第十五廻「お茶でもいかが?」
「置き薬です。よかったら使ってください」
「あ、ありがとうございます」
僕はおじいさんから薬箱を受け取った。
ここは彼岸堂の店内だ。
彼岸堂の中はウッド調の内装を基調にして観葉植物、アンティークが置かれたオシャレなお店だった。
ただ、店外のカオスさの余波が店内にまで届いているのか、増設したらしいコーヒー機具はかなり大掛かりでなぜかスチームパンク的な見た目だった。
だって入店してまず目に入ってくるのが店内の一角に設置された大型機械で真鍮製っぽい配管がそこら中に伸びているのだ。
唯一、それがコーヒーメーカー関連の機械だという判断ができるのは、透明なタンクに詰め込まれたコーヒー豆とカップを設置する抽出口だけだったけど。
僕はカウンターに座って絆創膏を張っていた。
おじいさんはカウンターの向こうでいろいろと準備をしているようだ。
白髪オールバックでモノクルメガネ、白い口ひげの似合う老紳士だ。
「ではコーヒーでも淹れましょう」
おじいさんは戸棚の中から手挽きのコーヒーミルを取り出し。
ゴリゴリゴリゴリ……。
「いや、あの機械使わないんですか!?」
「ほっほっほっほ」
本当に不思議なおじいさんである。
何の為の機械なんだろうか。
僕が店内を見ていると窓際の人形に目が行った。
「気になりますか?」
「え? えぇ、まぁ」
おじいさんはパイプを取り出し口にくわえ、遠い目をして語り始めた。
「あれは父の親友の形見……いや、預かり物なんです。その親友はドイツの方でしてね、母国に変えられる際、必ず戻ってくるからとあの人形を置いていかれたんです。父も頑固者でしてね、どうしてもと慶長10年、つまり江戸時代の初期にご先祖が買われて代々残していたジャンヌ・ダルクの銀のペンダントを彼にあずけたんです。結局、父が生きている間にご本人もペンダントを持った方も、人形を受け取りには来られませんでしたが」
「へぇ、いつ頃の話なんですか?」
「父が当時中佐で、たしか40手前でしたから……大正14年、1925年くらいですね」
「もう一世紀近く前になりますね」
「えぇ、もう大昔の事のようです」
おじいさんは壁際に飾ってある一冊の本を僕の前に置いた。
いかにも古そうな茶色くて分厚いカバーの本だった。
「どうぞ、ご覧になって下さい」
「はぁ……」
僕は何がなんだか分からなかったが、とりあえずその本に目を通す。
******
科学的妖怪の考察と存在子の関連性について。
我々の世界は目に見え無い『理』によって構成されている。
私は『理』を《存在子》と呼称する。
生物を含め全ての物はこの『存在子』によって作られている。
人間は肉体を構成する『存在子』《物子》と魂を構成する『存在子』《念子》によって形作られ存在している。
これらの『存在子』は集団として存在すれば、個として空間に溶け込んでいる。
《念子》は《物子》に内包されるが、生物的死、つまり肉体を構成する《物子》の崩壊によって四散し世界へと散らばってゆく。
四散した《念子》は新たに《物子》に包まれる事により生命として誕生する。
東洋の宗教でいう”輪廻転生”である。
この《念子》の構成は天文学的な確率ではあるが
以前の念子構成と同じ構成になる可能性もゼロではなく、地球外または世界外にて再構成される可能性もある。
つまり《念子》《物子》の分解・再構成を操作できれば瞬間移動すら可能であると考える。
・霊体とは何なのか。
本来《物子》の崩壊により四散すべき《念子》が纏まって存在した場合、《念子》は《物子》を持たずして実態を形成する。
私はこれを『《念子》の実態化現象』すなわち『霊化現象』と呼称する。
実態化した《念子》は不定形・定型を問わず周囲の《念子》に干渉し、《念子》の変化は内包する《物子》にも変化をもたらす。
いわゆる騒霊現象などの物的現象であったり、悪寒・恐怖心などの身体的・精神的影響である。
また霊化した《念子》が一定の場所に留まる物を『地縛念子』と呼び、場所を問わず移動する移動する物を『浮遊念子』と呼ぶ。
・妖怪・怪談とは。
特定の空間が形成する《念子》は独特な精神影響性を持つ。
例えば医療機関であったり、教育機関、暗闇、墓地などの空間の《念子》は非常に強く負の性質の精神的影響をもたらす。
私はこれを『負の空間念子』と呼称する。
霊化した《念子》が負の空間念子と結びつく事により、より強力な念子影響が発生する。
霊化念子はより安定した実態を持ち、強烈な負の念子干渉性を持つようになる。
この様な霊化した《念子》が『空間念子』の影響を受けて変化することを『妖怪化現象』と呼ぶ。
対して超自然的に《念子》が集合し空間干渉の後に変化することを『自然的妖怪化現象』と呼ぶ。
・神とは。
妖怪化した《念子》は周囲に多様な影響を及ぼす。
我々の《念子》が『妖怪化念子』に対して一定の念子影響(恐怖心、尊敬心、懇願)を及ぼした場合『妖怪化念子』が突然的に変異する場合がある。
これが信仰による神仏の誕生である。
変異した《念子》は影響力に差はあれ、世界中の
《念子》《物子》に対して干渉が可能で対象の存在子構成そのものを書き換えることすら可能である。
この妖怪化念子の突然変異現象を『神化現象』と呼ぶ。
これらの段階を経て単一の《念子》は『霊化』し『妖怪化』し『神化』するのである。
特に日本にはこの現象を後押しする精神が根付いておりさらなる観察が必要であろう。
マッセル・レーゲンボーゲン:著
彼岸出版社刊「物理学に見る怪奇研究」より
マッセル・レーゲンボーゲン(Massel Regenbogen:1895-1942)
ドイツの哲学者、物理学者、心理学者、怪奇探究家、妖怪学者、医師、怪奇小説家。
存在子力学を提唱するが相手にされず、怪奇小説家として活動する傍ら存在子力学の理解者を探していた。
1940年にはアドルフ・ヒットラーによる研究命令が出されるも存在子の立証が出来ず研究は中止された。
1895年ドイツ帝国ハンブルクに医者の息子として誕生、父の影響で生物学を学ぶ。
1910年代後半、日本へ医学講師として来日。
日本にて草刈 直人海軍中佐と親友となり草刈家に客人として寝泊まりをする様になる。
草刈中佐の祖母に聞かされた妖怪伝承に感銘を受け怪奇探究家、妖怪学者として活動を開始し同時に科学的解明のため物理学、心理学、宗教学、人類学、民俗学、天文学などを学ぶ。
1925年ドイツに帰国した後は医師の傍ら奇怪・幻想文学を執筆する。
1937年から始まった第二次世界大戦に軍医として参加。
1941年潜水艦に船医として乗艦、日本との連絡任務に就く。
1942年ジブラルタル海峡近海にて英国艦に捕捉され爆雷攻撃を受け消息不明。
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「なんですかこれ?」
僕は総括の部分を読み、本の内容を流し読んだ。
なんだこれ? 妖怪とか幽霊とか?
「その本の著者が父の友人なのですよ」
「え? ということは」
「えぇ、父の名は草刈直人。私は草刈次郎と申します」
草刈さんはそっとコーヒーを差し出して来た。
僕はお礼を言ってコーヒーを一口。
「にがっ!」
「ほっほっほっ。これは失礼。ミルクと砂糖をどうぞ」
「ありがとうございます。おかげで目がしゃんとしましたよ」
砂糖の壷とミルクを出してくれた草刈さんはカウンターから例の人形を眺めた。
「父はあの人形を預かる代わりに昇進の記念に買って大切にしていたペンダントを彼に預けたそうです」
「ペンダント?」
「えぇ、銀製の物で蓋にはジャンヌダルクが描かれていたとか。しかし、その本に書かれているとおり。彼は行方知れず。父も乗艦が潜水艦の魚雷攻撃で轟沈、共に沈みました。それ以来、私は彼女が来るのを彼と待っているのですよ」
草刈さんの瞳には今その瞬間すら楽しんでいるような、そんな感情が篭っているような気がした。
「こちらから迎えにはいかないんですか?」
僕は思わずそう聞いてしまっていた。
「ふふふ、そうですねぇ。私も随分と歳を取ってしまいましたが。こちらからお迎えに行くのもいいかもしれませんねぇ」
「大丈夫ですよ。あの人形は絶対ペンダントのところに行く。そんな気がします」
「ほっほっほっ、では若い人の直感を信じて、近々ドイツにでも旅行に行きましょうか」
そう言って草刈さんは笑った。
「勇気を付けてくださったお礼です。その本は差し上げましょう」
「え? いいですよ、そんなお礼だなんて」
草刈さんの言葉に僕は戸惑ってしまったのだが。
「いえいえ、持って行ってください。今のあなたにはそういう内容の本が必要なはずですよ?」
「!?」
僕はその言葉に固まってしまった。
「どうしてそう思うんですか?」
「ふふふ、老人の直感です」
「そう、ですか」
「そう、なんです」
しばし二人でそんなやり取りを続けたが結局、草刈さんの意思に負けてしまっていた。
「分かりました、直感、信じてみます」
「えぇ。当店ではいろいろな本や、珍しい物なら何でも取り扱ってます。買い取りもしていますからね。いつでもいらしてください。珍しければ何でも買い取りしますので」
「分かりました。ではそろそろ帰りますね。周辺の地図、貰って帰ります」
「えぇえぇ。どうぞお持ちください、この辺は迷いやすいので」
僕はそう言って席を立ち、入り口付近に置かれていた周辺のガイドマップを手に取った。
「コーヒーまでご馳走になって、ありがとうございました。また何か珍しい物でもあれば持ってきます」
「えぇ、お待ちしてますよ。珍しければ何でも買い取りしますので」
その言葉を聞いて僕は彼岸堂の扉をくぐったのだった。
その跡に続く言葉を聞かずに。
「……例えそれが異世界の物でも」
今回、『7日目神は休んだ』とのプチコラボ後編。
草刈のじいさんはさっさとドイツへ行くべき、そうすべき。




