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第二十九話

 目が覚めた私の目に入った光景はエレイシアを抱きつつ、椅子に座って自分を見つめるクリムさんの姿。

 

 この頃、睡眠時間が取れてなかったからか、気絶から行われた睡眠は私の気だるさを幾分か取り除いてくれた。


 起き上がって意識がまだ寝ぼけているところ、「ちょっと来い」とクリムさんから言われると同時にエレイシアを手渡され、言われるがままに後をついていく。道中に自分が何故気絶したのか、カサンドラかと思われた人物が何者なのかの説明を丁寧に受け、これから改めて顔合わせを行う事になった。


 まさか娘さんだとは思わなかった。思い出しても衝撃的なアルケニーではありましたが…ふと考えた。娘となるなら男女の縁があったという事。カサンドラがどういう経緯で契りを交わしたのかを知りたくなった。

 

 魔物の勉強でそれなりに知識を身に付けた私にはアルケニーの繁殖方法に関して知っていた。調べたところでは正体を隠して一夜限りの関係を結ぶか、人里から攫ってきて強引に関係を結ぶかの二択らしい。


 カサンドラは絶対に後者だと予想できるのはあの性格である限り必然だろう。


「カサンドラの相手か? あいつ、なんでも南の国を放浪してた際に飛び降り自殺しようとしてた男に会ったらしく、「どうせ死ぬなら最後にお姉さんといい事してみない?」な軽いノリで誘って男の方は結果的につられてヤッたらしい。けど、絞りに絞り取られて『腹上死』で逝ったそうだ」


 聞かなければよかったです。


(何ですか、その天国と地獄を表したかのようなロマンスの欠片もないような出会いと蜜月は?) 


 真実をいざと聞いてみると、その娘さんがとてつもなく気の毒に思えてきた。おまけに最低でも三人もいるそうです。本当はあと何人かいるらしいんですが、ほとんどが魔物として生活しているから連絡はその三人さえも取れていない。


「ちなみに、娘さん達はそのことは知っているんでしょうか?」


「…むしろ自慢話として何度か子供時代で聞いてきたと言っている」


 あの…母親としてどうなんですか、カサンドラさん。

 

 自分もある意味、夫から逃げてきた身ですが、普通は子供のトラウマになるほどの真実を嬉々として話すのはさすがに自分も引きますよ。

 

 …とは言っても、元から本人が狂人なのでこういう常識の理解を求めても仕方ない気がしますが…えぇ仕方ないですね。


 魔物と人間ではこういった価値観の違いはいくらでもありますが、参考にするには拒否したいくらいに危ない例であった。衝撃的な事実を一気に知らされて呆けている間にリビングへとたどり着いた。中からは甘ったるい声が忙しなく響いてきますが、クリムさんが躊躇なく入っていくのを見て私もつられるように一緒に行った。


「うへへへへ…」


 一瞬、私は目を疑った。試しにごしごしと瞼を擦ってみますが、目の前の事実は何の変わりはない。聞かされているとはいえ、定着していたカサンドラの容姿のイメージを見事にひっくり返すがごとく、顔をへにゃっとだらけさせ、涎を垂らしながらにこやかにアリシアの頭を激しくわしゃわしゃと撫でる姿など見ては何と反応したらよいか分からなかった。言い表せばまるでピンク色の気がこちらまで漂ってくるような…そんな感じだ。


 件の人物の腕の中にいるアリシアは真っ白に燃え尽きた灰のような姿をして上の空な表情。よく見ると同じ姿のヤンまでもがいる。


「…説明を求めたいんですが?」


「めんどくさくなるから断る」


「ですよねー」


「むっ!」


 この惨状に至るまでの経緯を理解したかった私はクリムさんに問いかけるが、その一言で一掃された。

 

 その時、こちらの声に気付いたのかヘレネさんは脅威の速さでぶれなく首を右に曲げ、クリムさん達の方を向いた。人間――厳密には人間ではない――とは思えない動作に私はビクッと驚いてしまった。


「シェリー、俺の後ろに少し隠れてろ」


 クリムさんは反応した理由が分かっているのか、原因となる存在を隠すように背中側に私ごと移動させた。


「赤ちゃん……」


 ぼそっとヘレネさんは呟いてギラギラした目で私――正確にはエレイシア――の方へ釘付けになっていた。抱いているアリシアとヤンを腕から零すように床へと落とし、ゆらゆらと幽鬼のようにゆっくりと立ち上がっていく。


「ぷにぷにお肌、柔らかほっぺ…」


 次には手をエレイシアの方に向けながら腕をあげて指をわきわきと忙しなく動かしていく。その姿に私はカサンドラとは違う別の恐怖を感じ始めていた。


 固唾(かたず)を飲む中、エレイシア以外何も見えていない顔でいるヘレネさんが一歩一歩とクリムさん達の方へと近づいてくる。


「はぁはぁっ! ぺろぺろ! くんかくんか!」


「ひえぇぇぇっ!!」


 鬼気迫るヘレネさんの表情に思わず私は悲鳴を上げた。

 

 狙いはエレイシアだという事なので、私は必死に抱きしめて目の前の異常者から守ろうと必死だった。クリムさんがいなければ足がすくんで動けなくなっていたに違いない。


「ふおぉぉぉっ!!」


 抑えきれなくなったのか、ヘレネさんは大きく飛び上がってこちらへとダイブしてくる。

 

 時間がゆっくりと感じ、徐々にこちらへと近づいていく光景を見始めていた私は「あぁ、これが走馬灯」と意味不明な理解をしながらある意味諦めかけていた。

 

 興奮顔のヘレネさんがあと少し。ここでその顔は大きく歪んだ。拳が突き刺さったのです、クリムさんの…。

 

 クリムさんがカウンター方式で飛んできたヘレネさんを跳ね返すようにして拳で顔を殴ったことにより、ベクトルの強さに応じてヘレネさんの身体は顔を力点と支点にしてくの字に変わり、来た方向とは逆に押し戻されていった。割と本気で殴ったらしく、地面には倒れ込まず体が宙に浮かんだまま一直線で壁に激突する。

 

 その衝撃で家が揺れる。どれだけ力を込めたのか想像すらできない。


「とっとと正気に戻れ、馬鹿者が」


 クリムさんは手を払って痙攣しているヘレネさんに向けて言った。正気に戻る前にこの世から去ってしまのではと心配になりますが、ヘレネさんは忽然と立ち上がって両手で顔を撫でるように揉んだ。見事に歪んでしまったヘレネさんの顔を見てしまい、私は嫌悪感がこみ上げてくるものの、ヘレネさんの顔は揉む度にまるで時を戻すように元の美しい状態へと治っていった。

 

 アルケニーの持つ再生能力――。


 実際に目にすると驚嘆に値する。


「すみません、御苦労をおかけしました」


「ふん、どうやら頭の血は抜けたようだな」


 先ほどまでのやり取りはなんだったのかと疑わしくなるほどにヘレネさんの変わり様は私を驚かせた。ヘレネさんという存在をはっきりと知るのは私にはまだまだ時間がかかりそうでした。



◆◇◆◇



 やっぱりヘレネの暴走を止めるには一時行動不能にさせるくらいのダメージを与えるのが一番だな。

 

 リセットしたように頭が切り替わるのだから仕組みを知りたい気がするが、一応知り合いなので自粛しておこう。


「ヘレネと申します。以後お見知りを」


「あ、シェリーです。こちらは娘のエレイシアといいます」


「あいっ!」


「ぐっ…かわいらしい娘さんですね」


「えぇ、私の自慢の娘です」


 改めてヘレネはシェリー達へと自己紹介を行っていた。

 

 まぁ、異常行動に目を瞑りさえすれば理解ある友人になれる筈だ。

 

 でも餌をチラつかせたまま話すのはあまり得策とは言えんがな。抑えきれなくなったら俺がまた止めなきゃならないのを分かっていて欲しい。

 

 シェリー達は俺の監視の元、他愛ない会話を続けていた。この頃、アリスぐらいしか女性としてまともな相手がいなかったし、話は思いのほか弾んでいるようだ。俺が話を聞いてても流行がなにやら人付き合いが何やらと俺にとっては専門外な世間話は楽しむ要素にはならず、二人は二人だけの会話として楽しませる事にして放り出されたままのアリシアとヤンを回収しておく。


「ほれ、起きな」


 単なる気疲れだ。軽く気と魔力を分け与えておけば数分で蘇ってくるだろう。「うーん……」とうなされている顔をする一人と一匹の処置が終わったところで物体浮遊の魔導を行使し、いつでも運べるよう準備を施しておく。途中で目が覚めたなら下ろせば済むだろうし御の字だ。


「あぁ、違いますよ! それじゃあ負担になっちゃいます! こうです、こう!」


「も、申し訳ありませんシェリー殿」


 少し騒がしいのに気がつくと、ヘレネはぎこちない動きでエレイシアを抱いていた。だが、やり方が悪いのでシェリーから指摘をもらっている。


 ――お前は保母さんか、おい。

 

 エレイシアも少し辛そうになりつつも、ヘレネに『赤ん坊の正しい抱き方』が出来るまで付き合っている。大した赤ん坊だよ、この頃ハイハイから卒業できるかもしれないとシェリーが興奮しながら報告してきたこともあるしな。


 そろそろ赤ん坊卒業か?


 こうして、赤ん坊の抱き心地をじっくりと堪能し終えたヘレネには改めて依頼を申し込んでみる。ちなみに、アリシアとヤンは目覚めるや直ぐにシェリーの寝室のベッドへとガタガタ震えながら潜った。


 あれはちょっとおもしろかった。


「服の御注文でしょうか?」


「あぁ、お前達の糸とブレンドして作ってもらいたい物があるんだ」


 俺は研究室に戻るや、以前に特殊加工した大怪鳥の鬣の毛を持ってくる。オーガの骨油を染み込ませ、千年樹の枝で燻製し、高濃度の魔素を含ませた一級品の素材だ。たとえ刃物で切ろうが火で燃やそうがちょっとの事では綻びる事のないとてつもなく頑丈な糸。いつかのためを思ってこうして用意しておいたのが吉となったか。

 

 特殊加工された毛を見るや、ヘレネの目は真剣味を帯び始め、職人としての面構えを現し出す。


「相変わらずの見事な処方ですね。むしろこの毛を使って服を作らせて頂きたいくらいです」


 この素材の価値にいち早く気付いたヘレネは束ねられた毛を宝石を扱うように慎重に手に取った。


「しかし、かつては私達の糸を譲ってもらう方でしたが、どういった心変わりで?」


「俺の服じゃない。シェリーのを頼みたいんだ」


「あぁ、シェリー殿のでしたか」


 俺から服の製作を依頼してくるのが珍しかったんだろう。確かに俺が今着ているローブは自分自身で作らねばならず、その材料の一つとしてアルケニーの糸をヘレネ達の店から買い取った過去がある。これに乗っ取れば服を依頼する側に俺が回るのはいささか疑問に思えただろうな。なんせこいつらに服の作り方を教えたのは他ならぬ俺だし…。


 魔導具製作の一環で元となる製作手法を知っていたから試しに教えたんだが、常時糸を操るアルケニーにとってはお手の物な技術になった。これがきっかけとなってこいつらは洋裁店を始めたと言っても過言はない。


「依頼費はお前達の自由でいい。最高の一品を仕上げてきてくれ」


「まかせてください。ではさっそく、シェリー殿のサイズを測りに参りますゆえ」


 どこから出したかわからない巻尺を手にし、研究室からそそくさと出て行った。

 

 いつも思うんだが、どうやって仕事道具を忍び込ませているんだ? 全然物を持っている風に見えないのが今だに謎なんだよなぁ。

 

 詳しいことはヘレネが話してくれるだろう。俺はリビングの方から聞こえてくるシェリーの叫び声を聞きつつ、研究室のドアを閉めた。


「さてと、実験を続けるとするか」


 今行っている実験は光屈折の手動化を可能にする術式構成。

 

 収集の魔導によって光は一定量集まると激しい熱を持つエネルギー体の光線になることは前から分かっていた。水を圧縮して小さな口径で噴出すると鋭い刃になる原理と同じような物だな。


 光線は直線にしか進まず、反射をするにも指定位置に光の透過率がゼロとなる物質を置かなくてはならないのでこのままでは使い勝手が悪い魔導だ。だから術者の意思で操るがままに光線を曲射することを可能にできる術式を作り上げるのが第一目標となる。


 これだから研究は面白い。

 

 終わりが見えないからこそ、知りたい事は無限に生まれてくる。おそらく俺は死ぬまでこの姿勢を変えることはないだろう。

 

 ――そう、死ぬまで…。これこそ一番知りたい真実。


 教えて欲しい、俺は後どれほど生きねばならないのだろうか…。

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