表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/49

第四十二話

「シェリー、虚偽も贔屓(ひいき)も一切無く教えろ。お前はどうしたい…?」


 野獣のごとき唸りを加えた声調をシェリーに向けて放った。

 

 アリスからの手紙は衝撃を受けるには十分であり、珍しく苛立つ俺の姿にシェリーはどこか怯えた様子があった。

 

 けど、今の俺にはそのような事など眼中になく、答えだけを急かした。


「わ、私は…私、は……」


 シェリーの口からは言葉が中々出ないでいた。そんな様子を優柔不断として捉えてしまった俺は一気に踏み足でシェリーへと近づいて右手で胸倉の服を掴み寄せた。


「ひっ…!?」


「はっきりと言えっ! 生半可な答えは全てを駄目にする。自分の頭で良く考えろ!」


 俺の激しい形相に完全な意思喪失を起こしているシェリーを軽く揺さぶって言葉を絞り出させようとした。掴んだ服が“ギリリッ!”と悲鳴を上げてシェリーの身体を締め付けており、苦痛を与えている事さえも自覚ができない。

 

 鋭い目つきが怯えるシェリーの顔を捉えて放さず、俺自身の絶対零度の視線を近距離から向けられるという事がどう意味するか…。


 相手への考慮も失くし、冷静さを失いつつあった。


「クリム、何してるのさっ!?」


 そこへ、騒動を慌てて聞きつけたヤンが俺達の間へと入り、俺の手をシェリーから引き離そうと妖精なりの精一杯で指にしがみついた。


「邪魔するなヤン! これはこいつが決める事に意味があるっ!」


「どんな話をしていたかは大方わかってはいるけど、これはやり過ぎだよ! ちょっと落ち着いて!」


 ヤンが諌めようと必死になっているが、俺の感情はマグマのように熱く漏れ出しているため、焼け石に水だった。

 

 緊張の走る光景、さらなる介入者が俺を止めようと足掻く。その者は俺の首へとそのご自慢の蔓を巻きつけて締め付けていく。


「ママから手を放してっ!」


 アリシアだ。片方の太い蔓が常人ならば首の骨をへし折る力強さで俺の首を締め付けるが、動じない。止まぬ暴力にこの程度では駄目だと感じたアリシアは今度はもう片方の蔓を出し、身体を振り子にした勢いで鞭のごとき鋭さで俺のシェリーを掴んでいる手に叩きつけようとした。


 これに対して俺は残った手でその蔓を掴んで受け止め、同時に力の限りに引っ張ってアリシアを近くへ引き寄せた。


「ふんぐぅっ!」


 前のめりに倒れる事は無く、アリシアは近くにあったとっかかりに花弁下のバネ蔓を引っ掛けてどうにかこらえ、片腕な俺との引っ張り合いに拮抗する。

 

 今の俺は冷静さなど一切欠いた存在だ。強化のための魔力を練る思考さえ彼方へやっていた。


「やっぱり私、お前なんて大っ嫌いっ! ママの事を大事にしてないって前からわかってたもん!」


「お前こそ、お前こそ何が分かっている! そう遠くない未来に危険を及ばせる可能性を高く秘めるようなお前がっ! 他人の力を借りないとこいつの娘として安心して『演じられない』ようなお前がっ! 一体何を分かっているというんだっ!」


 ――違う、俺はこんな事を言わない!


 アリシアにはシェリーと親子以上の絆を感じられるのは一番近くで見てきた俺が分かっている!

 

 どうしてこんな言葉が出てくるんだ。俺の知らない何かが奥底に存在していたとでもいうのかっ!?


 わからない、わからない、理解(わか)らない!

 

 自分自身(おれ)がワカラナイ…。



◆◇◆◇



 何十年も孤独を味わってきたからこそ、クリムの心はいつしかそれに対しての慣れが出来ていた。だが、シェリーとエレイシアの出現によって長年孤独に耐性を付けていた彼の心は『喪失』という現象に対して弱点を表した。


 暖か過ぎた、楽し過ぎた、この瞬間がまだまだ続くと心のどこかで固く信じ始めていたからこそ、再び孤独に逆戻りするような事態には備えられなかったのだろう。


 これが原因、これが全て。心が爆発するのには幼稚な切欠。

 

 それが『クリム』という人間だ。

 

 多くの喪失を体感したがためにその執着心は異常なまでに高く、一度興味を持った対象は絶対手放さないという行動の起源(ルーツ)はここにあった。しかしその対象は人間関係には認識されず、物や事象のみにと限られる。

 

 孤独を望んでいた。それは本心を隠すための言い訳に過ぎない。これ以上の喪失を味わいたくないからこそ、人に対して不信を表し、冷たく突き放してあえて嫌われるような行動を取る。もはや精神的な疾患と変わりない。


 しかし、この起源(ルーツ)を大きく反した行動をクリムは取ってしまった。

 

 それが――シェリー達との同棲――だった。

 

 初めは研究対象として見ていたに過ぎない存在はしっかりと見てみれば人間として輝きすぎたのだ。シェリー達に触れていく内にその輝きをいつしか守り抜きたいと認識を改め、かつて愛した師と同等な『大事な存在』として見てしまうようになっていった。



◆◇◆◇



「じゃあ私も聞くよ。クリムはどうしたいの?」


「俺はっ! っ…俺は……」


 しだいに俺の声からは力が無くなって静かになっていく。ようやく考えが纏まりかけるその時、俺に強力な衝撃がぶつけられてそのまま研究室の壁側まで吹き飛ばされた。背中を強打し、たまらず息を吐き出すも力の根本を感知と視界の二つで探った。


「…エレイシア」


 研究室のドアから見た廊下にはエレイシアが物体浮遊の魔導を行使しながら俺を見つめていた。

 

 表情はどこか憂いを含んでいて悲しそうだ。先ほどの衝撃はエレイシアが魔力そのものの塊を幼いながらも絞り出して俺に向かって射出したと考えられた。


(さすがのお前も嫌か。こんな俺の姿を見るのだけは…)


 エレイシアの後ろからボーとキキも俺の事を心配そうに見つめていた。


 頭に何やら生温かい物が感じられる。手を触れてみると、ぬめぬめとした感触が伝わってきた。触った手を見てみるとベットリと真っ赤な血が流れていた。

 

 どうやら頭を切ったらしい。頭からの出血は小さい傷でも激しく見えるから誤解されやすいが、軽傷である。


「た、大変! 早く包帯を!」


 そこには思いつかなかったシェリーは俺の頭の出血を見るや、ハッと呆けていた意識を戻してすぐさま研究室から出ていった。


 シェリーが去ったこの場には沈黙が訪れ、誰も言葉を発することはなかった。俺は壁に寄り掛かったまま、ずるずると力無く背中を擦りつけるようにして床へと腰を下ろした。


 頭の怪我も治癒魔術を使えば簡単に治せる代物だが、今の俺は無気力そのものだ。

 

 なんだか自分が嫌になった。人間としては精神はまともな類に入っているつもりだったが、どうやら少し壊れていた事に気づいてしまった以上、心に余裕が生まれる事はない

 

 馬鹿だ、本当に大馬鹿野郎だ。何年生きているつもりだ。こんな子供染みた我儘言うようなやつが大人のつもりか。


 自分を責め続ける事に夢中な俺の頭にふと柔らかい感触が包み込んだ。顔を上げてみると慌てた様子で持って来た救急箱から包帯を取り出し、震えた手で巻こうと必死になるシェリーの姿が映った。

 

 先ほどの俺への恐怖がまだ拭い切れていない様子だった。


「…無理にしなくていい。これくらいの怪我ならすぐ止まる」


「いいえ、止めません」


「また襲われるかもしれないんだぞ?」


「でしたらどうぞ…私と娘の恩人であるあなたを邪険に扱う気はありません。いっその事、これまでに世話になった見返りとしてこの身を一部差し出しても文句は申しません」


 …お前はあいかわらずこういう事に関しては頑固だな。


 ――そして愚かだ。


 俺をそこまで非道な存在だと知らしめるつもりでそう言っている気か?

 

 そんな考えはおそらくシェリーにはないだろうが…さすがに見くびるなと言ってやりたい。


 俺は包帯をどうにかして巻き終えたシェリーを両手で近くに寄せていた顔を挟むようにして軽く掴み、そのまま額と額を重ねた状態で至近距離に顔を合わせた。

 

 軽く額を小突いたような音がするや周りの子供衆もすぐに対応できるよう身構えたが、息が触れるほどに近い額合わせをしただけで攻撃的な事は何もしないので構えを下ろした。


「改めてもう一度聞くぞシェリー、お前はこの家に留まりたいのか? それとも出たいのか?」


 もう迷わない。どんな結果が出ても反論しない事を自分の中で誓い、人に質問するには不恰好な状態で俺はシェリーに再度同じ質問を問うた。


 これに対し、最初と違って戸惑った様子は見せないが、出す言葉を未だ思い浮かべられず口を微妙にもごもごと間誤付かせて俺を見つめ返すシェリー。


「俺が唯一知るお前たらしめる名は確かに偽物だ。だが、意思だけは偽物にしてはいけない。自分自身に嘘を付けばその先ずっと引きずる事になるんだ。俺はお前が失うべきでない物を犠牲にしてまで何かを手に入れるような人間にだけはなって欲しくないと願いたい」


 シェリーは喉から何か言葉が出かかっていたそうだが、今の俺の言葉で再び言葉を喉の奥へと引っ込めた。おそらく考え直したのだろう。


「今一度言う。俺のような弱い人間にはなるな…。時間をかければ手に入れられた筈の当たり前の物を簡単に捨てて、後にその不必要とした筈の物を必死に求めもがき苦しむような人間にだけは絶対なるな」


 俺はこの言葉を言った際、どのような表情をしていたのかはわからない。ただ、俺の顔を見ているシェリーが憐れむ表情に変えている気がした事だけ知った。


 やがて、シェリーはしばらく瞼を閉じて熟考を始め出した。この場にいる誰もが静寂を保ってその結末を待ち受ける。時間にして数分、ようやくシェリーは思考の渦から目を覚まして考えに考え抜いた答えを俺に向けて発した。


「…私、この森を出る事に決めます」

 

 この答えに俺は何の異論も唱えなかった。

 

 寂しくなる? そんな事認めない?


 そんなちゃちな感情論は浮かびやしない。むしろ「良く決断してくれた!」とシェリーの事を褒めてやりたい。


「もしこの森に留まって今まで通り隠れ住んでいても、私とエレイシアの状況は変わらない。むしろ積年として問題が膨れ上がる可能性もあります」


 アリスの因果についての話を抜きにしてそんな考えに辿りつくか。


「勘違いしていたんです。ここへ奇跡的にやって来れた事で危機から脱したと考えてましたが、それは乗り越えた訳ではなく、ただ危機から目を逸らして逃げていただけなんだって」


 俺は顔同士との距離を一定に変えてからシェリーの話を続けて聞いた。


「私も色々と犠牲にしてここまでやってきました。その失った物はもう二度と取り返す事はできない…それでも……」


 ――私達には進むべき道が残されていると思いますか?


 シェリーの言葉に強い意思が宿りつつあるのを俺は肌で感じる。

 

 進むべき道が残されているかって? あるに決まっている。それも無限大にだ。


 ただ、選ぶ道はくじ引きそのもの…アタリもあればハズレもある大博打。

 

 賭けるのは人生(ライフ)、分割も可能だが賭ける程度によって見返りも大きくなる。


「俺が出来るのは手助けだけだ。お前達の道を選べるのはお前と今後成長していくエレイシアのみにしか特権は与えられないが…」


 道は作るからこそ、道になる。


 可能性に線を引いたら人間失格になる。道を作るという行いはとても辛い事だ。投げ出したくなる時もあるだろう。こんな筈じゃないと後悔する時も来るだろう。

 

 けど、やらないよりはましだ。俺の師の好きな言葉にそんな言葉があったな…。


「出発はいつにするんだ? 数日後か、一週間か、それとも――」


「明日の朝でお願いします」


 やるじゃないか。思いきりは嫌いじゃない。

 

 これだからこそ、人生はおもしろい。人間は止められない。


「さぁ、とりあえず話は終わったから食事にするぞ」


「はい、もちろんです!」


 今までのやり取りが嘘のように奮い立った様子で俺とシェリーは微笑と笑顔を浮かべて研究室から出ていった。


 では用意をしていこう。最初にして最後となる最高の送迎会を!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ