第2章 二〇〇〇年 六月九日
中学の時初めて彼女ができた。特別カワイイというわけではなかった。でも、いい子だったと思う。中学、高校生の恋愛としては長い方だったと思う、一年ほど付き合った。
別れたわけじゃない。急にいなくなった。それが一番正しい表現だったと思う。
「美沙おまえ、他の男と喋りすぎ」
この程度のことでイライラしていたんだから俺も若かったんだと思う。
「なにそれ。別になんでもないよ。友達じゃん。」
「おまえはそう思ってても向こうはそう思ってないんだよ。好きなの見え見えじゃん。」
雨がしとしと降り注ぐ6月だった。付き合ってもうすぐ十カ月。嫉妬するのはいつも俺だった。
「おまえさ、俺のこと本当に好きなわけ」
「じゃあさ、しげるは私がなんで付き合ってると思ってんの」
「質問に質問で返すな。」
嫌な空気が流れる。雨のせいだけではない。もうだめかもしれないと思った。
電話が鳴った。
「うん。ごめん、先に帰ってて。うん、大丈夫だから。なるべく早く帰るから。」
「親?」
「うん」
駅前のタクシーに長蛇の列ができている。高校生が二人ポツンと立っているのが目立つ。なるべく早く解決したい。何を言えばいいかわからない。どうすればこの状況を打破できるのか、全くわからなかった。
「とにかく今日は帰るね。もう十一時だし。」
「明日一緒に帰れる?」
「私部活だけど。」
「待ってるよ。終わったらメールして」
「わかった。じゃ、またね」
雨の中彼女は走り去った。俺はここから電車で30分くらい。送るなんていう考えは高校生の俺にはなかった。疲れていた俺は早く寝たかった。
「おはよー」
「あ、しげる、おはよう。おまえ大丈夫かよ。」
「はぁ、なにがだよ」
その時の友達の顔はなんとも言えない顔だった。朝からなんでそんな泣きそうな顔してんだ、男のくせに。
「おまえ、とりあえず職員室行ってこいよ。」
「はぁ?なんでだよ?」
「いいから早く行けって。まえどぅ呼んでたぞ」
まったく話にならない。担任のまえどぅは野球部の顧問で三十代半ばのやり手教師だ。生徒からの信頼も厚く、俺も先生の中では唯一と言っていいほど信頼してる先生だ。
「失礼しまーす。前田先生いらっしゃいますか?」
朝の8時。何かおかしい。朝礼は8時半から。この時間に職員室にこれだけの先生がいるのは珍しい。
「前田先生、佐藤が来ましたよ。」
物理の東浦が一番手前にいた。
「佐藤、ちょっと隣こい」
隣というのは職員室の横にある給湯室のことらしい。そこは先生たちの喫煙所にもなっている。どうやらお叱りではないようだ。
「いったいなんなんすか。前原に職員室行けって言われたんすけど」
「おまえ、まだ知らんのか?」
そう言ってまえどぅはタバコに火をつけた。キャスターの甘ったるい匂いが広がる。
「っていうか、生徒呼び出しといてなんでタバコ吸ってるんすか」
「あのな、落ち着いて聞けよ」
この辺りから本当にやばいことが起こってることに気がついた。
「吉田が交通事故でなくなった。」
「・・・いや、先生、吉田ってうちの学年三人いるし。」
「吉田美沙だ。昨日の帰り道に交通事故にあったそうだ。おまえ昨日一緒に帰ったらしいな」
それから、まえどぅの車に乗せられて美沙の家まで行った。一度だけ会った美沙のお母さんは目の下にクマができていた。美沙のお母さんは俺に何も聞かなかった。聞きたくなかったのかもしれない。
「それでは私達はこれで。」
まえどぅが帰るように促した。
「人殺し」
妹の美香だった。美沙より二つ下の美香は当時中学一年生だった。大好きなお姉ちゃんが死んだのだ。当然のことだろう。俺はその時やっと気がついた。美沙のお母さんが俺に何も言わない理由を。
車の中で色々考えた。
「先生、俺が殺したんすかね」
「おまえが美沙を突き飛ばしたのか。違うだろ。」
まえどぅが元気づけようとしてくれてるのがわかった。
「先生、俺どうしたらいいんすかね。」
「元気に学校来い。吉田が出来なくなった普通の生活を精一杯やれ。それを吉田は望んでるよ。」
まえどぅは家まで送ってくれた。俺は本当は学校に行きたかったのだが、今日は帰るように言われた。
「明日学校来いよ。待ってるからな」
まえどぅはそう言い残して走り去った。そんなこと言うなら今から学校行くのに。それは駄目だと言われた。
昼の三時。今頃体育の時間か。今日はバスケだったのにな。そんなことを考えながら部屋に入った。
「まだ三時だぜ。何したらいいんだろ」
普段は七時まで部活で、家に帰ったら飯、風呂、寝るしかない生活だ。休みもサッカーの練習。他に何かするとすれば美沙と電話かメールだ。
急に涙が出てきた。