第四話
一日が終わろうとする夕暮れ時、またの呼び方を逢魔が時。
俺はいつもより研究室の中をランプで明るくして机に頭を低くして向き合っている。その姿勢は他人が見れば奇妙な物だろうが、俺にとっては必要不可欠だ。机に噛みついて頭が動かないようにし、腕だけを乗り上げて肘をついている。
視線の先には魔導刻印を刻むべく、銀であしらえた棒状部品を同じ銀製の鎖の輪で一つずつ繋げた構造をしたアクセサリーがあった。俺は右目に倍率を高める装着式の接眼レンズを付けて百倍にまで引き延ばされた部品の表面を見つめつつ、器用な手先を以ってして緻密な作業をしていた。刃の付いた針先で一文字ずつ魔術刻印を慎重に魔力を込めてだ。
一秒が一分に感じれるほどの雰囲気、揺らめくランプの炎だけ頼りだ。
そして、ついに最後の一彫りを刻み終えるや、俺は深く深呼吸をした。
「はあぁぁぁ…できた……」
集中力と忍耐との戦いに打ち勝ち、目標を達成した俺は椅子に背中を預けてだらんと脱力した。途中、いく度も止めたいと心の片隅に思い浮かんだが、最後までやりきれた。今まで使っていた道具を放り投げ、伸びをしながら肩をほぐして仕上げの工程に入った。ペンダントにはネックレスが必要不可欠だ。だから元から用意していた部品を接合部分に通した。
もちろんこの部品もただのネックレスではない。俺の手により様々な魔導処置を施した特別製だ。
「よし、これでいいだろう」
俺の手にある釣り鐘の造形をモチーフにした銀の光沢を放つペンダント。最終確認を済ました後で俺は研究室から出て行き、調理場にて夕食の準備をしているシェリーの元へと向かった。
この家では夜は基本、研究室以外で灯がつく事はほとんどない。だが、シェリーとエレイシアという同居人を得たことにより、日常生活のリズムにのっとって過ごす二人には灯は必要不可欠だった。
なので、いつもは暗闇に覆われている家の中は今ではちらほらと灯を照らしている。普段より多い灯に俺は多少ながらも違和感を覚えつつも、慣れるのを待つしかないと決めた。
「あっ、お疲れ様ですクリムさん」
調理場に入るとちょうど夕食の料理を作っている途中のシェリーが俺に気付いて労ってくれた。漂ってくる湯気と状況を見るに、魚のハーブ焼きを作っているようだ。
俺は軽く返事を返すとそのままシェリーに近寄り、唐突にシェリーの右腕を掴んだ。いきなりのことに何をする気かとシェリーは疑問に思っているが、それでも構わず手に先ほど出来上がったペンダントを握らせた。
「付けてみろ、お前にやるよ」
――渾身の出来具合だ。きっと気にいるだろう。
「はえっ! ど、どうしたんですかこれっ?」
「お前に必要になると思ったからさっき作った」
シェリーは俺からの贈り物に戸惑っていた。どうだ、すごいだろう?
この時、俺は知らなかった。男性から女性への贈り物とは普通、特別な意味合いを持つ物だということを…。さらには使ったのが上質な銀もあってか貴金属に関して疎そうなシェリーでもこのペンダントが凄い物だと理解していたらしい。
「だ、駄目ですっ! 受け取れませんよ! 私達はそんな特別な関係にあるとかなんて言うか…」
若干赤面しながらシェリーはもごもごと口をまごつかせた。
「何を勘違いしているのか知らんが、これはお前の体質の効果範囲を極限に抑える魔導具だ」
だが、そんなシェリーの乙女心を微塵に砕くかのように俺は彼女の戸惑いを一掃した。それにシェリーはがっかりする中、「体質?」と疑問を顔に浮かべて俺に聞いた。
「お前、これまで魔術か魔導が使えた経験なんて皆無だろ?」
「どうして知っているんですか!?」
あのな、これでも研究者だぞ、俺。能力とは生まれ持ってくる物。そして一生付き添う半身とも言える。
魔力分解能力者という希少な能力を持って生まれてきたシェリーは今まで生きてきた中で魔術、魔導を使えた経験など皆無に等しいのは素人でも分かりそうなことだ。なんせ魔力を練り上げられないんだからな…。
前に血液を採って魔力分解能力者であるか否かを判明する実験を行ったからだと俺は説明した。シェリーの能力は類まれな存在だと俺は正直に称賛するが、シェリーはなにやら喜ばしくない顔だった。
「…ずっと、こんな体質のせいで魔術が使えないことを馬鹿にされてた時期があったんです」
シェリーが言うには子供の頃、学院に通っていたことがあり、そこで学んでいた魔術学の成績が卒業するまで最下位だった経験があるそうだ。おまけに同級生達は何かにつけて苛めのネタにしていたらしい。
――なるほどな、憂鬱そうな顔の理由はそこからか。
「他の教科は良いところいってたんですけどね」
シェリーは舌を出して苦笑し、気を楽にした。
「それは大変だったな。んで、そのペンダントについての説明だが…」
だが、そんなシェリーの苦労話に何も感じることはないと…別にどうでもいいという風に俺はペンダントの説明を急いだ。昔はこうだった、ああだったと言われても別にどうにもなる訳ではないし、時間の無駄だと考えるだけだ。
自分の心の傷に関しての話を簡単に受け流されたシェリーの方は若干気まずくなっていたが…。
「血液を媒体にするお前の能力は熱の放出と同じように絶えず垂れ流している。そこで体中からの能力の浸潤を防ぐために気の力を循環する原理を用い、能力用の殻を作り上げる作用をもつ魔術刻印をペンダントに組み込んでおいた」
詳しい専門的な知識を要する話を聞かせるが、シェリーの頭に入ったのは数割程度に違いない。ほとんどが難しくて魔術士か魔導士のような専門家でない限り、完璧には理解できないだろう。それでもいい、何となくでも知っておくことが一番大事だ。
でも、自分が今持っている物はこれからの自分の生活に大きく貢献してくれる事だけは良くわかる筈だ。
「ありがとうございます。こんな素敵なプレゼントをくださって」
「感謝する事じゃない。このまませっかく家のあちこちに施しておいた魔術や魔導を触ったり近づいたりする度に解除されては俺も色々と困るんだよ。だから安全装置という訳だ」
おかげで家中に大掃除のごとく術のかけ直し大会を一人開いてしまった。中には発動すればとても危険なトラップの種類までも分解もとい解錠されていたのだから内心慌ててしまったさ。
さらに森の結界の点検にまで駆り出てみれば俺の予想通り、『一人分』の抜け穴が出来上がっている始末だ。
「それでも、嬉しいです」
中々、シェリーにはペンダントの造型が気に入っているようだ。振ると棒同士がぶつかり合って澄んだ音が鳴らせるのも製作者である俺の趣向であった。
実はこのペンダントには他にも不思議な効果が秘められているのだが、来るべき機がやってくれば自ずと明かされることだろう。
「ささっ、どうぞ召し上がってくださいな。今度こそは自信あるんですからね?」
そのお礼だと言わんばかりの笑顔でシェリーはさっそく出来上がったばかりの魚のハーブ焼きを皿ごと俺の前に出した。燻る魚から湧き上がる煙が顔に当たるが、無表情のまましばらくじっと見つめた。気の内量を測っているのだ。
シェリーはこれまでの経験で俺の行動の意図が少し分かるようになったそうで内心ドキドキしながら見守っていた。
気の測定が終わったところで俺はフォークを手にとって魚に突き刺した。“サクッ!”といい音を響かせた料理を静かに口に運んでもごもごと口を動かして咀嚼した。その様子をシェリーは緊張する様子でじっと眺めている。
聞きたい言葉を待ちながら、だ…。
咀嚼が終わって飲み込む音が小さく響いた。
「…少し上達したな」
「本当ですか!」
「あぁ、一割半ぐらい」
「あうぅっ!」
残念、嬉しい評価が出たかと思ったか? まだまだ俺を満足させるには不十分だ。
しかし、こう言いつつもシェリーの腕は十分に認めていた。
なぜなら普通、料理に気を込めながら作るなんて芸当など一般人には難しいのだ。無意識にやりとげるなどとは一種の才能だと言えた。
だが、俺の標準で評価すれば「まだまだ頑張りましょう」であった。
「んあっ! だー…」
「あらあら、エレイシアったら…」
そこに床で遊んでいたエレイシアが腹這いで少しずつこちらに向かって来ている。この家の床は材質がピカイチな木材を使っているので擦ったりささくれが刺さるような真似は起きない。
でも、それでは服が汚れてしまうので中止してもらった。シェリーはエレイシアを優しく抱き上げて笑顔であやした。
その姿はまさに慈愛満ち溢れた母とその愛を十分に享受する子の姿。
俺は遠い昔の記憶を呼び起こした。まだ俺が普通の人間としての暮らしを謳歌していた少年時代を…。もはや霧かかっていてその中に残る己の父と母の顔を見る事はできない、いわば思い出せないでいた。
だが別にそれでいいと考えた。あんなくだらないやつらを頭に浮かべるのはそれだけ時間の無駄だと悟っている。
いつの間にかうわの空になっていた俺はふと目の前に存在する気配に意識を戻した。その視線の先にはエレイシアの顔が近く映っていた。
「なんだかクリムさんの事が気になってるそうですよ」
エレイシアは俺に触りたいと言わんばかりに手を伸ばしている。
「…一つだけ簡単に聞かせてくれ、シェリー」
片手で適当にエレイシアと戯れながら俺はシェリーに質問した。
「この子、エレイシアの父親は『まだ』生きているのか?」
子供には両親、母と父の存在は必要不可欠だ。それはどちらも欠けてはいけない要素だと言えた。シェリーがこの樹海へと逃げてきた理由は『あの』赤霧の森を目指すくらいだ。決してまともな理由ではないとは分かっていたが、エレイシアの情操に影響が出るのは俺としても好ましくない。今ここではっきりしておきたかった。
「…生きてます」
「もう一度会いたいと思っているか?」
「いえ、思いません」
二番目の質問ではっきりとした声でシェリーは答えた。どうやらエレイシアの父親であり、シェリーの夫である人物はよほど毛嫌いされているらしい。これ以上は何も言うまいと決めたが、シェリーは自分からぽつぽつと言葉を紡いだ。
「だって、あの人は私はおろかエレイシアだって愛してくれる事は…」
これ以上は辛いのか言葉が止まった。
「…傷は深いといったところか」
俺はエレイシアの柔らかい頬をプニプニと指で押して遊びながらそう呟いた。
やはり人間は身体の傷には耐えれるのに、心の傷は小さくても大きなダメージを負うものなんだな。これで確信を持てた。百年の時を経てもその事実は変わらないか…。この事実があるからこそ、俺は普通の人間として生きることを捨てて不老になった。いや、ならざるのを得なかった。
目を背けたくなるような辛い出来事が俺を蝕み、最後には師から受け継いだ理想を非情な現実に塗りつぶされた事をきっかけとして…。
「今日は早く寝ろ。明日になれば良い所に連れてってやる」
俺はそう一言だけ最後に言った後、研究室に戻った。シェリーは「あっ…」と名残惜しそうな顔をして俺を呼び止めようとしていたが、出来なかった。俺にとっても踏み入れてもらう訳にはいかない領域にまで無理に話を発展させるのを拒んだからだろう。
真っ暗な廊下を歩き続けた。小さな葛藤をその胸に抱いて…。
「…まさか、俺が他人の心配をしたのか?」
どうして自分から他人のためにどこかへ出かけようと思いついたのか? あの二人は自分にとって単なる研究素材として見ていない。そう考えている筈なのに…。
「同情、したというつもりか…」
同じに見えてしまった。昔の自分と今のシェリーの思いがはっきりと、だ。向ける思いの対象が違うのを除いては、その思い――哀愁――がそっくりだと感じてしまった。
「…ふん、バカバカしい」
俺はまだ気付かない。己の内に起こりつつある変化を…。
人の慈悲をはねのけ、孤独を望んだかに思われていた俺の心にはどこかで憧れていた。未練は雀の涙ほど残していないつもりだった。人としてあるべき姿を心が取り戻そうとしているからなのか? だが、これではまだ足りない。
俺の心の殻を破壊するにはもっと強い刺激が必要となる事だろう。つまり、まだまだ先の話という訳だ。
「そんなことより明日の準備だ。あそこは普通には行けないようになっているからな」
俺は棚に仕舞ってある資料を取り出し、絶好の時間帯を探るべく統計から計算を始めた。そういえば偶然にもこの時期にシェリーが俺の家に来たのは幸運だと言えた。きっと楽しめる筈だ。それにアリスに会えるともなるとちょうどいい。
あいつの力はエレイシアに関して有効な発見ができるかもしれない。
「土産はあれでちょうどいいか」
俺は自身の準備も兼ねて、ペンで計算式を走らせた。
「――っと、解けたな」
ペンが止まり、膨大な量の式が書かれた紙の最後には答えとなる時間が求まった。なるほど正午頃か、ますますいいタイミングだな。
最高の『祭り』が迎えられそうだ。