第四十話
「いいですか? 何事も事前相談というのは大事なんですよ。そうすれば相手側にも余計な心労をかけないで済むようになります! 努力をしてください努力をっ!」
「……すみません」
私は一通り怒鳴り終わったら次にはアリス様を床に正座させて長々しい説教を始めていた。アリス様の頭には三段重ねのたんこぶが大きく腫れ上がっている。私が拳骨をくらわせた事による産物だ。
そんな私達の様子を見つめるのは子供達。何だかこの光景にどこかデジャウを感じるのは間違いではないと言っておきましょう。
「その、そろそろ許して欲しいかなー…なんてね」
「何言ってるんですか? それじゃあお仕置きにならないじゃないですか。懲りてなさそうに見えますので一つ追加します」
「やめてっ! これ以上増やされたら私死んじゃう!」
アリス様がプルプルと震える姿を見せるのとは対称に、私は台所から持って来た『漬け物石』を“ゴトンッ!”とアリス様の膝の上に乗せた。
これで計二個分の漬け物石の重さがアリス様の膝に負担として圧し掛かっている訳ですが、こういうお仕置きの選び方をするあたり、私はどうやら行動がどこかクリムさん式に染まりつつあった。
主に鬼畜度の濃い色合に…。えぇ、こういうノリでいかなければクリムさん且つその関係者のお相手は務まらない気はしますが、いささか今後が心配になりますね。
「それで、話って何ですか?」
「あぁ駄目! 今足の裏は突かないで! 電気が、電気が走るっ!」
私は黒い笑みを浮かべながらアリス様がここへと来る理由となった話を喋るように催促しているが、同時に正座で痺れ始めているアリス様の足の裏を棒でやや強く押して邪魔をしていた。
普段の私ならば絶対にやらない行動でしょうが、よほどフラストレーションが溜まっていたのでしょうね。
まぁ、アリス様の場合は自業自得ですし…偶にはいいと思います。
「ママ、何か怖いよぉ…」
「うわぁ、えげつない…」
「あうー」
子供達は私のそんな姿を一人は涙目、一匹は顔真っ青、もう一人はのほほんと見ていた。
どうやら、アリス様が私の許しを得る事になるには当分先になるようです。
◆◇◆◇
仄暗い湖の底へと深く沈む感覚。
今の俺を覆っている物を一言で表せばそう言える。
そんな闇の中をさ迷い続けていると光の泡がゆらゆらとこちらへ浮かんできた。それらを掬うように手の上へと浮かべてじっと見つめていると、何かが見えてくる。
泡の中には燃え盛る森の中を縦横無尽に逃げ惑う何者かの視界そのものが映し出されていた。
泡はまだまだある。一つ一つが違う光景を映しており、それらを俺は持ちうる全ての感覚で感じ取る。膨大な情報量が俺の中へと入り込み、これを更に分別して必要な部分だけを取り出していく。
一見簡単な事に聞こえるが、常人が行えば発狂する作業だ。
俺が調べている存在にはある一点に集中した属性を持っている。
――怨嗟だ。
記憶の主が己を苦しめ死に至らせた者達への激しい感情もまた俺へと襲いかかっていた。一人程度ならばある程度問題ないが、それが何十人もの記憶であればあるほど怨嗟の感情に晒される強さは比べ物にならない。
俺はこれ以上は限界だと悟った時点で術を解除し、意識を現実世界へと戻した。
瞑っていた目を開けると大勢の族長達が真剣な様子の顔で待ち構えていた。右手は石台の上に山盛りで乗せられた戦争の被害者となった者達の遺品の数々に触れている。
どれもこれも焼け焦げ、壊れていたり血が付いていたりと物騒な形状に変貌しているが、俺の魔導には物からその使い手の思念を読み取る術があり、こういった遺品はまさに打ってつけの代物なのだ。
「どうだ、何か分かったか?」
初めに声をかけてきたのはフンバッハ。
先ほどの温泉入浴時とは打って変わった真剣な表情を向けて俺に答えを求めた。
「人間側が森に火を付ける際、魔導具を使っていた姿が映った。あの形状と魔術構図は…」
俺はぶつぶつと呟きながらその場で計算を始めた。
答えは分かっている。だが、その答えを求めるための式を判明させなくてはならない。
細い木の棒が地面に擦れてガリガリと数字を刻んでいく。あまりの早さに木の棒が圧し折れてしまわないか心配になるくらいだ。やがて、地面いっぱいの式を簡略化した物に変えて判断材料までようやく精錬された所で俺は記憶の中から該当する魔導具の種類を叩き出した。
「ラヴァクリスタルを原動力にした火炎弾速射器に違いないな。大昔にラヴァクリスタルそのものを弾にして撃ち出す対城壁専用の魔導具があったからその応用として作られたのかもしれん」
俺は歴史学は専門外だが、国柄として作られた魔導具には一通り目を通していた時期があった。
懐かしいものだ。魔術師を志していた当時に知識吸収のため、忍び込んでいたとある学院の図書館で魔工学技士を志していたあいつとはよく語らっていたな。語らうとは言っても、殆んど無視していた俺にあいつが一方的に話しかけていたんだがな…。
――話を戻そうか。
今後、来るべき戦火にどう対応するかを決断するのはこの場にいる族長達の意思による。その対策としての判断材料として確実な手段から得た情報を提示するのがこの議会での俺の役割だ。
役割とは都合よく聞こえるが、種族でお頭の賢い下の者達がいる族長が秘密裏に俺と交渉して取り決めた物である。初めはめんどくさいし時間の無駄だから断る意思を表記しまくったんだが、断っても断っても催促してくるものだから二桁などとうに超えた数をこなした所で先に折れた俺があえて決めた役割でもあった。
「もしもこの樹海が潰れる事になった場合、逃走経路にはこことここの道を使った方が良い。人間と亜人の身体能力の違いを考え、魔物との戦いを考慮する人間側の装備の重さも入れて逃げ切れるだろう。」
俺はこの樹海に住む亜人達を直接助ける事は一切考えない。ただ少しの手助けをするだけだ。
――困難は自分の力で出来るだけ解決するようにしろ。これが出来なければお前に先を生きる力はない。
この樹海は弱肉強食。弱い者はすぐに息絶える。
人間と亜人――この樹海に等しく住む者であろうと相手は敵でしかない。郷に入れば郷に従えとは言うが、元から俺は対人関係は隠居生活以前でもシビアだったから特に変わった所はなかった。郷に従うと言うより俺の法に作り変えるがまるっきり正しい。
「あ、質問したいんだけどいいかな?」
「いいぞ、何が聞きたいんだ?」
この話し合いを暗黙の了解含めて順調に進めていく中、ふとケイロンが手を上げて俺に問いかけてくる。
「万が一、本当に万が一だけど…クリムの方に被害が出たらその被害を加えた相手にどう対応するつもりかい?」
「急いでその大馬鹿野郎から離れろ。巻き込まれても自己責任という事で俺は知らん」
一同は失笑していた。
「私の所では先の戦いで負傷した戦士達がいるのですが…」
「オーガの力を借りてケンタウルスの薬を運んで治療した方がいいな。出来るだけ早い方がいい。怪我人の搬送には樹海の道は使わないでおけ。絶対に入りこむからな」
「一度で二、三人程度の搬送ならミーの所で間に合わせられるね」
ギーラは西の森で人間と応戦した際に負傷した戦士達の処遇を俺にどう対応するか助言を求めてきたので、最適な手段を一例として提示しておいた。
議会は数時間にも及んだ。温泉入浴時のふざけた様子は誰も表に出さない。上に立つ者というのは何もまじめが取り得なだけが条件にはなり得ない。
選ばれた者としての責任。土壇場に発揮する勇気。自身を理解する余裕…。
頭が良いだけ、力が強いだけでは族長は務まりはしない。もし人選を間違えようならばその種族が滅びるのも致し方ない。だからこそ族長選びにはどの種族も真剣になって取り組んでいるのだ。
今期は大体の奴が遊び心満タンというのが俺としては余計だが…。
「さて、今回は以上だ。何か他に進言はあるか?」
この樹海全体の流れについてを検討して結論を出していった。もう十分と言えるくらいの総裁が済んだ訳だが、やり残しがあると困るのでここで再検を求めるかの賛否を聞いた。
しばらく沈黙が続くのを見るに、本当に何も無さそうなので議会は終了として解散になった。お互いが労いの言葉を掛けつつ帰るべき集落や里へと向かった。
「クリムー、もし良かったら噂の赤ん坊見に来るからね」
レムリアがそう言うのを俺は適当に是か非か良く分からない伝え方の手振りを送っておいた。ここ重要、会わせるとも言ってないし約束もしていない。いくらでも口実を合わせられるぜ。
奥深くへと消えていく族長達。
普段はちょっとした賑わいを見せるここ樹海の露天温泉。
誰も関係者以外は近寄らぬように言い渡されていたので他にこの場へ来るような者は現れることはない。ぽつんと俺だけがこの場に立ち尽くし、水音が“ちょろちょろ”と静かに聞こえてくる。
「…行ったか」
やがて、完全に自分以外の気配が消えた所で俺はローブを脱ぎ始めた。
何をするかって? 温泉に来たなら決まってるだろ。入るしかないじゃないか。
水の魔術で汚れを落とす行為で風呂なんかに入らずに済む方法を取ってはいるが、俺だって人間だ。偶には全身を湯に付けてみたい時もある。
靴を脱ぎ、下着も脱いでとようやく俺は全裸の状態になった。自慢ではないが地金としての役割を果たす筋肉は付けてあり、細身でありながら筋骨隆々のボディラインが目立つ。
だが、俺の身体はそんな平凡な特徴よりも目立つ特徴がある。
俺自身の膨大なエネルギー(魔力)を抑えつけるべく、身体の所々に刻まれた多種多様の血印だ。普通なら一か所や二か所ぐらいで済む用途の血印だが、俺の場合は十か所以上を優に超える。
子供が見たら逃げ出すくらいのレベルだろうな。何も知らない人間が見ればヤクザ者にしか見られない。どっちにしろ奇異の目で見られるか…。
「ふぅ……」
湯に含まれた魔素、気、その他もろもろが俺の肌を通して少しづつ吸収されていく。俺には湯の温もりは感じられないが、こういった方法で俗に言う心地よさならば感じることはできる。
家の方に作った浴場があるではないかと疑問に思う所があるかもしれないが、これにはちゃんとした理由がある。
湯の元はここだ。つまり魔素、気の質が高く新鮮な方ならば近い方が良いという事だ。俺だってちょっとした贅沢はしておきたい。
「さてと、とりあえず俺の家にふざけた事に認識妨害の術を掛けて入って来た『ドブネズミ』をどうしておくか」
実は、議会の合間で結界に微かな違和感を感じた。本当に微々たる物で、魔力の些細な揺らぎによる物かと気にしないでおこうと考えてはいたが、つい最近にカサンドラの襲来が起きた事もあってフル活動でこの違和感をこの場で遠隔で調べていた。
すると、まだ明らかな正体は掴めてはいないが…確かにいる。
俺の家に何者かが入っている。高度な認識妨害であるためか、姿形までもを詳しく調べる事はこの俺でさえ無理だった。精々そこに『いる』と認知できるのが限界だった。
ここまで出来る奴となれば識別する人数は少ない。消去法で探してはいるが、確信には至っていないので未だ考察中でいる。
「悪意はない。家の者に危害を加える素振りも見られない。完全にシロだな」
このままほっといても十分に問題ない。後でシェリーに誰が来たのかぐらい聞いておけば自ずと判明できるだろう。
俺はこのまま温泉に十分浸かる事を楽しむことに決めた。
だが、俺はここで初めて誤算を取った。
来訪者がこれまでと今後の生活を大きく覆す要因であった事を、この時の俺はまだ知る由も無かった。