第二話
ポイントもどうぞよろしくお願いしますね
「あの、もしかしてそれは…」
「見ての通り、注射器だ。まずはお前の血を採血させてもらう」
俺はシェリーを研究室に連れてくると、さっそく試料を取ることにした。本当なら隅々まで調べ上げたいところだがもう夜だ。身体を壊してもらってはこちらにとっても不都合となる。なので血液だけにしてシェリーの調査は早めに切り上げて床についてもらう事にした。
俺は採血用の注射器を手にしてシェリーを見るが、何だか顔が真っ青だ。ひょっとして注射が苦手か? 子供か貴様は…。いや、シェリーの容姿からして年齢はまだ二十歳には満たなそうだな。でも子供を産んだという事は相当に早く婚儀を結んで契りを交わしたか。
はたまた犯されたか…。
人間の幸せを願うならば前者がお似合いだが、後者はこの世では頻繁に起こる出来事だ。否定はできない。
「あの、注射じゃなくて…別の物を」
「いや、駄目」
多くのデータを手に入れるのに血液は必要不可欠で決定事項だ。俺は消毒液で濡らした脱脂綿でシェリーの腕を軽く拭いて注射針を静脈に狙いを定めた。
「ひぅっ! 嫌です! 注射だけは嫌です!」
俺が掴んでいる腕をシェリーは引っ張り振り払おうとしているがビクともしなかった。おいおい、上手くできないだろうが…。
「静かにしないと二本続けてにするぞ?」
「それも嫌! 死んじゃう! 私死んじゃいますっ!!」
何を大げさな…。たかが20cc程度で人間は死ぬ訳ないだろうが。これ以上暴れられるのも面倒なので俺はさっさと済ます事にした。
“ぷすっ!”と呆気ない音を出して針はシェリーの静脈に突き刺さり、血液を吸引していく。
「ぴぅっ!?」
針を刺せば後は動きはこちらの自由にできる。痛みは人の行動を制御するのに最適な要因だ。力みながら涙目で震えるシェリーを前に俺はじゃんじゃんと採血管を変えてサンプルを採取していった。
「うぅ、何だかフラフラしますぅ…」
終わった頃にはやけにげっそりとしたシェリーの姿があり、用意してやった寝室へとフラフラと戻っていった。おかしいな、栄養失調になるような取り方はしていない筈だが…。まぁ、一眠りすれば直ぐに元気に戻るだろう。
その後、夜もふけて朝日が森に差し込む時間帯になっても俺は羽ペンを動かす事を止めなかった。
「ああしてこうで…よしいいぞ。これが正しいな」
元より俺は睡眠を取らない。不老になる過程で無駄な欲求を取り払ってしまった。眠くなる事も飢える事もない。そのおかげで二十四時間ぶっ続けで研究に専念できるという訳だ。望んだ不老性ではないが、こういった部分は重宝している。
そんな時、どこからか何かが割れる音が家の中で響いた。突如の異変に研究に集中していた俺は手を止めて椅子から立ち上がり、その原因を突き止めに向かった。音の発生源は確か調理場だった筈だ。そう思ってドアを開けた先には――
「ご、ごめんなさい! その、朝食を作ろうとして…」
――シェリーがしゃがみながら一生懸命に雑巾で床を拭いている姿がそこにあった。傍のかまどにはいつの間にか火がくべられており、台には熱く熱された鍋が置かれていた。重要な物に触れたりしないかぎり好きにしていいとは言ったが、早々に手間をかけさせるとは…。まったく、二度目はないぞ?
俺は深いため息をついて割れて散らばった皿の破片を魔導で集めた。食事をする事が無かったのでほったらかしにしていたから脆くなっていたに違いない。だがおかしいな? 形状固定の魔導をかけていた筈なんだが、かけ忘れていた物があったか? 落とした程度なら割れるのはおろか、ヒビが入らないくらいに強化されているのに…。もしそうなら、さすがに五十年以上もの年月は食器を風化させるには十分な時間か。
「何を作るつもりだ?」
自分の不備に反省しつつ、俺はシェリーが調理中の鍋に近づいて中身を覗いてみた。中には純白な液体に何種類かの野菜が混ざるスープが入っている。
「クリームスープです。保存されていた食材を使わせてもらったんですがご迷惑でしたか?」
「…いや、普通なら食事は大事だろう。これからも好きに使っていい」
食材にも形状固定の魔導をかけているので腐る心配はない。腹を下すような代物は作ることはないだろう。俺もごく稀に料理をするが、食事という行動の感覚を楽しむだけで年に一度か二度くらいしか行わない。
どうして行動の感覚を楽しむだけなのか? それには俺の身体にある理由があるからだ。
「もしよければご一緒にどうですか?」
シェリーは遠慮しがちな様子で俺に自分の料理を食べないか誘った。これは飽くまでシェリーが勝手にやっている事だ。
――別に俺のことは気にしなくてもいい。
それでも匿ってもらう以上、相手のためになる手伝いぐらいはしなくてはいけないとシェリーは決めていたんだろう。シェリーの誘いに俺はしばらく顎に手を当てながら考え、問題無いと結論付けた上でテーブルに座った。その様子を見たシェリーが内心喜びながら器を片手に、おたまで鍋いっぱいのクリームスープを掬った。
「少なめにしてくれ。別に腹を満たすために食べるわけじゃない」
だが、唐突な俺の要望にシェリーは残念だといわんばかりの顔に変化した。それでも文句は漏らさず言われた通りにおたま一杯分を器によそって俺の前に運んだ。次にシェリーは木製のスプーンを沿えようとしてくるが、その前に俺は器を持って一気に煽った。少ない量なので直ぐにスープは空になった。
「…普通だな」
シェリーが作るクリームスープの評価は可もなく不可もなくだ。ちょっと自信があったらしくシェリーは酷評を言われて落ち込んでいた。
「あの、味にリクエストがあればこれから作る時にはそうなるよう努力しますよ?」
ならば次には今回より評価が上な料理を作り上げてやろうと決心したのか、シェリーが対抗心に燃えながら俺に質問した。だが、そんな物など無意味で無価値だ…俺には必要のない事なんだ。
「いや、もういい。これからはお前の食べる分だけを作れ」
そんなの卑怯だとシェリーは思ったに違いない。俺の勝手な決め付けだがこの勝負を勝ち逃げされては悔しいんだろう。
「そうはいきません! 私としても納得できません!」
機会を俺に求めてくる。絶対に俺の舌を唸らせてやると目標を勝手に決めて…。だがそれは根本的に無理な話だと知るだろう。次の俺の一言で…。
「…俺には味覚が無いんだ。うまいまずいかの味の判断は付けられない」
「えっ……」
唐突に話した俺の事実にシェリーが固まった。
「ある事が理由でな…リスクとしていくつかの感覚を奪われたんだ。味覚もそのうちの一つだ」
「…でしたら、どうして私の料理を普通だなんて評価したんですか。出まかせとは言いませんよね?」
「あの評価は料理に含まれる気の量を測ったからだ」
「……気?」
俺の口から知らない単語が出た事でシェリーは首をかしげた。魔力に関しての知識はこの辺りの大陸では浸透しているが、気に関しての知識は東方の国が詳しいだろう。
「生命力とも呼べるな。生物の活気である源やモノの新鮮さは全て気が関係しているんだ。それは物に込めることも可能で料理も例外じゃない」
つまりシェリーの料理はその気の量によって評価したという訳だ。
「わかっただろ? それなら俺の分をわざわざ作るなんて面倒な真似はしなくていい。話はこれで終わりだ」
俺は「これで言う事は終わりだ」と言わんばかりに立ち上がり、自分の研究室へ戻ろうとドアに手をかけた。
「待ってください!」
だが、そこで後ろから発したシェリーの大声に俺は動きを止めた。
「今日の昼時にもクリムさんの分を昼食で作らせてもらいます。ですから必ず食べに来てください」
「…話を聞いていなかったのか? 俺は――」
「食べる事を楽しまないなんてそんなの間違ってますっ!」
何を伝えたいのか俺にはうまく理解できなかった。『ただそれだけ』と、『無駄になる』と決めつけて俺は日常生活の行動を削ぎ落としていった。長年の隠居生活と研究三昧の日々を送った俺だからこその弊害だ。
「私の祖母は良く言い聞かせてました。「食事は生きる事そのものだ」って…。クリムさんが味覚を失っているのは私としても残念と思うことしかできませんが、それでも食べることの感謝を忘れてしまうのはいけないと思うんです!」
つまり生きている事に、これから生きれる事を尊いと思う気持ちを持たない俺にシェリーは納得がいかなかったんだろう。
「味で評価できなくてもかまいません。先ほど申された通り、気という物での評価でもかまいません。ですから、お願いします!」
最後には深々と頭を下げてくる始末だ。俺はそんな姿を見ても何の思いも込み上げてくる事は無かったが、「それならどこまでやれるか…」とちょっとした遊び心でシェリーの挑戦に付き合うことを決めた。どうせしばらくの間この家で共に過ごす訳なのだから…。娯楽が一つくらいあったってかまいやしない。
シェリーの挑戦に俺は「邪魔をしないかぎりは出来る限り付き合ってやると軽返事で答えた。許可が出た事にシェリーは笑顔で大喜びをし始めると同時、隣部屋からエレイシアの泣き声が聞こえた。
「すみません、ちょっと…」
一言、そう断りを入れてこの場からシェリーは退出した。恐らくエレイシアのお腹を満たすべく授乳しに向かったのだろうと俺は予想を付けて自分も研究室へ戻ろうとした。
ふと途中、火を止めてそのままに放置したクリームスープ入りの鍋が目に入った。俺はしばらく見つめると、そこから気まぐれか、おたまを手にとって中身を一掬いして口にした。火傷をする程でなくとも結構な熱を持つクリームスープを直接口にゆっくりと含んだ。
熱がる素振りも見せずにそのまま、だ。不老の魔導の副作用で失った痛覚を持たぬ身体である俺だからこそできる行動だ。
「…好きでこんな身体になったんじゃねぇよ」
その呟きは静かな調理場で響き、誰にも聞かれることなく消えていった。
そこへ、いきなり出入り口の扉が勢いよく開いた。何者かが入ってくる気配に瞬時に俺は視線を向けて確認するや脱力した。
「おぅ、今日も遊びに来たぜクリム!」
気配の正体はライザだった。俺の家を我がモノ顔でずしずしと進んでくるが、昨日の訪れよりはましかと考えた。
「おっ、お前…料理なんて久々に作ったのかよ! ほぉ~珍しい事もあるんだな?」
ライザは目の前でうまそうな匂いを漂わせる料理を見て驚愕している。
本当はシェリーの物なんだが、年に一度か二度しか作らないとされる俺の料理が目の前にあると勘違いしたんだろう。おまけに俺の料理は食べた事のある経験者が言うに、とても美味であるらしいと誰もが太鼓判を押していた。別に嬉しくはないがな…。
こんな機会はめったにないと事を急いだライザはテーブルに置いてあったシェリーが自分でよそった分のクリームスープを勝手に飲みだした。
やれやれ、この馬鹿は本当に学習しないんだな…。心の中で愚痴りながら俺はふと傍にあった別の器を見つけるや、そのまま器にクリームスープをよそった。今だテーブルに置かれていた本来シェリーの分であるクリームスープをあさるこの馬鹿――ライザ――の顔に目掛け――
「ぺちゃくちゃ音立てて食ってんじゃねえよ、この駄犬」
――おもいっきりパイ投げの原理で熱々のクリームスープ入りの器を投げつけた。
「うあっちぃぃぃっ!!」
当然、突如の出来事にライザは飛び起きて床に顔を押さえながら転がった。それを見ながら俺はライザの元へと近寄って思いっきりその顔に足を乗せた。
「おい駄犬、誰が食べていいって言ったんだ、あぁっ?」
それは微弱だが、仮にも親切心と誠意が込められた上等な気が込められた代物だ。礼儀も弁えぬ駄犬ごときが食っていい物ではない。俺はライザに対して『資格無し』と一方的に言い渡した。
「そんなお前にはそこに散らばった残飯を食す権利を与えよう」
「いやっ、あの……」
「黙って食え」
「……はい」
有無を言わせぬ俺からの迫力ある気迫と笑顔にライザは是非も言わされず黙って従った。まぁな、これを断れば後々に待っているのはとんでもない扱いだという事が長年の俺との付き合いから経験で学んでいるようで何よりだ。
「どうしたんですか、クリムさん?」
ここで今の騒動を聞きつけたのか、シェリーがエレイシアを抱いたままこの部屋へ入ってきた。彼女らの視界には一心不乱に床に散らばった自分のクリームスープを舐め取る大きな人型の狼とそれを見下すように見つめる俺の姿が映っている事だろう。
「…えっと、どうなっているんですか?」
「んあっ?」
「止まらず綺麗にしろ」
もちろん、この光景を初見で理解するなど不可能である事も明白だ。
ちなみにクリムが失っている感覚は正確には痛覚・味覚・嗅覚の三つです