第二十二話
「うわーんどうしよーエレイシア! お母さん全く考え付かないよぉっ!」
数分後、私は寝室のベッドでゴロゴロと頭を抑えながら転げまくりつつ、苦悩を始めていました。クリムさんの出した課題とも言えるアルラウネの解決法を自分の力だけで求めるのがいざ深考してみると、とてつもなく難しくて自分の経験の浅い思考ではクリムさんを納得させる案が出せません。
一応、何個か考え付いたのですが、これらもよく考え直してみるとまたボロが出る物ばかりで浮き浮きと言える類ではなかった。
私の中ではクリムさんは現実主義という定義が生まれており、合理に叶った物でないと即座に弱みを突かれて看破される可能性が高い。
「頑張れ!」
「負けるな!」
「ファイトだよ、ママ!」
「だっ!」
エレイシアのベッドでは子供衆が全員集まって生温かい目で私を励ましてくる。これが余計にプレッシャーとなって伸しかかってくるのも知らずにだ。
アルラウネはなんだか子競り合っている内にエレイシアとボーとキキとはいつの間にか仲良くなっていた。母親としては嬉しいのだが、状況が状況で素直に喜べる心情ではなかった。あと数分でその関係が脆く崩れ落ちるかもしれない危機感が私の胸中を支配しているために、楽観視して挑む訳にはいかないのです。
「うぅっ…」
後悔はしません、する筈がない。けど、私には力が足りない。
理想と現実は決して噛みあう事のない歯車のような物であり、どう足掻いても合わす術を創造ることはあたわず。それだけならばいい物だ。ですが、実際は理想が現実と噛みあう以前の問題で脆過ぎる理想しか持っていないのが私の問題点。
今思えば、クリムさんに向かって言い放った言葉は冷静に考えれば感情に任せただけの単なる感情論に過ぎず、とても大人として喋るような言葉ではなかった。あれではそっくりそのまま『ガキ』の思考。クリムさんが納得できないのにも一理ある。
ですが、これとは別として思うことがあった。
「くやしい…っ!」
このまま言い返されたままでは私としても我慢ならない。だからこそ、一鼻あかしてやりたいと考えた。この感情こそが私の原動力に変換する力だ。
「何ですか、自分は好き勝手やっているくせして! そもそも私の血なんか勝手に使ったクリムさんが悪いんじゃないんですか! その結果でこれですよ! こうだからと言うよりまず責任を取るという発想がないんですかあなたはっ!!」
うつ伏せになりながら両手をベッドのシーツにバンバンと叩きつけ、普段は見せない鬱憤もひっくるめて行動として表す。そんな私の唐突な行動は子供衆の息を飲ませ、エレイシアのベッドに潜むように退避していく。赤ん坊は驚いたら泣きだすのが定常なエレイシアも私の意外な姿に驚きすぎて逆に声が出ないほどに…。
「ママぁ…」
アルラウネの寂しそうな声が聞こえてきて私はベッドから顔を上げた。自分を心配そうな目で見つめていて何か言いたげにしているのが分かった。
「なぁに、どうしたの?」
優しい口調で尋ねた。魔物とはいえども、まだ生まれたばかりの赤ん坊に等しいアルラウネには相応の態度で接してみるのが一番だと思いつつ、アルラウネの次の言葉を待った。
「私……」
「んっ?」
優しい笑みを向けたまま私は聞いた。
「生まれてこなきゃよかったの、かな……」
冷たく、暗い感情に支配されつつあるアルラウネの言葉を…。
「…どうしてそう思うの?」
ここで今すぐ「違う!」と叫びたい衝動を抑えつつ、聞くことにした。
当の本人が何を思っているのかを知るチャンスでもあり、なるべく崩さないように努める笑顔を貼り付けたまま…。全身の血液が一気に冷やされる感覚に包まれた状態で更にアルラウネの次の言葉を待った。
「だって、私、迷惑かけてるもん。私のせいでママとあの人が喧嘩しているんでしょ? わかるもん、ママは本当はあの人と喧嘩なんてしたくないって」
アルラウネの落ち込みようが頭の花を見ても感じられた。凛として咲いていた花の花弁が力無くしなだれている。
「私のせいでこうなったから…嫌だよ、こんなの見たくないよ。ママが泣くところなんてもう見たくないよ」
嗚咽を抑えている事が身体を強張らせているので良く分かった。
「もう止めようよ。私、もうママを傷つけるようなことにはなりたくないよ。だから私、こうして生きるのはもう――」
アルラウネの言葉は中断された。頬を強く叩く音を響かせると同時。
「ふざけるんじゃありませんっ!」
私がアルラウネの頬を叩いたからでした。
アルラウネは叩かれた方の頬を手で押さえながら目を大きく見開いて私と向き合っている。同時に私は怒りで目を輝かせ、くだらないことを言った目の前の『馬鹿娘』を見据えた。
「傷つけたくないから…その次で言おうとした言葉をいう事こそが私が最も傷つく言葉なのよ。そう言いつつもあなたは私のことを傷つけたいとでも言うつもりなの?」
「ち、違う、よ……」
「だったら二度とその言葉を言うんじゃありませんっ!」
ここまで怒りを露わにするのは久しぶりだと思った。昔、エレイシアが生まれて数日後のことだった。元居た場所では『あの御方』から自分以外に寵愛を受ける者から直接こう言われたことがあった。
――生まれてこなきゃよかったのよ、そんな赤ん坊!
紅玉を願わず持って生まれてきたエレイシアをめぐって自分の扱いをどうすべきかと議論されたことがあった。御上の情政を乱す要因にもなった。その人へ反論する資格が自分には無いとあの言葉を受け入れてしまった。
けど止めたわ。友達――ケティーーが間違いだと強く諭してくれたから…。
だからこそ私は決めた。「~だから」だとか「~のせいで」を理由に簡単に諦めてしまうのはもう止めようと心の中で強く誓った。これは命に関してならば尚更だ。
許せなかった。たとえ子供が考え付いた思考だとしてもこれだけはどうしても許せなかった。それゆえに手を出してしまった。
「ご、ごめ…ごべん…ごべんなざあぁぁぁい"ま"ま"あ"ぁ"ぁ"ぁ"っ!!」
アルラウネはわんわんと大声を上げて泣き出してしまった。よっぽどこたえたのだろう。大粒の涙が瞳からぽろぽろと零れ落ちている。
私はアルラウネの目元を優しく擦ってそれからそっと抱きしめてやる。言葉はいらなかった。ただ抱きしめ、アルラウネが気の済むまで泣かしてやった。
この時、私は気付いていなかった。約束の時間は既に過ぎ、ドアの前でクリムさんが今にもドアノブに手をかけようとしていたが、中の様子を耳で聞いて敢えて私からやってくるのを待つことにクリムさんが変更して戻っていた事を…。
後に聞いたところによれば「命を粗末にしようとした娘を母が叱りつけて諭してやる場面に誰が水を差せる? たとえ神様でも出来やしない」とのクリムさんの案であった。
時間は過ぎて十数分、ようやく泣きやんだアルラウネの髪を撫でつつ、私はふと気付いた。この子を名前で呼んだことが一度もないことを…。
生まれて半日も経たないのだ。色々あって名前を付ける暇が全然なかった。だからこそ改めてアルラウネの命名式を行う。
「そうね、あなたはいわばエレイシアの義妹になるんだし…」
そこで閃いたのがエレイシアの名前そのものである綴り――いわばスペル――。一文字ずつ分解していくとある名前が思い浮かんだ。たとえエレイシアが偽の名前だとしても、これだけは本物にできる。
――偽物から本物を生み出せる。
「決めた、『アリシア』よ! 今日からあなたの名前はアリシア!」
エレイシアの読み綴りを短く言うとアリシア。これに着目し、アルラウネのための名前としてある意味を込めて命名した。
――あなたは私の大事な娘と同じ存在そのもの。
その意を名前に強く込めて…。
「アリシア…アリシア、アリシア! うん、私の名前はアリシア!」
アルラウネ――アリシア――は名前が気に入ったのか、何度も連呼して覚えようとする。気に入ってもらえれば良かった。あとは…あとは?
「って、忘れてたあぁぁぁっ!!」
ここで私はようやく本来自分がやるべきことを思い出した。頭を抱えて思考を急がし、何としてでも間に合わせなくてはいけないのに余裕が無くなったことで成果はおぼづかない。何気なくドアを見てみましたが、クリムさんが来る様子がない。
それにも関わらず、私には見えていた。広間のテーブルで椅子に座り、指でテーブルを忙しなく叩いて苛々しながら自分を待ち構えているクリムさんの姿が…。
はっきり言うとそれは幻想なのだが、慌てる今の私にはたとえ何を言っても無駄だろう。
ともあれ、ゴクリと喉を鳴らして「これから『あれ』に立ち向かうのか?」と考えては余計になおさらクリムさんの元へと向かう決心がつけれない私でした。
「ママ、アリシアも一緒に頑張る!」
「う、うん…気持ちは嬉しいんだけど――」
私はアリシアの『一緒に』という言葉で引っかかる。一単語であれども、それは思考をつなげていく要因となり、私に活路を生み出していく。
それでも結局は間に合わせ。これで駄目だったらもう後がない。しかし、自分のなけなしの思考で考えてもこれ以上の物は生まれる事はない。
私は覚悟を決めた。顔をしゃんとしてこれから戦いに行く覚悟を。この意気に子供衆は自ら私の元へと集まり、付き添う事を決めていた。まるで後見人として…。
◆◇◆◇
「むっ…?」
寝室のドアが開く音が微かながら聞こえてくる。ようやくか、十五分の遅刻だが、この際目を瞑ろう。だが、待たせた分に見合う物を出せなければ容赦はしない。
廊下を歩いて来る音が近づいていき、ついにシェリーの姿が見えてくる。正確にはシェリー達だ。エレイシア達もついて来ていた。シェリーの顔を良く見てみると、その変化に俺も多少眉をひそめた。
(どうやら理想に勝る何かを手に入れたようだな)
「では、お前の答えを聞かせてもらおうか。アルラウネを俺に渡すか、そのまま育てるつもりか?」
まどろっこしい事は無しとする。単刀直入で強い口調でシェリーへと問いかけた。対していつもならばこの場合、おどおどしさを見せるシェリーだが、表情は微動だにしない。しばらく沈黙が続くと共に、シェリーの目がカッと開いて俺の事を見据えてくる。
「私が責任を以って育てます!」
予想はしていた。シェリーがこちらの答えを選ぶことを…。
「なら、アルラウネの魔物としての衝動をどうする?」
だが、これを解決できなければその答えを俺は選ばせるわけにはいかない。さぁ、どう出るつもりだ?
「それについてを言う前にクリムさんにお願いがあります」
挟みこんできた…か。絡み手を使うつもりだな。
「…なんだ?」
何気なくを装って俺はそう答え――。
「私をあなたの『弟子』にしてください!」
――次に嬉しく思う事になる。
第三の選択を見事に作り上げたシェリーの志を。
「…お前、それが何を意味するかを知って言っているのか?」
「もちろんです。ですが、クリムさんは魔導士で私は魔導や魔術は使えません。私が言う弟子とはあなたの膨大な知識を習う意味での弟子であり、特に魔物に関する知識を教授するべくクリムさんの元で学びたいんです」
「学んでどうするつもりだ?」
「アルラウネの…いえ、アリシアがいつか持つ魔物としての衝動を止める方法を私が自ら探していきます!」
つまり、お前は魔物の研究者としての門を叩きたいというんだな、シェリー? なるほど、その、なんだ…アリシアとやらを手元に置くべき理由に合理が出来るという訳か。
だが、お前は身の上というものが必ず付きまとうだろう。いつかお前は自分自身と戦う事になる。その戦いにアリシアを連れていく余裕があるか? 間に合わないという可能性が高いかもしれないんだぞ?
…いや、これは止めとこう。飽くまで俺はシェリー達の正体は知らない事になっている。ハンデくらいは与えたって構わないだろう。
「なるほど、分かった。だが一つ問題がある。俺がお前の提案を断ったら全てがお終いになるという事だ」
この時の俺の顔は予想以上に悪い笑みを浮かべていたに違いない。意地汚いのは嫌だな。後で反省でもしておくか。
「お願いします!」
ここでシェリーは膝と手を床につけて頭を低くして俺に懇願してきた。いわゆる土下座という物だ。何度も何度も「お願いします!」という声が響いた。この間シェリーは決して頭を上げるつもりがないようだ。
シェリーの後ろではエレイシア達が俺の事をまるで目の敵のように睨みつけている。…四対一か。数としては向こうが圧倒だ。一生懸命懇願するシェリーに対して俺は、
「駄目だ」
そう一言で済ました。頭を伏せていて見えないが、この時のシェリーの表情はさぞ絶望に満ちた顔だったに違いない。
「大体甘い。俺の下で下積みをしたいとは言うが、結局はそのアリシアというアルラウネのためであってお前自身のために本気で学ぶ訳じゃないだろう?」
「ほ、本気です! 私はアリシアを――」
「だから、アリシアだけの事を学ぶつもりでいる気だろ?」
「……ッ!!」
悪いが、俺は知識をそういう簡単な目的のためだけに今まで積み上げてきた訳ではない。だからこそ、お前みたいな簡単な事情で俺の知識を授ける訳にはいかない。俺にも魔導士としての誇りがあるんだ。
「はっきり言う。身の程を知れ…今のお前には俺から教える物は何もない」
こう言うと、シェリーはそのままの姿勢で震えた。こらえているのだろう。悔しさと悲しさを両方同時に…。話は終わりだという風に俺は研究室へと歩を進めていく。
だがな、シェリー。俺はこう思ったぞ?
「だがもしも…」
――嬉しい、と…。
「もしも『全て』の魔物の衝動を抑える方法を見つけるくらいの意気込みを持てるというのなら学ばせてやろう」
俺がこう言った瞬間、後ろからシェリーが頭を素早く上げる音が微かに聞こえた。
「だが、これはかなり困難な道のりだ。お前の人生全てを使っても辿りつく事は出来ないかもしれない目標だぞ? それでも良いと言うなら…明日から俺の研究室に来い。知識を授けてやろう」
それを最後に俺は研究室へと振り向かずに戻っていく。
「はいっ!」
たとえ後ろからシェリーの嬉しそうな返事を聞いたとしても…。
弟子か…。約百年経って初めて取ることになるとはな。それも魔導も魔術も使えないような人間を、だ。自分でも矛盾しているとわかってて大笑いしてしまう。
(だが良くやったシェリー。合格だ。お前は俺に勝ったんだ)
それと覚悟しとけよ? 俺はかなり厳しいぞ? 廃人になるつもりで取り込んでこい。
明日までのつかの間の休息を楽しんでおくんだな。




