街の様子
クルスはシャーロットに連れられて歩くと、並んでいる家々からカンカン・シャーとテンポの良いリズムが刻まれ始めた。
織物の街である証拠の機織り機の音だ。
「このファブリックの街の織物は有名で王室への献上品も作っているの。貴族の令嬢も好んで買っていくわ」
「色彩がとても鮮やかなんだよね。糸染めの技術が高い上に、機織りも緻密な模様を作れるとか」
おかげでこのあたり一帯は糸と織物で大きく儲けていて、領地運営をしている公爵家も大きな利益を得ていたはずだ。
流行病のせいで音が聞こえない家もチラホラあるけれど、一時の生産力の低下で公爵家が取り潰されるほどの損害は出さないだろう。
となれば、シャーロットの家が潰されそうになっている理由は察しがつく。
そして、何よりこの街の織物産業を統括する織物組合の建物についた途端、シャーロットが
「商談が終わるまで外で待っている」と言ったことで、クルスの推測は確信に変わった。
「シャーロットが困っているのってさ、織物ギルドと紡績ギルドがよその貴族についたのかな。本来払われるべき税収がなくなって、領地運営が出来なくなったとか?」
「どうして分かったの!?」
「初歩的な街の鑑定だよ。孤児院や病院が機能していない。その上、薬の買い占めなんてことまでされていたら、普通は領地運営をする公爵家が動くはずでしょ?」
クルスの問いにシャーロットはうんと頷いた。
けれど、それだけではまだ納得がいかないようで、クルスの言葉を待つようにジッと目を見つめてきている。
「でも、動けないのなら、お金が無い。公爵家がお金に困るということは収入源である税金に何か問題があったということ。この街の一番の税収は織物でしょ? 織物は作られているのに税収が無い。なら、織物産業を取り仕切っている人たちが本来払うべき税を他のところに流しているって考えたんだよ」
「驚いたわ。まさか街をちょっと見ただけで見抜くなんて」
「あはは。鑑定することに関しては自信があるからね」
「商人としては良い観察眼しているんじゃないかしら? べ、別にすごいとか格好良いなんて思ってないんだからね?」
「分かってるよ。これくらい商人の基本だからね」
つまり、これから商品を仕入れに扉をくぐろうとしている織物ギルドはシャーロットにとっては裏切り者で、織物ギルドのギルド長からすれば切り捨てた領主の娘だ。
顔を合わせたらお互いに良い感情は持たないだろう。
けれど、シャーロットを一人残すわけにもいかなかった。
「辛いと思うけど、一緒に入ってもらえないかな?」
「私がクルスと一緒に街を出て行くことがばれたら、捕まって連れ戻されるかもしれないのに?」
「一人外でシャーロットみたいにかわいい子が待っている方が危ないよ」
「か、かわいい!? こここ、こんな時にお世辞とか、べ、別に嬉しくなんてないわよ?」
「お世辞じゃないんだけどなぁ。周りはギルド長の部下だらけなんだよ? 事情を説明出来る僕が近くにいなかったら、それこそ問答無用でシャーロットを捕まえて売りに行くよ」
けれど、クルスと一緒にいるのなら、シャーロットはクルスに雇われたことを主張出来て、彼女の身柄はクルスの財産として見なされる。
商人は仕入れを我先にと争うことはあっても、仕入れた他人から奪うことはしない。
それが商人同士の暗黙の了解であり、破った者は二度と真っ当に商売が出来ないほど信用と信頼を失ってしまう。
信用も信頼もゼロになったら、それは商人にとっての死だ。
ただし、それにも例外はあって、落ちていたものは別なのだ。落ちていたものは拾った人のものになる。
シャーロットを一人外で置いておけば、落ちたものと同じ扱いをされるかもしれない。そうなったらシャーロットが拉致されても相手を罰することは出来ないのだ。
「そういう訳で僕と一緒にいる方が安全なんだよ」
「分かったわ。冷静でいられる自信がないけど……頑張ってみる」
シャーロットはそう言うとクルスの背にぴったりと張り付くようについてきた。
そんな状態でクルスが織物ギルドの扉を開けて、中に入る。
すると、建物の中には色とりどりの布が展示されていた。
美しい模様の描かれた物、神話が描かれた物、シンプルな色合いながらも丈夫そうな物、用途に応じた様々な種類の布が棚の中に、所狭しに置いてある。
そんな織物の棚の奥に受け付けがいて、クルスに気付いたのか微笑みながら近づいて来た。
「ようこそ織物ギルドへ。そちらのお嬢様へのプレゼントをお探しですか?」
「僕は行商人のクルス。こちらでいくつか織物を仕入れたいんだけど、大丈夫かな?」
「もちろんでございます。どうぞご自由にご覧下さい。お決まりになられましたらおよびつけ下さいませ」
用件を伝えると受付はあっさりと部屋の奥へと行ってしまった。
シャーロットの変装が通じてばれなかったのだろうか。
おかげでシャーロットも気が抜けたのか、ぴったりくっついていたクルスから離れた。
「意外と何とかなるものね。これなら外で待ってても大丈夫だったんじゃない?」
シャーロットの言う通り、外で待って貰っていても余裕だったかもしれない。
そう思えてしまうほど、拍子抜けだった。
けれど、クルスはシャーロットの方に振り向くと、彼女が離れないように腕と腕をしっかりと組んだ。
「え!? クルス!? 急にどうしたの!?」
「シャーロット、絶対僕から離れたらダメだからね」
「そ、そんなこと言われても!? か、顔が近い!」
「あれ? 顔が真っ赤じゃないか。大丈夫かい?」
「だ、大丈夫だからあまり顔を近づけないで!」
「うわっぷ、ごめん」
心配したのにのぞき込んだ顔を手で押し返されて、拒否されたクルスは若干ショックを受けて落ち込みかけたが、すぐに気を取り戻した。
とはいえ、シャーロットがこの状態では良くないと判断し、何とか落ち着かせようとクルスは頭を回した。
「シャーロット、この布はどうだろう? 安い割には柄も凝っていて作りも緻密だ」
「へぇ、これなら貴族相手にも売れそうね。でも、なんでこんなに安いの?」
「鑑定してみたところ、安い理由は新人の職人が作ったからだね。ちょっとだけ作りが荒いところがある。まぁ、行商人が普通のお客さん相手に売るには十分過ぎる質だけどね」
そもそも貴族相手に商売するには地位かコネが必要だ。
けど、その二つは街から街へ流れていく行商人では例外を除いて普通は手に入らない。
その土地に根ざして、富を築いて、ようやく得られるものだろう。
「それじゃあ、後はこれとそれを選んでっと」
「クルスは織物の勉強をしたことがあるの? どれも値段の割にすごく良い品質なものを選んでいるけれど」
「ん、まぁ、昔力を貸した織物商の人がお礼にって目利きを教えてくれたんだ。おかげで鑑定のコツが分かってね。今では色々なものを鑑定できるようになったよ」
「お人好しのお礼ってこと?」
「そういうこと。他にも色々なことを教えて貰ったことがあるよ。万が一の時のための剣術やサバイバル術なんかも教わったっけ」
他人の手助けでお金は手に入らなくても、そういった知識や知恵を代わりに手に入れてきた。おかげでクルスの目利きは若いながらもその道の熟練商人に近いものがあった。
しかも、ありとあらゆる物の鑑定に精通しているありえなさだ。
だからこそ、先ほど受付があっさり引き下がったことに警戒出来た。
「それと、商人が客を放って店の奥に下がるからには理由がある。間違い無くシャーロットが来てるって気付かれているよ」
「え!? でも、私のことちょっとしか見てないはずなのに」
「シャーロットが怯えている様子は伝わっていたからね。それで隠れている子が君だって気付いたんだと思う。商人っていうのは相手の心に敏感だからね。警戒している顧客には、敵意のない振りをして油断させて、信頼を勝ち取りにいく。そうしたら後は簡単に売りつけられるからさ」
「つまり、さっきの受付は私の緊張を見ただけで、私がきたことをギルド長に伝えに行っていたってこと?」
「そういうこと。一筋縄じゃいかなさそうだ。きっとギルド長はシャーロットに謝ると思うよ。公爵家との取引を止めたのは本意じゃなかったとかって言って油断させるためにね」
「普通あの一瞬で、私が来たなんて気付くはずがないと思うけど……」
シャーロットの言うとおり、普通なら気付かないはずだ。
でも、ここは悪魔にも魂を売る商人の住まうギルドの中だ。
お金の匂いがする物と者には誰よりも敏感な人間が集まるのだから、受付ですら曲者だと覚悟しておいた方が良い。
そんなクルスの思った通り、でっぷりと太った壮年の男がやってきた。
高級な絹の服を着て、金の腕輪をつけている。まるで着飾った司教だ。
けど、その格好はクルスの眼で透けて見える彼の醜い本性を隠すための化けの皮のようだった。
「フフフ、クルスさんようこそ織物ギルドへ。ギルド長のバサルです」
予想通りギルド長だった。
けれど、ここで警戒していることを顔に出してはあちらの思うつぼだと思い、クルスは笑顔を作った。
「初めましてバサルさん。お会い出来て光栄です」
「こちらこそ君に会えて神に感謝しておりますよ。商人とは思えないほどのお人好しだという噂はこちらでも耳にしていましたから」
バサルは人良い微笑みを見せているが、言葉でクルスを軽く牽制している。
まずは軽いジャブを当てて様子を見る。そう言わんばかりに《お人好し》という軽い皮肉をぶつけてきたからだ。
そして、暗に「自分の方がお前よりも立場が上だ」ということを主張してくる。
木っ端の商人がギルド長に真っ向から反論すれば、不快を買って必ずと言って良いほど商談は破綻する。
ようは踏み絵みたいなものだ。相手の意に従うか従わないかという二択を迫るための。
これでクルスを鑑定しようとしているのだろう。
「ハハ、お恥ずかしい限りです。まだまだ若輩者ですので儲けより人脈作りで精一杯になっているだけですよ」
けれど、バサルの牽制に対してクルスは真正面から打ち合わず、上手く躱しながら無能ではないことをアピールしていく。
一見すると損をしているように見えて、裏で何か策を練っている食えないやつ。そう印象付けるのが狙いだ。
「ほぉ、人脈作りですか。では、この街で薬を安価に売っていたのも人脈作りの一貫だったということですかな? 私はてっきり教会の慈善事業の手伝いにでも来たのかと思いましたが」
「そうして安価で薬を売ったおかげで、こうしてバサルさんに気を留めて貰い、会うことが出来ましたからね。ギルド長とこうしてお話し出来る機会が出来たのなら安い授業料です」
「ハッハッハ! なるほど。お人好しという二つ名は伊達ではないですな。では、次から薬を持ってくるときは私のところに来ると良いですよ。高く買い取りしていますから」
バサルのハッキリとした嫌味に対して、今度は真正面から切り返した。
するとバサルはクルスを讃えるように手を叩きながら笑った。
「さて、君には下手な小細工は通じないようですな。単刀直入に言いましょう。シャーロット嬢をこちらに預けて欲しい」
けれど、本題を口にした途端、バサルの顔から笑みが消え、人でも殺せそうな冷たい表情に変わった。
商人は悪魔に魂だって売り渡す。
バサルの顔は既に悪魔と契約をしたような顔だった。