10.
「シェイド‥‥話すべきかどうか迷ったんだけど、やっぱり貴方に話そうと思うの。‥私がもう一つ目的があると言ったのを覚えている?」
「ああ。雲を掴む様な話だと言っていたな。それは‥不可能に近いという事だろう?」
「ええ‥。一人で探すなら‥ね。だけどさっきカリムさんと話したら、貴方に協力して貰う方が良いと言われたのよ」
そう言うと少し頰を膨らませて、不機嫌そうにシェイドは言った。
「なんというか‥俺よりカリムの方が信用されているのが、少し気に食わない」
まるで子供の様な膨れっ面をするシェイドが可愛らしく思えて、アイシャは思わず笑ってしまった。
「フフッ‥やっぱり顔が見えると分かりやすいわね。
確かに信用はしているわ。だって私は指輪を見て貰ったんですもの。宝飾品については専門家に敵わないでしょ?」
「指輪?指輪と目的がどう関係しているんだ?」
首を傾げるシェイドに、まずは見て貰った方がいいと思い、アイシャは首からペンダントを外してシェイドに見せた。
「見て貰ったのはこの指輪なの。カリムさんが言うには、西方の貴族が封蝋を押す時に使う、紋章入りの指輪だそうよ」
「ああ、確かに西方では、こういう物を使って手紙のやり取りをしている。それに身分の証明にもなる物だ。だからこういった物は、出回る筈は無いんだが、‥君はこれをどこで手に入れたんだ?」
「これはね‥私を産んで亡くなった、本当の母親の形見なの。私の産声を聞いた後、この指輪を義母に託して、エゼンタールという異国の言葉を呟きながら、静かに息を引き取ったそうよ」
「産みの母親だって!?それじゃあ‥君の本当の母親は‥名のある貴族の出じゃないのか?」
「‥カリムさんも同じ事を言ったわ‥。正直信じられないんだけど、カリムさんの目は確かだから、それは間違いないんでしょうね。それともう一つ、私の様な容姿は、西方のどの辺りの出身だと思うか聞いてみたのよ。そうしたら何処とは言えないけど、多分北の方‥ダンハルクやオスレー、ストケルム辺りじゃないかって。だからこの三つの国の言葉で、エゼンタールという単語はありますか?と聞いてみたの。そうしたら‥指輪も含め、貴方に協力して貰った方がいいと。ダンハルク語は貴方も話せるからって‥」
「‥確かに俺はダンハルク語が話せる。オスレーやストケルムもダンハルクから別れた国だから、言葉は同じだ。だけどエゼンタールという単語は無かったと思うが‥‥いや、もしかしたら、それは名前なのかもしれない」
「名前?」
「ああ。家の名前‥つまり姓名だ。それなら合点が行くだろう?君の本当の母親は、死ぬ間際に身分の証と姓名を告げたんだと思う」
「姓名‥それじゃあこの指輪は‥エゼンタールという家の‥紋章‥」
「確実にそうだと言うには、調べてみない事には分からないが、恐らく俺はそうだと思う。と、したら、君のもう一つの目的というのは‥母親のルーツを探る事。違うか?」
「その通りと言いたい所だけど、少し違うわ。母親のルーツを探った上で、何故母は‥たった一人で、見知らぬ砂漠の都市までやって来たのか‥この理由を知りたいと思ったのよ」
「成る程‥。それを一人で調べようとしていたんだな。だから雲を掴む様な話と例えたのか。最初から俺に相談してくれたら良かったのに」
「相談‥というのは、義母以外にした事がないの。それに護衛をして暮らしている人が、ダンハルク語を話せるとは思わないでしょ?」
「ま、まあ、確かにそうだな」
「‥ねえシェイド、貴方は本当に護衛なの?」
突然アイシャから尋ねられた問いに、一瞬シェイドは顔色を変えた。
そして暫く黙り込むと、真剣な表情で口を開いた。
「今の俺は‥君の護衛兼案内係だ。だけど俺には‥もう一つの顔がある。それは今話す事は出来ないが、その内君も知る事になるだろう。だからそれまで、答を言うのは待ってくれないか?」
真っ直ぐにアイシャを見つめるターコイズブルーの瞳が、強い思いを伝えて来る。
それはまるで、あの時店主を怒鳴り付けた女の子の瞳のようだった。
「‥分かったわ。まあ、大体は予想していたもの。あれだけカリムさんが”訳あり”と言えば、何かしらの事情がある事位、誰だって察するでしょう?それに私は‥貴方のその瞳に弱いのよ。昔カランで出会った子にそっくりなんですもの。さっきは驚いて心臓が止まるかと思ったわ」
「昔カランで出会ったって‥」
シェイドは驚いた顔でアイシャを見た。
その表情からアイシャは、もしかしたらあの女の子の事を、シェイドが知っているのではないかと思い、少し話してみる事にした。
「6年前にね、カランで偶然出会った子が、貴方に凄く似ていたの。その子は意地悪な店主を怒鳴り付けて、私の買い物を手伝ってくれたのよ。女の子なのに勇ましくて、本当に格好良かったわ」
「女‥の子‥!?」
シェイドは更に驚いた顔をして、呆然としている。
そこで直接聞いてみる事にした。
「ねえシェイド、貴方に女の兄妹はいる?貴方の顔は余りにも似ていて、とてもあの子と他人とは思えないのよ」
「‥いや、俺には兄が一人いるだけだ‥」
「そう‥残念だわ‥。あの時碌にお礼も言えなくて、その後も会う事が無かったものだから、会えたらいいなと思ったんだけどね‥。私はあの子のお陰で強くなれたの。あの毅然とした態度を見習って真似する内に、はっきり物を言える様になったのよ。今は強すぎる位だけどね」
フフッと笑ってシェイドを見れば、何故かシェイドは額に手を当て下を向いている。
「どうしたのシェイド?具合でも悪いの?」
「いや、何でもない。少し予定が狂って、どうしたものかと考えていたんだ‥」
そう言われて太陽の位置を確認すれば、昼過ぎの位置より大分傾いている。
いつの間にか、かなり時間が経っていた様だ。
「ごめんなさい、私に付き合わせて、貴方の予定が狂ってしまったのね!」
「そういう訳では‥ないんだが‥」
「いいえ、予定に無かった買い物に付き合わせて、挙げ句高い買い物までさせてしまったわ。貴方にだって予定があるのにごめんなさいね。それじゃあ急いで帰りましょうか。あ、そうだわ!物件探しなんだけど、この家を見てしまったら他は見る気がしなくなったの。だからここに決めたいんだけど、構わないかしら?」
「構わないよ。むしろ助かる」
「良かった!それで、物件探しの必要が無くなった代わりに、貴方にはダンハルク語を教えて貰いたいのだけど‥」
「もちろん、それも構わないさ。なら君に、ここの鍵を渡しておこう。ここでなら人目を気にせず、じっくり教える事が出来る」
「ここで?私が鍵を預かってもいいの?」
「その方が都合がいいんだ。好きな時にここを使ってくれ。‥と、そうだな‥次に時間が取れるのは3日後になるが‥」
「分かったわ、3日後の昼頃にはここで待ってるわ。あ!そういえば‥今日の対価がまだだったわね。色男さん、貴方のご希望は?」
「俺の希望は‥これだよ」
そう言うとシェイドは立ち上がり、座っているアイシャを後ろから抱きしめた。
「えっ‥!?」
「暫くこうさせて欲しい。なんというか‥これで頑張れるんだ」
突然の事に頭が追い付かず、そのまま固まっていると、シェイドは気が済んだのかパッと離れた。
「はい、おしまい。これで後3日は頑張れる」
「シェイド、き、希望って‥、えっと‥」
「うん、これが今日の希望さ。叶えてくれる約束だったろう?」
「え、ええ、そうなんだけど、まさかその‥」
「この対価は変えるつもりはないよ。君も納得した筈だから、文句は無しだ」
「うっ‥その言い方は‥ズルイわ‥」
悪戯っぽく笑いながら、シェイドは真っ赤になったアイシャを見つめている。
何だか少し悔しくなったが約束は約束だ、今更変更する訳にはいかない。
動揺を抑えながら家の鍵を受け取ると、大通りに戻りシェイドと別れた。
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