第四十三話
いつもと違った夜を過ごし、とうとう朝を迎えた家の庭で俺は下準備をしていた。
昨日は久々に張り切って俺が料理を作ってみたからな。
元から作っていたシェリーには悪かったが、段違いの旨みを含んだ料理は淀んだ雰囲気を漂わせていた子供衆でさえ奮え上がらせるには十分であった。
よって、身体が所々で“ばきばき”と骨を鳴らして昨日の疲れをほぐしている中、俺は研究室から出した様々な物を家の庭で一か所に集めて調べていた。
どれもが研究から製作へと辿り、完成した後は何度か使ってそのまま倉庫へと突っ込んでいた筈の代物ばかりだ。
「これとこれは要るな。こっちは必要ないとして…おっ! 面白い物もあった」
殆んどが魔導具や薬液の瓶を占めた俺の渾身の作品達だ。
旅立ちの門出として渡す物を俺は慎重に吟味し選別していく。
シェリーはまだまだ未熟だ。知識も足りなければ力も足りない俺に言わせてみれば半人前の存在だろう。これを補うための道具として、シェリーの今後の成長を妨げる程度にならぬ物を与える。
「クリムさん…これ……」
作業をしている俺の後ろからシェリーの声が聞こえてくる。
どうやら『着替え』終わったようだな。
「ふむ、似合ってるじゃないか」
「いえ、それは嬉しいんですけどこれはちょっと私には派手なんじゃ…」
俺はシェリーに初めてこの家に来た当時に着ていた服とローブでここから送る気にはなれなかった。長旅で傷んだそれらはこれからの旅立ちに着せるには忍びないと感じた俺が服はともかく、ローブだけは変えさせたのだ。
シェリーが着ているローブは前の黒茶色になるまで変色した麻色の物ではなく、艶のある漆黒色を基準とした裏側に魔導文字を刻んである術式を付加させた特製品。
あちらは身に余るだとか、自分に似合わないだとか、そのローブの良さに委縮しているが、逆に考えてみろ。みずぼらしい服装で人里を動き回るようなやつなど単なる浮浪者か逃亡者だと教えているような物だろうが。
「ならシェリー、面白い物を見せてやろう。胸の留め金を捻ってみろ」
「こう、ですか?」
シェリーが俺の言った通りに本来ローブを纏う長さを調整するための胸の留め金を捻った。胸の留め金は蜥蜴のレリーフをあしらったひし形の形をしており、捻ると“カチッ!”と固定仕様の音を出して約九十度に回った。
「これでどうなるんです?」
「お前の身体を良く見てみろ」
「身体――うぇっ? どうなってんですかこれ!?」
シェリーは留め金を捻り終えたら俺の方へと向いたが、次に言った通りに自分の身体へと視線を落とすや驚愕した。
なんと、シェリーの身体は『透けている』からだ。
ローブを身に纏った筈の自分の身体はどこにも見えず、下の地面や背後の背景が元からそこにあるかのように変化していた。
「どうだ、面白いだろう。俺が南の国の火山で仕留めた身体を周りの風景と同調させ、姿を見えなくさせる大蛇の鱗から改良して作った着る者の姿を透明にするローブだ。名を『霞のローブ』という」
俺が説明してはいるが、シェリーはどうやらローブの効果をまるで分からないと言わんばかりな表情をしてローブから手を出したり隠したりと、混乱しているような面白がっているような行動をしていた。
「これがあれば大抵の危機からは逃れられる筈だ。だが足音やにおいまでは消せないから魔物相手には使い方を間違えるとすぐ見つかるから注意しろ」
「わっ、フードも付けたら完全に透明人間になっちゃった!」
「おい、聞けよ」
未だ大人げなくローブで楽しんでいるシェリーに少々怒気を含んだ声で呼びかけるとようやく反応した。
俺の方に向くや顔色を悪くしていくが…まぁ今回ぐらいは特例で見逃しておこう。こちらが何もしないのに気付くとシェリーはほっと安心した様子になった。
――では、次にいくとしようか。
俺は庭にて用意していた山積みの道具達の中から一つの薬瓶を手にした。
大きさは中大の香水瓶といった所だ。造形は水色の透き通った卵に金色の台と片翼の装飾が施されている。
「これは薬だ。外的要因によって傷ついたあらゆる傷や病を一瞬にして治す薬『聖者の息吹』だ。たとえばこんな風に…」
まず、薬瓶をシェリーに渡してから俺は左腕を前に出して右手を構える。
右手を手刀に構え、魔力を少量に纏って刃を形成するやそれを軽くなぞる様に左手に当てた。すると一筋の赤が現れてたちまち鮮血がゆっくりとほとばしっていく。いきなりの奇行にシェリーは口に手を当てて驚いているようだが、これにはちゃんと意味がある。
さっそく俺は引いている状態のシェリーから薬瓶を手に取り、蓋を開けて中の薬液をその傷に数滴垂らした。傷は薬液が触れた瞬間たちまち白い泡を激しく発生させ、その後には傷を付ける前と変わらない肌色の肌が現れた。
「だが、これは飽くまで傷を治すのであって切れた部位を新しく生やす事はできない。また、元から身体が弱かったりと内因的な原因の病は治すことはできない。あ、あと解毒に関しての例外はカサンドラの毒だ。あいつのだけはいまだ解毒方法が見つけられん」
「でも、すごい…」
「本当ならこんな物に頼らない実力を付けて欲しかったがな。よく考えて大事に使え」
「はいっ!」
これを教訓として噛み締めるようにしてシェリーは俺から薬瓶を再度受け取った。
さぁ、まだまだいくぞ。今度は旅をする者にとって画期的な代物だ。
「原理としては簡単だが良い物だ。拡張の魔導術式を付与した道具袋だ。口に入れられる大きさの限りはどんな物でも入れられる」
取り出したのは俺が使っている物と同じ型でもある道具袋。
俺として簡単に作れる魔導具の一つでもあるが、万能性に優れてはいる。
「お前がここへ来た頃の荷物がその中に納められている。とは言っても、使えるのは路銀程度ぐらいだったがな」
「あははは……」
改めて思えば、かなり無茶な手持ちの状態でよくぞここまで来れたよな。
シェリーはさっそく道具袋の紐をほどいてその路銀を取り出してみようと手を突っ込んでみた。
「あれ、あれ…?」
だが、袋の大きさとは吊り合わない深さまで腕を突っ込んだのも驚きだが、手探りしても袋の中は空を掴むだけで何も見つからなかった。
あぁ、そういえば使い方をしっかり教えてなかったな。
「掴もうとしている路銀の形を頭の中に思い浮かべろ。それに反応して現れる」
シェリーは俺が言った通りに頭の中で路銀が入っている財布を思い浮かべる事でようやく手に感触を感じたらしく、一気に取り出した。その手には財布がしっかりと掴まれている。
「取れたか、あとこの道具袋にはもう一つ面白い機能が付いていてな…」
完全には説明せず、俺はシェリーからその道具袋を引っ手繰る様に奪い取り、そのまま一気に森の彼方へと力一杯投げつけた。道具袋は俺の腕力に従いどんどんと俺達から距離を離していき、やがて見えなくなっていった。
「えぇっ!? ちょっと何しているんですか!」
「慌てるな。こうして無くしてしまった場合の事も考えてな…シェリー、『レデオ(もどれ)!』と叫んでみろ」
「あぁもう…『レデオ(もどれ)!』
シェリーは俺に言われた通りの言葉をやけくそ気味に叫んでみた。
その途端、道具袋を投げた先から高速でこちらへと向かってくる物体が来た。俺が先ほど投げた筈の道具袋であった。道具袋はまるで糸で引いているかのように勢い良く飛んで来るや、シェリーの目の前に急停止して留まった。
「え、なんで?」
「お前の血液で持ち主の認識を完了させておいたんだ。これで盗まれたり落としたりしたら『レデオ(もどれ)!』と唱える限り、お前の元からこの荷物袋が無くなる事はない。もちろん、取り出す際もお前以外は中身を取り出せないように認識を完了させてあるぞ」
「べ、便利ですねぇ…」
シェリーはさっきから俺から渡される物の凄さに言葉を失いかけていた。
これだけでも満腹ではあるかもしれんが、俺からの贈り物はまだ終わらなかった。
「よし、今度はこいつだ。手を出せ」
こう言うとシェリーは手を甲から見せるように差し出した。手には特徴的な物がある。指――薬指――にある証を示す物がはめられていた。
俺はその指輪を見るや、しばらく見つめてしまった。
「指輪、しているんだな」
前にシェリーから夫――つまりエレイシアの父親――との仲について少し訪ねた事があったな。あの時、シェリーから聞いたその男への印象は軽蔑。自分にとって不快に感じる事…決して容認できない事をしようとしたからこそ別離した存在であると俺は悟った。
「…どうしてか分からないんです。あの人の事はまだ嫌いだってはっきり分かっているのに…これを外す決心だけはどうしても付けられなくて……」
…未練があるのだろうな。
ひょっとしたら、もしかしたら、という思いがあるからこそ、その男との繋がりを完全に断つ事に能わずといった所か。
「だったら、なおさらこれは外しておく訳にはいかないか」
「えっ?」
「本気で嫌いになれる決心が付いたら、そんな『安い誓いの証』なんざそいつに向けて投げつけてやればいい」
ちなみに安いとは値段の事を意味するものではないからな。
悪戯心満載な笑みを浮かべて俺はシェリーにそう諭しておいた。これにはシェリーも苦笑していた。そんな状態から俺はその指輪がはめられている薬指の隣の中指に別の指輪をはめてやった。指輪には狼をあしらった彫金が施され、全体に沿って魔導文字が刻まれている。
「これは『ゴスペルリング』。悪意ある者が近づけば警告として指輪自身が震えて持ち主に伝えてくれる。魔物しかり人間しかりと危険避けのいわば『御守り』みたいなものだな」
黒銀の狼は南の国では指導者を意味する。きっとお前を正しい道へと導く手助けをするだろう。
「そして最後だ。最後なんだが…」
はっきり言って、これはシェリーの旅に持たせるに値するかどうか迷う代物だった。
「これは…ナイフですか?」
「あぁ、そうだ。お前に教えた技術はほとんどが身を護るためであって殺すための物じゃない。けど刃物は持てば凶器となる。これを手にして使う以上、脅しで済むような状況で無くなった時、本来のナイフとしての意義を取り戻し相手を死に至らしめる。そんな可能性ができる」
シェリーは人はおろか魔物を殺した事は一度もない。気の扱いやアイキを教えた以降でさえ、これを傷つけるために使った事の無い女だ。
根本的に優しすぎるのだ。誰かを傷つける事には過剰に拒絶反応を起こすほどに…。ならばこのナイフは不相応ではないかと俺は悩んだ。
「このナイフは竜が踏んでも折れも曲がりもしないようにできている頑丈な物だ。切れ味もナイフとして飛びぬけているくらいにな…。さらに所有者が投げれば狙った場所へ必ず突き刺さるという必殺の魔導術式も込められている」
力を持つとその者はその力を振いたくなる激情に囚われる。
精神も経験も幼く少ない者ほどその可能性は高まる。
更にこの螺旋の輪を高める魅力を秘めているのがこのナイフだ。
「その名も『覇邪の短剣』。あまり使って欲しくもないと思い、絶対に他人の手に渡してはいけない武器だ。シェリー、お前にこれを持つ覚悟はあるか?」
俺は堅固な鞘に収められたナイフをシェリーにそう言って差し出した。
断ってもいい、護身の保険としては今のシェリーには身に余る代物であると俺が確実に感じる物だ。
「…………」
シェリーはナイフをじっと見つめ続けた。
そして、唐突にそのナイフを力強く掴み、手に取った。
「このナイフも必要になる日が必ず訪れると私思いますよ。けど、これを使うのは自分のためにじゃなくて、他の誰かのために使わせていただきます」
「それがお前に守れるのか?」
俺は険しい顔をし、睨みつけるようにしてシェリーに問うた。
だが、杞憂だったかもしれない。
「守りますっ!」
意思の強さがしっかりとわかる顔で返されては何も言えまい。
これほどならば酷い結末を迎える心配はなくなるかもしれないな。
「それでいい。さて、シェリーの分はこれで終わりとして…お前ら、そこで見てないでさっさと出てこい」
横目で遠くから俺達の事をうかがっている子供衆に声をかけた。
これで半分、まだまだ旅支度を終えるには時間がかかりそうだ。




