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第三十六話

 花 粉 ほ ろ ぶ べ し !

 この頃、俺の身の回りで変わった事と言えば研究室につい最近、一つの椅子と机と黒板が導入されたという事くらいだ。手頃な木々を木材として魔導で加工し、螺子や釘といった金属類を扱わない組み立て式の大地にとってもクリーンな家具で固定の魔導もかけており、そこらの家具より何倍も頑丈な代物。


 なぜ新しく作ったと聞かれれば実験に使う器具や資料で動かしてはならない物も多くあるというのが一番の理由だろう。

 

 こうして作り上がったこれらは今やシェリー専用の学習机並びに黒板と化していた。


「――であるからにして、南の国の海域に生息するブルークラブは生涯に一度しか脱皮を行わない。脱皮をする前の柔らかいままの殻で天敵にさらされる確率は非常に多く、個体数が少ないのはこのためだ」


 俺はチョークで大事な事を黒板に書き記し、シェリーにマンツーマン体制で魔物生態の座学を受けさせていた。書いた物をただノートに映して覚えさせるだなんて真似は絶対にさせない。質疑応答の回数を絶えず上げて『自分で考える』大切さを身を以って刻み付ける。


「では、ブルークラブはどんな要因で殻を固くしていく?」


「海底の岩盤を食べるからでしょうか?」


「そうだ、ブルークラブは内側から殻を形成していき、固くなるたびに生活領域を深海に変えていく」


「だから身体が小さいんですね」


「その通り、最長でも十センチ以下までしか成長しない。これに比例して殻の固さは世界最固と称される物で大の大人が槌で全力で叩こうが傷一つ付かない」


「…食糧としては効率悪そうですね」


 食べ物じゃない。殻は武具の部品として重宝される高級品だ。

 

 人間の手では取ることは不可能。そのためにブルークラブはそれを餌にしている深海の上位種であるクラーケンの胃袋から稀に手に入れることができる。クラーケンは餌を取る為なら深海でも浅瀬でも関係なく泳いでいく水圧に適した軟体を持っているからな。

 

 食物連鎖を利用した人間の巧みな知恵とでも言うべきか。


 さて、これで十五種類めの魔物の生態に関しての講座になるだろう。普通なら集中力が切れる頃だが、シェリーは意外と頑張っている。未だに根を上げるような素振りは見られない。大したもんだ、ならば俺は敢えて学習のペースを上げてより多く知識を身につけさせる事にしようか。


「そろそろ時間だ。ここで一時休憩する」


「はぁーやっとですかぁ…」


 だが、『あいつら』のおかげでそうもいかない。


 陽が頂点に上り詰めるこの時間帯になれば揃いに揃って空腹を訴えてくるあいつらがこぞってやって来るからな。


「じゃあさっそく昼食の準備をしてきますから、出来上がったらクリムさんもちゃんと来てくださいね」


「あぁ、そうする」


 シェリーは自分の筆記用具を片づけるや、すぐさま袖をめくり上げて研究室から出ていった。もはや俺の家は食事をするという習慣が完全に出来上がってしまったらしい。かくいう俺もシェリーの料理の評価ついでで口にするようになったがな。

 

 ――前までは考えられなかった光景だ。この俺が食卓を囲むとは…。


 魔導を極め、研究以外に不必要な行動を切り離すために身体に施した術によって俺は空腹はおろか睡眠もとらずに済む身体となった。こんな身体へと変えた時、名残惜しい気がするのは何度かあったものの、やはり俺にとって研究は何よりも有意義な時間でこれに勝る物はなく、後悔に至ることはなかった。

 

 師と別れて以来、俺はずっと一人で暮らしてきた。孤独は時に人を殺すと持論として考えられたこともあったが、俺は死ぬ訳にはいかなかった。


 師との大切な約束があったからだ。


 普通の人間として人生を歩む筈だったら、俺は今頃は老いぼれか死体となってその約束を墓まで持っていく運命を辿っていただろう。


 だが、たった一つの裏切りが…。


 俺を不老という呪いを受ける代償を払う師との約束を意地にでも守り通さねばならぬ宿命へと誘った。


「…………」


 俺はふと手を胸に抑えた。心臓の鼓動が力強く脈動し、振動となって掌へと伝わる。今はもう存在しない傷が存在するはずの箇所を、だ。あの傷で俺は無念の死を迎えるべきだったのか。


 そんな事は誰にもわからない。

 

 生き物は死ぬ時には自然に死を迎えるものだ。だが人間だけが無理にでも生きながらえようと強欲になる。


 師は存在全てを利用され、くだらない愚者達の欲望のために本来この世にあってはならぬ物を作り上げてしまった。生命を否定し、冒涜するにも等しい代物を。

 

 それを作る事は師も望んだ訳ではない。だが、作らざるを得なかった。


「師よ、あなた立派でした。たとえ死に方として最低な選択をしたとしても…俺だけはあなたの弟子であった事を誇りたい」


 窓から差し込む日差しが異様に目に染みた気がした。


 こうして作られた『それ』が世にはこびる事なく、たった一つで済んだのも師が命を賭して止めた結果による物だ。今となってはそれの作り方は誰も知り得ることは不可能だ。

 

 いや、生きた教典となる存在ならば六十年経った今でも『ここに』存在しているか…。


「クリムさーん、出来ましたよー!」


 唐突なシェリーの呼び声に俺は思い出浸りを止めた。忘れたい事もあり、忘れたくない事もあるこの記憶。そんなジレンマを抱えると待ち構えるのは一種の苦痛だ。


 向き合っていくしかない。なんせ記憶は過去であり、過去は記録でしかないのだから。


 とにかくリビングへと向かおう。あまり待たせると子供衆が騒ぎだす羽目になりかねない。最後に使った道具を物体浮遊の魔導で一気に片付いていく光景を背に俺は研究室から出ていった。






「おそいぞークリム!」


「待った待った!」


「こらこら、悪ノリして煽るんじゃないよ。ボーとキキも静かに座ってて」


 リビングに入るや、妖精達の不満を向けた言葉がさっそく俺を迎えてくる。正確にはボーとキキで代表としてヤンはこの二匹を窘めていた。アリシアとエレイシアはジッと席に座ってシェリーの料理を待っていたが、その目にはまだかまだかという切望の眼差しがはっきりと映っている。


 妖精達の騒ぎを視界に入れつつも気にしないふりをして俺がテーブルの席に着くと同時、シェリーは最後のしめとしての料理を皿いっぱいによそってテーブルへと持ってきた。


「はい、今日はビアルのナポリタンですよ。ちょっと多めに作り過ぎちゃいましたかもしれませんが」


 ほぅ、ビアルか…あれは癖は強いがニンニクで炒めたりすれば中々の味が出ると聞いたことがあるな。


 ビアルはここでは代表的な家畜だ。毛は防寒に役立ち、一角は薬に使え、肉は庶民に馴染んだ食糧になる。味覚があった頃に口にした時は臭みが多すぎて食えた物じゃなかった記憶があるが、食糧庫に固定の魔導をかけて放り込んでから口にした事がなかったな。

 

 シェリーの目に適ったおかげで再び陽を見ることができたという訳か。

 

 調理され、芳醇な香りを漂わせるナポリタンはさっそくこの場の子供衆の目を釘付けにした。エレイシアに至っては涎を垂らしている始末。今からあの美食を口にできるかと思うとウキウキしているところ悪いが…。


「あ、エレイシアはこっちの方ね」


 離乳食として変貌したパスタならぬパスタ汁が代わりにエレイシアの前に出された。


 あぁがっかりするなよ、確かにガツガツとは口には出来なくなったが、味は変わらないんだからよ。


「ママ、はやくはやくぅ~!」


 アリシアの方は待ちきれないと言わんばかりに震えている。アルラウネとは言えど、植物のように土と水だけが食事という訳ではなく、人間のように普通に経口で栄養を取ることも可能だ。言っておくが野生のアルラウネは獲物の捕食の際はえぐい光景を見せることもあるんだぞ? ご自慢の蔦を得物にぶっ刺してそこから直接栄養となる水分を吸い取るという残虐極まりない行為を見せつけられた事もあった。


 今の所のアリシアならばそんな行動は思いつきはしまい。シェリーによる教育の賜物とでも言うのだろうか?


「それじゃあ、大地の恵みにより得られる日々の糧に感謝し――」


 シェリーの食事開始の合図が始まった所で一斉に子供衆は更に盛られたナポリタンへと群がった。


 アリシアは(つる)を器用に使ってナポリタンを器によそい、妖精達は小さな手で手掴みの形で口にしていく。シェリーは先にエレイシアの食事の方を専念して食べさせている。


 俺はそんな光景を垣間見つつ、フォークでパスタを絡めて静かに口にしていた。それぞれの特色が現れるような食事光景だが、これに文句を言う者は誰も現れない。さすがにこの場を乱す行為をしたなら俺かシェリーが戒めるんだが…。


「あーキキ! その肉僕が取ろうとしていたんだよ!」


「早い者勝ち!」


「なにおぅこのっ!」


「放して!」


 何やら妖精達が一悶着を起こし始めているが、これぐらいなら可愛い物だ。

 

 あえて見逃しておく。本人達も危険な真似まではしないよう自覚はしているしな。


「喧嘩駄目!」


「あー!?」


「肉がー!」


 だが、悪戯か、事態は悪化への連鎖反応をたどっていた事をこの時、俺は予想だにしなかった。

 

 ヤンとキキが肉片の引っ張り合いをしている中、その仲裁に入ったボーが二匹が持っていた肉片を思いっきり弾き飛ばしたのだ。喧嘩の元を断ち切ろうとしてゆえの判断なのかもしれないが、飛んだ先が悪かった。運悪く、アリシアに当たってしまったのだ。


「うにゃああぁぁぁっ!! 沁みりゅうぅぅぅっ!!」


 詳しく言えばアリシアの目に、だ。粘膜には刺激物の強いナポリタンのソース。そんな物が人体の外部で唯一肌に守られていない急所に入ったとなるとその痛みは想像を絶するだろう。

 

 アリシアは席から転げ落ち、目にかかったソースの痛みに耐えていた。


「だ、だいじょうぶアリシア!?」


 さすがにシェリーもこの状況は無視できなかったので急いで濡れタオルを持って来てアリシアの目を慎重に拭いてやった。涙目なアリシアの目を丁寧に拭いてやっているが、当の本人は憤りを表情に現していく。


「もう、何するのーっ!」


 シェリーが制止の声をかける暇も無く、アリシアは蔓を勢いよく伸ばして妖精達を引っぱたこうとするが、小さくすばしっこい妖精達には軽々と見切られて避けられてしまう

 

 これに悔しくてアリシアは再び横薙ぎに蔓を振ったが、これもまた避けられる。

 

 だが、これは避けてはならなかったのかもしれない。


 ペシッと小さくなおかつ鋭い破裂音のような音がこの場に響き渡った。その音源には右頬を赤く細い痕を残して腫らしたエレイシアの姿がそこにあった。何が起こったかは説明せずとも状況で分かるくらいだ。たちまちエレイシアは目尻に涙を溜めこんでいき――


「ふぇっ、ふぇっ……びえぇぇぇぇっ!」


 ――赤ん坊特有な盛大な泣き叫びは家中に響き渡った。

 

 その途端、テーブル、椅子、食器、棚、全てに至るまでかたかたと震え出した。震えは次第に大きくなっていき、もはや地震と変わりない規模にまで変化していった。

 

 エレイシアによる魔力の暴走だ。


 おいおい、前よりも大きくなってきてないか? こいつもまた成長してきているという訳か。さすが紅玉様々って事だな。色々と物が床へと落ちて壊れてきたりもしている。


 とりあえず、この惨劇を止めるには俺が出るしかないだろう。慌てて駆け寄ろうとするシェリーより一足先に俺はエレイシアを席から抱き上げて、目と目を見つめ合わせる。目から通じて魔力を流し込み、直接相手の脳を睡眠状態にさせる催眠の魔導を施し、強制的にエレイシアを眠らせる事にした。


「ふぁ…ふぇ……」


 大声からぐずり泣き、しだいに呼吸が整ってきた頃には俺の腕の中には静かな寝息を立てて眠りにつくエレイシアの姿があった。


「あの、すみませんクリムさん、手を煩わせてしまって…」


「気にするな、直接成長具合を測るのには良い尺度となった」


 シェリーにエレイシアを優しく手渡し、先ほどまで楽しげだった昼食の惨状を魔導で片づけつつ、じと目でこの状況に至る原因となった三匹と一人を見つめる。


「何か言う事は?」


「あの、えっと……」


 ヤンが代表してこういう場合言うべき言葉を言おうとしていた。他はその後ろでビクビクと怒られることを覚悟に震えた。


「…ごめんなさい」


「良く言えたな」


 俺は優しく笑顔を向け、


「だが許さん」


 にこやかにエレイシアを除いた子供衆に死刑宣告をした。その時の顔は俺として見物であったと言っておこう。


 その日、俺の家の上空では超速度で飛び回る影がいた。近寄ると何やら四つの異なった悲鳴が聞こえてきたとやら…。察しがつく者にはその正体が分かってくれる筈だ。

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