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第三十三話

 岩肌を露骨に覗かせる荒れ地を全速力で駆け抜ける影が一人。疾風が土煙を上げ、道中にて異変に顔を覗かせたワームが再び地面の中へと引っ込める。


「やばい、今度ばかりは本当にやばいっ!」


 今しがた、族長から特命を命じられてきたライザが焦りの表情を浮かべつつ、件の崖へと急いでいた。しくじれば明日は無いと言わんばかりのひっ迫がひしひしと伝わってくるかのようだ。


「クリムの野郎! せめて事前に里へとやって来ることくらいは伝えてくれっつーの!」


 この場にはいない相手に愚痴を零しつつ、風に毛を逆立てながらライザは速度を上げていく。


「それにバルドん所の馬鹿ガキ共もだ! あいつの本当に怖い所は殺意を向けた瞬間に始まるって事を知らない癖に突っ走りやがって!」


 バルドというのはライザも良く知る人物であり、人狼の戦士として先輩に当たる者だ。


 嘗て、ライザはバルドの女――今は妻――に手を出し欠けた汚点がある。汚点と入ってもお誘いをちゃんとした形だ。強姦まがいな後ろめたい事ではない。人狼の掟として強い男が女を選べるという物があるが、これに限らず自分の女に手を出そうとした事に怒り狂ったバルド。


 後にてライザはバルドと決闘をする事になったが、当時は実力が互角であったために決着は着くことはなかった。

 

 昔は素行の悪いライザではあったが、強さを持つ者には敬意を示す心意気がある。よって、バルドの女にだけは手を出すことは止めた。その後、バルドと彼女は結ばれて二人の子を授かった。兄弟そろって勝気な所が父親にそっくりでライザはそんなバルド一家の元へと遊びに行くことが何度かあった。


「父親の仇を取りたい気持ちはわかるが、それは自業自得でおまけに相手が悪いときた!」


 ライザとそんな付き合いがあるバルドは昔、樹海に移り住んできた頃のクリムに戦いを挑んだ人狼達の一人であった。

 

 戦いの結果は惨敗、惨たらしい敗北によりバルドやその他の戦士達は昔のような戦意を失い、牙の抜けた犬のように昂りを失っている。普通に生活するための狩りは行えるが、喧嘩事になると弱々しい態度を晒してしまうようになってしまったのだ。

 

 心がトラウマを生む寸前に闘争心を下げることで崩壊を防いだと言っていい。


 バルド――父――をこの様な目に合わせたクリムをバルドの子供達はさすがに怒った。何度かクリムの領域である赤霧の森へ向かおうとしたようだが、ライザのように突破するにはまだ未熟で叶う事は無かった

 

 そして、ついに復讐をする機会がこうして出回って来たと言っていい。

 

 相手(クリム)の本質を良く知らないままこうして出かけた後だったが…。


「頼むから俺のような馬鹿な真似だけは止してくれよな…」


 ライザも昔は力試しという甘い思考で無謀にもクリムに挑んだ大馬鹿者であった。

 

 それも相手側のタイミングが悪かった。やり直しが効かない重要な実験中に襲撃をかけたものだから長年の成果を一瞬にしておじゃんにされたクリムはそれはもう烈火の如く怒り狂ったものだ。他人に謝ることは屈辱として決して曲げなかったライザの誇りを棒きれのごとく、いとも簡単に圧し折り、土下座や謝罪を三桁以上と数えるのも億劫(おっくう)になる程して終わった頃には瀕死そのものな姿へと変貌させられた。


 人狼の中では強者として名を馳せたライザで『これ』だ。


 まだ満足に闘争の心を知らぬ子供が相手にするのはほとんど自殺行為に等しい。クリムは滅多なことでは本気で怒る事はないが、生意気言ったりむかつく事をやられると『焼き』を入れようとする。

 

 子供にやれば心が折れる可能性が高いのも含まれている。


「ちくしょおっ! どれもこれもクリムの野郎が悪いんだあぁぁぁっ!!」


 ライザは絶叫を上げつつ、更に速度を上げて駆け抜けていく。


 情報通達の役を任せられたのだって、ある意味族長がクリムと対談して勝手に決められた事だ。はっきり言って厄介事をどうにかするための『生贄』そのものだ。


 だが、一番に問題なのはこうして慣れてしまいつつある自分の慣性が恨めしかった。



◆◇◆◇



 どこからかライザの悲痛な思いが乗った絶叫が響いてきた気がするが、俺は無視してヘレネと順調に人狼の里へと向かっていた。

 

 崖を越え、森林を少し抜けていくと岩肌を覗かせる荒れ地が見えてくる。もうすぐそこだと暗に示している場所だ。


「痛いっ! 肌がっ! 肌がゴリゴリって削れる!」


 その一方、ヘレネの手に掴まれているラミアはおろし金をかける大根のように固い岩肌によって身体が傷つけられていた。

 

 ここまで来ると、ラミアに魔導を使うのはめんどくさくて魔力の無駄になるのでヘレネにお願いして運ぶのを代わってもらった。


「我慢しなさい。もうすぐ目的地に着きますからそれまで辛抱しなさい」


「お願いだよっ! あたし逃げないからさ! せめて普通に移動させてくれよ!」


「さっきまで私と殺し合った者が何を言いますか。あなたの言う通り、「強い者が弱い者をどうこうしようが知ったこと無い」ですか? その通りにしているだけですよ。文句を言う権利なんて今のあなたにはありません」


「頼むよおぉ…。ひぐっ、えぐっ…許してえぇぇぇ……」


 ヘレネによる精神への責め苦によってラミアはまるで幼い少女のように泣き出してしまった。本当に容赦ないところがカサンドラにそっくりだ。

 

 まぁ、俺も許す気なんてさらさら無いしな。それに、このラミアはある意味で人狼への手土産になる。西と北の森で起きた人間による大規模討伐の被害者でもあり、いつか来るかもしれぬ人間への襲撃に対する対策を立てるための重要な証人だ。ラミアをどう扱うか、最終的な配慮は人狼側の決定になるだろう。


 ラミアのすすり泣きを背に荒れ地を進み続けた。


「んっ?」


 ふと視界の先に何者かの影が映った。岩陰でちらっと微かに見えた程度だが、気を探るとはっきりと感じる二つの影。


「どうかしま――」


「…………」


 いきなり立ち止まった俺に尋ねるヘレネの口をゆっくり抑え、声を出さないようにと催促した。とりあえず俺は防音の術式を組み込んだ結界を張って俺達以外の周囲には何も聞こえないように処置を施す。

 

 これによってようやく再び口を開けることを許可。一瞬止まったが、向こう側は気付いて無さそうだ。


「お迎えがいるようだ」


「歓迎の意思が見られないですが、どういたしましょうか?」


「お前はそこで待っていろ。俺がきっちり逆にお持て成ししてくる」


 結界を解除する。この間、約五秒…。


 迷いなく、躊躇なく戦闘準備を終わらせる。

 

 料理の献立を立てるかのような手際良さで…。


 いくらか例の岩がある場所へと二人で歩き、ある程度近づいたところでヘレネだけが立ち止まった。逆に俺だけが岩の横を通り抜ける様に進んでいく。

 

 ここまで近づくと相手の息遣いまで聞こえてくる。緊張しているな、恐怖を感じているのが良く分かるくらいに乱れている。まだ戦闘経験が足りない証拠だ。さて、どう来る?


 俺は岩陰がうかがえる位置にまで歩を進めた。


 その瞬間、鋭い爪が揃った抜き手が俺の首を掻くべく伸ばされた。

 

 これを見計らった俺は首を引いて難なく避け、逆にその腕を掴み上げ、勢いに乗せて一気に捻り上げた。これにより、身体ごと岩陰から引きずり出された襲撃者の身体が地面へと倒れ込んだ。


「うわあっ!」


 背中を強く打ちつけてしばらく痛みに耐えるその姿に俺は一瞬目を見張った。

 

 確かに想像してた通り、正体は人狼。

 

 だが、『子供』とまでは分からなかった。思わず思考を止め、苦しそうにするその姿を見つめていると、上空から影が映るのに気付き、とっさに上を向いた。


「とりゃあぁぁぁっ!!」


 回転をかけた踵落としが眼前へと迫って来ていた。俺は上半身を反って避けると同時、反射的にサマーソルトを喰らわせてしまう。

 

 不意を突かれた。思わず魔力を少し込めて放ってしまった。


「ぐふぅっ!」


 くの字に身体を曲げながらもう一人の襲撃者は遠くへと吹き飛んでいく。しかもまたしても人狼の子供。

 

 どうなってるんだ? まさかあいつら…子供だったら俺が躊躇するとでも思ったのか?


 ――とんだ間違いだな。


 俺は知らず復帰していた一人目の人狼の子供――少年――の方へと向く。


「くそおぉぉぉっ!!」


 少年は拳を握って俺へと殴りかかってくる。素直な拳だ、それじゃあ俺には当たらない。何発か放ってくるが、どれもかすりもしない。


「このっ、このっ!」


 岩を背に避けた所、放った一発が岩に当たると粉砕する。


「気の扱いはまずまずだな」


 これが人狼の技術。

 

 気で拳や脚を強化した拳闘術によって肉を(ひしゃ)げ、骨を砕く必殺の一撃。

 

 魔力で強化するのとは違う。魔力で強化した一撃はいわば鉄塊の殴りつけ。

 

 気での強化はこれを更に上をいく。破壊に特化した技術――特に人体の――だ。攻撃に乗せて相手の身体の中へと残す事により、内側から気の流れを乱して破壊するのを可能とする。


 俺も使う事があるが、さすがに威力が高すぎるのでこの頃は使っていない。何より返り血が激しすぎて手間がかかる事が何度かあったので魔力を使った強化の方が効率が良いと判断した。


「だあぁぁぁっ!!」


 ――しつこい、そろそろ飽きたな…。


 俺は少年の大振りな一撃を避けると同時に無防備な腹へとひざ蹴りをお見舞いした。


「がふっ!」


 腹の痛みに膝をついて少年は崩れ落ちた。


 では、本質に取り掛かるとしよう。こいつらは普通なら当たれば死は免れない一撃を何度も放ってきた。

 

 当然、『殺意』があったという訳だ。


 何を理由にこんな真似をしたかは知らないが、俺に攻撃するという意味を子供といえど知らぬ訳ではないだろう。なぜならこの二人は戦闘中、傍にいたヘレネ達には目もくれずに俺だけを狙って攻撃をする意識を持っていた。


 つまり、俺の事を良く知っていた。


「げほっ…ち、ちくしょう……」


 少年は悔しそうな表情で四つん這いになりながら俺を見上げた。


(恨みか…こんな子供からも向けられるとは……)


 だが、それでいい。背負ってやろう。それでお前達の自我を保てるというのなら…。


「ストオォォォップ!! ちょっと待ってくれえぇぇぇっ!!」


 突如として激しい叫びがこの場に響き渡った。その声には俺も聞き覚えがあった。しだいに近づいて来る気配は瞬時に子供の盾になるように俺の前へと到着した。


「…ライザか」


「もう止めてくれ! 充分だろ!」


「充分…か」


 そうは言っても、(やっこ)さんはまだ目をぎらぎらとさせて俺を睨みつけているんだが…。こういう鬱憤などは全て出してやるのが一番だと俺には感じる。


「安心しろ、殺しはしない」


「いやいやいや! お前の言葉が一番安心できないのは周知の上だろ!?」


 俺を引き止めるライザに少し強めの肘打ちを胸に喰らわせて、強引に続きを再開させる。手招きして地面に倒れている少年を挑発した。


「来い坊主共、遊んでやる」


「うがあぁぁぁっ!!」


 咆哮を上げて飛びかかって来る。爪を立てた両手で俺を引き裂こうとしているのに違いないが、やはり甘い。


 俺はここで初めて気を使用する。


 掌に集束し、ある特有の形にして指先に集めると一気に少年の顎元へと殴りつけた。


 『しっぺ』で……。


「かぺっ!?」


 少量の気が少年の顎元を伝って骨を震わせ、脳をシェイク。これにより、少年は激しい脳震盪に襲われ、たちまち意識喪失(ブラックアウト)


「もっと強くなってから来い。いつでも待ってるぞ」


 まぁ、聞こえていないだろうが…。

 

「死んでない…よな?」


「お前なぁ、俺が物事構わずぶちのめす野郎だと思ってたのか?」


「いや、その…なぁ……」


 おい、肯定したそうな顔をするな。そこまで暴力的か俺は…とは言っても、心当たりが色々とあるのが何かと悲しい気がする。


「終わりましたか?」


 そこへ、ヘレネが近づいて来た。待たせてすまなかったな。


「ふぅ、とりあえず気絶したガキ共を運ばなきゃな。そこのあんたも手伝って――」


 そう言いながらライザが振り返ると、たちまち硬直した。


「あれ、どうかしましたか?」


 ライザの様子にヘレネは尋ねてみるが、何も返事は帰ってこない。それどころかライザの身体がどんどん震えていた。


「カカカカサカササササンンンンドドドドドラアアアアァァァァっ!!!!!」


 どうやらヘレネをカサンドラと間違えているようだ。本当に顔だけは似ているからな。この母娘は…。

 

 それに、ライザはカサンドラが大の苦手だ。昔、ライザの男としての心をバラバラに砕いたあの言葉が今だ消えないそうだ。


「はぁ…」


 まぁ、いい事あるさヘレネ。いつかきっと…。

 

 さて、少し時間を喰ったが改めて里へと向かうとしようか。

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