第二十話
「ぎえぇぇぇ――っ!!」
森にこの世の物とは思えぬほどの悲鳴が迸る。今のは俺ではなく、俺の手に握られている物が原因だった。
上部にある花は小さな青紫色の花弁が多く集まって花咲かし、葉は和紙のように滑らかで柔らかい。これだけ見れば綺麗な花だと想像するかもしれない。
「うーむ、だいたい五年物といったところか…」
だが、下部は茎の中心部分に人面疽が浮かび上がっており、根は人間の手足のように四本を中心として長く伸びている。さらには植物だというのにこの下部は動物同様にうねうねと暴れ回っている始末だ。
マンドラゴラ――。
妖花ともよばれる植物で根に含まれる成分は魔術、魔導に限らず他にも様々な用途で扱われている。ちなみにマンドラゴラは最長三メートルにも育つ程であり、年月をかけるごとに成長は比例している。また、他の認識があり、新芽の時ではマンドレイク。雌雄もあって雄ならばマンドラゴラ、雌ならばアルラウネと呼ばれる事がある。ちなみにアルラウネは貴重でもあるので、俺でさえめったに手に入れられない素材だ。
そんなマンドラゴラだが、大収穫の時期である。俺がいるのは専用の薬草畑だ。野生で群生しているのを土ごと掘り出して植え替えてきた厳選物であった。魔導実験で使う薬品のほとんどはここで栽培されているといっていい。
「おい、そっちはどうだ?」
「な、なぁ、本当に大丈夫なんだよな?」
「たかがマンドラゴラ抜くぐらいで戸惑ってんじゃねぇよ。早く抜け」
「んな殺生なっ!」
運がいいのか悪いのか本人に判断は任せるが、過ぎた後でカサンドラが来るかもしれないなどという情報を遅くに持ってきたライザにシェリーのための薬品を作るべく、素材集めにこうして協力させている。
ライザはマンドラゴラを抜こうか抜くまいかとはっきり出来ずにいる状態だ。まったくこの優柔不断めが。せっかく耳栓用意してやったというのに…。
「それでも心配だったらその耳栓を蝸牛までねじり込んでやってもいいんだが…」
「死ぬわっ!」
マンドラゴラは根を地上へと引きずり出す際に先ほどのような悲鳴を上げる。これは抜いた相手に対して死の呪いをかけようとするからと伝承されているが、魔導士としての俺の検証によればこれは一種の超音波を発しているとされている。
その超音波は生物の脳波を狂わせ、生体への信号を不安定にさせて心臓といった臓器を止めてしまうのだ。抜いた相手に対してのみなのは超音波が聞こえる範囲が高低音の問題で狭いらしく、遠くにいる人間には聞こえずにマンドラゴラを抜いた者――いわば近くにいる人間――だけは聞こえるそうだ。
これが伝承で呼ばれる死の呪いの正体。植物が動物と違うと認識しているゆえの侮りから生まれた類だな。植物もれっきとした生物だ。動物となんら変わりはないという意味である。
「あのよぉ…耳栓をしているのにお前の声が聞こえる自体で効果の信用が出来ないんだが?」
「死ねる類の波長だけは防ぐようにしてあるから安心して引っこ抜きな」
「いや、俺って人狼じゃん。人間と違って聴覚もすぐれて――」
ライザが何か言っている間にも俺は次のマンドラゴラを引き抜いた。
「ぎょえぇぇぇ――っ!!」
ちなみに俺は耳栓をつけてはいない。代わりに耳周辺の空気を真空にして音が聞こえないように魔導をかけている。とはいっても抜く一瞬だけだ。長時間かけつづけると圧がかかりすぎて俺の鼓膜がやばい事になる。
早い話が『あったまボーン!』だ。
「いいから抜け」
「な、南無三っ!」
俺からの睨みに恐れたライザは覚悟を決めて両手でマンドラゴラの茎を掴み取り、引っこ抜こうとしたが、
「んなっ! こいつ見た目に反して結構固ぇっ!?」
マンドラゴラの根は力強く地面に根強いており、大人でも抜くのに苦労する代物だ。俺も片手で難なく抜いているように見えるが、実際は魔力を手に込めて抜いている。
「うおぉぉぉっ!!」
「あー言い忘れたがマンドラゴラは茎を折るなよ? もし折ってしまうと――」
言い終わる前にライザの方から"ぶちっ!"と草が切れる音が聞こえた。
「悲鳴じゃなく代わりに衝撃波付きの怪音波が発生するからとっても危険だからな」
「ぎゃあああああああああ――――っ!!!!!」
「ほげえぇぇぇっ!!」
マンドラゴラの葉茎を持ったまま、ライザがマンドラゴラの怪音波によって身体を宙に吹き飛ばされた。良く飛んだものだ。ざっと三メートルはくだらないか? 俺は瞬間的に防護結界を張っておいたから防げたが別にいいが…。
「まったく、もったいない真似しやがって…。茎が折れたマンドラゴラは使い物になんねぇんだぞ?」
「…あの、マンドラゴラより俺の心配してくれないの?」
ぷるぷると震えながらライザがこちらへと戻ってくる。
ほぅ、本当になかなか頑丈だな。普通だったらあの怪音波で失神する代物だぞ?
必要量までマンドラゴラを採取していき、収納の箱にはうじゃうじゃと根を微かに蠢かせているマンドラゴラ達がいっぱいに収まった。慣れない者にとってはこの光景だけで嫌悪感が浮かぶが、長年扱っている身だ。もう慣れた。
「そういやさクリム、マンドラゴラはどんなことで使っているんだ?」
「前にシェリーに使った鎮痛剤の補充や俺のローブに魔除けの付加をするための素材としてだな。出来上がるには相当な手間と時間を要するからな」
マンドラゴラは医学面での使い方は麻酔系統、魔導や魔術ではトリカブトなどを染料に混ぜ込んで魔物避けや呪い弾きといった魔除けの呪い系統としての魔導を使うための材料となる。扱いは危険度中級であり、素人が扱おうものなら初工程での煎湯の際で沸騰して浮かび上がった湯気に乗って成分が身体を犯すだろう。じっくりと一定温度で煮詰めないといけない繊細な技量が必要だ。
「もちろん、まだ土落としぐらいは手伝えるだろうな?」
「いや、俺これから彼女との逢引があるんで…」
逃げようとするライザの肩を強く引いて阻止しておく。
嘘はいけないなライザ。今のお前は前に俺のトラップで全身の毛が短く綺麗にカッティングされた人狼にとっては恥ずかしい姿じゃないか。今のお前から誘われて付き合おうと思う物好きな雌は果たしていると言うのか?
「鬼だぜあんた…いや悪魔だ」
「褒め言葉として受け取っておこうか」
まぁ、ライザの場合はマンドラゴラを洗うには直接手で触らないといけないからな。洗っている間にも蠢いて根を絡ませてこようと生理的にも不快感を及ぼす行為が待っているだろう。だが我慢しろ、ちょっと手首が痛くなるぐらいだ。
念のため再度マンドラゴラの質を一本ずつ確認していく。持ち上げると根を絡ませてこようと蠢いているが、葉茎の部分で掴んでいるので届かないから心配なかった。
一本、また一本と成熟具合を調べて箱へと戻していく。
最後まであと数本かと差し掛かったところで俺は目を凝らした。
「おや、こいつは…」
一見見れば普通のマンドラゴラだが、茎根の先端を調べてみると微かな膨らみが感じられた。一本無駄にするのは勿体ない気がするが、俺はその部分をめくり出すように力を加えて茎根を傷つけて開いた。
中から青く瑞々しい球が現れた。その正体はマンドラゴラやアルラウネの幼期にして新芽であるマンドレイクであった。俺は力加減を間違えぬようにそのマンドレイクを摘み上げる。
「珍しいな。マンドレイクが出来ているのを採取できるのは」
マンドレイクは種子植物みたいに花を咲かして種を付けるような生態で出来るものではない。正確には根茎に分裂体として幼期を過ごす塊のことを指す。
マンドレイクが出来るのは曖昧であり、成熟した直後で出来る事もあれば、枯れる寸前で出来る事もある。アルラウネを育てるよりかは見つけるのは簡単ではあるが…。
「ふむ、これは中々良い物を手に入れたかもしれんな」
マンドレイクを手に入れた以上、このまま植え付けて成熟を待つのもなんだから一旦保留にしておいたアルラウネの実験でも再開してみるか。このための実験にちょうどいい素材が揃っている訳だしな。なるほどこれは楽しみだ。
俺は微笑を浮かべた。
「…………」
その顔を見ていたライザが引いていたのに若干気に障ったが、特別に許してやった。命拾いしたな、もし今の俺が気分悪かったら死なない程度に投薬実験でもしてやるつもりだったぞ。
マンドラゴラ採取から帰って来た俺は一度シェリー達の看病をして問題ない事を確認してから先ほど思い浮かんだ実験を行うべく研究室に籠った。ちなみにライザは採取してきたマンドラゴラの水洗いだ。時折悲鳴が聞こえてくるが、あいつの働きぶりに期待しておこう。
「さて、やるか」
何、簡単な実験だ。ここで保存しておいたシェリーの血液サンプルを使う。普通に水をまくようにしてもいいが、マンドレイクのような植物はさらに細い注射針で直接注入してみた方が効果は表れる。
そもそもマンドレイクからの成長決定はある種の媒体を与えると確率が高まり、任意でマンドラゴラかアルラウネを発現させる事ができる。
それは何か? 最も効率的な媒体は男性の精液か女性の血液で雌雄が決められる。俺もマンドレイクを植えてマンドラゴラにするのに雄牛の精液を与えている。
それでも、アルラウネは女性の血液を与えたからといってできる物ではない。これには血液の濁りとして魔力が微量でも含んでいると確率を反転してしまうからと証明されており、この俺でもアルラウネを確実に作る方法は編み出せてはいない。時間と手間がかかりすぎるからこの類の研究は保留にしたままだったが、今回は違う。
魔力分解能力者という特殊な能力者の血液だ。純粋な女の血液を提供できるという利点が生まれている。
「ゆっくり…慎重に、慎重にだ……」
自分の指先の感覚だけを信じて注射器のピストンに圧を加えていく。急ぎ過ぎるとマンドレイク自体を殺しかねないからな。貴重な素材をそんなつまらないミスで無くすのは俺でも御免だ。
注入を無事終えた後は植え付けだ。魔術や魔導系統の植物に使う特殊配合の肥料土を鉢にマンドレイクと共に入れていく。マンドレイクにただの水を与える必要はない。先ほどの血液で水分は十分だからだ。
後は日光を十分に与えればいいのだが、薬草畑にわざわざ植え直しに行くより様子を見るため近くに置いておきたいし、何よりもう鉢に植えてしまった。
(家の庭に置いておくか。なら早速場所決めとして下見をしにいこう)
鉢を机の上に置いて俺は研究室から出ていった。
この時、俺は気付かなかった。背後で鉢の土から盛り上がりが出来始めていた事に…。
◆◇◆◇
丸一日を絶え間なく襲った発熱に耐え抜き、私は回復を果たしていた。
クリムさんの薬と私自身の体力による賜物だ。まだ虚脱状態が少し抜け切れてはいませんが、立って歩くのに支障はない。
「あいっ! あぅぁーっ!」
「ありがとう、心配かけちゃったね…」
空中浮遊の魔導を不安定ながらも物にしていたエレイシアが浮かんで私の胸に飛び込んでくる。元気な私の姿を見てご満悦といった様子だ。
「よかったよかった!」
「一件落着!」
ボーとキキも嬉々として踊りを始めた。
「…ううん、まだ終わってないわ」
その通り、まだ治療を受けているヤンが心配でした。カサンドラに身体の一部を切り裂かれるほどの重症。すぐに治りそうは無いと一目瞭然でしたので、再び元気な姿を見せてくれるのが正直待ち遠しい。
先ほどクリムさんが自分の看病で訪ねてきましたが、その時にヤンの状態を聞いておけばよかったのが少々悔いる事ではありますが、機会は何度でもある。
少し重い足どりでクリムさんがいる研究室へと向かう事にした。私の胸にはエレイシアが抱かれ、両肩にボーとキキが乗りかかってとこの形が定常化しつつあった。
窓から差し込む日の光でベッドから起き上がったばかりの肌を温めつつ、通り慣れた廊下を歩いていく。いよいよクリムさんの研究室にたどりつくといった所、
「……んっ?」
私はクリムさんの研究室の開いたドアの隙間から奇妙な物を発見した。
緑色の紐のような物がいくつも研究室から出てきているような形だ。恐る恐る忍び足で近づいてその正体不明の物を目視で調べてみる。
「これって…蔓?」
緑色の紐は植物で良く見られる蔓でした。試しに持ってみると柔らかく青々しい感触が伝わってくるので間違いない。
ですが、何故に蔓がこんな所にあるのでしょうか? この理由は研究室にあるらしい。
私はそのドアを開けるのに一瞬戸惑う。なんせ、かつて酷い目に遭った経験が目の前の部屋にあるために恐怖心が拭えていない。試しにちょっとドアを開けて隙間から覗きこむように見てみる。中は真っ暗ですが、確かに物音が聞こえ、物陰がわずかに蠢いている。
「クリムさん?」
この部屋にいるので思い浮かぶのは当然、その主であるクリムさんだ。私はクリムさんの名を呼んでみたが、その途端に物陰はびくっと驚いた動作をして止まった。隙間で目を凝らして見てみると、どうやら私をうかがっているように見えた。
意を決して私はドアを完全に開けてみた。光が影を振り払い、研究室の内部を明確に照らしていき――
「とりゃ~っ!」
――突如として物陰が私の方へと飛びかかって来た。
「ひゃあっ!?」
たまらず私は悲鳴を上げ、そのまま飛びかかって来た物陰を受け止めた。勢いに反してその力は弱く、軽く受け止められる。
ようやくその正体の識別を可能にした。
「…へっ?」
一言で表すならば大きな花でした。ですが、これは上辺だけを見た感想でしかない。花の下にははっきりと『少女』の姿をした何者かがいた。少女とは言っても人間ではない。全身が青々しい緑色…それも全裸の姿で……。
さらには少女には下半身がない。いえ、足がさらに大きな花から出てきているような形が下半身として出来上がっていた。
いったい何者かとエレイシアを片手にもう片手でこの不思議な少女の身体を少し離して顔を見てみる。その顔はなんとも可愛らしい顔をした少女のあどけない物でした。
謎の少女は私と目と目が合うや、ぼぅっとした表情からにんまりと笑顔を浮かべ、
「ママーっ! 会いたかったよーっ!」
改めて私の身体をその緑の身体で甘えるように抱きしめてきたのでした。