21.
何がなんだか分からないまま巫女に手を引かれて、神殿の奥に連れて来られたアイシャは、小さな部屋に案内された。
部屋に入ると巫女は予め用意されていた衣服を手に取り、それをアイシャに渡してこう言った。
「これから儀式を始めますので、こちらの衣装に着替えて下さい」
「儀式‥‥ですか?」
「はい。貴女様は神に選ばれた花嫁でございます。ですから聖なる泉の祝福を受けなければなりません」
「聖なる泉の祝福‥?それはどんな事をするのでしょうか?」
「神殿中央にある聖なる泉で手足を清め、大神官様より祝福を授けられるのです。難しい事は何もございません、全て大神官様のご指示に従って頂ければ大丈夫です」
「‥その‥儀式はどうしても‥避けられない物なんでしょうか?」
「当然です。儀式が済んで初めて、王族としての権利を得られるのですから。貴女様は儀式が済むまで、神殿から出る事を許されません」
「‥出られない‥!?」
巫女の言葉にアイシャは動揺した。
これはもうどうしても逃げられない状況なのだ。
「ああ、緊張されていらっしゃるのですね?大丈夫ですよ、大神官様は全て心得ておられますから、仰るままに動けばいいのですよ」
「は、はい‥」
全く見当違いの配慮をされて、どうにも返答に困ったのだが、それも仕方がないと思う。
まさかアイシャがこの権利を放棄したいと思っているなど、国中の誰も思う筈が無いのだから。
それ程ザワージで選ばれるという事は栄誉ある事であり、出身部族にとっては末代まで語り継ぐ程の誉れなのだ。
「フゥ‥」
と、一つ溜息を吐いて、アイシャは用意された衣装に着替えた。
真っ白で裾の短いワンピースの様なこの衣装は、スタンドカラーの襟の部分にだけ青い糸で刺繍が施されている。
そして腰に巻く帯も青色で、こちらには襟と同じ模様の刺繍が金糸で施されていた。
どこかで見た覚えがある模様だと、繁々と見ていると、巫女は恵の水から育つ植物を模した物だと説明してくれた。
緊張しているのだと思い込んでいる為、少しでも緊張を解そうと気を使ってくれている様だ。
そうして着替えが終わると、巫女はアイシャを連れて部屋を出て、神殿中央の泉の前へ進んだ。
大神官は既にそこで待っており、アイシャが目の前に立つと、輝くばかりの笑顔で口を開いた。
「では、儀式を執り行いましょう。履き物を脱いで掌を私に見せて下さい」
言われた通り履いていた革のサンダルを脱いで、両掌を開いて大神官へ見せた。
すると大神官は手に持っていたガラスの水差しを泉に浸して、それを満たすと祈りの言葉を呟いた。
「生命の源水の神タヘルの祝福を賜り、ここに新たな王族の誕生を祝します。豊穣の神ハーシマの加護のあらん事を」
そう言いながら最初にアイシャの掌に、続いて足の甲に水差しの水をかけた。
この衣装の裾が短いのは、これを行う為だったのだろう。
冷んやりとした水の感触を感じながら、アイシャはこれでもう引き返せない事を悟った。
さっきまではどこか他人事の様な現実味の無い感覚だったのだが、水の冷たさがそれを一気に現実へと引き戻す。
大神官に言われるがまま膝をついて水の神に祈りを捧げると、2人の巫女がアイシャを立たせて、儀式の終了を告げた。
「儀式は滞りなく終了致しました。先程の控えの間にお戻り下さい」
アイシャはコクリと無言で頷き、巫女の後ろに着いてさっきの部屋へ戻った。
遅れてもう1人の巫女が、厚さ10センチ程で長さ50センチ位はあろうかと思われる、長方形の木の箱を手にして入って来る。
そしてアイシャの前に木の箱を置くと、蓋を開いてにっこりと笑った。
「こちらは第二王子、シェイド殿下がご用意された衣服です。まずはこちらに着替えて下さい」
薄い緑色に銀糸の縫取り、上等なシルクで作られたその衣服を差し出され、アイシャは戸惑いながら巫女に尋ねた。
「あ、あの、私が着てきた服は‥?」
「ご安心下さい、既に馬車に積んでおります。これから貴女様は王宮へ向かわれますので、しきたりとして夫となる方の用意した衣服を身に付けて頂かなければなりません」
「えっ!王宮ですって!?」
「はい。祝福を受けた花嫁は、既に王族となっております。ですから王宮へ居を移すのが道理。貴女様の荷物は、既に宿から王宮へ運ばれている筈ですから、こちらもご安心下さい」
「‥‥!!」
その言葉に衝撃を受けたアイシャは、呆然と立ち尽くした。
巫女達は、やはり緊張しているのだと思ったのだろう。
第二王子の用意した衣服を手に取り、テキパキとアイシャを着替えさせていく。
そして着替えが終わると、左手首にあの腕輪を嵌めて、部屋から神殿の外へ連れ出した。
神殿の前には豪華な馬車が止まっており、その横には大神官が立っている。
「ああ、とても良くお似合いだ。その姿の貴女を私が先に見た事を、シェイドはさぞや悔しがるだろうね。さて、王宮までは私が送る事になっています。私の手を取り、馬車に乗り込んで下さい」
スッと差し出された大神官の手に、おずおずと自分の手を重ねる。
そして促されるまま馬車に乗り込むと、扉を閉めた大神官が御者に合図を送った。
ガラガラと音を立てながら、馬車は中央広場を抜けて大通りを進んで行く。
沿道には花嫁誕生を祝う民達が声援を送り、王都はお祭り騒ぎになっていた。
「フゥ‥」
溜息を吐くアイシャに、大神官が話しかけて来た。
「突然の事で、不安に思っているのでしょうね。どうも貴女は儀式の事を何もご存知なかった様だ」
「‥はい。私の様な異国人の養女は、選ばれる筈が無いと思っていましたから」
「例え貴女が異国人であろうと、アルドで生まれてアルドで育った者は、皆等しくアルドの民です。ですから貴女は堂々としていれば良いのですよ。心配しなくてもシェイドは貴女を悪い様にはしません」
「‥大神官様は‥第二王子殿下と親しいのですか?」
「そうですね、親しいと言いますか、私は従兄ですから」
「従兄‥!という事は‥大神官様は王族なのでは‥」
「そうです。地方では知られておりませんが、大神官は代々王族が引き継ぐ事になっているのですよ。これからは貴女も王族の一員なのですから、こういった知識も必要になって来るでしょう。多分最初の3ヶ月間は、王族としての教育がなされると思います。それが済んだら婚礼の儀を行う事になるでしょうね」
「3ヶ月‥ですか」
「ええ。そう不安にならなくても、シェイドは噂と違って誠実な男です。きっと貴女を大切にしてくれますよ。まあ、今日はシェイドと会う事は出来ませんがね」
「‥私はこの後どの様にすれば良いのでしょう?全く予定が分からないのですが‥」
「今日は国王陛下にご挨拶をしてから、ゆっくり休んで頂きます。明日以降の予定については、後ほど女官長から伝えられるでしょう」
「そう‥ですか‥」
大神官は輝くばかりの笑顔でもう一度「心配はいりません」と言ったが、アイシャは愛想笑いを返す事しか出来なかった。
スワヒールに来れば自由が手に入る予定だったのに、こんな事になってしまうなんて‥。
どうしよう、どうしたらいいの?
私の目的は‥こんな筈じゃなかった‥
ああシェイド‥貴方との約束が守れなくなってしまうなんて‥!
王宮へ着くまで大神官は第二王子について語っていたが、アイシャは第二王子と同じ名前の人物を思い浮かべていた。
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