8.
聞かないでおこうとは思っていたが、さすがにこの家については聞かずにいられない。
それにもしこの家をアイシャに貸すつもりでいるならば、説明も無しに貸すというのはおかしな話だ。
アイシャは少しだけ躊躇ったが、やはり聞いてみる事にした。
「シェイド、説明して貰えるかしら?どうしてこの家が貴方の持ち物なの?どうも貴方の言動には、理解出来ない点が多いわ」
何かしらの事情を抱えている事は分かっているので、『貴方は何者なの?』とは直接聞けずに、少しだけ匂わせる言い方をしてみた。
けれどシェイドはそれには触れず、全く予想していなかった返事を返した。
「理解出来ないか‥。まあ、そうだろうな。いきなり俺の持ち家だと言われたら、そう思うだろう。俺は言葉足らずな所があって、よく注意されるんだが、先にこの家の説明をするべきだったな。実はこの家は亡くなった祖母の生家なんだ」
「お祖母様の生家?」
「そう。祖父に嫁ぐ前まで暮らしていた家だ。祖母が嫁いでから一家は別の家に引っ越したが、祖母は思い出を無くしたくないと言って、この家を手放そうとはしなかった。俺は祖母に可愛がられていたから、亡くなる時にこの家の事を頼まれたんだ。とはいえ俺は留守がちで、あまりこの家に来る事が出来ない。だから君に管理して貰えたら助かると思ってね。それで候補の一つに選んだんだ」
「そういう事だったの‥。本当に‥言葉足らずね」
「ああ、よく言われる」
なんとなく申し訳なさそうなシェイドに、アイシャは思わず吹き出した。
表情は見えないが、叱られた子犬の様にシュンとして見えたからだ。
アイシャが笑うのを見たシェイドは、ホッとしたのか嬉しそうに目を細めた。
「ねえシェイド、室内を見て回る前に、貴方の顔を見せて貰えないかしら?やっぱり私は相手の表情を見て話したいわ」
「ああ、そうだったな。今外すから待ってくれ」
言いながら慣れた手つきでスルスルと覆面を外すと、手ぐしで髪を整えて、シェイドはアイシャに向き直った。
「これでどうだいお嬢さん?お気に召しましたか?」
柔らかそうな短く切られたこげ茶色の髪に、少し浅黒い肌の明らかに混血である特徴を持ち、スーッと通った鼻筋に形の良い薄い唇、そして涼しげな目元を彩るターコイズブルーの瞳、それらが見事に配置された驚く程整った顔が、悪戯っぽく微笑んでアイシャを見ている。
混血の多いスワヒールとはいえ、これ程整った顔立ちは滅多にいないだろう。
でもアイシャはこの顔立ちを見て、別の意味で驚いていた。
それを悟られまいと、務めて平静を装い、ワザと茶化した言い方をする。
「驚いたわ‥。貴方、そんなに整った顔立ちをしていたのね‥。それならわざわざ私なんて口説かなくても、いくらでも女性が寄って来るじゃない」
「おいおい、俺の顔を見た第一声がそれかい?まあでも、君に整った顔立ちと言われるのは悪くないな。少しはお気に召した様ですねお嬢さん」
「ええ、そうね。これでやっと貴方の表情を見る事が出来るわ。それじゃあ改めて室内の案内を頼みます色男さん」
「いや、その呼び方は‥‥まあいい、居間から案内するよ」
小さな溜息を一つ吐き、シェイドは室内を案内して回った。
とはいえそれ程大きな家ではないので、あっという間に見終わったが、最後にお気に入りの場所だと言って、居間から続く廊下の扉に案内してくれた。
「この向こうは小さいが中庭があるんだ。きっと君も気に入ると思う」
ゆっくり開けた扉の先には、日当たりの良い小さな中庭があって、真鍮で出来た丸いテーブルと二脚の椅子が置いてあった。
中庭には他にオレンジの木が1本と、何種類かのハーブが植えてある。
水が豊富なスワヒールらしく、細い水路も脇に通っていた。
「シェイド、この庭‥凄く素敵ね!ここでゆっくりお茶を飲んだら、幸せな気分になりそうだわ」
「気に入ったようでなによりですよお嬢さん。俺も案内した甲斐がある。君が幸せになるなら、お茶を淹れようか?」
「えっ!?いいの?」
「いいも何も、俺の家だからな。そこに生えているミントを摘んでくれるかい?俺はお湯を沸かして来るから」
「分かったわ。ありがとうシェイド」
歩きながら後ろ手にヒラヒラと手を振って、シェイドは台所へ向かって行った。
中庭で1人になったアイシャは、ハーブの茂みに近付くと、その前にヘナヘナとしゃがみ込んで、深く息を吐いた。
ハァ‥なんとか動揺を悟られずに済んだわ。
まだ心臓がドキドキしている‥
だってシェイドの顔を見た瞬間、心臓が止まるかと思う程驚いたんだもの。
どうしてシェイドはあんなに‥あの女の子に似ているの?
私を庇ってくれた‥あの女の子に‥
ミントの葉を摘みながら、アイシャは6年前にカランで出会った、少女の事を思い出していた。
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