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第十七話

 風を置き去りにしながらローブは力強く羽ばたき、俺は空を()けていく。飛翔の速度は魔力を込めるほど上がる反面に効率が悪く、本来ならば滑空してでの飛行の方が魔力消費に優しく、俺も重視する方法だ。それにもかかわらず俺は全速力をキープして自分でも思うように無茶な飛行方法を取っている。理由は単純明快、急いでいる。


 衝撃波(ソニックブーム)が発生するレベルの速度は俺の身体をばらばらにしようと空気抵抗として押し潰してくるが、多重に編んだ結界で強引に防いでいる。

 

 俺の身体には痛覚がない。

 

 これは一見便利な状態だと考える者がいるかもしれないが、実際はかなりのハンデだ。痛覚は何も身体から血を流す事で出るような痛みだけではない。寒さや暑さも痛覚の一種に入っている。


 人間の限界はほとんどが痛みで判断してくれるが、それがない俺には常に死の可能性が潜んでいる。

 

 ――もしも、脳や臓器が故障していることに気が付かず、極度の寒さや暑さで凍えたり項垂れたりしたままで身体を酷使したとしたら…。


 俺は不老ではあるが、不死者ではない。いわば体力や容姿を若作りしているような『爺』としか言いようがない。さすがの俺も死ぬ事を進んで望むような真似はしない。


 死んで残るのは無――。


 これが嫌だから俺は今日の今まで生きてきた。






 やがて、見慣れた樹海の上空を通過していく。そろそろなので準備をしておく。森に張り巡らせた探知の魔導を腕輪の魔導具を通してではなく、視覚や聴覚に切り替えておくのを忘れない。


「…あのやろう」


 ここで見えたのはエレイシアを喰らおうとしているカサンドラの姿であった。


「俺の物に手を出すとは…」


 俺は自分のお気に入りを汚されるのが何より嫌いだ。


「そんなに死にたいか?」


 無意識に殺気を漏らしてしまった。だがこれでいい、これでカサンドラも俺の事に気が付いただろう。

 

 俺のいる方向へと顔を向けているカサンドラを感じつつ、手に魔力を纏って圧縮の魔導を強力にかけていく。ただかけるのではなく、小指側の掌部分は薄く鋭く伸ばした形にする。これにより生身以上に強力となった手刀が出来上がった。


 狙いを定めて俺は急降下を始め、カサンドラへと向かった。相変わらず狂った女だ。そのふざけた笑い面を見ていると腹が立ってくる。


「あはぁ、クリム~!」


 だからひとまずその顔を落としてやろうか? いや、それよりもやるべきことがあるな。


「シッ!」


 手に纏った刃状の魔力を居合のように腕を振り放った。


 その進行経路を邪魔をするはずの木々は次々とバターにナイフを入れるように通り抜けてカサンドラへと向かった。だがこれは囮。本当の目的は直接攻撃。魔力を放つと同時にそれを追っていく。

 

 初めの攻撃を一本の脚の爪で難なく弾いたカサンドラのわずかな隙を狙い、エレイシアを抱き上げている腕を俺は二本とも手刀で切り落とした。腕から血が噴き出る瞬間を待たずして俺はエレイシアを奪い返し、続けてシェリーの元へと飛び寄る。


「あはっ!」


 ローブが周りを渦のように覆って俺を含めて防御に使えるようにするが異常を発見。黒い泡を吹きだして溶けかけている部分がローブにあった。


 …カサンドラめ、あの会合の一瞬で俺に攻撃を喰らわせてきたか。また強くなったようだな。この黒い部分はカサンドラの脚の爪から分泌している猛毒だ。触れれば命はない。


「あぁん、いったぁーい」


 カサンドラの本当に危険な所はタフネスでもスピードでもない。やつの体液すべてに含まれる『猛毒』だ。唾液程度なら弱いかもしれないが、常人にも危険であることは変わりない。

 

 カサンドラの毒は様々な種類が含まれている複合体でもあるのだ。その強さは分泌する部位によって違い、特に脚の爪から分泌している毒は俺でも危険だ。一滴だけでも水源に混ぜれば国の人間すべてを滅ぼすともいわれる代物だからな。


 俺は毒で浸食されつつあるローブ部分をまだ大丈夫な部分を少し入れて手刀で切り落とす。まったくなんて毒だ、このローブはマグマの熱にも耐えうる火竜の翼膜を使って作った俺の傑作だぞ。そんなの関係なしに汚染させるからたまったものではない。


「うふふ、クリムウゥゥゥ……」


 カサンドラが俺に妖艶な視線を向けて笑みを浮かべている。


「とっとと帰れ!」


 それに俺は冷ややかな視線を向けつつ、昨日温泉を掘りだす際に使った魔力弾を練り出しカサンドラに放った。硬い岩盤でさえ削り取る威力を誇る魔力弾はすさまじい速度でカサンドラの身体に当たり、その衝撃を真正面に与え続けながら身体ごと押していく。


「もぉつれないわねぇ あなたと私の仲じゃないの」


「…でたらめが」


 だが、これでは駄目だ。カサンドラの身体は人間部分も含めてかなりの固さを誇る。俺の魔力弾も中々の威力ではあるが、力の作用が面では線より落ちる。事実、カサンドラは数秒身体で魔力弾を受け止めたものの、跳ね返すようにして魔力弾を森の彼方へと飛ばした。それでも傷は負った事によりカサンドラ特有の緑色の血が(にじ)み出ている。


「これよ、これを待っていたのよ! この痛み! この身体に稲妻が奔るような刺激を!」


 しかし、カサンドラは痛み自体を快楽に感じる生粋の変態だ。おまけに相手を虐めることにも快楽を感じるというのだから手に負えない。


「あなただけなの! こんなにも気持ちいい物をくれるのは! あぁ愛してる! そう、これは愛なのよクリム!」


「そんな愛があってたまるかこの変態がっ!」


 これ以上話を続けてもカサンドラを(よろこ)ばす要因にしかならない。

俺は質より量を考えて矢を放つように魔力を込めた鋭い突きを繰り出し、魔力弾を大量に放った。

 

 これで牽制。カサンドラが怯んでいる隙にシェリーを抱いて一気に家へと戻った。


「クリム、さん…」


「じっとしていろ。できれば動こうと足掻くな」


 シェリーを急いで俺の研究室へと連れて行き、手頃な台の上に寝かせる。検視で手始めにシェリーの右手の甲をじっくりと見てみると、しだいに変色しつつある肌の部分が見られた。これは酷い…微弱な毒が皮膚を侵食し始めている。


 俺はすぐさま必要な薬剤と道具を取り出して治療に取り掛かる。カサンドラの毒には有効的な解毒法は俺でさえ今だ見つけていない。だが、毒の効果を薄め、身体の腐食や汚染を食い止めることはできる。


「まずは余分な毒を無毒化させる」


 俺は火の魔術を蝋燭の火程度な規模で指先に行使してとどめる。傍から見れば指に火が灯っているように見えるかもしれないが、俺は至って真剣だ。まずはぐじゅぐじゅになりかけている皮膚部分を毒ごと焼き尽くす。幸い骨までは達してはいない。


(危なかったな…もしそうだったら腕を斬り落とす覚悟をさせる羽目になるところだった)


「痛いぞ、我慢してろ」


 シェリーに手頃な布を噛ませて舌を誤って噛まないようにさせる。俺のやることを理解したのか、シェリーは目を見開いて俺のことを見てくるが、覚悟を決めたのか俺を信頼した目で見てくる。そうだ、それでいい…。

 

 迷わず俺は火の魔術をシェリーの手の甲に付けた。


「――――ッ!!」


 布越しで喉から叫ぶシェリーの絶叫を聞きつつ、念入りに侵食部分を焼き尽くす。時間にして七秒ほど…火で治療をするという行為を経験をしたことがないシェリーにとっては地獄の七秒だったに違いない。荒療治かもしれないが対象が対象だ。正攻法で解決する余裕がない。

 

 侵食部分の消滅が確認したところで治癒の魔導を行使する。これは生物の基本単位とされる細胞の中に存在する気を生産する器官に一種の電気信号を送り、細胞の超速分裂を促す。

 

 この魔導は俺と師が改良に改良を重ねて作り上げた特別製だ。基本として教本に載っている代物とは訳が違う。俺としてはめったに使わなくなった魔導だが、こうして使う日が来るとはな…。


 いや、思い出に浸っている場合ではない。傷からの毒の侵食は防止できたが、血液中に既に入った毒素は取り除きようがない。ここで俺はかつてカサンドラから採取した血液を解析し、それから対抗として作り上げた免疫活性剤をシェリーに注射した。元々俺は最悪にして最強の猛毒を持つとされるカサンドラの噂を聞いてそこから初めて遭う事になった。たしかに猛毒だった、存在そのものまでもな…。

 

 そのおかげでこうして何度か付きまとわれているというツケを払わされている訳だ。


「くそ、三十年もの間で何度追い返してやったか数えてられるか!」


 カサンドラの執着心は俺でさえ手に負えない。あいつの大好物は自分を知りたいと思ってくれる者そのものだ。ほとんどの者から恐れられ嫌われているカサンドラにとって好奇心を向けられる事は何よりの幸福と感じられる。


 だから、離したくなくなる…たとえ『死体』にしても、だ。


「ふぅ、これで一応は凌げるだろう」


 最後に秘薬を混ぜ込んだ特殊の軟膏を塗り込んだ包帯をシェリーの右手に巻き、気休め程度だが解毒剤を点滴で投与する。


「クリムさん…ヤンを…ヤンを助けて……」


 薬の効果ですぐさま痛みが和らいだ事により、余裕を持てるようになったシェリーはじっとりと汗をかきつつ、弱々しい声で何かを伝えようとしている。


「…いいだろう」


 まったく自分がどれほど危険な状態かわかっているのか? なのに他人の心配をするとは…極度のお人好しか単なる甘ちゃんか。

 

 だが、妖精達がシェリーとエレイシアを守ったことは事実だ。それには報いなければならない。そうしなければ俺は…。


「クゥ、リィ、ムウゥゥゥゥッ!」


 その時、家全体が大きく揺れた。どうやらカサンドラが家全体を力づくで揺らしているようだ。だが甘いな、この家は赤霧の森の(かなめ)そのもの。俺の研究成果の大半を詰め込んだ最強の結界を張ってある。いくらカサンドラが規格外といえども、害意ある存在で俺が拒否した者など絶対に入れないようにしてある。


「早く出てきてちょうだい。一緒に遊びましょうよぉっ!」


 それでも結界自体を揺らすとは大した力だ。しかしカサンドラの呼び掛けには俺は応じなければならない。なぜならあいつは満足しないと絶対に帰ってくれないからだ。


 ひとまず、妖精の一匹――ヤン――の治療を始めるとしよう。


「…これは」 


 霊的物質が大分流れ出てしまってるな…これは少しまずい。このままだと存在する力が無くなってこの世界から消えてしまう。


「本当ならこの程度でこれを使うつもりはないんだが…」


 仕方がない、本当なら下位程度の妖精に貴重な薬品を使うのはもったいないが、仮にもエレイシアに加護を授けている妖精だ。それに『良い物』も見せてくれたしな。


 代金は…そうだアリスに今度請求しておこう。もちろん、拒否するつもりなら強引にでも搾り取らせてもらおう。決して高利貸しみたいな真似はしないから安心しろ。いや、言っても無駄か。






「はあぁ…終わった」


 今だカサンドラが家を揺らしていてやかましいが、ヤンの治療は終わった。人間と違って幻想種の治療は複雑で面倒この上ない。説明したいところだが、何十項もの工程を介した都合により長くなるので割愛したい。


 では、あらためて今回の騒動となったカサンドラの相手をするとしよう。いささか苦しい戦いになるかもしれない。魔力を結構消費したし、疲労もかなり溜まっているのが、関節の鈍さで現れているのが分かるくらいに俺の体調(コンディション)は最悪に近づいている。

 

 時間をかけると少しまずくなりそうだ。短期戦で片を付けるのが得策だろう。


 俺は椅子から立ち上がり、最後の仕上げをする。さすがにこの状態でカサンドラ相手に手ぶらではきつい。久々にこちらも武器を使わせてもらおう。


 机の隠し棚から俺は一本の純白の長い杖を取り出す。俺の身長より少し長めの大きな杖をだ。隠し棚は見た目は小物入れだが、ある法則に従って開けることにより本来仕舞われているとある場所へと繋がるようになる。


 これは俺の生涯の研究で生み出した魔導を完璧に制御するべく作り出した最高の魔導具の一つだ。材料はユニコーンの角、万年樹の枝、蛇王(バジリスク)の骨と他にも様々な物が使われている。

 

 用意は整った。今から戦場へ向かおうとしたその時、ローブが引かれる。


「駄目、行かないで…」


 シェリーの手だった。いつも見える元気な姿は無く、そこにいるのは恐怖で怯えて庇護を求める少女そのものだった。シェリーの目は「一人にしないで」と訴えているかの意思が表れていた。

 

 そんなシェリーに俺は父親のような気分を感じつつ、頭を撫でてやる


「すぐ戻る。安心しろ、お前には傍にいてくれるやつらがいるんだ」


 近くにいたボーとキキがシェリーの近くに降り立ち、俺がした目配せの意思を受け取る。強い眼差しだ。少なくともシェリーの心の支えにはなるだろう。


 続けてエレイシアの方を見てみると、どうやらやる気満々だが、ここは俺に任せとくよう諭しておいた。その代わり、「必ずあいつやっつけてこい」と言うかのように声を張り上げていたが。やれやれ、ずいぶんと(たくま)しい赤ん坊だ。将来は勇敢に育ちあがりそうだな。


 では行くとしようか。

 

 こんな老人もどきだが、期待された以上は応えない訳にはいかないんでね…。少しはりきらせてもらうとしようか。

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