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シャドウ  作者: Reat
3/7

3話

玲璃と別れた朔は、道に迷ったせいでいつもより時間はかかったものの、特に何事もなく家に着いた。

 鍵を錠に差し込んで回すとがちゃっと音がした。母親はまだ帰ってきていないようだ。

 朔の母親の帰る時刻はまちまちで、朔より早く帰る日も遅く帰る日も同じくらいの割合である。父親は単身赴任中なのでここには帰ってこない。今この家には朔一人だ。

「ただいま」

 応える人はいないが言うだけ言って朔は自室へ向かった。勿論、今夜出かける用意をするためにだ。

 玲璃の前ではああ言ったものの、朔には今夜の調査を中止する気は毛頭なかった。むしろ彼女の話を聞いてより調査に乗り気になっているほどだ。多少の危険は彼の好奇心に対しては逆効果だった。

 バックパックに要りそうな物を詰めている最中、ふと机の引き出しが少し開いているのが目にとまった。朔は閉めようと手を伸ばしたが、思いとどまって逆に引き出しを開けた。

 中に入っているのは大量の手紙。それらは朔がかつての親友と文通した時のものだ。朔はその中のひとつを手に取った。

 懐かしいな……俺こんなこと書いたっけ。

 幼い自分が書いた稚拙な文を見るのは何だかくすぐったくて、朔はすぐにその手紙を元に戻した。

 手紙のやり取りをしたその親友は、朔にとって誰にも代えられない存在だった。

 朔と彼はいつも一緒だった。性格は真逆で、朔は昔から知的好奇心が強く体を動かすことより頭で考える方が好きだったが、彼には朔には無い度胸と行動力があった。

 当時の朔では夜中の調査などという行動に出ることはなかっただろう。今の朔が昔よりも行動的なのは彼の影響が大きい。朔にとって彼は、友達であると共に憧れの存在でもあったのだ。

 しかしその親友とはもう十年も会っていない。手紙は十年前に、彼がいなくなる直前に書いたものが最後だ。

 朔は乱雑に重なり合った手紙のうち、一番上にあるものを手に取った。

 書かれているのは、彼がよく口にしていた言葉だ。

 ――困った時は僕を呼んでくれ。いつどこにいても、助けにいく。

 朔はその言葉を今でも思い出す。



 昼間の熱気の一部がしぶとく残る夕暮れ。私は公園の塀の一部を成すコンクリートブロックに座って、光が奪われていく景色を感じていた。

 高い気温と湿度のために少しじっとりとした汗が出てくるが、丁度良い強さの風がYシャツの中を通り抜けていく涼しさが気持ち悪さを払拭してくれる。一瞬寒気を感じてぶるっと体が震える感覚は何だかクセになりそうだ。

 眼前に広がる東の空はあまり綺麗とは言えない黒紫色で、切れ切れの雲はまるで綿ぼこりのように見えた。

 胸元で弄っていた金色の髪を空にかざしてみた。手を放すとパッと広がって、空を撫でるようにはらりと落ちる。金髪の隙間に見えた一番星は綺麗だった。

「くほぁ」

 あくびをした時、不意に足元から声がした。

 見れば、ブロックの長い影の端っこがゆらゆらと動いている。

 顔を近づけると、そこに潜んでいるやつが話かけてきた。

「やあ、暇そうにしてるね」

 高く、少し上擦ったような声。人の声ではない。

 声に聞き覚えはないけれど、彼――何となく少年と判断した――が私の同胞だということだけは本能的に分かった。害意も無さそうだ。

 私は再び空を見上げて言った。

「暇ってわけじゃないけど」

 私には『あの子』に会うという明確な目的がある。そのために毎日頑張っているつもりだ。でも今のところ成果は全くない。警察官の体も大して役に立たなかったし。

「君の探している『彼女』は見つかりそうかい?」

「全然。本当に会えるのか心配」

「まあ、そんなものだよ」

同情するような言い方だった。

私は今更な疑問を口にした。

「なぜ私に話しかけてきたの?」

「君に話があるからだ」

「それは知ってる」

「今夜、仲間で集まる。君にも来て欲しい」

私は少なからず驚いた。

同胞に会ったのは彼を含めてたった2、3回だけだ。私達の間では、それぞれが個別に行動して干渉は極力しないという暗黙の了解があるため、彼が接触してきただけでもそこそこ驚きだった。だから複数の同胞が顔を合わせるということが、意外を通り越して疑問に感じた。

そもそも何のために集まるのか。無言のルールが破られるほどの事が起きたのだろうか。

私の思考を読んだわけではないだろうが、彼によってその疑問は解消された。

「最近、仲間の多くが人間の兵士によって消されている」

初耳だったが、先を聞きたかったので何も言わずに片方の眉を上げるに留めた。

「黙っているわけにはいかない。反撃するんだ。

今、このあたりで活動している仲間全員に声をかけている。皆集まれば、その数は百を越える。対して人間の兵士は十数人ほどとのことだ。これだけの戦力差があれば、確実に勝てる」

人間と戦うのか…ふーん。

「場所はここから北へ行った所にある線路脇の公園」

そこまで言って彼は黙った。私の答えを待っているのだろうか。

「分かった。行くよ。暇だし」

「助かるよ。ではまた夜に」

「うーい」

彼は去り際に言った。

「そうだ、戦いに隠れ蓑は必要ないから、その体は捨ててきてくれ」

「えー、乙女に向かって裸になれはないでしょー」

おどけてそう言うも、返す言葉は聞こえてこない。もういなくなったのか。つまんない奴。

…人間との戦い、か。

想像して、体が震えた。武者震いだ。

彼の前ではそっけない体を装ったが、実のところワクワクして堪らなかった。

こんなに面白そうなことが起きるのはいつぶりだろう。もしかしたら初めてかも?

興奮を体の内に留めておけない。ブロックから降りて手足をぐっと伸ばす。公園の土を踏みしめながら前方へ1、2…3歩。足を後ろに蹴りあげて上体を降り下ろす。手を地面についたと同時に足は頂点に達している。逆立ちに近い体勢だ。

これで終わりじゃない。

勢いが消えない内にその足を前方へ向けて思いっきり…伸ばす!

体が宙へ飛び出し、目は空を捉える。

「あれ」

空が遠い。思ったより飛べてない?

空中で2回転か3回転する予定だったけど急遽キャンセル。着地の体勢に移行する。

「…ってあぶなっ!!」

ドシッ。

予想外に地面との距離が近く、上手く着地が出来なかった。何とか受け身はとれたけど、腰を少し打ってしまった。

「痛ぁ…」

うーん。どうしてこんな事に。

やっぱりこの体を借りてるせいなのかな。そりゃ元の姿の方が動きやすいけど…。

さっきの奴に言われたように、戦いには生身で行くべき?でもあの姿は好きじゃない。どうしようかなぁ。

服に付いた土を払いながら立ち上がった時、公園前の道を一人の少年が駆けていった。瞬間、彼に視線が吸い込まれる。

力強く、かつしなやかな体つき。服の上からでも分かる。あれは良い身体だ。あれほどのは探したってそうはいないだろう。

あの身体なら、もしかしたら。そんな考えが浮かび、私は舌なめずりをした。

楽しい想像が膨らんで、足が無意識にステップを踏み始める。

――私ってツイてるかも。



 少年は道を急いでいた。

 彼の家は六人家族。

 人数が多いために、彼の家では皆で集団行動をとることが絶対的なルールとなっている。夕食の時間は7時半と決まっていて、誰かの都合に合わせてその時間が前後することは決してない。母親曰く何度もキッチンに立ちたくはない、とのこと。おかずもテーブルの中心に大皿でドン、と置かれるのみで、一人あたりの量は基本定まっていない。

 即ち彼の家の食事は、遅れれば死あるのみなのである。ちなみに取り置きの予約は6時半をもって打ち切られる。

 従って、急な要因で帰りが遅くなることは、少年とその家族にとって最大の恐怖なのである。そして彼は今、まさにその恐怖を味わっていた。

 少年は人気の無い道を一心不乱に駆け抜ける。時刻を確認する暇も惜しかった。

 角を曲がったその時。

「ねえ」

 背後から声が聞こえた。

 少年は一瞬驚いたが、すぐに気のせいだろうと思い直し、走り続けた。こんな所、自分以外の人がいるはずもな――

「ねえってば」

 今度はもっと近くから声がした。はっきりと聞こえた。気のせいではない。

 足を止め、少年は恐る恐る振り返った。

「……!」

 誰がいても何があっても驚かないつもりだったが、少年は想定とは違う形で驚くこととなった。

 そこに立っていたのは制服に身を包んだ少女だった。

 可愛い…。

 髪は金色に染めていて化粧もしているようだけど、形だけギャルの格好をしているという感じではなくて、その格好がこの子にはとても似合っている。

 少し目尻の上がった目でやってくる上目遣いは挑発的で魅力的だ。

 少年は見惚れてしまって何も言えないでいる。

 すると少女は薄く笑って距離を詰めた。両手で少年の胸に触れ、呼吸の音が聞こえそうなほど顔を近付ける。

 顔が、近い。少年の鼓動はどんどん速くなっていく。

 何だこれ、何だこれ!?俺に今何が起きてるんだ?これから何が起こるんだ?

「ねえ」

 少女が堪えかねたように口を開いた。その唇の動きさえ艶かしく見えた。

「あなたに…お願いがあるの」

「……なんっ…でしょう…」

 少女は自分の唇をぺろりとなめた。

「あなたの体…頂戴」

「っ…それは…どういう?」

「決まってるでしょ…?」

 少女が背伸びをして、顔が更に近付く。

「…そのままの意味」

 シュッ、と。

 何かが風を切る音がした。

 誰かのくぐもった叫び声が聞こえた。

 それを覆い隠すように抑えきれない笑い声が響いた。

 そして、静寂が訪れた。

 やがて軽快な足音が去った後には、男物のバッグと、横たわる少女だけが残されていた。



 朔はふと窓の外を見た。

 帰ってきてからあまり時間は経っていないのに、気付くと辺りは既に暗くなり始めている。『集団夜歩き』が発生し始める段階から調査を始めたい。そろそろ家を出るべきだろう。

 母親はまだ帰ってこない。黙って出ていくわけにいかないので、朔は外出する旨の書き置きを残すことにした。

 メモ用紙は固定電話の横だ。見ると、一番上の紙には既に何らかの電話番号が書かれていた。一枚下の紙を取ろうとしたら上の紙も一緒に取れてしまった。

「……」

 捨てた。

 何ヵ月も前からあの状態だったからもう必要ないだろう。

 文房具がごちゃごちゃと入れられている引き出しから適当なボールペンを取り、『ちょっと出かける』とだけ記した。

 メモをリビングテーブルに置いてみると、何だかとても頼りなく感じた。どこかに飛んでいってしまいそうだ。朔は重石代わりの磁石を冷蔵庫から取って紙切れの上に置いた。これで大丈夫だろう。

 朔は玄関へ行き、家を出る前に荷物を確認した。もう何度も見直したし忘れて困るようなものも特に無いが、彼にとっては出発前の儀式のようなものなのだ。全ての荷物を床に広げ、眺め、戻す。よし。

 バッグを肩にかけて立ち上がった丁度その時、ドアが開いた。母親だった。

 書き置きが無駄になってしまった。でも直接伝えられる方が良い。

「おかえり。丁度良かった。俺これから……」

 朔は母親の様子がおかしいことに気付いた。雰囲気が暗い。目はどこを見ているのか、徹夜でもしたように落ち窪み、そのくせギラついた異様な光を放っている。見たことのない姿だった。

「…どうしたの、母さん」

 問いかけると、母親は口を開いた。しかしその口からは、母のものとは思えないしわがれた声が絞り出すように発せられた。

「この体は弱い…とても不便だ…もっと丈夫な体を…」

「………」

 何を言っているんだ…?

 母親の目が朔に向けられた。その視線に射すくめられて、朔は悟った。母さんじゃない。

 何者かは朔を上から下まで眺め、最後にボソッと呟いた。

「…お前、良さそうだな」

 朔は本能的な恐怖を覚えた。

 体が動かない。理解出来ない状況に思考が対応出来ない。

 次の瞬間、母親の体から何本もの黒い触手のような物体が飛び出した。その表面はてらてらと光っていて、液体のようにも見えた。黒い触手は木が枝葉を広げるが如く朔へ向かって伸びて来る。

「うわああああ!!」

 朔は咄嗟に手で体を庇った。

 ――パシュッ、と風を切るような小さな音が聞こえた。しかしそれ以上、何も起こる気配が無い。

 不意に閉じてしまった目を少しずつ開けると、母親の体が倒れてきていた。慌てて抱き止めて顔を見ると、さっきまでの異様な雰囲気はすっかり消えている。いつもの母親だ。

 朔はさっき母親が立っていた所に目を向けた。あの黒い触手の痕跡は何一つ見当たらない。しかしその先に目をやって、朔は驚くと共にひどく混乱した。

 家の扉が開けられていて、そこには一人の少女が立っていた。手には不思議な形状の銃が握られている。

 朔は、自分は夢でも見ているのだろうかと思った。今自分の目の前で起きている事は一体なんなのか。なぜ彼女がここにいるのか。もう訳がわからない。

「……琴望さん?」

 朔が困惑気味に尋ねると、琴望玲璃は銃を下ろしてにこりと微笑んだ。

「こんばんは。また会ったね、逆月くん」

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