第十話
源泉が近くで滝の逆流れのように激しく噴き出す光景を背に俺とシェリーは家の中へ戻った。色々と忙しくなるがここで手を抜く訳にはいかない。踏ん張りどころだ。
一旦俺は研究室に入ってある物を探し出す。本を寄せたり、置き物を引きずったり、引き出しを開けたりする音が探すたびに入り乱れるが、ものの数秒で探し物は見つかった。
(うーむ、今度研究室の片付けでもしておくか)
右手には一つの無骨な作りをした青銅製のハンドベルが握られている。
「待たせたな、これを使うのはこの家を作ってもらった日以来だったから少しどこに仕舞ったか忘れてたんでな」
シェリーに見せるように目の前に出したハンドベルは振動で振り子が鐘を叩き、澄んだ綺麗な音を鳴らした。
「あの、このベルっていったい何なんですか? どう見ても普通のベルにしか見えないんですが?」
シェリーは指で軽く小突くようにハンドベルを触っているが、まるで正体が理解できていないようだ。
これも魔導具の一種だ。珍しくも俺自身が作った物ではなく、他人から貰った物でもある。
「シェリー、まさかこのベルを一振り鳴らせばあっという間に建物が出来上がるとかそんなこと考えてる訳ねぇよな?」
疑うような目つきでハンドベルを見つめるシェリーに一言言っておいた。これにシェリーが「なんだ…」と言うかのようにホッとしていた。おいおい、まさか本当にそう考えてたのかお前は…。
「まぁ、半分合ってはいるがな…」
これにシェリーが「どっちですかっ!」と突っ込みたくなるのを我慢している中、俺は話を続けた。
「これは知り合いのドワーフから貰った『矮土の喚鐘』といってな、鳴らせばあいつらがひとっ飛びでやって来るいわば友好の記念品だ」
説明が終わるや、俺は家から出た。家の扉から数歩離れたところでハンドベルを持った右手を空に大きく掲げた。先ほどの振動で鳴った音とは比べ物にならないハンドベルの鳴り音を強く振り鳴らし、森を包み込むように響かせた。この間隔は三秒に一回ごとで音量は森を包み込むほど…なのにまったく不快な音では無い。傍で聞いているシェリーもうるさく感じてはいない様子だ。腕に抱かれているエレイシアも満更ではなかった。
一振り、二振り、三振りとハンドベルは俺の手によって合計十回鳴らされていく。その音は今だ木霊してこの場にいる俺達の耳に根強く残った。
シェリーにはこの音がこれ以上鳴らされないことに名残惜しいと感じている様子だ。
木霊がようやく聞こえなくなる頃、地面が微かに揺れてきた。この揺れはしだいに大きくなり、膝にまで強く伝わるほど変わっていった。
「……来たか」
俺はそう小さく呟きつつ、奥の森へと視線をじっと見つめている。シェリーも同じ方向に視線を向けて見ると、木々の間から土煙を上げてこちらへ近づいてくる存在が見えてきた。
すると、森はその来訪者を歓迎するかのように木々が自ら移動して来訪者のための一直線な道を作り上げていった。
結界を一時的に切ったからだ。予約は無しだが、迎える側である以上、馬鹿げた待遇をするのは俺には好かん。
こうして、ついに森を抜けて俺の敷地となる領域に入ってきた彼らの正体はシェリーにもようやくはっきりと見えてきた。
「馬車?」
シェリーがそう言うが、実際は馬車に似ているが違う代物だ。特に引いているのが馬ではなく、茶色をした巨大な車輪のような何かである。言っておくがこいつはれっきとした生物だ。引かれている荷台は一般に見慣れている形だが、少し小さくて普通とは違う屋根無しの構造であった。
シェリーが正体を見極めようとしている間にも馬車もどきは俺達の目の前に急ブレーキして止まった。
「へい旦那! ひさしぶりですっ!」
その瞬間に馬車もどきから突如として声がかけられた。荷台の一番手前で御者をしている者がおり、先ほどの声の主でもあった。身体は五歳前後のように小さく、これに対し顔は長く白い髭を生やした大人の物。人間の姿をしているが、背は小さく妖精の一種であり、手先が器用で人間よりも高い技術を携えた種族。
その名はドワーフ。俺が先ほど言った『あいつら』とはこのドワーフを意味していた。
ドワーフは名工と言われる者を数多く輩出している種族としても有名だ。この俺でも偶に魔導具の製作の際に相談をする機を作るくらいである。実際は技術提供という名の技術競いだが…。こいつら、俺の魔導具の模造品を作ったことがあるらしい。効力は薄い物でしかないが、その精密さは原点に近く、昔の俺に度肝を抜かせることが何度かあった。
前にシェリーのペンダントを作る際に彫銀したことがあるが、あれもドワーフから昔学んだ技術の一つだ。
「腕は落ちてはいないだろうな? それだとわざわざ呼んだ意味がなくなるからな」
「へへっ、あっしらを見くびらないで下せぇよ。ドワーフの技量は日々進化していることで有名ですぜ?」
俺は御者をしていたドワーフと話を始めた。荷台の方にはさらに何人ものドワーフが押し詰め同然に乗っており、待機状態でじっとしている。
そんな時、あの茶色の車輪のような何かが一人でに蠢きだした。それはしだいに形を変えて車輪の円の形から解けるように横長の形へと変形した。まるでダンゴムシだ。
だがそれは大きなダンゴムシなんかではなく立派な角を持つ頭と強靭な短くて太い脚を四本生やした牛であった。牛は丸まった身体を伸ばしきるや、顔を地面に近づけて生えている草をむしゃむしゃと食べていた。
こいつの名は『ダンゴウシ』。
名前からして見たまんまだな…。
しかし、間抜けそうな名前と顔とは裏腹に強力な怪力を誇る魔物の一匹だ。油断してると突進で内蔵をぶちまけられる羽目になるぜ?
「姉さん、ダンゴウシが珍しいんで?」
いつのまにかシェリーがダンゴウシに釘づけになっている。驚いた表情をしているシェリーを見たのか、荷台にいたドワーフの一人が声をかけていた。
目を見開いた顔をしつつ、シェリーがこれに顔を縦に頷いて肯定の意を伝えた。
「そうですかい、ですが戯れに触ろうと考えねぇ方がええですぜ? こいつらは本来ならば獰猛な暴れ牛の魔物であっしらでも手懐けるのに一年近くかけたもんで」
ダンゴウシは野生では獰猛極まりない魔物で少しでも動く物を見れば先ほどのように丸まって突進してくる習性がある。この魔物によって旅途中の冒険者や生態調査にきた専門家が幾人も大怪我をした事例がいくつもある。
だが、飼い慣らせれば馬より早く強力な役畜となり得る存在だ。人間にも少数だが、ダンゴウシと心を通わせられる者が出てくるらしい。それでもドワーフにはまだまだ敵わないだろうがな。
「こいつは手前が認めた奴でないかぎり背中を預けたがらねぇんですよ」
なるほど、ダンゴウシを手懐けるドワーフの技量は考えてみれば素晴らしいに違いない。
「だっ! あうあうっ!」
そんな時、エレイシアがシェリーの腕の中で突如として暴れ出した。見てみるとエレイシアは目の前のダンゴウシに手を伸ばそうと必死だ。どうやらダンゴウシに触れたがっているのだと一目瞭然で理解した。
「だーめ、危ないからよそうね?」
「うー…」
エレイシアの手を塞ぐようにしてシェリーは手で覆った。確かに目の前にいるダンゴウシは良く見てみると毛並みがふさふさとしていて気持ちよさそうだ。おまけに地面を転がるために硬質化したらしい背中の分厚い皮はごつごつとしていて感触に興味を湧かせる。
だが見縊らない方がいい…。
シェリーさえも一瞬、触りたい衝動にかられていたが目の前でのんびりと草を食べている一見大人しそうなこの魔物は飽くまでも『あの』ダンゴウシだ。暴走させてまで触りたいとはシェリーも思わないだろう。
だが、ふとダンゴウシは草を食べるのを止めて顔を上げてシェリーの方へと視線を向けた。唐突な出来事にシェリーは何かダンゴウシに対して気に障ることをしてしまったのかと内心恐れていた。
ダンゴウシはシェリーをジッと見つめているだけで何もしてこなかった。
ふと、ダンゴウシの瞳を良く見てみるとシェリーにその視線が向けられているのではないと気付いた。
「…エレイシア?」
その視線の方向を目測して追ってみると、シェリーの腕に抱かれるエレイシアに重なった。ダンゴウシの視線からわかったのだがエレイシアもまたダンゴウシと同じように見つめ合っていた。
一人と一頭の様子をこの場にいる俺とシェリーとドワーフ達が見守る中、先に動いたのはダンゴウシであった。顔をエレイシアに近付けてすんすんと鼻で匂いを嗅いでいる。鼻息はシェリーの顔に当たるほどに荒い物であった。
「あいっ!」
これに対してエレイシアはいきなりダンゴウシの鼻頭を掴んだ。
「ばっ…!」
「エレイシアっ!?」
「い、いけねぇっ! 早く押さえろ」
俺を含んだこの場にいる者達は一斉に慌てた。戯れに触れたら危険だと教えられたばかりなのに赤ん坊であるエレイシアにはそんなこと理解できるはずもなかった。
俺やシェリーやドワーフ達にできるのはこれ以上エレイシアが下手な刺激を与えたり、ダンゴウシが暴れ出そうとしないよう対策を取ることだけであった。
けど、これは不発に終わった。
なぜならダンゴウシがエレイシアのことを嬉しそうにしながら牛独特の長い舌で舐めており、この行動をエレイシアは楽しそうに戯れ合っていたのだ。
「こんらたまげたなぁ。あっしらのダンゴウシが赤子に心を開いとる」
そんな光景にドワーフ達は揃って全員、心底驚いた顔をしている。シェリーの方はエレイシアを抱きしめてる中、どうすればいいのか正直理解できないでいる。
とりあえず俺も大事にならなくてよかったと安堵した。
「おいおめえら! いつまで突っ立ってやがる! さっさと準備に取り掛からんかいっ!」
するとそこへ御者のドワーフがシェリーの傍にいるドワーフ達に向けて叱咤した。
「へい、親方っ!」
親方と呼ばれたドワーフが一言叫ぶや、ドワーフ達は荷台から個々の道具を取り出して一斉に飛び出す。それはのこぎりやら金槌、ノミやらカンナと種々多様な大工道具が中心を占めた。
ドワーフ達が親方の元に集まって何やら点呼を始め出す中、話が終わった俺はシェリーの傍に寄った。
「おや、これは中々面白い図だな」
「あの、見ていないで一応は助けてくれませんか?」
エレイシアを舐めて戯れていたダンゴウシの舌はシェリーにまで範囲が及んでいた。シェリーは試しに少しずつ下がってエレイシア共々にダンゴウシから避けてみようと試みていたが、その分ダンゴウシが離れた分だけあちらから近づいて来る。これを何度か繰り返していて逃げては舐められ、逃げては舐められという行為の螺旋からシェリーは逃れられなくなっていた。暴れられるのを恐れて激しい行動ができないのをいいことにシェリーは完璧ダンゴウシに弄ばれている感じであった。
「…少しじっとしていろ」
俺は「仕方ないな」と呟いてからシェリーにこう言ってまずシェリー達を遮るようにダンゴウシとの間に入った。唐突に表れた乱入者にダンゴウシは邪魔をされて不機嫌になるが、かまわずダンゴウシに装着させられている鼻輪を掴み上げた。
その光景にシェリーは「ひっ…!」と小さく悲鳴を漏らした。この次に起こる出来事を予想したんだろう。現にダンゴウシはしだいに気性を荒くし始めて今にも突進してきそうだ。
――安心しろ、俺は勝算の無い無茶はする主義はない。
俺は冷たい視線へと変化させ――
「食われたいのか?」
――こう一言小さく低い声でダンゴウシに向けて言った。
その瞬間、しばしダンゴウシは硬直したかと思いきや、いきなりがたがたと震えだした。次には丸まって何かから身を守るように縮こまってしまった。
「これでいいか?」
俺はシェリーの方に振り返ってこう聞いた。
――いったいダンゴウシは何を見たのだろうか?
シェリーが今だ震え続けるダンゴウシを気の毒そうに見つめながら俺の言葉に返事を返したのであった。
だが見ない方がよかったのかもしれない。ダンゴウシは見てしまったのだ。魔物の順序は実力主義だ。強い者に弱い者が従うという。ダンゴウシもこの順序の中で中々の高さに入っているが元は野生に生きてきた身として分かってしまうのだ。
自分よりも圧倒的に強い存在という物が…。その存在が己に対して嬉しそうに『食う(殺す)』と真正面から宣言したとなるとこの時の恐怖は測りきれなかった筈だ。