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プロローグ

 俺は困り果てていた。真夜中、自分の真ん前で赤子を抱きかかえながら(ひざまず)く女性の存在に。


「この子だけでも、どうかこの子だけでもっ!!」


「…どうしろって言うんだか」



◆◇◆◇



 赤霧(あかぎり)の森――。


 ある者にとっては聖地とも呼べる秘境と、またある者にとっては魔境とも呼べる地獄の場所。その森にはその名の通り、一日中赤みを帯びたじめじめとする霧に包まれており不気味な雰囲気を漂わせている。

 

 専門家によると霧の正体は一種の魔術であり、これが身体に入ると方向感覚を狂わせ、時には幻覚を見せるのだと述べていた。命に別状はないが危険な霧に変わりは無い。


 森には入り口も無ければ出口も存在しない樹海の中心辺りに位置するとされ、幾人もの人間がその森の発見に挑戦してきた。

 

 だが、結果は何も見つけられなかった人間が大多数。見つけて入ったが、いつの間にか元の出入り口に戻された人間が少数。真相を突き止められた者は誰一人として現れなかった。


 それでも赤霧の森を探そうとする者は絶える事はなかった。これには一つの伝説があったからだ。






 昔、一人の少女が赤霧の森があるとされる樹海に入った。


 なぜならその少女の母親はとてつもなく重い病にかかっており、当時は一度かかれば死から免れることは不可能とされたそうだ。

 

 少女はそんな母親のために病の進行を遅らせる事ができる薬を欲した。だが、薬は一介の市民が手に入れるなど無理難題な金額だった。


 ――買えないのならば採りに行けばいい。


 諦めきれなかった少女はその思いに希望を託して薬の材料があるとされる樹海へと踏み行った。そこらの冒険者ならば死んでも踏み入れたくないとされる赤霧の森がある樹海へと…。


 薬の調合自体は簡単だが、その材料とされる薬草が大変希少で一月に一つ取れるかどうか疑わしい物だった。その薬草を得るために一体どれほどの犠牲が出たか…。その事実を公表せぬほどに危険な場所に薬草が生えているのが希少という理由であった。


 少女はひたすら耐えた。魔物に襲われるかもしれない恐怖と複雑で絡んだ地形を歩く際の疲労と飢えに。慣れない護身用の剣を片手に少女はこの無謀な挑戦へと挑んだ。樹海に入った経験者ならば少女の事を『大馬鹿者』と呼称するほどの挑戦に。誰もが少女には早死にする運命が待っているだと考えた。


 その予想を見事に裏切るとも知らずに…。


 樹海に入って三日目、その少女は元気な姿をして出てきたのだ。服装はその苦難を物語る程にぼろぼろとなっていたが…。

 

 少女の手には求めた薬草は無かった。けれど、代わりに細い針が付いた小さなガラスの筒が三本握られていたそうだ。当然、少女の生還に喜ぶ者もいれば何があったのかを問い詰める者が出てきた。そんな彼らに少女はこう一言つぶやいた。


 ――神様に会いました。


 少女が言うには、身体が限界でもう動けなくなった時、不思議な光を放つ存在が目の前に現れたらしい。それは「何故こんな所にいる?」と質問した。少女は乾いた喉で母の病気のために薬草を探しに来たと正直に話した。

 

 その次には身体を抱きかかえられ、心地の良い感覚に包まれると共に重くなった瞼を閉じてしまったのだと…。


 久しぶりに安心した気分から蓄積した睡魔が出てきたのだろう。何がなんだかわからぬまま少女は眠りに尽き、覚めた時には柔らかなベッドで横たわっていたそうだ。慌てて起き上がるや、目の前には白い長髪と翆の瞳を持った男がおり、どうやら少女は彼に手厚く看病してもらったのだと気付いた。男は慌てる少女をなだめ、その次には今まで味わったことの無い美味な食事を出してきた。少女は泣きながら感謝し、食事を口にしていったが、ふとしばらくのんびりしているうちに自分が何をしにこの森へやってきたのかを思い出した。


 だが、男は「安心しなさい」と一言。少女に丁寧に包装された件のガラスの筒を手渡してきた。


「この中には君の母を救う薬が入っている。一つは君の母の物、もう二つは君の望むままに使いなさい」


 男は手渡した薬の詳細な使い方を丹念に教えてくれ、少女を樹海の入り口付近に送り出した。出口が見えた際には少女は歓喜し、改めて彼にお礼を言おうとしたが、いつの間にか直ぐ後ろに居た筈の男は消えていた。

 

 しかし少女の視界にはハッキリと映っていた。樹海奥へと吸い込まれるように消えていく『赤い霧』を…。樹海から帰った後はすぐさま教えを受けたとおりに薬を母親へ使い、経過を見守った。だがそれは気鬱だった。


 少女の母親は見る間に元気になり、以前と同じように元気な姿で歩けるようになった。まさにその男は少女にとっての『神様』だったという訳だ。


 しかも、これだけで終わりではなかった。残った薬を専門家に調べてもらうと、薬自体が特効薬になり得る発見が出てきたのだ。これにより、当時猛威を奮ったこの病は一気に鎮圧化されていった。


 その出来事から森には『神が住む』、『たどりついた者には願いを一つ叶えてくれる』、『大昔の賢者が潜む』などと様々な噂がはこびるようになり、数々の専門家や冒険者達が森の完全攻略を目指していくようになった。


 それでも少女以外、『神様』と呼ばれた存在に出遭うことは誰一人として出てくることは無かった。


 今から六十年も昔の出来事だ。


 今としては赤霧の森は初文で述べたとおりの土地としてだけ伝えられ、伝説の事を知る者は当時を生きた老人達だけしかいなくなっていた。もはや伝説は眉唾物の作り話と化した。これを信じるのはただの物好きぐらいだと言われる…。



◆◇◆◇



 まぁ、俺にとってはそんな俗世の話など関係無いがな。

 

 研究の末に編み出した結界を樹海の一部に張り巡らして、こじんまりとした一軒家で怪しげな実験を続けているだけだし…。


「ふむ、ここで火竜の牙の粉末をぶち込んでマンドラゴラの茎根を絞った汁を少量に…」


 加熱し続けるフラスコの中で沸騰する液体を間近に眺めながら俺は試行錯誤を続けていく。


「反応が進行する前にここで万年樹の刻んだ葉を少量…」


 慎重さを欠かさずに集中力を高めて手作業をこなしていく。


「よし仕上げだ。貴重な大怪鳥の涙を…」


 静かにスポイトをフラスコ口に近づけ、スポンジ部分の圧を強めていく。俺は作っている物の完成を今か今かと待ち構えるように眺め――


「おっすクリムゥ! 遊びに来たぜっ!」


 ――突如の邪魔者に力加減を誤り、スポイトから一気に透明な液体がフラスコ内へと吐き出た。


「なんだよまた実験してんのか? たまには外に――」


 実験の邪魔をしてくれた無礼な輩にと俺は問答無用のラリアットをかました。大車輪よろしくな縦回転をして邪魔者は床に倒れ込み、同時に俺も床に伏せた。

 

 その瞬間、フラスコが発光するや大爆発を引き起こした。一軒家に存在する穴という穴から爆発の衝撃と光が飛び出し、家を大きく揺るがした。


「ライザァッ!! お前は何度言ったら学習するんだ、あぁっ!? 看板かけてる間はあれほど部屋に入ってくるなと言っただろうがあぁっ!!」


「ほあぁぁぁっ!!」


 俺は実験の邪魔をした邪魔者――ライザ――に脇固めを極めた。みしみしとライザから歪な音が出ている。本来曲がる筈の無い方向へと腕が曲がっていく。こいつめ、このまま折ってやろうか?


「わかってんのか? 大怪鳥の涙だぞ! それを手に入れるのにどれだけ手間かけたと思ってる。弁償しろ弁償をっ!!」


「死ぬ死ぬ死ぬっ!! 腕が折れるって!!」


「一本くらいなんだぁ? 骨なんて二百本以上あるんだから一本ぐらいいいよなぁ?」


「わるかった! 謝るから許してくれえぇぇぇっ!!」


 このままだとライザの腕が本当に折れる事は明白だった。危機を感じたライザが必死に俺へ謝罪してくるが気が晴れるまでやってやった。





 

 結局、ちゃんとした話ができるのは十分近く過ぎてからだった。


「それで? このとおり俺は忙しい。馬鹿らしい用だったらてめぇの無駄にでかい下の『竿』を去勢してやろう」


「やめてくれ! お前のは言った事を高確率で実行に移すの間違いなしだって俺達と魔物の間でも有名なんだぞ!?」


 ライザの正体は人型の狼――人狼(ワーウルフ)――だ。


 黒くて艶のあるご自慢のたてがみがいささかか委縮している気がした。ふん、未熟者めが…。ここで常識のままいれると思ったら大間違いだ。

 

 そもそも、この森には普通な者がいるわけがない。しかも俺の作った『赤霧の森』に入り込めるのはその中でも『とびっきり』と認定できる輩だけだ。


 森の一部に幻覚系統の結界魔術を張り巡らせて作り上げた赤霧の森。ライザみたいな節操のない馬鹿に入られるなんざ俺には不愉快極まりないんだが…。


 俺の正体は魔導士だ。とはいっても普通の魔導士じゃない。百年近くを生きる長寿の魔導士だ。もはや人間の域に収まっているかも定かじゃないがな。ふとした理由で俗世を離れて、ひょんな事で不老を得ただけの『普通の』人間だと俺は自分自身を認識している。


 ちなみに名乗っている名前――クリム――は偽名だ。俺の本当の正体を知る者なんて今の世じゃ一人か二人いる程度だ。


「なぁ、そろそろ親しくとは言わねえから付き合い方を変えたっていいんじゃないか?」


 不満そうな表情でライザは俺を諭すように言う。


「断る、俺は誰とも群れるつもりはない。自由気ままに生きるってのが性分に合う」


「そうかぁ、長老は言ってたぜ? 六十年くらい前のあんたは優しさ溢れる人間だったのにってな」


「…昔のことだ」


「やっぱり六十年前に人間のガキを助けたのが原因か? なんたってあのガキは――」


 ライザが次の言葉を言う前に俺は首を掴み上げた。


「…その先は言うな」


「……っ!」


 先ほどまでとは打って変わった俺の冷たい視線にライザの背筋が凍った。


 俺の琴線に触れる事を軽く口にするな。だからお前は節操がないんだよ。


「その無駄に動く舌にはよっぽど良質な油がのっているようだな。どれ、焼き肉用の材料として頂こうか?」


「お、お邪魔しましたぁっ!!」


 俺が懐から小さなナイフを取り出すや、ライザは表現しようのない恐怖に襲われ、たまらず手を振り払って家から飛び出した。


「あっ、結局あいつ…何を言いに来たのか聞いてねえや」


 予定が外れたが、俺としてはどうでもいい事なのでそのまま実験に戻った。俺にとって何より優先するのは実験。それ以外は有象無象、つまりどうでもいい。向こうから干渉してこない限りは動くつもりはない。






 赤霧の森にも夜は訪れる。静まり返った森には微弱な風が吹き抜ける。家には今だ灯りがともされていて家主――俺――が健在であることを示していた。


「これはこの方式…違うなこっちの方を使ってと」


 俺は羊皮紙に特殊なインクを使って文面やら図面やらと書きこんでいた。

 

 魔導士の使命とも呼ばれる『魔導書造り』。己の全てを書として結集し、知識を人の世に授ける事。それが魔導を研究する者にとっての喜びであり定め。


 …くだらないな、俺は俗世を離れた存在。そんな崇拝な使命感による物ではなく、実験記録目的で魔導書を作り上げているような物だ。


 手に持つ羽ペンを動かすのに夢中でいると、ふと家の扉を叩く音が響き渡った。


「……ちっ」 


 それに若干、苛つきながらも俺は羽ペンを置いて椅子から立ち上がった。


「俺の邪魔をするとは大した度胸じゃないか」


 もちろん、俺は話を聞くつもりは無く、少々傷めつけて追い返そうと決めた。指の関節をパキポキと鳴らしつつ、今だ叩かれ続ける扉の前に立ち――


「どこのどいつだ、命知らずな大馬鹿は?」


 ――そう言って扉を開けて目の前に居るであろう存在へと手を伸ばそうとして、驚きでその場に止まった。


 目の前に居るのはなんと『人間』だった。その人間は深くローブを被り、縮こまるようにその場に立ち尽くしていた。だが、注目するのはもう一つの方、その人間が腕に抱える存在。


 小さな赤子の姿がそこにあった。


「なっ…」


「赤霧の森の…賢者様でいらっしゃいますね?」


 人間の声は女性独特の高くて『はり』のある物だった。

 

 しかし、俺にはそんな些細な事実など頭に入らなかった。


(馬鹿な、まさか結界が破られたのかっ!? 何者だ、俺の結界を破るとはよほどの実力者かっ!?)


 様々な憶測が俺の頭を飛び交い警戒する中、女性は俺へと詰め寄るように近づいた。それに反応して俺はいつでも反撃できるように身構えて――


「お願いします賢者様! どうか私達を御救いくださいっ!!」


「……はっ?」


 ――ひれ伏す女を前にその状態のまま固まった。


「二人が駄目と言うのならこの子だけでも…どうかこの子だけでもっ!!」


 状況が上手く理解できなかった。最後に会った人間は二十年くらい前だった筈だ。そんな長年ぶりの人間との出遭いに俺は別種のカルチャーショックを受けていた。

 

「…どうしろって言うんだか」


 こうして、冒頭へと戻るのであった。

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