5話
朔の家から10分ほどの場所にある公園。大した遊具もないその公園には、その広い敷地を取り囲むように木が植えられている。物言わぬ木々が見下ろす園内は、夜になった今、不気味な雰囲気を醸していた。
普段こんな時間にここへ来る者はまずいない。しかし今日に限って十数人ほどの人影があった。その集団が公園の中央近くに固まって一方をじっと見やっていると、新たに公園へやって来た小柄な人影が近付いていく。
集団の中の一人が、やって来るその姿に気付いて声を掛けた。
「琴望さん」
「佐々木さん、遅れてしまってすみません」
玲璃は自分を呼んだ背の高い男――佐々木に話し掛けた。彼はまだ若く端正な顔立ちをしているが、緩みのある雰囲気は全く感じられない。
玲璃の謝罪に対し佐々木は首を横に振った。
「いえ、しょうがないことです。気にしないで下さい。それよりあのカゲです」
「私が最後で、全員揃ってますよね」
「はい、隊員14名全員います」
公園にいたのは玲璃も所属する、カゲ対策に特化した特殊部隊だった。彼らはこの周辺地域で他人の体を乗っ取っているカゲの捜索や、カゲとの戦闘などを任されている。
玲璃は司令の佐々木から『ある公園にかなりの数のカゲが集まっている』との連絡を受けてここまで来たのだった。
「状況はどうなっていますか?」
玲璃が尋ねると佐々木は真面目さの滲み出る表情をぴくりとも動かさずに答えた。
「カゲは陣形を組んでいるようです。数は先ほどから増え続けているようで、おそらく100は越えているかと。しかし、今のところ何の動きもありません」
「…今までに無い行動ですね」
これまでカゲは常に単独で行動するとされていた。複数のカゲが一緒にいるところを発見した報告はごく稀にあるが、数はせいぜい2か3。100以上など前例がない。
加えてそれだけの数のカゲが列を作ってこちらに注意を向けている。それはつまりカゲが統率されているということ、統率者が現れたということを意味する。
玲璃は身震いした。
「あの中に体を乗っ取ってられている人は?」
「0です」
「0……身を隠す気がないんだ」
カゲが他人の体に乗り移るのは人の社会に紛れながら『自分』の体を捜すため。そして人の体に入っている時より、本来の姿の方が身体能力は高い。
「端から私達と戦う気ってことですね」
玲璃の推測に佐々木は頷いた。
「そうですね。全く攻めて来ないのが気になりますが」
「でも、向こうから来ないなら取り敢えずこっちから仕掛けてみて――」
その時、突如何者かの声が響いて静寂を破った。
「琴望さん後ろ!!」
玲璃は言われるまま、瞬間的に銃を抜いて背後に構えた。何かが動いた。下だ。
玲璃は引き金を引いた。
パシュンッ!
玲璃達のすぐ近くまで迫ってきていた一体のカゲが、光弾に貫かれて地面に崩れ落ちた。倒れたカゲの体は内側から弾けるように霧散して消えていった。
前方で集まっているカゲに気を取られていて全く気が付かなかった。
「危なかった――で」
玲璃は突然飛び込んできた声の主の方を向いた。
「何でここにいるの?――逆月くん」
呆れた表情の玲璃に見つめられ、朔は目をあさっての方向へ逸らした。
「えっと…通りすがり?」
「私家から出ないでって言ったよね…?」
「それはその……ごめん。隠れて見てるだけにするつもりだったんだけど」
本当に好奇心の塊という感じだ。実際にカゲに襲われた後でなおもカゲのことを知ろうとするとは。
彼には自己防衛の本能はないのだろうか。
玲璃はため息を吐いた。
「助けてくれたことには感謝してる。ありがとう。正直全く気付かなかった」
話に入るタイミングを見計らっていたのか、横から佐々木が話しかけた。
「琴望さん、この少年は?」
「逆月朔くん。例の彼です」
佐々木は名前を聞いて納得したようだった。
「なるほど…彼、どうしますか」
「そうですね…」
どうしますか、とは戦場となるこの場所で朔を危険に晒さないためにはどうしようか、ということだ。
玲璃は周囲を見回した。木々の陰や根元に目を凝らすと、カゲが動くのを確認できた。
先ほどの奇襲で察してはいたが、既にぐるりと周りを囲まれているようだ。朔を帰らせることは出来ない。玲璃はそう判断した。
「彼を中心にして陣形を組みましょう」
「了解しました」
佐々木は顔色一つ変えずに指示を受け入れ、隊員達に伝えていく。十数秒後には、朔は屈強な男達の背中に周りを囲まれた。
「うん。逆月くんはこれで良し、と。あとはカゲを倒すだけだけど…やっぱり数が多い」
玲璃が憎々しげに呟く。
「どう攻めますか」
佐々木が玲璃に訊いた。
「私が前に出ます」
玲璃は左の袖を捲った。その手首には平たい腕輪が二つ重なったような形の装置が付けられていた。
「逆月くん」
「え?」
突然呼ばれて戸惑う朔。体格の良い隊員達の間から辛うじて玲璃の背中が見えた。
玲璃は肩越しに朔の方を見て続けた。
「さっき、体を奪われずにカゲに近付く方法を私に訊いたよね。確かにあるよ。私にしか出来ないんだけど」
玲璃にしか出来ない、カゲへの対抗策。
朔は納得がいった。ずっと引っ掛かっていたのだ。一介の高校生に過ぎない彼女がカゲという未知の敵を相手にしていることが。やはり彼女は特別だったのだ。
「だから、琴望さんはカゲと戦っているの?」
「そう。私にしか出来ないことだから。私がやらないとね」
そう言って玲璃は笑った。気負っているわけでも辛そうなわけでもなく、とても自然な笑みだった。
彼女は再び話し始めた。
「人はカゲに触れると体を乗っ取られるから接近戦は出来ない。でも既に別のカゲが乗り移っていれば、カゲはその体を奪えない。
これはカゲの凶暴性を抑えて操る装置。自分が捨てたカゲを、体の主導権を奪われずに取り込むためのね。
それが私にしか出来ない、カゲの『憑依』」
玲璃は静かに前へ向き直り、左手を顔の前に掲げた。右手で装置の表面側をガチャッと回し、下にスライドする。
「カゲには、カゲを――来て、シャドウ」
言い終わるやいなや、玲璃の周りで異変が起きた。
地面から玲璃を囲むように黒い何かが現れた。朔はその黒いものに見覚えがあった。母親の体から伸びてきた触手と似ている。あれは、カゲだ。
カゲは勢いよく玲璃の体に入り込んだ。背中から胸へ突き出たかと思えば円を描いて再び背中に入ったり、その逆の軌道を描いたりしている。その様子は、カゲが玲璃の体の内外で暴れているように見えた。
その現象は次第に収まり、カゲは彼女の体内に完全に入っていった。
玲璃はしばらくの間佇んでいたが、おもむろに二丁の銃を構えた。彼女は一度ちらりと背後を窺うと、カゲのいる方へゆっくりと歩いていった。
一瞬見えたその横顔を見て朔は驚愕した。玲璃の雰囲気が先ほどまでとは全く違っていたのだ。視線は射抜かれそうなほど鋭く、闘志に溢れていた。玲璃がいつも湛えている微笑はどこにも無かった。まるで別人だ。
玲璃はカゲにある程度近付いた所で立ち止まり、ぐっと胸を張って仁王立ちになった。そして少し息を吸い込み、叫んだ。
「おい黒のっぺらぼう!!今から全員残らず吹き飛ばしてやっから覚悟しとけコラァ!!」
凄まじい啖呵だった。
あれが琴望さんの捨てた人格なのだろうか…。朔は混乱した頭でそう思った。
カゲが憑依した玲璃は口の端を吊り上げた。獲物を目の前にした狩人のような、もしくは楽しそうな玩具を見つけた子供のような表情だ。
その笑みは凍りつきそうなほど恐ろしく、美しい。
「行くぞ、コラ」
玲璃の足が、地を蹴った。
玲璃の戦いぶりはまさに鬼神の如くといったところだった。
体を器用に使って攻撃をかわしては反撃の一発をお見舞いし、時には蹴りや銃での殴打も交えながら戦っている。二丁の銃から絶え間なく放たれる光弾と一瞬の隙もない動きによって、玲璃の周辺のカゲはことごとく霧となって消されていった。
玲璃はカゲの陣営を大きく撹乱させながら切り込んで行く。その援護射撃と防衛が、朔を囲んでいる隊員らの役目だ。彼らの銃の腕前は相当なもので、玲璃のように派手なことはしないがほとんど外すことなく確実にカゲを減らしていく。
カゲが360度周りを囲んでいるのに対してこちらの前衛は玲璃一人。そのため全方向から来るカゲの攻撃を防ぐのは容易ではない。しかしそれでもカゲの接近は未だ許さずにいる。玲璃も状況を見て戦う場所を変えているが、これに関しては佐々木達隊員の力量によるものが大きいだろう。
未知の存在、カゲの脅威に対抗するために編制された特殊部隊。特別な存在である玲璃を除き、その構成員は皆選び抜かれたエリートばかりなのだ。
しかし一体一体カゲを倒してはいるものの、目に見えて数が減っているようには感じられない。その上カゲは円を狭めてジリジリと近付いて来ているようだ。さきほどよりも距離が近い。
このままではいずれ数の力で押し潰される。この包囲網を抜け出さなくてはならない。
隊員達や玲璃の顔に焦りの色が出始める。
その時、カゲの包囲網の一部に隙間が見えた。玲璃が獅子奮迅の大立ち回りをしているため、その近くの守りを固めようとするあまり他が手薄になってしまったようだ。
勿論それを見逃す彼らではない。佐々木が声を上げた。
「敵陣の一部に穴が空いた!集中的に狙え!閉じさせるな!」
その指示に従った隊員達が弾幕を集中させ、カゲの陣形に生じた隙間を閉じさせないばかりか逆に広げていく。
反対側にいた玲璃もその状況を見ていた。カゲに聞こえないよう、全隊員に無線が届く。
「佐々木の合図で全員あの隙間に向かって走れ。あたしは後から行く。このくそみてーな囲いから抜け出すぞ!」
佐々木が素早く的確に指示を出す。
「全員聞いたな、321で走るぞ。走ることに専念しろ。撃たなくていい。朔くん、いけるか?」
朔は足元を見た。ランニングシューズだ。
「問題ありません」
「よし。行くぞ…3、2、1 !!」
玲璃を除く全隊員が攻撃を止め、円の陣形を保ったまま走り出した。朔もその中心から外れないように全力で走った。
カゲの方に焦るような動きが見え、敵陣の隙間が閉じ始めた。狭まりゆくあの黒い壁に少しでも触れてしまえば、その瞬間に体を乗っ取られてしまうだろう。
間に合うだろうか…?
朔の頭に不安がよぎる。
もし間に合わなかったら…。
「急げ!!」
佐々木の声がガンと頭を打った。
朔は嫌な考えを振り払った。
一か八か、走るしかない。走ることにだけ集中しよう。
彼らがカゲの壁のすぐ目前に迫ったその時。突如後方から光弾が飛来し、隙間を塞ごうとしていたカゲを消し飛ばした。もう一発。更にもう一発。閉ざされようとしていた脱出口が逆に広がっていく。
そして最後に背後から鋭い声が飛んできた。
「走れコラァ!!」
その力強い声に背中を押されるようにして彼らは残りわずかの距離を駆けた。
間もなく先頭の佐々木が脱出した。朔や他の隊員も次々とカゲの囲いの中から出ていく。最後尾の一人が身を捩るようにして狭い隙間を通り抜けたその直後に、カゲの囲いは隙間を閉じた。
「間に合った…」
朔は安心しかけたが、思い出して息を飲んだ。
玲璃がまだ中にいるのだ。
「琴望さん!!」
囲いの方へ視線を向けると、何かがくるくると回転しながら数メートルほども高々と宙を舞った。
朔は何事かと驚いた。空へ舞い上がったそれは、よく見ると少女のようだ。琴望玲璃だった。
彼女は空中にいながら両手に握った銃の引き金を引いた。雨のように降り注いだ光弾は見事に敵の不意を突き、複数のカゲを撃ち抜いて消滅させた。
ざ、と音を立てて綺麗に着地した玲璃は立ち上がると同時に乱れた髪を耳にかけた。
「逆月、さっき何か呼んだか?」
「…何でもない」
心配のし甲斐がないとはこの事だった。
「そか。んじゃお前ら」
玲璃は隊員達に向き直りニヤッと笑って言った。
「反撃すっぞコラ」