7月23日(2)
セメントの壁に囲まれて、寒々しい雰囲気のある個室。1つのテーブルと3つの椅子。向かいには本日逮捕されたばかりの青年が、隣には記録係の部下が座っている。
保坂武明は苛立った表情で青年に向き合った。
「名前は?歳は?」
「江島、順平。19」
順平が答えると、保坂は自分を落ち着かせるために深く息を吐いた。
この仕事に就いて20余年。色々な容疑者との対話を経験してきた。40を超えた保坂はベテランと言われていて、自分でも自負している。
「本名は!?」
「江島順平。さっきからその質問ばっかだな」
呆れたように言う順平に保坂の苛立ちは増す。眉間に刻まれた皺がまた深くなった。
出会った多くの人の中には、精神異常をきたし、会話にならない奴もいたし、それを装って罪を軽減させようとしたやつもいた。罪を正当化しようと必死になり、嘘を吐く奴も多かった。
その言葉の真偽を見極め、裏を探るのも刑事の大事な能力だ。
「本当のことを言え」
保坂は真っすぐに順平の目を捉えた。
「名前は江島順平。歳は19。江島美里を殺したのは俺だ」
順平も真っすぐに保坂を見返した。緊迫した空気が流れ、記録係は唾を呑んだ。
「お前がいくらそう言ってもだな…」
保坂は肩の力を抜くと背もたれに寄り掛かった。
「“江島順平”なんて存在していない」
順平の表情の変化を保坂は見逃さなかった。
「ちゃんと調べたんだろうな?」
「当たり前だ」
戸籍にも、どこにも“江島順平”については記されていなかった。同姓同名の数人も確認したが、いま目の前に座っている“江島順平”と思しき人物はいなかった。
「でも、俺は“江島順平”として存在してきた」
自嘲するような言い方だが、目には悲しみの色が映ったような気がした。
それに気付きつつも、これ以上この話題は発展しないと判断し保坂は質問を変える。
「なぜ、江島美里を殺した」
「“なぜ”…?」
顔を上げた順平の瞳からは悲しみの色が消え去っていて、その代りに憎悪に塗られていた。保坂は急変した順平の様子に身を引きそうになった。
「俺が心臓病だから」
返ってきた答えに、保坂は驚きを隠せなかった。
「心臓病だと?」
「大きなショックがあればいつでも死ねるよ」
順平は口元を歪めて笑った。
「…心臓病を患う体に産んだ江島美里を恨んでいるのか?」
保坂が予想を言うと、順平は軽蔑した目を見せた。
しかし、目を伏せると「そんなとこだ」と一言呟いた。
「それだけのはずはないだろ?」
保坂は探る様に順平を見る。
心臓病が彼にもたらしたハンデはどれ位のものかは計り知れないが、親を殺すほどの恨みとも思えない。それに、入院もせずにいられる状態なのだからさほど重度ではないのではないか。
「当然の報いだ」
順平は吐き捨てる。そして、保坂がそれに対して質問をする前に言葉を続けた。
「アイツは苦しめ続けた…」
「何があった?」
苦しげに眉を寄せる順平に、保坂の言葉は耳に入っていない。
「なぜ、俺は心臓病なんだ?」
「…」
「アイツは殺されて、死んで当然の事をした!アイツは殺した!俺の仲間を!!」
そこまで捲くし立てると、荒くなった息を整えた。心臓の辺りをぎゅっと握り、肩を上下に揺らす。
「殺しただと!?江島美里がか?」
「はぁ…はぁ…」
順平は保坂から、拘束する手錠に視線を落とした。
薄っすらと額に脂汗が浮かんでいる。息が落ち着いてきたので取りあえず心配はなさそうだ。
「お前の仲間とは誰だ?」
「…はぁ…」
荒く息を吐くだけで答える気のない順平に、保坂は立ち上がりテーブルを叩いた。
「答えろ!!!」
順平は怯える様子も驚いた様子もなく保坂を平然と見上げる。
「関わらない方が、あんたの為だ」
そしてそう言ったきり押し黙った。
+・+・+・+
「くそっ」
保坂は先程の取り調べについて頭を悩ませていた。
自称・江島順平が嘘を吐いている様子はなかった。なのに、社会的にあの江島順平は存在していないことになっている。江島美里は独身で、出産の記録もない。
どことなく嫌な予感がする。
江島順平も遠まわしに「関わるな」と言っていた。しかも、「あんたの為」だという。江島自身の保身ではなく、私を気遣ってのことだ。
江島美里が江島順平の仲間を殺しただとか、自身は心臓病だとか…。気にかかることは多々あるが、何よりもあの憎悪すら見え隠れする瞳が印象的だった。
彼は嘘を吐いていない。
しかし、
全てを話したとは到底思えなかった。
「…明日また話を聞くか」
保坂は首を回して肩の凝りを取った。




