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第三十一話

 樹海――。


 それは別名深淵の森と言われる原始樹林が多く立ち並ぶ緑の支配地。

 

 ここに来る者は何者であろうと拒まず、恵みの恩恵に授かることもあれば、逆に樹林の養分とされることもある無垢なる生命の群生地。


 普段は清涼と静寂に覆われたこの地に激しい騒動の種となる影が二つ。


「この、しつこいねぇ!」


「えぇ、速さには自信がありますから」


 ラミアは蛇行して樹林の間をかいくぐりつつ追ってくるヘレネから距離を離そうとするも、六本の脚によって爆発的な速度を生み出すヘレネを引き離す事ができない。それどころか「この程度ですか?」と言わんばかりに横でぴったり並んでラミアを追いかけるヘレネは余裕の笑みだ。


「ふんっ!」


 しなやかな蛇の尻尾を利用した方向転換と同時の尻尾による叩きつけが横振りでヘレネの目の前に迫った。


「甘いです!」


 これを瞬時に糸を張り、衝撃を吸収させる蜘蛛の巣で受けた。この時、蜘蛛の巣はラミアの尻尾に粘着質を帯びた状態でひっ付き、身動きを封じる働きを成そうとする。だが、ラミアはこれを強引に引きちぎり、隙を見せたヘレネへと握りしめた拳で力強いパンチをお見舞いした。


「ふんっ!」


 交差した二本の脚で真正面からパンチを受けたヘレネは少々苦痛に顔を歪めつつ、身体を捻って力のベクトルを逸らすと、鋭爪を振り下ろす。爪による攻撃でラミアの身体に赤い筋が刻まれるかと思われたが、岩を引っ掻くような硬い音が響き渡り、ラミアの肌が少し傷つくのみ。


「無駄だよ、そんな腰の入っていない攻撃じゃあたしの鱗は斬り裂けやしないさ!」


 柔らかそうに見えた肉の身体は激しい環境に順応するべく特殊な鱗で覆われている。ラミアの特性の一つだ。その硬さは鎖帷子に匹敵する。


 ヘレネの攻撃を身体で難なく受けきったラミアは瞬時に瞳に力を込めると、その(まなこ)から妖しく光る視線を送り出した。


「魔眼っ!?」


 視線を逸らし、決して目を見ないようにヘレネは抵抗した。


 魔眼――。


 魔に属する者に与えられる肉体の一部――眼球――が能力を形として発現された物。能力を本来は外界からの情報を視覚化する眼球が逆に外界へと働きかける事を可能とする。能力の種類は持つ者によって違っており、強力な物から無害な程度の物もある。


 ラミアはそんな魔眼保持者を多く輩出している種族だ。ラミアと戦う際は決して目を合わせるなと人間側にも言われているくらいである。


「ははっ! 余所見をすればいいって物じゃないんだよ!」


「しまっ――!」


 視線をラミアから外してしまったヘレネは懐に入り込まれ、ラミアの鋭い牙で肩元を喰いつかれる。それに加えて尻尾をヘレネの身体中に巻き付けられ、手加減無しに締めつけられた。肉が(ひしゃ)げ、骨が歪もうとする嫌らしい音が辺り一面に響き渡っていく。


「ほらほら! どうしたんだい? 大口叩いた割には大したことないねぇ?」


「ぐっ…ぎっ……!!」


 ヘレネの顔が苦痛に歪んでいく。万力で挟まれているくらいの力は屈強なアルケニーの身体さえ破壊を可能とする。

 

 出し惜しみは良くないな、ヘレネ…。


 今やっているのは殺し合いだぞ? 洋服仕立屋としての生活が長かったせいで野生感覚が鈍くなったのか。あれではまだ五割も力を出してない。おそらく本人も気づいて無さそうだ。

 

 …とは言っても、心配はいらない。ヘレネは血を見ることで本番の始まりになる。


 アルケニーの大好物は動物の血液。実際、ヘレネ達は家畜の血を少し貰って日々の生活の糧の一部にもしている。だが、飽くまでそれは食事。興奮状態に導くための触媒となる体感とは別物。


「がっ…この……!」


 魔物が凶暴性を解放するにはこの手に限る。

 

 手の爪を自由に伸び縮みさせる事が可能なアルケニー。


 ヘレネはラミアの顔に狙いを定めて突きをお見舞いした。


「ぎゃあっ!」


 ヘレネの爪は見事にラミアの右目を縦に裂き、痛みで力が緩んだ所を強引に六本の脚で押し退けて拘束を振りほどいたヘレネは飛び上がってそこら中に糸を吐き散らし、即席の足場である蜘蛛の巣を作り上げて苦痛で悶えるラミアを見下ろした。顔を抑えて出血をラミアは抑えているが、血はポタポタと地面に滴り落ちていく。


「…やってくれるじゃないか」


「どういたしまして」


 ラミアの顔から笑みが消える。戯れの心を取り去り、捕食者としての表の顔が表れたようだ。ヘレネはそんなラミアの顔を不敵に笑って見下ろしている。


 右目を取ったことでヘレネは優位に立ったと思われたがそうはいかない。しだいにラミアの出血が収まり始め、それどころか血が吸い込まれるように手で押さえている右目の中へと入っていく。最後には手を取り払うと、そこには元通りの眼球が眼窩に収まっていた。


「あなたも治癒能力をお持ちでしたか」


「蛇は再生の象徴だからね。あんた達アルケニーのようなチンケな再生能力とは大違いさ」


「おや、偏見は誤解と驕りを生む要因になりますよ?」


「一々と言ってくれるねぇっ!」


 ラミアは背筋を曲げ、尻尾を上空高くに海老反りの形を取ってそこから遠心力を使った振り回しを仕掛けた。狙いはヘレネを直接にではなく、ヘレネの蜘蛛の巣の支点となる周りの木々。木の枝を圧し折るかのごとく、簡単に薙ぎ倒した。


 崩れていく蜘蛛の巣から脱出すると同時、ヘレネは爪を立てて身体をコマの様に縦回転しながらラミアへと突進していくが、蛇行で巧みに回避して距離を取っていく。そのまま木々の一つに身体を捲きつけながら這い上がり、今度は逆にラミアがヘレネを見下ろす形になった。


「あんた強いねぇっ! あたしの住んでた森じゃああたしに敵うやつなんて滅多に現れなかったもんだ!」


「幼稚な強がりですね。その森を人間に追われたのは果たして誰でしょうか?」


「――っ!!」


 ヘレネのその言葉にラミアの顔が憤怒に染まる。よっぽど触れられたくなかった部分だったようだ。


「嘗めるなああぁぁぁっ!!」 


 ラミアは身体のばねを思いっきり使ってその巨体に重力を加えた圧し掛かりをヘレネへと仕掛けた。


 これを間一髪飛び上がって避けたヘレネ。ラミアの与えた衝撃は大地にちょっとした地震を発生させた。


「そうさ! 人間は汚い生き物だよ。あいつらは静かに過ごしていたあたし達の住処である洞穴に火の魔術で蒸し焼きにしようと一言もなく喰らわせてきたさ!」


 銀色に輝く魔眼の視線が再びヘレネを襲った。これを防ぐと同時に攻勢としてヘレネはラミアがなぎ倒した木々の一つの幹に爪を突き刺し、このまま力任せに放り投げる。


 眼前に投げつけられた木をラミアは両手で受け止め、逆に投げ返してきた。大きな巨木が物凄いスピードでラミアとヘレネの間で行き来していく。


「仲間が多く死んだ! あたし達ラミアだけじゃない! 多くの種族達が西の森で散った!」


「それはお気の毒です」


「お気の毒だって!? あんたのような人間に媚びているやつに何が分かる!」


「媚びて…その言葉、聞き捨てなりませんね」


「はんっ、どうだかね!?」


 木の投げ合いの往来はヘレネの爪による細切れによって終止符を打った。


「そもそも、あなたは何か勘違いなさっているようですね。私達、魔物はいかに取り繕うが、人間に好意を持とうが、結局は彼らにとって駆逐されなくてはならない身。その逆、魔物にとって人間もまた同じような認識です」


「じゃあ、あんたにとってあの人間は何だって言うんだい!」


「恩人であることは変わりありません。それゆえ、私は与えられた物を返さねばならない身。そうであるべきだと考えております。私は魔物です。それも理性ある上位種です。いくら相手が人間であろうと、これに報いねばそれ以下の畜生だと自分で認めてしまう事になります」


 魔物としての矜持、それを履き違えてはならない。

 

 理性を持つからこそ…。


 それに見合う振舞いを持つからこそ…。


 彼らは人間と関係を持つ。

 

 襲う事なら誰にでも出来る。けど、それ以外のことも出来ると証明する者としてあることがアルケニーという魔物としてのヘレネの矜持。


「魔物だからという安易な理由だけで人間に敵意を持つなど愚劣です。あなたの先ほどの理論だって自分を持たぬ矛盾の渦に存在する軽い代物です。だからこそ、あなたに聞きましょう」


 ――あなたは一体この世にとって何なのですか?


『お前は色の無い偶像そのものに等しい』

 

 これを指摘されたラミアはいつの間にか動きを止めてしまった。


「あなたの人間に対する敵意は魔物としての本性ですか? それとも、あなた自身の思いからですか?」


「う…ぐぅっ……」


 ヘレネの無表情な八つの眼が妖しく光る。ラミアはこの雰囲気に若干呑まれつつあった。


 さすがカサンドラの娘だけある。相手の心を突く精神攻撃の仕方がそっくりだ。今頃ラミアも自分の中の決断や理念が揺らぎに揺らぎ始めているに違いない。


 それにしても、ヘレネのヤツめ。結局本気を出さなかったな。あいつにはアルケニーに特有な毒を使う事が出来るというのに、敢えて毒腺を解放せずに攻撃を喰らわせていたからな。本当ならラミアがヘレネに最初捲きついた時点で終わっていた。

 

 人間と関係を持つ以上、出来るだけ血の匂いを振りまくような要因を起こしたくないんだろう。本当、こういう所はカサンドラに見習ってほしいくらいだ。逆に良くカサンドラに似ないで良かったと考える。カサンドラなら問答無用で向かってくる相手ならば余計に殺すつもりで仕掛けるからな。


「くそっ、くそっ、くそおぉぉぉっ!!」


「言葉が無くなれば、力づくですか。ならば話す事は何も無さそうですね」


 ラミアは叫びながら形振り構わず突進で向かってくるものの、感情を爆発させたラミアは冷静さを失った状態。掴みかかろうとするラミアを三角飛びで素早く後ろを取り、ヘレネは体重を乗せて逆に掴みかかり、地面へと沈めた。


「がっ……!?」


「これで終わりです」


 そして、ヘレネは地面へと若干顔が埋もれたラミアの髪を掴み上げ、脚の一本をその首に添える。鎌状の鋭爪が皮一枚を切り、少量の血がラミアの首から首筋に沿って垂れていく。


 いつでも首を落とせるというヘレネからの意思表明という訳だ。


「まだ、やりますか?」


「ぐうぅぅぅっ!!」


 終わった。受け手に回っていたせいでダメージはヘレネが多いが、最終的な決め手を取ったので詰みだ。少々抵抗しているようだが、後ろを取られるというのは圧倒的不利だ。ラミアはもっぱらヘレネの乗り物と化していた。


「わかりましたか? 強者と弱者の関係なんて、こうして脆く変化しやすい物なんです。信義にするには安い倫理だと思いませんか?」


 ラミアは何も喋らず、悔しそうにその場で蹲るだけ。このままどうするかとヘレネは次の一手を考えていた。この樹海の族長達に突き出すのもいいかと考え、糸でラミアの身体を拘束し出す。


 白い糸がラミアの身体を繭のように包み込み、身動きできない状態へとすぐに変わった。


「もがっ! もががっ! ふがっ!」


「静かにしてなさい。持ちにくいじゃないですか」


 最低限に呼吸できるよう鼻だけを空けて口元も塞いだラミアが苦しげにもがくが、ヘレネはこれを腹部分に力強くパンチして黙らせた。痛みで悶え、ピンと張りつめた硬直をした後、ラミアは動かなくなった。


「やれやれ、とんだ寄り道をせねばならなくなりましたね…」


 ヘレネはため息をつきながら拘束したラミアを尻尾の先から持って俺の元に戻って来た。


「とりあえず悪いようにはしません。ですが、あなたの態度次第でこれから行く所は命運を決める物だと覚悟しておいてください」


 ラミアは顔を真っ青にし始め、再びもがくが、今度はヘレネが尻尾を鞭のようにしならせてラミアの身体を地面に叩きつける事によって再度黙らせた。


「はぁ…余計に仕事が増えてしまいました」


「別に帰ってもいいんだが?」


「いえ、きっちりと後腐れなく済ませます」


 ヘレネとしては、自分の母の事がある都合、自分の正体を知る他の魔物や亜人には良い目を持たれない身だ。このまま放っておいてもいいが、問題事に発展させると俺に迷惑をかける事もあるので正直、嫌々のまま後始末をする気であった。

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