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シャドウ  作者: Reat
2/7

2話

放課後。

 朔が唐突に名を呼ばれたのは、下駄箱で靴を交換している時のことだった。

「逆月くん」

 あまりピンと来ない声。聞き覚えがある気がするが、顔が浮かんでこない。誰だろう。

 朔は左手に靴をぶら下げたまま、声を掛けられた方を見た。そこにいた人物を見て、彼は訝しげに眉を狭める。

 ほとんどの生徒は今から部活動があるからか、周りには朔と目の前の彼女以外にほぼ人がいない。声がした距離からしても、今のは彼女だとしか考えられない。そもそも朔をガン見している時点で確定だろう。

 それでも本当に?と思ってしまうのは、彼女が社交的かつ明朗であり、朔とは遠くかけ離れた所にいる人間だからだ。

 その知名度ゆえに人の名前と顔を覚えることが得意でない朔でさえ彼女の名前はしっかり覚えていた。

「…琴望さん?」

 確認するように尋ねると、彼女は左手を腰に、右手を胸に置いてぐっと体を反らせた。そして大きく息を吸って、一言。

「いかにも!」

「………」

 朔は困った。

 これは突っ込めば良いのか?正解はあるのか?

 しかしそんな彼を気にすることなく、この快活な少女――琴望玲璃(こともち れいり)は微笑んで言った。

「ちょっと話したいことがあるんだけど、いいかな?ちょおっと大事な話だから、さ」

 急な出来事に困惑している朔は、言葉もなくただ頷くことしか出来なかった。



 朔は玲璃に連れられるように帰り道を歩いた。先に立つ玲璃は曲がり角の度に朔に道を尋ねてくる。ならなぜ先にゆくのだろう、という疑問は飲み込む。聞いたところで不毛な気がした。

 彼女の後ろを歩きながら、朔は思考を巡らせた。

 琴望玲璃。同じクラス。クラスでは中心の方にいて、誰からも好かれている印象がある。十真曰く学校で三本の指に入るほどモテるそうだが、それには彼女が整った顔立ちをしていることも関係しているだろう。

 朔は玲璃と話したことなど今まで一度もなかったし、この先も関わることはないと思っていた。

 そんな相手が急に何の用だというのか。色々な可能性が浮上しては、すぐに弾けて消えて行く。

 ぐるぐると行く当てもなく回り続ける思考は、当の玲璃によって絶ち切られた。

「逆月くんってジュース何が好き?」

「え?」

 俯けていた顔を上げると、玲璃が立ち止まってこちらを見ていた。

 玲璃がそばにある自動販売機を指さして、朔はそれでようやく状況を飲み込んだ。

「えっと…お茶かな」

「分かった。ついでだから私払うね」

 そう言って玲璃は自動販売機の方へ歩き出す。朔は財布を取り出しながら慌てて追いかけた。

「いや、悪いよ。俺が」

「いいのいいの、私が誘ったんだから。お茶って麦茶派?緑茶派?」

 明るく言う玲璃。

 罪悪感が残るがこれ以上自分が払うと言ってもいたちごっこにしかならないだろう。朔は諦めて玲璃の厚意に甘えることにした。

「緑茶」

「おっけー」

「これで」

 彼女の右側に立って二段目の90円のお茶を指さすと、玲璃は軽く頷いて紙幣を入れた。

 朔はボタンを押すその横顔をじっと見ていた。特に幼い子供を思わせる大きな目を。今その瞳は、三列に並んだジュースの見本に注がれている。自分は何にしようかと悩んでいるようだ。

 しばらくしてやっと、ボタンを押す音と飲み物が落ちる音が聞こえてきた。

「はい」

 という声がしたので顔を向けると、

「どぅっ!?」

 いきなり目の前に緑茶の缶を差し出された。本当に目から数センチほどしか無いのではというくらいの距離だ。朔は驚いて仰け反り、玲璃はそれを見てけらけらと笑った。玲璃はどうやらもう朔への接し方に慣れたようだった。

「…ありがとう」

 朔は羞恥で顔を赤くしながら緑茶を受け取った。

 びっくりしただけならともかく、奇声を上げてしまったことがとんでもなく恥ずかしかった。しかも笑われた。悪意ある笑いではないと分かるけれど、羞恥心を増幅させるのに変わりはない。

 朔は、頭の中で何度も繰り返される自分の醜態を無理やり意識の外に押し出した。この事は二度と思い出したくない。

 缶を持っていた手をふと頬に当ててみて、あまりの冷たさに体をビクつかせる。

 顔を赤くするばかりで、相変わらず情けない。ふとした時に上手く言葉を返せないのは自分の短所だ。

 もし、彼の陽気さの一部でも自分にあったなら。ついついそう考えてしまう。

「はぁ…」

 ため息をついてプルタブを開けた。

 その時、あれ、と玲璃が声を上げた。彼女は手のひらのお釣りをまじまじと見つめている。

「どうかした?」

「んー…百円多いんだよね。取り忘れかな」

 朔は緑茶を一口飲んだ。

「もらっとけば?」

「そうだね。ちょっと得した」

 玲璃はニコッと笑ってお釣りを財布に入れた。

 玲璃はそのまま側のコンクリート塀に体を預けてオレンジの缶ジュースを飲み始めた。

 ここで話すということか。

 朔も彼女の隣で同じように塀に寄りかかり、話が切り出されるのを待った。

 周囲に人気はない。他人に聞かれたくない話だからこの場所を選んだのだろうか。ということはそれほど重要な話なのか。一体どんな……。

「……」

 しかし、玲璃はジュースを飲んでいるばかりで中々話し始めようとしない。じっと押し黙って何を考えているのだろう。

「…62点」

 わ、採点してる。しかも結構厳しめ。

「今はもうちょっと酸味強いのが飲みたい気分なんだよね」

 世界一参考にならない採点がここにあった。

 朔は我慢出来ずに話し掛けた。

「あの、琴望さん。話っていうのは…」

「ん。あ、そうだった」

 玲璃は思い出したように言った。え、忘れてたの。

 しかし彼女は尚も話し始めようとしない。焦らされているような気になってくる。

 玲璃はオレンジジュースを二口飲んで、やっと話し始めた。

「逆月くんさ」

 鼓動が速まる。

「今日、南くんとあのニュースの話してたでしょ。『集団夜歩き』」

「……」

 予想外だった。

 あの会話と大事な用件とやらにどういう繋がりがあるというのか。

 それに、そもそも。

「…聞いてたんだ」

「そ。盗み聞き」

 玲璃は自慢気に微笑んだ。目を細めて口の端だけかすかに引く、妖しげな笑み。

「夜中に調査に行くとか言ってたでしょ」

「ああ、うん」

 もしや調査に同行したいと言い出すのでは。もしそうなら断らざるを得ない。夜中の調査は危険が伴う。情けないことだが、自分ではいざという時に彼女を守れる気がしない。責任の持てない命を背負うわけにはいかない…。

しかし、玲璃が口にしたのは、朔の予想とは全く逆の内容だった。「それ、やめた方が良いよ」

 感情が削がれたような冷たいその声に朔は驚いた。琴望玲璃の声とは思えなかったのだ。

「…どうして?」

 そう言うと、玲璃は眼だけ動かして朔を見た。

「危険だから」

 朔は眉をひそめて首を傾けた。聞いていることはさっきと同じだ。「なぜ?」と。

 玲璃は少し俯いて呟くように言った。

「二、三日くらい前にね、私の兄も逆月くんと同じことを言っていてたんだ。夜中に調査をするって。兄はそれを実行して……で、朝になっても帰って来なかった。今もまだ帰ってなくてさ」

「………」

「警察に言っても全然駄目で、もしかしたらもう二度と…会えないかもしれなくて…」

 玲璃の表情は見えなかったが、声の震えから何となく窺えた。

 朔はふと、今はもう会えない親友のことを思い出して顔をしかめた。

 二度と会えない――それも家族のような大切な人に。自分の場合とは色々と差違はあるものの、朔にはその苦しさが、玲璃の痛みが分かるような気がした。けれど…。

 玲璃は上ずった声で続けた。

「どうして兄が帰ってこないのかは分からない。でも逆月くんもそうなってしまうかもしれない、だから――」

 玲璃は顔を上げて朔を見上げた。その瞳は濡れている。

 彼女の顔を直視出来なくて、朔は顔を背けながら言った。

「夜の調査は止めろ、てこと?」

 玲璃がゆっくりと頷くのが視界の端で見えた。朔は深く息を吐いた。

「分かったよ。そこまで強く言われたらね」

 朔がそう言うと、玲璃は目を擦って、柔らかな表情で朔を見上げた。

「ありがと…話はそれだけ。じゃあね」

 玲璃は来た道を逆に歩き出した。朔は彼女の背中に届くよう普段より大きめの声で言った。

「ジュースありがとう」

 それを聞いた玲璃は足を止め、くるっと振り返った。まさしく輝くような笑顔を浮かべて。

「嘘。だってあの100円、逆月君のでしょ?」

 朔は目を少し見開いた。

 ばれないように注意を払ったし、気付かれない自信があったのだけど。

「…気づいてたんだ」

「あ、本当に?」

 やられた。はったりだったか。

「勘だったんだけどね。正直いつ入れたのかは全く分かんなかった」

「琴望さん、長い間ジュース選んでて視線がずっと上に行ってたから、その隙に」

「ふーん。音もしなかったよね?私耳は良い方だけど全然聞こえなかったよ」

「スマホの上をゆっくり滑らせてお釣りの取りだし口まで運んだんだよ」

「へー、器用なんだね」

「どうも」

「気付かれないように自分が損するって、逆月くん、嘘つきだけど優しいね」

「…そんなんじゃないよ」

「ふふ、じゃね」

「うん、じゃあ」

 片手を上げて別れた。

 玲璃に背中を向けた朔の胸中は彼女と話す前と変わらず、いやむしろそれ以上に判然としなかった。

 あの会話で得られたのは新たな謎だけだ。彼女の言葉を、あの表情を、どう受け取れば良いのだろう。あれは本当に琴望玲璃の本心なのか?なぜ彼女はあんな話をした?

 分からない。琴望玲璃という人間が。

 朔は記憶の中の会話をリピートしながら、また思考の海に沈んでいった。

 自宅へ続く脇道を通り過ぎたことには、まだ気付かない。



 琴望玲璃は鼻歌まじりに帰路を歩いていた。時折家々の隙間から射し込む夕陽に目を細める。

 綺麗な色だと思った。一日の疲れもすすがれていきそうだ。

 任務も無事に達成したし、今日はいい夢見れそう。

「ふんふーんふー……ん?」

 ポケットのスマホが震えている。玲璃は素早く取り出して画面に映る名前を見た。彼女の表情が瞬時に引き締まる。

 辺りを見回して、近くに誰もいないことを確認してから画面をスライドさせた。

「はい、もしもし琴望です」

『佐々木です。琴望さん、今大丈夫ですか』

「大丈夫です。動けます」

 玲璃は相手の意図を汲んでそう言った。

『助かります。 奴ら(・・)が乗り移ったと思われる女性を一人、発見しました。村瀬が追っていますが、気付いて撒かれる可能性もありますので』

「分かりました、すぐ向かいます。その人の情報送ってもらえますか?家族とか住所とか、出来るだけ多く」

  奴ら(・・)は乗り移った人間の近親者に接触しようとするかもしれない。そうなった時に先回りして守れるようにしなくては。

『わかりました。すぐに送ります。では、また何か動きがあったらお伝えします。失礼します』

 通話を終えると、10秒ほどでメールが送られてきた。本当にすぐだ。

「さっすが佐々木さん」

 容量からすると送られてきたメールはかなり文量があるようだ。開くとまず一番上に、 奴ら(・・)に乗り移られた人物の名前が書いてある。玲璃は目を見開いた。

 逆月明子

そのすぐ下には家族構成の欄があった。

 夫:逆月遼一

 息子:逆月朔

 嫌な予感がする。いや、大丈夫だ。彼が外に出ないように言ったし、住所が分かるのならば守れるはずだ。

 玲璃は這い上がってくる不安を振り払うようにメールを読み進めた。

 写真と共に職業、特徴、髪型や現在身に付けている服など、逆月明子に関する情報が隙間なく記されている。彼女の容姿がありありと目に浮かぶようだった。

 これだけの情報量を10秒程度で文字に起こせるはずがない。おそらく佐々木は、玲璃に連絡する前に既に作成していたのだろう。そうとは言わなかったのも、謙虚な彼らしい。

「佐々木さんやっぱ流石」

 一通り目を通した玲璃は、逆月明子を追う前にまず、装備を調えるために自宅へ向かうことにした。のんびりしている余裕はない。玲璃は小走りで家を目指した。学校に持っていっているバッグのせいで重心がずれてとても走りにくい。

 交差点に着くとすぐ目の前で信号が変わった。道の大きさや車の通りの差を見るに、この赤信号は長い。玲璃は右のつま先を忙しなく上下させながら、のっそりと動き出す車を恨めしげに見た。

 そうしていると頭に浮かぶのは、逆月朔のことだった。なぜかは分からないが、どうにも嫌な予感がする。今日彼とああいう話をしたことと、 奴ら(・・)が彼の母親に取り憑いたことは、驚くべき偶然だが、所詮はただの偶然。

 嫌な予感の原因はそこじゃない。気になるのはそこではなく、そうだ、彼が夜の調査をあっさりと取り止めたことだ。あのような中々に大それたことを計画しておきながら、ああも簡単に引き下がるものだろうか。

「…怪しい」

 玲璃はスマホを操作して逆月家周辺の地図を表示させると、隅々まで眺めて頭に入れ込もうとした。朔が忠告を無視して家を出ていた場合、彼を探して保護するためにはある程度の土地勘が必要だと考えたからだ。

 その時、また電話がかかってきた。振動で手から飛び出そうになってひやりとした。

 電話は逆月明子を追っているという村瀬からだ。

「はい、こちら琴望です」

『琴望さん…すみません、逆月明子を、 奴ら(・・)を見失いました』

 玲璃は絶句した。かなり痛い失態だが、村瀬を責めてもしょうがない。なにより彼の悲痛そうな声が聞いていて辛かった。

「…見失った地点は?」

『駅前通りの…二つ目と三つ目の交差点の間あたりです』

「分かりました。辺りを捜索して、見つけたらまた連絡ください。私もすぐ行きますから」

 言い終わるが早いか、玲璃は赤信号が見下ろす横断歩道を走り抜けた。

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