、男が近づけば近づくほどエルは見上げる形となり、徐々に頭が上を向いていく。
絶望的な体格差が両者の間に存在するが、エルはその場から一歩も引かずに男に相対し続ける。
私は二人の顔が見えるよう横の方まで移動しているため、エルの首の角度がよく見えるが、なんだか痛くなりそうな角度だ。
財布を取られた女は既にどこかへ消えているため、ここで意地を張る意味はないのだが、エルは目の前の男を見るのに必死で気付いていないようだ。
よく見れば足はガクガク震えているので本当に勇気を振り絞って立っているのだろう。
そんな健気に頑張るエルの様子を見て男が改心するなんてことはなく、むしろ調子に乗ってエルのストーカー達へと目配せをした。
するとエルが集めた4人のストーカーがエルの方へと集まってきて、周りが見えていないエルはあっさりと男たちに囲まれてしまった。
どうやらあのストーカー達はスリをしたこの男の仲間だったようだ。
「なっなんだお前たち!」
エルも流石に自分が囲まれていることに気付いたようだ。
詰め寄る男が4人増えて、合計5人、絶体絶命の状況に陥ってしまったエルは流石に強がるキャパを超えたのだろう。
目尻一杯に涙を貯めこんで、ついに声が出なくなってしまった。
「痛い目見たくなかったら大人しくついてくるんだな」
そしてついに、震えて涙目のエルに、男の一人が手を持ち上げて触れようとした。
もう間違いない、こいつらは人攫いだろう。
エルを捕らえようとしたのは、後ろにいるの男のためエルは気付くことができない。
このままいけばエルは男に抵抗する間もなく捉えられてしまうだろう。
だが私は、流石に触れることまでは許すつもりはない。
私はエルへと手を延ばしている男に近づくと、その腕を掴んで動きを止めた。
野次馬のふりをして近くにいたので4歩も歩けば止められる距離にいる事が出来た。
「なんだてめぇ! っうぉ!」
腕を掴まれて怒鳴ってきた男を引っ張って、男のバランスを崩して尻もちをつかせる。
そうして出来たチンピラエル包囲網の穴へと私は散歩するように自然に歩いていき、エルの傍へと立った。
私のあまりの堂々とした歩きっぷりにこのチンピラたちは、逆にあっけに取られてエルの隣に私が行くのを野放しにしてしまったようだ。
「よく頑張りましたね」
「アラキ!」
エルは隣に立った私の顔を見上げて確認すると、恐怖に歪んだ顔が、そこだけ明るく花が咲いたような笑顔になった。
半べそから完べそになりかけていたが、12歳の女の子が大の男に囲まれて怒鳴られたことを考えれば上出来だろう。
「たとえ勝てない相手だとしても、自分の正しいと思ったことを実行するその姿、とても良いと思いますよ」
この幼い主人は戦う力がないながらも戦う意思を見せた。
「有り金全部置いて行ってもらいましょうか」
ならばここからは用心棒の仕事だ。
財布(人の)は見つかったので、今夜は暖かい布団で寝むれそうだ。
5人分+女の人の財布ともなると中々の稼ぎが期待できるので俄然やる気が出てくる。
「それはこっちのセリフだ!」
正面のスリをした男が叫びながら私の右頬にむけて殴りかかってくる。
躊躇なく殴りかかってくる様子から喧嘩慣れはしているようだが、腰の抜けた拳からして武術の類は修めていないようだ。
それは私にとっては好都合なので遠慮なく殴らせてもらうことにする。
私は頭を右に振るようにして下げながら、左の拳を振りぬいた。
男の拳は頭を下げたことで狙いを外れて私の右頬をそよ風が撫でるに留まり、対して私の拳は男の腕の外から交差するようにして男の顎を捉える。
自分でも惚れ惚れするくらいに綺麗なカウンターが決まった。
男の目がグルンと回り白目を向いたかと思うと、糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちて、そのまま地面へ顔面から突っ伏した。
「「「「兄貴ぃ!」」」」
声が大きいだけあって男はこの集団の兄貴分らしい。
この男が一番強いと仮定すると、あと4人も大したことはないだろう。
私はエルの首根っこを掴んで、今開いた包囲網の穴へと走ってチンピラ達の包囲を抜けた。
私はそのまま逃げるなんてことはせず、包囲を抜けたところでチンピラ達へと向き直り、4人の男たちと相対する。
「下手に出てりゃてめぇ! ただじゃおかねぇぞ!」
私の記憶にないことを口走りながら、チンピラたちが次々と武器を抜く。
左からナイフ、ナイフ、ショートソード、ナイフか。
ショートソードを持った男以外はナイフという装備の貧弱さは、やはり戦いを生業とするものではないらしく、こちらが素手でも大した脅威にはならないだろう。
だが、抜いたのならばこちらも抜かねばなんとやら。
私も武器を使わせてもらう事にしよう。
私は左腰に帯びた剣に手を置く。
私の剣は何の変哲もない鉄製のロングソードだ。
本来、私は自分の国では侍と呼ばれる主君に仕える戦士のような存在で、太刀や刀という反りの入った剣の扱いを得意とするのだが、この大陸では手に入らず仕方がなくこの剣を使っている。
チンピラたちが一斉に襲い掛かってきた。
チンピラたちの構えは左から突き刺し、突き刺し、突き刺し、突き刺し、すごい、全員突き刺してくる。
偶然なのか狙ってなのかはわからないが、その姿は本当に仲が良いように見え、彼らは似ていないが実の兄弟なのかもしれないと思った。
私はどたどたと走るチンピラたちを前にその場から動かず、親指で剣を鞘から少しだけ持ちあげ、私の間合いに入るのを待つ。
私の間合い、肩甲骨を中心に伸びた腕と剣の先が描く円が、腰を中心にした円に沿って動いた時の範囲。
その私の円の中にチンピラたちの刃物が不用心に入り込んでくる。
私の領域を犯した者には制裁を。
大地を踏みしめ、腰から始まった回転は背骨を通し肩甲骨を回転させる。更に肘、手首、そして手に持った剣を架空の関節として、動かせる体の全てを使って加速させる。
お前たちに私の練り上げた肉体で加速させた剣を見切れるか?
左のチンピラの持ったナイフの側面に当たった。
やはり無理か。
私の剣は、同じ鉄製のはずのナイフを叩き折り、勢いを殺すことなくそのまま横のチンピラたちの持ったショートソードを含む三本の武器を一刀の元に叩き折った。
鉄の折れる甲高い音が5回鳴ったが、こいつらの耳には一回分の音しか聞こえていないだろう。
私は短くなったロングソードを鞘に素早く収めると、自分の武器が折れたことに目を丸くしたチンピラ達へと殴りかかることにした。
チンピラをボコボコにした後、ちゃんと財布を貰う事が出来、宿に泊まることができた。
「赤字ですね……」
「それより僕に言う事があるだろう」
せめてショートソードは残しておくべきだった。
まさか私のロングソードも折れてしまうとは……
「助けてくれたことには感謝するがタイミングが良すぎないか?」
「明日は私の剣を買いに行きましょう。折れてしまいましたので」
「はぐらかすな。アラキは僕を囮にしたのか?」
「今度はちゃんと鍛造したものが良いです」
「それは買ってやるから話を聞け!」
どうやら買ってもらえるようだ。
「この町は腐っています」
「はあ?」
検問がなく、衛兵のやる気もなく、税もほどほどのこの町は悪い商売をするのにはうってつけの環境という事だ。
「そんな町で坊ちゃんのような子供がフラフラと歩いていれば確実に攫われるでしょう」
「なんでそんな危ないことを僕にさせたんだ?!」
それは坊ちゃんがお金を取られたからに決まっている。
「そいつらを殴って身包みを剥げば当面の生活費にはなるかと思ったのです。これも全てお坊ちゃんを暖かい寝床についてもらうためだったという事です」
「やっぱり僕を囮にしたってことじゃないか!」
キッと私を睨みつけながら腹を殴ってくる。全く痛くない。こんな腰の抜けた殴り方を教えた覚えはないのでしっかり稽古をすることを私は誓った。
あと、結果無傷だからいいじゃないか。
「もう! アラキはいっつも僕をないがしろにする! アラキは僕の用心棒なんだろ!」
坊ちゃんが段々ヒートアップしてきた。
なんだかずっと怒鳴られている気がするが、普段はこんなにずっと叫んでいるわけではない。
もう6年一緒に旅をしているのでいい加減この程度の荒事には慣れて欲しいものだ。
「坊ちゃん、そろそろご飯に行きましょう」
「話を聞け!」
坊ちゃんはついに金色の目に涙を浮かべて私の腹をボコボコと殴ってきた。
さっきよりはいいパンチだが、それでは私の腹は満たされないのでまずは食事だ。
米があると嬉しいのだが……
私達は食事を終え、寝る時間となった。
私達は二人部屋の個室をとってあり、坊ちゃんが部屋の奥側のベッド、私が入り口側である。
ちなみに今日の夕飯は宿の女将にチップを渡して作ってもらったシチューとパンである。米はなかった。
寝支度を終えた私はベッドに潜り込むが、エルは自分のベッドへ入る様子はなく、私のベッドの傍までゆっくりと歩いて来ていた。
「どうしましたか?」
エル……いや今はエイミーお嬢様か。
「アラキ……手、繋いで寝ていい?」
「いいですよ。お嬢様」
「ありがとう……」
私がベッドの端によると、エイミーお嬢様が私のベッドへ入り込み、私の左手を握る。
少年として振舞うエイミーであるが、夜は気が抜けて本来の少女を出す時がある。
気の強いふりをしているが、本来の彼女は弱虫ですぐ泣く臆病な女の子だ。
6年前に正体不明の武装集団に屋敷にいた両親を殺されたエイミーお嬢様を、たまたま客人として泊めてもらっていた私が命からがら屋敷から助け出したあの日から彼女は変わった。
絹のひらひらのスカートを男物の麻のズボンに履き替え、産まれた時からずっと伸ばしていた長く美しい黄金の髪をバッサリと切り落とした彼女は言った。
「私は……あの男を殺して、アルドリッジ家を再興させてみせます」
両親が殺されてまだ一日、アルドリッジ家が治めていた小さな町に上がる炎で明るくなった夜を背に、彼女は髪を私に差し出してきた。
その時の彼女の瞳は、内心を表すように金色の瞳が炎の光で赤く染まっていた。
「アラキさん、私に復讐のための力を貸してください」
その言葉を聞いて、主君を失い意味もなく彷徨っていた私は、この年の割に頭のいいくらいで、何の力もない六歳の少女に仕えることにした。
なぜそう決意したのかは、いまでも私にはわからない。
彼女と私にあったのは一宿一飯の恩義のみ。
でもなぜかあの時の私は、それが十分な理由に思えたのだ。
「あなたはこの命に賭けても私が護ります」
これは優しい旅をする二人の物語ではない。
家族を殺された少女と私の復讐譚である。
他連載の息抜きに書きました。
不定期連載ですが、大体終わりまでプロットは考えてあります。
この作品は僕がノクターンノベルズで連載したR18作品「幼馴染に貰ったオ〇ホでオ〇ニーしてたら幼馴染が妊娠してた話」
にちょびっと登場した英雄部隊の一人、アラキ=カゲミツを主人公としたスピンオフ作品です。
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