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E=ベイビー  作者: YOHANE
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7月24日(2)

「あ、保坂さん!」

背後から呼び止められて、保坂は足を止める。昨日記録係をしていた部下だ。


「これから何か重要な用事でもおありですか?」

「いや。昨日の江島順平のところに行こうかと思ってはいたが…。どうかしたか?」

「はい。さっき署に自首しにきた少女がいるんですが…」

彼は言いにくそうに言葉を切った。


「また身元が分からないんですよ…。父を殺したって言うんですが、被害者の子供の記録はないし…」


昨日の少年とは何か関係があるのだろうか?


「類似の事件ということで、保坂さんに回ってきたんで、取り調べをお願いしたいんですが…」

「分った。今から向かおう」

保坂は順平を収容している房に続く道に背を向けると、取調室へと向かった。



そこに居たのは、ごく普通の少女。パイプ椅子に行儀よく座っている。普段の今の時間なら高校で授業を受けているかもしれない。


「保坂だ。君の名前は?」

軽く頭を下げながら少女の前に座る。

「片岡笑子。17歳。まだ確認取れてないの?」

保坂が来る前にもう何度も聞かれていたのだろう、笑子は呆れたように溜息をついた。保坂は曖昧に笑う。


「自首したんだって?」

「えぇ」


そういえば、江島順平も抵抗せずに連行されてきたな。


「あ、でも誤解しないで」

笑子は続けた。

「アイツを殺した事を後悔してとかじゃないから」


どうやらそこをはっきりさせたいらしい。


「じゃあ、なぜ?」

「目的を達成したから」

笑子は後悔も悪びれもせずに言った。

「なぜ殺したんだ?」

「あんな奴死んで当然じゃない!当然の報いよ!!」

笑子は急に険しい顔になって声を荒げた。


「当然の報い?」


どこかで聞いた言葉だ、と保坂は記憶をさかのぼると、すぐにそれを思い出した。


「…江島も…」

無意識に呟いてしまった言葉を笑子は聞き逃さなかった。

「江島…?江島って、江島順平!?」

しまったと思っても後悔しても遅い。笑子は身を乗り出して保坂に詰め寄った。手錠の鎖が重い音を立てる。


「順平もここにいるの!?会わせて!!順平に会わせて!」

「落ち着け、江島順平を知っているのか?」

肩を押さえて宥めながら保坂は聞いた。


「知ってる!だから、会わせて!!」

「無理だ。江島も、お前も、身元ははっきりしないが犯罪者同士だ。会わせる訳にはいかないし、そんな自由もない」

「お願い…!」

笑子は涙ぐんでいる。先程までの落ち着いた態度とは大違いだ。

「…どうしたら会わせてくれるの?」

笑子は顔を伏せると、弱弱しい声で言った。こんな風に泣かれるのは経験のないことで、保坂は頭を掻いた。

「ちゃんと質問に答えてくれ。そうすれば、会わせることはできないがお前の存在を江島に伝えてやる」

「…」

笑子は疑うような潤んだ目で保坂を見る。

「約束しよう」

「…分った」

渋々といった感じだが、現状はこれが限界かと笑子は頷いた。


「まず、“当然の報い”と言ったが、何に対しての報いなんだ?」

「…私という存在に対して」

「どういうことだ?」

「私の身元、まだ分かってないんでしょ?」


保坂は頷く。それを確認して笑子は自嘲の笑みを浮かべた。


「戸籍もない私は、存在してないのと、同じ」


瞳から光が消えていく。


「何をされても、誰にも知られずに終わっていくの」

「何をされたんだ?」


笑子は首を横に振った。「知らない方がいい」と。


「それを知れなければ捜査が進められない」


江島も昨日そこで口を閉ざしてしまった。事件の核心に近いと思われるその問いの答えを何としてでも得なければならない。

 

「喋る気はあるけど、もうちょっと待って。今は、まだ…言えない」


質問に答えなければ順平との繋がりを得る事が出来ないだけに、笑子は必死に言葉を選んだ。

保坂をたばかる為の言い訳を考える時間を欲している訳ではないというのは分かった。笑子は辛そうに視線を逸らしている。


「私のため、か?」

保坂がそう言うと、笑子は苦笑したが答える気は無いらしい。


「では、また今度聞くことにするが…。江島順平とお前の関係は?」

今それ以上踏み込む事は無理だと察し、保坂は質問を変える。

「付き合ってる。順平は私の彼氏だよ」

「彼氏…?」

保坂は目を丸くした。

江島順平と片岡笑子が恋人同士だと?だったら、あんなに会いたがっていたのにも理由がつく。


「いつ、知り合った?」

「んー。物心ついた頃にはもう一緒だったからな」

笑子は思い出して顔に幸せそうに笑った。

「幼馴染みか?」

「幼馴染みの定義をよく知らないんだけど…。一緒に育ったの」

「江島と片岡の家はそんなに親しかったのか?」


その家の名前が出ると、笑子の顔はまた曇った。不快だと言わんばかりだ。


「知らない。だって、私と順平は施設で育ったから。孤児院ってやつ」

順平から聞いてない?と笑子は付け足した。


2人が施設で育ったというのなら…。


「義理の母に義理の父か…」

だがそうすると、江島順平が殺人を犯した理由が当て嵌まらなくなる。


「いつから施設にいるかは覚えているか?」

「覚えてない」

「どこの施設だ?」

「みどりの森愛育園」

耳にしたことのない施設だが、それは後で調べれば分る事。江島順平と片岡笑子についても聞き込みにいく必要があるな。


「…あれはどうやって手に入れた?」

「“あれ”?」

笑子は首をかしげる。それから、言いたい事が分ったらしく「あぁ」と頷いた。

「片岡聡が所持してたのよ。まだあの家にあると思う」

種類は分らないが、人を殺せるほどの猛毒が子供の手の届くところに置いてある。そして、笑子は平気でそれを使った。


「なぜ片岡聡がそんな物を持っている!?」

「知らないわよ。それを調べるのは警察の仕事でしょ」

笑子がそっけなく答えると、保坂の片眉が痙攣(けいれん)した。

「死ぬと分って、その毒を使ったのか…?」

「えぇ」

平然と答える彼女の目に、やはり後悔の類の色は無い。それよりも、心をざわめかせる様な瞳を時折見せる。その目に見つめられると、何かを見透かされているようで落ち着かない。


殺人を犯しても後悔しなかった奴は多い。虐げられたり失恋の恨みだとか、ムカついて衝動的だとか…。

だが、理由は様々ながらに加害者に共通点はあった。


それは瞳の奥の狂気。

取り調べの最中も、保坂を見ているようで誰とも目が合ったりはしなかった。急に笑い出して止まらなくなっていた奴もいた。こういう奴等を野放しにすれば、大量殺人鬼ができあがるのかなぁ…と、ぼんやり思った事もあったっけ。


「ねぇ。もう質問ないんだったら、さっさと順平の所に行って来て」


だが、瞳に奥深さを持ちながらも、目の前の少女は平然と落ち着いている。少し取り乱しはしたものの、狂気からではなかった。

笑子は考え込んで黙ってしまった保坂を促す。


「…君は」

伏せがちだった目を笑子に向け、保坂はゆっくりと口を開いた。

「人を殺して何とも思わないのか…?」


笑子は一瞬目を見開いて眉間にシワを寄せたが、直後には微笑していた。不敵に上がった唇と、妖しく光る瞳が保坂の神経をざわざわと逆撫でする。


「人を殺して、何とも思わないのかな…?」

そう保坂に微笑みかける瞳は悲しげだった。しかし、オウム返しで馬鹿にされたと感じた保坂はその変化を見逃してしまった。


「――ふざけるなっ!!」

拳でテーブルを殴ると、笑子はビクッと肩を震わせた。

「…怒らせるつもりはないんだけど。別に私を殴ろうが好きにすれば?」

ふん、と笑子は鼻を鳴らした。保坂のこめかみに細い血管が浮き出、叩きつけて握ったままの拳が震えている。


「殴られて死んだ方がきっとずっと楽。あなたには分らない」

笑子は脇に目をやる。本当に殴りかかりそうな勢いの保坂に記録係はオロオロとしているが、口を挟む様子は無い。あくまで傍観者でいるつもりらしい。


「だけど気をつけて」

笑子の声のトーンが落ちた。


「私、エイズだから。血に触ったりしちゃ、駄目」


くすくす笑ってはいるものの、冗談を言っているのではない事が分かった。どうしてそんな事を笑いながら言えるのか、保坂には不思議でならなかった。

他人には理解できない闘病の苦しみだと嘲笑しているのか、諦めている自分を嘲笑しているのか…。


「…生まれつきか?」

やりきれない怒りを無理やり収め、保坂は遠慮がちに聞いた。

「いいえ」

笑子は首を左右に揺らした。ならば、詳しくは聞くまいと、保坂は席を立った。

「後で採血はさせてもらう。警察病院行きも考えなければいけないからな」

笑子は頷くと、念を押すように保坂の背に呼びかける。

「順平に、ちゃんと私もここにいるって伝えて!!それと、大好きだよ、って」

保坂は片手を上げると部屋を出た。


+・+・+・+


「ふうぅー…」

保坂は盛大な溜め息を吐いた。片岡笑子と会っていたのはほんの1時間程度の事で、取り調べとしては短い方だった。なのに、ひどく疲れている。きっと調子を狂わせられたせいだ


「お疲れの様子だな。今日は来ないかと思ってた」

鉄格子を挟んで順平は笑った。できることなら、こっちだって休んでいたかった。


「約束なんでな」

保坂がそう言うと、思い当たる節の無い順平は首を傾げ、「忙しいんなら無理する必要はない」と言った。


遠回しにもう来るな、と言われているような気がしたが、気付かない振りをして肩を(すく)めて笑った。

目の前の青年は顔こそ悪くはないが、片岡笑子があれ程夢中になっているのが解せない。こんな冷たい目で皮肉っぽく笑う江島より、もっと優しく笑う男は沢山いるだろうに…。それとも、片岡の前では違うのだろうか?


「片岡笑子を知っているか?」

その名前に、順平はピクりと反応を見せた。そして保坂から目を逸らしながら頷く。

「…あぁ」

平静を装って返事をしたらしいが、目が泳いでいて気にしているのは一目瞭然だ。

「片岡はお前の何だ?」

「……、彼女」

言っていいものかと逡巡したのち、順平は躊躇いがちに答えた。

「その彼女が逮捕されてここにいる」

順平は驚いているとでもこの事態を予想していたともれる複雑な表情をしていた。


「本当はなぁ、こういう事を無闇に教えるのは違反なんだが…」

「だったら、何故そんなことを」


どうせ、会わせてはもらえないのに。どんな場所であろうが近くにいて、同じ状況下にいるのに、会って話す事は叶わない。


「片岡との約束なんでな」

「約束?」

「俺の質問に答えれば、お前に自分も刑務所にいるって伝えてやるってな」


順平の顔が険しくなる。

「…笑子は、喋ったのか!?」

「だから俺はお前にちゃんと伝えたろう」

保坂がそう言うと、順平は柳眉を寄せた。

「笑子はどこまで言った!?」

「そんなのはお前に教えてやる義理は無いし、言えないな」

声を荒げる順平を保坂は軽く受け流す。

「あぁ、お前も喋れば、教えてやってもいい」

保坂が鼻で笑うと、順平は益々表情を険しくさせて保坂を睨みつけた。


「…別に、それを知ったところで俺にはどうすることもできない」


順平は己の手を見つめて呟いた。心臓の爆弾はもう点火されていて、いつ爆発するかも知れない。そして、自分はその爆発に耐えられる力を持ちえていない。


「確かにそうだが、お前はいずれ喋らざるを得なくなる。裁判があるからな」

「…」

黙り込んだ順平に、保坂は短く息を吐く。

「なんだ。まただんまりか?」

保坂が挑発的に笑うと、順平の表情から険しさが抜けて影が落ちた。


「俺は死刑か、よくて極刑だ」


短い一生を塀の中で過ごし心臓発作で死ぬか、絞首刑で死ぬか…。順平にとってはどちらも同じことだ。


「お前は1人しか殺していない。死刑はまず無い」

「普通の人なら、そうでしょうが」

「お前は普通ではないのか?」


順平は自嘲して保坂を見つめた。


「普通の人間だったら、こんな事はしなかった。人なんてまともな神経じゃ殺せない」

死んで当然の江島美里を殺した時の事は鮮明に覚えている。ナイフで肉を(えぐ)った感触も、噴き出した血の臭いも、全て…。だが、後悔も恐怖もない。


「江島美里が仲間を殺したと言っていたな」

「あぁ」

「仲間とは誰だ?それが分からなければ、捜査が進まない。江島美里の罪を暴く事もできないんだぞ!?」


順平が押し黙る。昨日はこのまま一言も発しなかった。しかし、順平はゆっくりと口を開いた。


「お前はどうしてそんなに関わろうとする?」

「私がお前と片岡の担当で、そして刑事だからだ」

「はっきり言って、お前のやっている事は無駄だ。罪を暴いたところでどうにもできない」

「お前がそんな事を言うのが分らないな。真実を知ることを無駄だと思った事はこの20年無い」

だからこそ、この仕事を誇りに思っている。だが、順平は首を横に振った。

「なら、俺達の担当を降りるべきだ」

「なぜ」

「お前は無力だ…そして俺も。俺達は真実の前にどうする事もできなかったから、ここに入った」


この体では逃げる事も困難だ。


「お前は現実を知るべきだ」


順平の言葉は重かった。自分より20以上も年下の彼は、自分以上に深い事を知り、感じてきたのかもしれない。

順平は真っ直ぐに保坂を見詰める。暗い瞳の奥で揺れ動くのは何だろうか…。


「1つ、教えておく」

口の端は上がっているが、目は相変わらず笑っていない。保坂は息をのんだ。


「俺たちは、始まりに過ぎない」


「…始まり」

保坂はその言葉を反芻した。ということは、まだこの殺人は続くのだろうか。犯人の身元が分かっていないだけに、次の犯行を予測する事も難しいし、犯人を特定させることもできない。

順平は保坂の苦い顔を見つめると、目を伏せてそれ以後の一切の質問に反応しなかった。



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