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第二十四話

 知識は覚えるからこそ役立つのではなく、使うからこそ真価が発揮される。だからこそ俺は知識に敬意を払う。学ぶというのは俺にとって神聖な行為だ。


 再び燃え尽きていたシェリーを浴場に連れていき、着衣のまま温泉の中に放り込んで無理やり覚醒させたが、案の定「殺す気ですかっ!」と激しく怒った。むしろ復活に近いな。温泉は地脈のおかげで効力が相乗に発揮されているので身体の活性化には十分な要素だ。服の汚れにも良いので洗濯ついでである。


 温泉の入り方としては不正解な物だが、これでも温泉の効果の恩恵は十分に得られるだろう。結局、体を満足に動かせられなかったシェリーは沈むように温泉に浸かっていたが…。


 こうして浴場から出てきたシェリーは朝頃と同じくらいに元気になっており、俺はまだ乾き切っていない服の水分の水の魔術で弾いてやった。シェリーの顔は緩みきっている。涎が一筋垂れてきてもいるので快感を怒涛の勢いで享受している様子だ。


「あぁもうだめぇ…」


「…だめだこりゃ」


 疲労感を抜き過ぎたなこれは。脳内麻薬が分泌しているのと同じ感じになっている。こういう状態の人間にはちょっとした刺激を与える必要があるので、俺は水の魔術で小さな冷水の塊を作ってシェリーの顔に放った。頭をキンキンに冷やすほどだ。さぞすっきりするに違いない。


「冷たっ!」


 飛び跳ねたのを確認して再度水の魔術でを行使。シェリーの頭にかぶった水を弾く。全てが終わった頃にはいつも通りのシェリーの姿がそこにあった。


「さて、休憩時間はこれで終了だ。屋内学習は一旦終了して今度は屋外学習に移るとしようか」


「屋外ですか?」


「魔物を知るのならば現物(ナマ)が一番だ。直接捕獲して生態を調査するんだ。お前自身が」


「へー楽しそうですね…え、私自身?」


「聞こえなかったか? お前が魔物を捕まえるんだ。あぁ心配するな、サポートぐらいはしてやる」


 シェリーが口をあんぐりとして呆然としているのが分かる。

 

 なんだ、予想してなかったのか。魔物研究家が魔物を捕獲するなんて当たり前なくらいの事だぞ? 一般ではどこかギルドで捕獲を頼んで檻に入れたのを連れてくるが、俺のようなパターンは自分で捕獲する以外他ないのだ。最低でもオークぐらいは楽々と捕獲できるくらいの実力は付けてもらうぞ。


「いやいやいやっ! 私あれですよ、水を張った桶を持つのも踏ん張るくらいひ弱な女性ですよ。こんなのが魔物捕まえるだなんて…冗談、ですよね?」


「だから今から戦い方を一から教える。お前の全てに合った戦い方をな」


「戦うだなんて…私、人を殴った経験さえないんですけど……」


 そりゃそうだろうな。始めて見た時からも綺麗な手をしていたから荒事なんかと無縁だったのは分かっていた。

 

 だが安心しろ、これから俺が教えるのは殴るだなんて拳を使うような女には野蛮な真似などまったくない。むしろそうする輩相手には最大限に効果を発する戦い方だ。

 

 この戦い方は俺が初めて覚えた武術であり、師の得意分野でもあった技術。師は女医の癖してコレの結構な『手練れ』だったからな。


「とりあえず、これを両手で思いっきり掴んでみろ」


 そう言って俺が目の前に出したのは小指だ。握り拳から小指だけを“ピン!”とシェリーの方へと指すように立てた。


「掴まれる前に言っておく。俺は気も魔力も一切使わない。それに関わらず、俺はこの小指だけでお前を地面に膝を付かせてみせよう」


「小指だけって…それはさすがに無理があるんじゃないですか?」


 半信半疑なようだな。俺の元の身体能力は普通の人間より少し良い程度だと前に教えたことがあるからな。さすがに考え付かないんだろう。そう、さすがに普通はな…。


「いいから、殴ったり蹴ったりもしないから安心しろ」


「そう言われるとむしろそうされる方がましな気がするのはなぜなんでしょうか…」


 何の事だろうか? 悪気はないぞ、むしろ善意だ。少し痛いかもしれないが面白い経験ができるからプラマイゼロになれる。


 このまま俺の言われたとおりにシェリーは俺の小指を握った。その挙動は予期せぬ事態に備えているのか恐る恐るといった様子であり、動きにぶれが大きく見られた。

 

 しだいに加圧が大きくなり、シェリーにとっての最高値の握力に達したところで俺は仕掛けた。

 

 初めから原理的なのを喋っておくと、人間の重さってのは不思議な物でな…。人が人を持ち上げようとする時、大抵は持ち上げられまいと抵抗するだろ?

 

 実はこれが間違い。暴れると本体体重として働く力のベクトルは相手側の身体に加わって体重としての重さの何割かを失い、相手側の腕力で簡単に持ち上げられてしまうことが多くの現象としてある。持ち上げられたくなければ逆に暴れなければいいという訳だ。そうすれば自分の体重分の負荷をかけられて相手側は腕力で持ち上げようとするのだから断然不可能となる。


 たかが両腕で五十キロほどの物体を持ち上げるのと同じなのだから。よほどの怪力自慢でない限り持ち上がらない。


 つまり、人間の腕力といった力は体重の何割かが変換されたエネルギーが正体でもあるのだ。


「ほれ?」


 ならば俺のこれからやろうとしていることがなんとなく理解できる筈だ。小指にかかったシェリーの力を逆に重さとして扱い、少し引きながら一気に下へと落とした。


 すると、シェリーは先ほど俺が宣言したように足を唐突に崩して俺の小指を持ちながら膝を付いた。


「うぇっ! え、あれ…?」


 シェリーにしたら筋肉がまるで突然切れたかのように足が勝手に崩れてしまったように感じるだろう。その実、足にかかる筈だった体重としての何割かの力が握力で使われていると理解してないからだ。シェリーは自分が元から持っている体重がいつもと変わらず足で支えていると思っているが、実際はその支えは酔っ払いの千鳥足と大差ないくらいに頼りない。


「それっ!」


 膝を付いて唖然としているシェリーを余所に、俺は続けてシェリーが今使っている右腕の外側、つまり左向きで円を描くようにして回して握られたままの小指でシェリーの手首をきめた。関節を固定された手は従うようにして身体を引っ張り、シェリーは右回り(俺から見て左回り)で宙に回転した。


「きゃあっ!」


 いきなり体が宙に浮いて回転したとなるとたまらず悲鳴を上げたシェリーは俺の加えた力の方向の通りに動き、最後には地面に跪いてしまった。

 

 やはり素人は面白いくらいに反射がわかりやすいな。おっと、いけないいけない、ここは平常心で…。


 とりあえず俺は地面に倒れ込んで放心状態のシェリーの顔を覗き込んだ。


「どうだ、おもしろいだろ? こういう武術を俺は『アイキ』と教わった」


「…………」


 あらら、言葉が出せないくらいに混乱しているな。このまま地面に這い蹲らせるのもなんだから…手を貸してやるか。


 しかし、ここで俺のちょっとした悪戯心が働いたのか、もう一度技をかけてしまった。これは比較的簡単。俺は今、シェリーを立ち上がらせようと手を貸している状態だ。当然、支えは俺に集中しており、俺はこの支えを手を放すことで断ち切った。シェリーの足は膝を付いた状態、満足な物ではないのは間違いない。放した手は支えを失ったことにより下へと落ちるが、そこを俺は上から押す力を加えてまだ手を放されたという認識ができていないシェリーの無意識を利用して再度地面に落としたのだった。


「ぶへっ!」


「おっと、悪い悪い」


 謝罪する振りをして今度は本当に手を引いて立ち上がらせた。若干、シェリーの顔に土が付いていたので風の魔術で吹き払っておいてやる。悪戯が過ぎたか、シェリーの口元がひくひくと引き攣っている気がする。

 

 さて、本格的に怒りだす前に説明に入るとしよう。


「どうだ、まるで自分が相手の意のままに操られたかの感覚だったろ?」


「えぇ、『はっきり』と体験させられましたよ…そうはっきりと……」


 シェリーは笑顔だ。笑顔だがこめかみに青筋が浮いている。

 

 ――まずい、やりすぎた…。


「アリシア、ちょっとお願い!」


「はーい!」


 背後からアリシアの元気そうな声が響くや、俺はすぐさまその場を飛び跳ねた。すると太い植物の蔓が俺がいた場所を絡みつくように伸びてくる。


「あー待て、さっきまでの事は謝る。だから話を――」


「今度ばかりは許しません! 毎回毎回、こんなことに付き合う私の身にもなってくださいっ! アリシア捕まえて!」


「てりゃーっ!」


 さすがのお人よしなシェリーもここまでやると怒る他ないか。

 

(まぁ、ここで鬱憤なんなりと吐き出しておけ)


 俺はアリシアの蔓を巧みに避けて距離を取っていく。

 

 アリシアとしてはこれは遊びでやっているような物らしい。前にボーとキキとで飛び回る二匹をアリシアが蔓でいかに早く捕まえられるかという範囲限定な鬼ごっこをしてたのをきっかけに思いついたそうである。


 シェリー、お前魔物研究家より『魔物使い』の方が向いてんじゃないのか? そう言っても本人は対等に接しているから主従の関係なんていらないつもりだろうな。


「待て待てー!」


「待たん」


 しばらく遊ぶつもりだったが、ここで少し厄介なのがやってくる。


「楽しそう!」


「遊び! 遊び!」


「鬼ごっこしてるの? だったら僕達も参加だ! もちろん僕達が鬼役だね!」


「おいこら、お前らっ! 余計な真似をするんじゃない!」


 妖精達までもが参加してくる羽目になったのだ。更に増えた鬼役により俺の動きも複雑化していく。


 というか、何やっているんだ俺は…。

 

 シェリーのペースにいつの間にか乗せられている。どうも調子が狂うな。こういう場合は…。


「よっと…」


 もはや遊びは終わりだ。俺は今まで逃げるのを止め、まずアリシアの蔓を見切って何本か掴んでいく。約五本の蔓を交差するごとに結び、さらに一本、さらに一本と繋げていく。


「えぇっ!? そうしちゃだめえぇっ!」


 ついには蔓は編み込まれたように一本のデコレーションと変化していた。


「ふえぇぇぇ…動けないよぉっ……」


 アリシアを無力化した後は妖精達を相手だ。羽音を響かせて俺の周りを飛び回る妖精達をあえて目で追わず、魔素の動きで感じる。感知していくにつれて、どうやら二匹同時で突っ込んでその後ろを最後の一人が攻める感じだと予想した。


 これに見事的中した動きをしてきた妖精達に対し、俺はまず同時で突っ込んでくる二匹を素手で両掴みし、後ろの一匹はローブを上手く使って包み込むように捕獲した。ついでに最初に捕まえておいた二匹もローブに包んでいき、そのまま遠心力で振り回していく。


「ぎゃあぁぁぁっ!! 目が廻るうぅぅぅっ!!」


「助けてー!」


「怖いよぉっ!」


 ローブの中では妖精達が騒いでいたが、何度か振り回していくうちにその悲鳴も聞こえなくなる。包んでいたローブを開放すると、力なくグッタリとする妖精達がポロポロと落ちた。妖精だから人間と違って胃の内容物を吐き出したりしないから安心だ。


「ふん、俺をからかおうなんざ五十年早いわ」


 では、ちょっとした野暮用が済んだところで…。


「では、始めようかシェリー。お遊びは楽しかったか?」


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!!」


 何をそんなに怯えているんだ? 安心しろ、少し俺の顔が強張った形になっているかもしれないが気にするな。今後あんまり余計なことをしないように教え方を『ちょっと』変えるだけだから。


 そうだな、やっぱり技というのは身体に直接受けた方が覚えやすいもんだから――。


「これから数十種類もの技をかける。しっかりと受けて覚えろ。できなかったらもう一度だからな。はい、始め」


「いやーたすけてえぇぇぇっ!!」


 この日、赤霧の森では一人の女性が宙に舞う回数の新記録に到達した。

 

 そんな偉業(?)を女性の娘は楽しそうに眺めていたのはここだけの話。

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