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第七話

「それで参っちゃう訳よ。普段通りな態度を他の妖精達の前に出す訳にはいかないからストレスが溜まるのなんの! 女王なんてやるもんじゃないわよほんと!」


「はぁ……?」


 俺は目の前で談笑しているアリスとシェリーの様子を静かに眺めた。


 同時に気の毒だとも思った。妖精女王の位に冠くアリスは皮を剥けばそこら辺にいるような陽気満載な妖精と何ら変わりはなく、堅苦しい物言いなど使う素振りなどまったく見られない。ペラペラと早口同然で喋りまくるアリスにシェリーは追いつけず、もっぱら空返事を返したり頷いたりするだけになっている。


「おまけに護衛達もそこんところ融通利かないから私の傍に多くでも居ようとしてくるのよ。お前らは私の監視役かって言いたいくらいだわ!」


 地団太を踏んで悔しがるアリス。その姿には威厳もへったくれもなかった。


「こういう場合はクリム! 今回の祭りのためにもお土産とびきり良いのを持って来たんでしょうね?」


「ふん、もちろんだ」


 俺は懐に手を入れるとワインボトルを取り出した。ラベルも何もついていないコルクのフタだけをした無骨なボトルだ。だがアリスはその中身が分かっているようだ。恍惚な笑みをしてボトルに指を指しながら叫んだ。


「ま、まさかそれは前回の華蜜酒!?」


「ただの残り物じゃねえぞ? 俺の方でさらに手を加えて熟成させた特別製だ」


「むっほー! 良いの持ってきてるじゃないの!」


 俺は毎回、妖精の里で祭りがあると記念として蓋を開ける妖精特製の蜜の酒、いわば華蜜酒をパク…ごほん、拝借しているのだ。


 妖精の華蜜酒は大地から取り込んだ気がたっぷりと含まれており、酒というより妙薬に近い代物だ。そこいらのただ年月を寝かせただけで価値が上がるようなワインとは価値が違うぞ。

 

 つまり、こういった事をするので俺はリーネのような妖精に警戒されている。まったく、そんなにケチケチしないで大振舞いしてくれればいいんだがな。そうすればわざわざ盗…げほっ、貰っていくだなんて面倒な真似をせずに済むのに…。


 俺が床にボトルを置くや、アリスはボトルネック部分に掴みかかった。頬ずりをして中身を出すのを今か今かと待ちきれないようだ。


「早く封を切りたいけどこれから豊穣祭が始まるから先に酔う訳にはいかないのよね~」


「…豊穣祭?」


「そうよ? 私達、妖精は五年ごとに大地の恵みに感謝し、祝福する祭りを開催するって訳。楽しい踊りや歌、美味しい料理や酒を大判振る舞いっ! あなたもクリムから聞いてこの里にやってきたんでしょう?」


 シェリーは「いえ…」と首を横に振って呟いた。


 そういえば結局、最後まで詳しく聞かせずにここまで来させてしまっていたな…。こいつはうっかりだ。


「何よ、先に教えるってのが連れてくる側の義務って物じゃない…クリム?」


「無駄に期待させるというのは俺の趣向じゃないんでな」


「だめだめ、人付き合いはもっと柔軟にいかないと。長く隠居生活してきたからコミュ能力低下したんじゃない?」


「それは暗に俺の事を『コミュ障』と言っているのか?」


 こめかみに青筋を立てて静かに怒りつつ、俺はアリスの頭を指でつまんで持ち上げた。俺の強い力が指にかかり、アリスの頭からみしみしと悲鳴を上げている。


「ぬぁっ! 飛び出るっ! 私の色々な何かが飛び出ちゃうっ!!」


 このままにすれば、目覚めた後のエレイシアにとって衛生上悪い光景を視界にいれてしまうことになるだろう。大丈夫だ、問題ない。事後処理は万全にしておく。

 

 だが、シェリーとしては良心が痛む光景を見せられるのはたまらないのか、必死に俺を止めようとした。ちなみにだが、この時の俺とアリスの間では膨大な気と魔力による攻防をしていてどうにか互角な状態であった。たかがじゃれあい程度に辺り一面を吹き飛ばすレベルの力を使う事など俺とアリスにとっては朝飯前でもある。


 しかし、また錬度を上げたなこいつ、仮にも妖精女王という訳か。


 多少は気が済んだところで俺はアリスを指から放してやった。


「…ふぅ、あやうく早めのスイカ割りができてしまうところだったわ」


 痛む頭をほぐしてアリスを体勢を整えた。


「んで? クリムの本当の目的を今度は私に教えてもらいたいんだけど?」


 アリスは笑いながら勘繰る顔をして俺に聞いた。それに頃合いと見て俺は本題に入ることを決めた。


「この赤ん坊、エレイシアの運命をお前の予知見(アンカー)の力で()てもらいたい」


 俺は首を横に軽く振ってシェリーの腕の中で眠るエレイシアへと視線を向けた。いきなり自分の娘に関して話を振られたシェリーは驚愕していたが、それでもかまわずアリスはエレイシアの姿を凝視した。


「大きな流れが集中しているのがわかる。この子を中心として何かとてつもない出来事が発生するのが…」


 アリスは軽く飛んでエレイシアの顔の前に浮かぶや、ゆっくりと手をエレイシアの瞼にかけた。なるべく強い刺激を与えないように開いたエレイシアの瞼の先にはこの赤ん坊特有の眼球が覗いている。


「紅玉…覇者の資格を得し者の証……」


 アリスは難しい顔をしてエレイシアの赤い眼球を調べている。


「ねえシェリー、あなたもこの子のも本当の名前を名乗ってないでしょ? 言霊に真意が込められてないか分かるわ」


「…………っ!?」


 アリスの唐突な物言いにシェリーは驚愕した。


「一応、私の予知見の力は真名を知っておかないと効果が薄くなるの。今回のためにも思い切って明かしてはくれないかしら?」


「でも……」


 そもそも、シェリーは俺からエレイシアの運命をアリスに識別させようとするのを聞かされてもいないので認めるべきかどうか迷っている。里に来てから俺とアリスのペースに呑まれてばかりでそろそろ自分自身で決めるべき事も出てきた方が良いだろう。俺にはこう考えてはいるのだが――


「迷っている場合じゃないわよ? 紅玉を持つって事が昔から人間にとってどれほど重要な意味があるか、この子の母親であるアナタが知らない訳ないわよね?」


 ――アリスのこの言葉によってシェリーの決断の時間はこつこつとせばめられていく。


「『(あか)き宝玉を携えし者、赤と青の月が交わりし時、古き一族の指導者となりて真理を定める者となるであろう』。昔の歴史文献にこんな一文が残っていたから時間がある時に民俗学伝承に関して調べてみたが…」


 俺は事の本末を言い聞かすように自分の知る知識を一部公開した。


「迷信的事実を省いて言えば、紅玉は今では限られた人間にしか発現することはない。その可能性を持つ今の一族でさえ発現の確立は限りなく低いとされているな」


 暗にシェリーか、その夫がその一族の末裔かもしれないと抜本的事実をちらつかせた。


「大変だったんじゃない? 大方、その子をいろんな方面での力として扱おうとした人間が現れたからあなたはクリムに――」


「…もうほっといてくださいっ!」


 アリスが気遣うように声をかけたが、シェリーは突如と大声を上げた。


「エレイシアがそんなに珍しいとでも言うんですかっ!! そうやって皆さんも夫達のようにこの子を物として扱う気なんですかっ!!」


「あ~いや、そういう訳じゃ…」


「これ以上、勝手なことを言わないでください! この子の人生はこの子だけの物なんです! それを他人が勝手に決め付けるようなことをしないでください!」


 いつのまにかシェリーは泣いていた。エレイシアを守り抜こうといわんばかりに抱きしめて俺とアリスに向かい合っていた。その毅然(きぜん)とした態度は母としての証かもしれない。


「…何を当たり前な事を叫んでる」


 これに俺は静かに言った。


「お前の言う通り、人一人の人生はその者だけの所有物だ。正論すぎて欠伸(あくび)が出るほどにな」


 シェリーは嗚咽を漏らしつつ、流れた涙で濡れた頬をそのままに俺に視線を移した。対して、俺の目には静かな怒りがどこか芽生え始めている。

 

 それにシェリーの熱くなった感情が冷めていく。


「だがな、一つ勘違いしているぞシェリー? 人生は決して奪われたりはしないという認識だ。こんな理想を信じると言うなら、お前はこの先エレイシアを守る事はおろか、愛する事さえできなくなる」


 特に人間関係がらみとならとやっかいな代物だ。平気で騙し、傷つけ、最後には何もかも奪い去ろうとする輩達を俺は見てきた。だからこそ主体性を損ない、ただ守られるだけの存在に堕ちるのだけは嫌悪を隠せずにいられない。人として当たり前に愛されることは望まない。それと同時に愛するという感情を持たなくなってしまった。


「理不尽は必ずやってくる。だったら抵抗しろ、そしてねじ伏せてみろ。お前に必要なのはそのための手段と力だ。いつまでも守られる気でいるなら…」


 俺はシェリーへと迫るように少し近づいて見つめた。


「俺はお前達をあの家から追い出す事にする」


 そう言った後、しばらくシェリーの見開いた目を見つめてから建物から出ていった。

 

 ――怯えるな、乗り越えろ。お前は痛みをよく知っている人間。それならきっと出来る筈だ。



◆◇◆◇



 唖然とした私はこの場に取り残されていた。アリス様は「まったくアイツは…」と愚痴を零していましたが、私は先ほどクリムさんに言われたことが嘘ではないかと低迷している。追い出される事への恐怖が私を怯えさせた。


「あ~気にしなくてもいいわよシェリー。クリムは興味を持った存在は大抵のことが無い限り傍から離そうとしないから…さっきのは嘘よ嘘!」


 アリス様はそう仰ってくださるが、その言葉は逆に信憑性を付けてしまうほど気まずそうな言い方でした。


「…あいつの知り合いとして私からも謝らせてもらうわ。少し軽率だったから」


 クリムさんに関しての話題を一旦逸らしたアリス様は私に謝罪を述べた。


 それに「…いいんです」と静かに答えて私は許した。


「…クリムはね、同じ人間からの身勝手な理不尽によって師であり愛する者でもあった人を奪われたことがあるの。だから理不尽な目に遭って嘆いているような者を見るとああいう風にしてしまうのよ」


 アリス様からの唐突なクリムさんの過去に驚愕しつつ、私は詳細を聞いてみる。そういえば、クリムさんの事を何一つまともに聞いたことがなかった。


 ですが、アリス様はこれを良しとしなかった。


「知らない方がいい事もあるって聞いたことないかしら?」


 保証はできない。単なる興味心で聞く気ならそれ相応の覚悟を持たない限り話す気にはならない。そんな意図が浮かぶ笑みをしながらそう仰った。


「さて、あいつの頼みでもあるし…ちゃっちゃと終わらせちゃいましょっ!」


 アリス様は私に先ほどの言葉を大事にする事だと忠告し、改めて予知見の能力を不完全なままで行使してくださいました。私のご要望通り、真名を明かさぬままの工程で…。先ほど真名を知らずに行うと正確度が落ちると説明を受けましたが、私の意思の方をあえて尊重していただけたのです。アリス様には感謝しようがありません。


「ふんあぁっ……」


 その時、エレイシアが眠そうな瞼をいきなり開けた。


「ありゃ目覚めちゃった? それにしても可愛らしい顔立ちしてるわねぇ。将来きっと美人になるわこの子」


 アリス様がエレイシアの顔を軽く撫でるようにちょこちょこと触っていましたが、これがいけなかった。小刻みな感触はエレイシアにとってかなりこそばゆく、顔の皮膚を微妙に刺激したおかげで小さく震え出した。

 

 そして、特にいけなかったのが鼻元を触ってしまった事でしょう。エレイシアは鼻をむずむずとさせて奥から我慢できないくしゃみを躊躇なく一気に噴き出したのです。


 ――アリス様の目の前で。


「へくちっ!」


「うにゃあぁぁぁぁっ!」


 エレイシアのくしゃみから飛び出た鼻汁はちょうど射線に位置していたアリス様にかかってトリモチのように付いた。いきなりの出来事にたまらずアリス様は叫びました。あぁ、申し訳ありません!


 エレイシアとアリス様の間には一本の透明な線が引かれている。鼻汁のかけ橋ですね…。


 しかも、それだけでは止まりません。暴れて身体中に付いたエレイシアの鼻汁を拭おうとこちらに背を向けて苦戦していらっしゃるアリス様の後ろから一つの影が近づいた。


 それはエレイシアの小さな手。おもむろに伸ばされたその小さな手は暴れるアリス様を後ろからがっしりと掴んだのです。


「えっ、何? 何するつもり!」


 エレイシアに掴まれたという事実に理解が追い付かないでいらっしゃるアリス様は考える暇なく持っていかれました。そう、エレイシアの『口』の中に…。


「あばばばばっ!」


「んむーっ!」


「って、ちょっとエレイシア!?」


 アリス様はエレイシアにおしゃぶりのように一心不乱にしゃぶられていた。ちゅうちゅうと吸われる音が響いているのが印象的でした。


「駄目よ! ぺっしなさい! はい、ぺっ!」


「ほびゃあぁぁぁっ!!」


 私は妖精女王を見た四人目の人間となるでしょう。ですが、妖精女王を食べようとしたのはエレイシアが人類史上初で間違いなしですね。これが偉業なのか、悪行なのか正直言いまして区別に困りました。

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