第三十二話
「そういえば北の国は今回の東と西の戦争をどう捉えているか知っているか?」
「今のところ、傍観でしょうね…。軍需の傾き、傾向を見計らって勝算のある方に援助を持ちこむつもりです。北は商売を起こす事が売りな国でもありますからね」
樹海の獣道を通って深く進み続ける俺は人間勢力に関しての情報をヘレネ伝手で整理しながらまとめていく。別段、国同士の戦争には興味はないが、その戦火を自分の領域にまで飛び火させる訳にはいかないので渋々やるしかない。
ただ、この面倒くさい『野暮用』を済ませる羽目になったのは今だヘレネの手によって尻尾を掴まれながら引きずられているラミアのせいには違いない。
「大分静かになったが生きてるよな?」
「引きずる度にきぃきぃとやかましかったので弱毒化させた神経系毒を数滴流し込みました。生きてはいますよ」
ヘレネの蜘蛛糸でぐるぐる巻きにされ、もはや一種の袋にしか見えなくなった白い繭は重い音を響かせながら地面を擦っていく。言わずがな、中身はラミア。ヘレネの毒によって呼吸をするだけの物言わぬ石像となっていた。
実際は多少の痺れでピクピクと弱電流を流されているように痙攣しているが、例えに変わりはない。
俺達が向かっているのはライザの住処でもある人狼の里。樹海の関係を調停する楔の役割をするのが彼らだ。
ミノタウルスは猪突猛進な性格に難あり。
ケンタウルスは獰猛にして粗野とこれまた性格に難あり。
比較的落ち着きのある人狼が年に何度かある樹海内での議会を取り締まる事もある。それでも、プライドが高くて戦闘狂なところがあるが、これらを纏めるのが人狼の族長。統率力はあるのは確認済みだ。
「クリム殿、言っておくのもなんですが…くれぐれも今回ばかりは人狼を挑発するような真似だけはお止しになってください」
「そうは言ってもなぁ…あいつら、『嘗められたら負け』な所あるから弱気見せると一気に喰ってかかってくるぞ?」
「それでもです。昔、あなたは人狼の中でも歴戦の戦士達を一気に叩き潰してしまったのですから、プライドを傷つけられた当人達にはクリム殿は目の上のたんこぶそのものですよ」
「樹海の実権を取られたと勘違いしてるんだよあいつらは。俺は単にあの場所に居を構えただけってのに…どうして人狼は血走りやすいやつが多いのやら」
初見の頃、勝手に縄張りに入ったのは悪かったと言っていいが、外敵排除の行為から勝手に「我々の誇りを傷つけた責任はどうしてくれる!」と俺に負けた事をこうも長く根に持たれるのはさすがの俺でもイラつくぞ。
偶に参加する樹海の議会でも俺は単に意見役として出席しているだけで樹海の力関係に口出ししている訳でもないってのに…。
(まぁ、家の近くで騒がれて実験の邪魔をされた時はそりゃあ制裁した時はあるけどよ)
族長達は理解を示してはくれてるが、その下が騒がしいのなんの…。
ここのところ、ちょっかいを出されない以上は俺も何もする気は起こしていないが、こちらから赴くとなると…絶対に荒れるな。
「よいしょっと、ここを越えれば近道になるんだが…行けるか?」
「ならばこの荷物をどうしましょうか?」
「俺に任せておけ。物体浮遊の魔導を使えば問題ないだろう」
樹林を抜けた先に出たのは荒い岩肌を晒す俺達の目の前にそびえたつ崖。普通に見れば行き止まりかと思われるが、知る人ぞ知るこの場所は人狼の里への近道となる。普通では通ろうとは考えない絶壁だ。
そう、普通ならばだ。
「久しぶりにやるか?」
「いいですね。今回は勝ち星を挙げてみせましょう」
拘束されたラミアは俺の後ろで浮かばせてヘレネ同様、スタートダッシュのポーズを取る。俺は魔力を集中させてこれからする事の負荷に耐えきれるように強化の魔導を両足にかけ、いつでもブーストの用意を備えておく。
「では、始め!」
ヘレネのその言葉に俺は力を解放した。爆発的な脚力から生み出される速度は瞬く間に大分離れていた筈の崖に足を付け、崖走りへと移行させる。このまま垂直に駆け上がることはしない。崖の取っ掛かりを瞬時に見抜いて足を付け、飛び跳ねていく。腕を使わない登り方としては効率のよい方法だが、高度な技術が必要だ。
俺達の崖に加える衝撃が強すぎるためか、一部が崖崩れを起こして下へと落ちていく。
「もらいました!」
ヘレネが一足早く崖を登ろうと前へ出ると、俺が足をかける筈だった取っ掛かりを力強く踏み込んで利用するや、そこを使えなくするという工作を仕掛けてきた。
――おいこら! 姑息な真似をするんじゃない!
俺は別ルートを使って崖登りを再開するが、先ほどのロスでヘレネに一歩リードを許してしまう。だが甘い、そんなことで俺に勝てるとでも思っているのか?
「ぬんっ!」
狡賢い小娘にはお仕置きが必要だな。俺は更に魔力を込めた足で一点集中の震脚を崖に踏み付ける。すると、所々の崖崩れだった崩壊がレベルアップをして激しい亀裂が全体に走っていく。これにはヘレネも驚きを隠せず、取っ掛かりの一つに足をかけてその場に止まって安定を図っていた。
その隙を見通して俺はその横を通り過ぎていく。
「あぁ、卑怯なっ!」
「その言葉、そっくりと返しとくぞ」
俺の得意気な顔を悔しそうに見たヘレネが少し遅れて後から俺の後ろを追いかけてくる。競争はまだ続く、その前に障害物が俺達を崖から落とそうと所構わず降り注いできている。正体は崖の岩壁の一部だ。大小かまわず岩石が降り注ぐ中を俺達は掻い潜っていく。偶に弾き落としたりもな。
「ふぼっ! ごっ! ぶばぁっ!」
ただ、その弾き落とすために使っているのが物体浮遊の魔導で連れてきているラミア。太い尻尾の先を片手で掴み、バットのように扱って岩石を弾き落とすのだが、繭の中から苦しそうな呻き声が響いているのは今の俺には気にする事ではない。
それだけ集中していた訳だ。まぁ、ラミアの身体は意外と丈夫だから岩石がぶつかったぐらいじゃ死にはしないだろう。
いかなる障害があろうと、今の俺達を止められる物は存在しない。やがて、この競争は終わりに近づいていた。足をかけた場所から崩れていく光景を置き去りにして俺達は崖の頂上を目指していく。終盤に近付いたのならここからは小細工は無しで真っ直ぐゴールへ一直線だ。ラストスパートとして魔力のブーストを限界に上げる。
身体の内側が軋む。強化の魔導が追い付かない。これ以上は身体に支障をきたしかねない領域になってしまう。
「ぐっ……」
「どうした! もう限界か?」
「まだまだです!」
無論、ヘレネも影響が無い訳ではない。アルケニーの筋力と体力を以てしてもこの動きは辛いだろうな。だが心配ない。大事に至る前に決着はつく。
そして、ついに頂上へと足を着く者が現れた。
「ふぅ、柄にもないくらいにはしゃいでしまったが…勝ちは勝ちだ」
「はぁっ、はぁっ、ざ、残念です。今回で十五戦中六勝八敗一引き分けとなります」
「少し早さが落ちたんじゃないか?」
「そうかもしれません。この頃仕立屋としての仕事ばかりしてましたから」
コンマの差で俺の勝利。ヘレネも早いが、俺も早くなるため鍛錬は怠っていない。
技は進化し続ける。魔力の扱いを重点的に鍛え続ければこんな事まで可能にする。
俺達はしばらく歩くと、後ろから亀裂の音が耳に入ってくるが、そのまま前へと進む。崖が崩れているようだが、巻き込まれなければほっといておいても問題は無い。
「…絶対怒るでしょうね。人狼達」
「帰る時、元に戻しておくと言っておけばいい」
「それで納得してくださればいいのですが…」
一応、人狼の領域の境目でもあった崖を『御遊び』で壊したという負い目を負ったというにも拘らず、俺は平気な顔をしてそう答えた。
「うぅ、いっその事ここで死なせてくれよぅ…もう悪さなんてしないからさぁ……」
そんな俺達の後ろでは、何度も岩石をぶつけられたおかげで繭の一部が剥がれ、そこからめそめそと泣き続けるラミアの泣き顔が覗いていた。だが、そんな悲痛なラミアの願いは叶う筈もなく、そのまま俺とヘレネによって引きずられていくのであった。
◆◇◆◇
「ほっほっほ…相変わらず破天荒な行動をする人間じゃ」
「族長! 毎度あのような暴挙をなさる輩を我が里に招く真似などおよしくだされ!」
「そうです! いつこの里が壊されるか心配で食事も喉が通らない私の気持ちがお分かりですか!」
クリム達がいる崖より少し遠い土地。
その場所には遥か太古、何者かが作った古代遺跡が眠っていた。長年の時を経て、独自の文化を気付き上げた先住民。その先祖が何者かは誰にも知られてはいない。
そんな恰好の土地を領域として手に入れ、年代を重ねていったのが人狼。彼らは遺跡を独自に改造して住処として使っている。小さな橋をかけ、足場を作ったりと人狼にとって住みやすい土地になり変わっており、もはや元の遺跡の姿がどうであったかは忘却の彼方だろう。
だが、これに吊り合うほどに人狼の文化は清楚的な雰囲気の物が多い。確かにこの遺跡にとっては人狼は支配者ではあったが、暴君ではなかった。土地には敬意を示して日々の糧に祈りを捧げているくらいだ。
亜人の中には自然の調律者とされる精霊を崇める者も多い。実在するかも分からない神に祈るより、存在が認められ且つ自分達に形ある恵みを授けてくれる者に感謝を示すのだ。
人狼もそんな一種である。戦闘種族とは言っても、弱者は悪戯に傷つけてはならないといった厳しい掟も持っている。
「そう慌てるでない。あの人間は我々にとって害となる行動は一切せんよ。たとえ害を及ぼしたとしても、責任を取る義理固い所も携えておる」
「ですが、いき過ぎてます! 嘗て里の若者達を心身共々ボロボロになされたあの所業をお忘れですか!」
「あの事はのぉ…はっきり言うと、勝手にわしの忠告を無視した彼らも悪い気がするんじゃが……」
族長は頭を悩ませて、この場にいる部下達に効果的な説得法を生み出そうとするが、中々思い浮かばない。
「とにかく、今度は何用で参られたかうかがわぬ訳にはいかん。早急に話し合いの場の用意を整えなさい」
「族長!」
頭の痛くなるような騒音のごとき論争が飛び交う建物の中を出て族長は外へと出て行った。一息ついて少し休もうかと考えていた所、向こうから里の者が慌ててやってくる。族長の傍へと近づくや、急いで己の話すべきことを口にしていった。
「族長、大変です! バルドの所の息子達がいません!」
「何、それは本当か!?」
族長はまさかと考えつつ、願わくば最悪な結末を迎えないように早めに対処することを急ぐ。
子供だからで済むような相手ではないのだ。あの魔導士は…。世の中には絶対に手を出すべきでない者が存在すると理解しておかなければこの樹海では生きていけない。
「まったくどうしてわしらの種族は無茶をしたがる輩が多いんじゃか…」
人狼という種族としての抗えない血のせいによるものか。とにかく、向こう側からの要件を聞いて火種は早めに消す方に限る。こちらとしても事を構えるつもりはないと意思表明をしておかなくてはならない。
あの魔導士は容赦がないと同時に多少戯れる行動も起こすから色々と厄介なのだ。
――触らぬ神に祟り無し。
「ライザを呼べ! あの人間を一時的に止められるのはあの女垂らしだけしかおらん!」
族長はクリムにとってもなじみ深いライザの名前を連呼する。情報屋にして厄介事の押し付け専門という訳だ。本人としては首を横に振りたい事実で真に遺憾であろうが…。