廃札係へ追いやられた令嬢は、七枚の荷札で吹雪の街道をつなぎ、隣席を選ぶ
ぎぎぎっ、と椅子の脚が床板を引っかいた。
帳場中の顔がこちらを向く。馬房の馬まで一頭、壁の向こうで鼻を鳴らした。
「巡察官様。上席はあちらです」
「帳簿はここにある」
「帳簿は逃げません」
「君は?」
「勤務中ですので、なおさら逃げません」
逃げる価値があるかは別問題だ。捨てる札にも棚があるのに、私は帳場の隅へ机ごと押し込まれている。人間用の分類棚は、街道の雪に阻まれてまだ届かないらしい。
スタニスラフ様は、カジミェシュ駅主が磨かせた上席を断り、自分で椅子を運んできた。しかも私の隣へ。近い。監査とは帳簿の文字を読む仕事で、廃札係の睫毛を数える仕事ではないはずだ。
私は七つの引き出しから、七駅分の廃札を取り出した。
役目を終えた荷札を、日付と実際に馬を替えた駅ごとに保管する。金を受け取った駅と馬を休ませた駅が違えば、両方を残す。それが私の仕事である。
「そんな紙屑を、まだ分けてるのか」
通りがかった継立係が笑った。
「はい。あなた方が同じ馬を二駅連続で走らせた日も、よく見えるように」
笑いは咳へ宛先変更された。
「春には廃止する仕事だ!」
カジミェシュ駅主の声は大きい。声量で書類が決裁できるなら、印章はいらない。
「候補です、駅主。決定と候補を同じ棚へ入れないでください」
「細かい!」
「それをする係です」
私が廃札を机へ並べると、スタニスラフ様が顔を寄せた。さらに近い。彼の肘が私の袖へ触れそうになり、なぜか本人だけが真っ赤になる。
帳場書記のヤドヴィガが、羽根ペンを止めた。
「ねえ、ダヌータ。巡察官様は監査を始める前から、あなたが未婚か三度聞いたのよ」
「身上の確認でしょう」
「干し杏が好物かも二度」
「非常食の需要調査です」
「監査前に未婚か三度も聞く規則があるなら見せて」
スタニスラフ様の耳まで赤くなった。監査規則に耳を染色する条項はない。
「ヤドヴィガ」
「はい、巡察官様。発言を記録しますか?」
「しなくていい」
「私の勝ちね」
何に勝ったのかは知らない。私は七枚目の札を伸ばした。スタニスラフ様も同じ札へ手を出し、指先がぶつかる寸前で椅子ごと後退した。
床が鳴った。
馬房から二頭目が鼻を鳴らした。
「夕食を一緒にどうだろう」
札を一枚落としたまま、彼が言った。
「監査中の記録精度を保つための給餌ですね。辞退します。自分で食べますので」
「給餌ではなく、食事だ」
「馬も食事とは呼びます」
「君は自分を馬匹台帳へ入れないでくれ」
「紙類よりは昇格しました」
ありがたいが、夕食一回で監査中の廃札係を元気に保てると思われても困る。私は落ちた札を拾い、彼の手元へ戻した。第一の申し出は、それで不受理とした。
好意を役務以外へ分類しないのには、前例がある。
没落した家を出たあと、私は別の駅で冬の継立表を作った。吹雪の季節だけ部屋を与えられ、毎晩温かい食事も出た。前の駅主は私を「うちに必要な人だ」と言い、凍えた指には軟膏まで買った。
私はその親切を信じ、馬の疲れと積雪を照らし合わせて、便を遅らせずに馬も潰さない継立案を作った。
春の初日、清書された案から私の名だけが消えていた。
「必要な時期は終わった」
前の駅主はそう言い、食事の席と部屋の鍵と勤務記録から、同じ日に私を外した。
だから人が親切になる条件は知っている。必要な仕事があり、その仕事をする人間を手元へ置きたいときだ。冬が長ければ厚遇も長い。春が来れば終わる。季節のほうが契約書より正直である。
三日後、スタニスラフ様は帳票を読むふりをして、同じ行を四回読んだ。
「次の休務日、市が立つそうだ」
「そうですね」
「一緒に見に行かないか」
「春まで働くことは契約済みですから、離職防止の慰労は不要です」
「離職防止では——」
開きかけた彼の口の前へ、ヤドヴィガが未処理の帳票を差し込んだ。
「巡察官様、こちらを先に。ダヌータは走り書きが読めません。求愛は楷書でお願いします」
「求愛では」
「違うんですか?」
スタニスラフ様は黙った。
私は帳票を受け取った。第二の申し出も不受理。廃札係の保存状態にずいぶん熱心な監査である。
* * *
監査は十二日続いた。
私は荷札を並べ、スタニスラフ様は押印時刻を写した。私が「その数字は七ではなく一です」と訂正すると、彼は「書き手の良心を信じたい」と言う。
「走り書きへ良心を期待しないでください。読めない字は、たいてい責任まで読ませないためにあります」
「君は人間へ厳しいな」
「紙には公平です」
「私は?」
「現状、紙より場所を取ります」
彼の椅子がまた近い。私は机の下で脚を伸ばし、椅子の前脚を蹴った。
がたん。
スタニスラフ様のペン先が跳ね、監査帳に青い尾を引いた。
「今のは?」
「隣接物との距離が不足した事故です」
「改善案は」
「上席へ戻る」
「却下する」
「では再発します」
本当に再発した。
翌日は茶をこぼした。私が七駅目の札へ手を伸ばしたところへ、彼も同時に手を出したのだ。茶碗が傾き、彼は帳簿ではなく私の袖を守った。結果、彼の膝が茶を一杯引き受けた。
「熱くありませんか」
「問題ない」
「顔が大問題の色です」
「これは茶のせいだ」
茶は膝へかかったのに、赤いのは耳である。流通経路が不明だ。
私は布を渡した。
「監査対象を水損させない配慮は結構ですが、廃札係まで保全対象へ含めなくて大丈夫です」
「含めたい」
「春の廃止案が決まるまでですね」
彼の手が止まった。
「廃札係を、廃止案から外すよう勧める」
「監査完了まで記録を保全するためでしょう。合理的です」
「そうではなく」
「違うなら、訂正をどうぞ」
彼は布で膝を押さえたまま、私を見た。口は開かなかった。
読めない走り書きは受理できない。まして本人が清書する気のない意図など、こちらで補うと事故になる。
私は作業へ戻った。
廃札の表には、荷を受け取った駅の印がある。裏には、馬を替え、飼葉を出し、次へ送り出した時刻が残る。表の駅は代金を受け取る。裏の駅は馬を働かせる。金と労働は、ときどき別の場所に到着する。
外では雪が窓を叩き始めていた。
最初は粉だった。昼過ぎには白い拳になり、夕刻には窓枠を殴っていた。馬房の扉が風にあおられ、板の割れる音がした。
継立係が帳場へ飛び込んだ。
「山越えの急便が戻らない!」
続いて別の男が駆け込む。
「避難民の馬車もだ。子どもが四人乗ってる!」
七駅へ問い合わせを走らせた。返事はほとんど同時に届いた。
通行不能。
通行不能。
通行不能。
街道は七か所から、同じ言葉で扉を閉めた。
「出せる替え馬は!」
カジミェシュが叫ぶ。
「七頭です」
「たった七頭か!」
彼は帽子を脱ぎ、両手で握り潰した。丸かった帽子が細長くなった。駅主の頭より判断が早い。
新しい運行表を机いっぱいに広げた。けれど第三駅の押印では、便が第二駅を出るより前に第四駅へ着いている。馬が時刻を遡ったのでなければ、どこかの印は虚偽だ。
「正規記録から経路が出せません」
ヤドヴィガが唇を噛む。
「では動かせん!」
カジミェシュの声に、窓硝子が震えた。
私は七つの引き出しを見た。
春には捨てる予定の札。保管規定の期限を過ぎ、帳場の外へ持ち出せば、管理不備を問われる札。紙屑と呼んだ者たちまで、同じ引き出しを見ていた。
「廃札には、前の吹雪で実際に馬が通った時刻が残っています」
「古い札だろう」
「雪は毎年、規則を読まずに同じ地形へ積もります」
私は鍵を外した。
「持ち出せば、帳場全員の職を危険にさらします。駅主も、私も」
カジミェシュの潰れた帽子が、さらに潰れた。
「それでも使うのか」
「二台が戻らなければ、守る帳場そのものがいりません」
七枚を抱えた。
「私が出します。廃札係の判断です」
「監査記録には、私の指示で持ち出したと書く」
スタニスラフ様が立ち上がった。
「巡察官様」
「責任を半分に割る。紙より場所を取る人間にも、それくらいはできる」
「半分では困ります。判断したのは私です」
「では私が伝令をする。君の判断を、雪の向こうへ運ぶ」
言い終えるより先に、彼は外套をつかんだ。
今度は椅子が倒れた。
馬房で七頭が一斉にいなないた。
* * *
廃札の束を長机へ広げると、継立係たちが笑いもせずに覗き込んだ。
私は一枚目を左端へ置いた。
「この札は第一駅で料金を受け取っています。でも裏の飼葉印は第二駅。馬は第二駅まで替わっていません」
二枚目をその下へずらす。
「こちらは第三駅の受領印より、第二駅の出立印が一刻早い。同じ北風の日です」
「何がわかる」
カジミェシュが急かした。
「第二駅までは、吹き溜まりができる前なら通れる。今から一頭をそこへ置きます」
三枚目。第三駅の印は濃いが、馬を休ませた時刻がない。新しい運行表の虚偽と同じ癖だった。
「この一印は除きます。通ったことにした記録です」
誰かが息を吸った。私は説明を足さない。虚偽は飾るほど本物らしくなる。机から退場してもらうのが一番よい。
四枚目と五枚目を重ねた。第五駅で替えた馬が、正規街道を通った便より遅く出ているのに、第六駅へ四半刻早く着いている。
「南側の馬柵沿いを通っています」
「街道じゃないぞ」
「馬は街道の肩書を気にしません。雪が浅ければ通ります」
六枚目を第五駅の札へつなげる。第五駅で二台を分け、第六駅で長く休ませた馬を避難民の馬車へ回せる。
七枚目を最も右へ置いた。
前の吹雪の日、最後の馬だけが第七駅からこちらへ戻っていた。北斜面を避け、林の切れ目から駅裏へ入る経路だ。二台が正規街道で止まっているなら、迎えは反対側から届く。
「七頭を一頭ずつ各駅へ置きます。第一駅と第二駅の馬は急便用。第三駅の馬は南の馬柵へ回し、第四駅の馬を第五駅へ送る。第五駅で二台を分け、第六駅の休んだ馬を避難民の馬車へ。第七駅の一頭は林を抜けて迎えに出す」
「一頭でも潰れたら」
「次がありません」
カジミェシュが帽子を握り直した。もう握れる形ではなかった。
「行けるのか」
「通った札はあります。新しい表より、こちらを信じます」
私は七枚の間へ指を一本通した。
「道は一本です」
継立係たちは互いの顔を見なかった。
一人が札の時刻を写し、一人が馬具を抱え、一人が裏口を蹴り開けた。さっきまで紙屑と笑っていた口は閉じ、脚だけが馬房へ走った。よろしい。人間、口を休ませると仕事が速い。
スタニスラフ様は第一の伝令札を外套へ入れた。
「この順で各駅へ渡す」
「必ず手渡しで。第三駅の表は信用しないでください」
「君が書いたものだけ読む」
「そこまで限定すると、今後の監査に支障が出ます」
「帰ったら訂正を受ける」
彼は雪へ出た。
馬の蹄が凍った地面を割る。門柱の向こうで姿が白く消えたあとも、音だけが一つ、二つ、遠ざかった。
帳場では誰も座らなかった。
第二駅から、馬を受け取った合図。
第三駅から、南へ回した合図。
第五駅で急便を発見。
第六駅から、避難民の馬車をつないだ合図。
最後の知らせが来るまでに、夜が二度ぶん長くなった気がした。私は廃札を時刻順に並べ直し続けた。指が同じ札を三度持ち上げても、ヤドヴィガは訂正しなかった。
やがて門の外で、鈴が鳴った。
一つではない。
急便馬車の鈴。避難民の馬車の鈴。その前後を走る馬の蹄。
門扉が押し開かれ、積もった雪が板ごと帳場側へ崩れた。子どもを抱いた継立係が転がり込み、別の男が御者を肩へ担いで入ってくる。最後にスタニスラフ様が、自分の眉まで白くして戻った。
「七頭、全部戻した」
「人は」
「二台とも。全員いる」
彼が外套から伝令札を出した。濡れていたが、私の字は残っていた。
よし。
先ほど机から外した虚偽の一印より、私の走り書きのほうが吹雪に強かった。これは少々、いい気分である。とても少々だ。顔に出すと帳場中に知れ渡るので出さない。
「ダヌータ!」
カジミェシュが私の名を呼んだ。廃札係でも、おいでもない。
「次の便はどうする!」
継立係たちがこちらを向いた。
「明朝まで止めます。馬を乾かし、南の経路へ目印を立ててからです」
「わかった。お前たち、聞いたな!」
誰も笑わなかった。
七枚の荷札だけが、濡れた机の上で街道をつないでいた。
* * *
「先に、こちらを」
救援から三日後、スタニスラフ様は一通の書面を私の机へ置いた。
駅の印。カジミェシュの署名。廃札係を春の廃止候補から外し、雇用期間を定めず、記録判断を独立した職務として認める——そこまで読んで、私は裏も見た。
「巡察官様のお名前がありません」
「入れていない」
「監査官の推薦では?」
「駅が発行した雇用状だ。私の任期とも、今から言うこととも関係しない」
今から言うこと。
嫌な予感というより、分類できない荷が窓口へ来た感じである。私は雇用状を机へ置いた。
スタニスラフ様は上席に座っていた。救援の日から、私の隣へ椅子を運ばなくなった。距離は腕二本分。顔は、初めて会った日より赤い。
「求婚をしたい」
「順番が不適切です。求婚は、したいと予告してからするものではありません」
「では、する。私生活で、私の隣にいてほしい」
声はまっすぐだった。楷書である。
だから私は、第三の不受理を返した。
「功績ある書記を逃がさないため、結婚まで待遇へ含めたのですね」
彼の顔から赤みが消えた。
「違う」
「夕食は監査の精度維持。市は春までの離職防止。今度は功績者の囲い込み。規模が大きくなっただけで、同じです」
「ダヌータ」
「求婚を断っても雇用は残る、と先に書面で示した」
「示されています。条件としては破格です。だからこそ、長く働かせたいのだと読めます」
「違うんだ」
「では、どこが違うのですか」
彼は答えようとして、やめた。
私はいつも訂正を求める。曖昧な時刻、読めない署名、料金だけ受け取って馬を替えなかった駅。けれど自分への親切だけは、相手が書いていない条件までこちらで補ってきた。
その理由を、私は誰にも渡していなかった。
「前の駅で、冬の間だけ大切にされたことがあります」
仕事の比喩を使うのをやめると、言葉は思ったより短かった。
「部屋をもらいました。食事も、軟膏も。必要な人だと言われました。私は継立案を作り、春の初日に、その案から名を外されました。部屋の鍵も、その日のうちに返しました」
スタニスラフ様は動かなかった。
「必要な時期は終わった、と言われました」
窓枠で雪解けの水が一滴、落ちた。
「私は、親切にされたから残れるのだと思ったことがあります。役に立つ間だけでした。だからあなたも、私を置く期限を延ばしたいのだと思っていました。食事も、市も、椅子も。必要な労働力へ与える待遇だと」
「では、私が何度誘っても、君にはあの駅主と同じに見えたのか」
「行動だけなら、冬の間は」
彼の手が、膝の上で固く閉じた。
「私は君へ安全を渡してから求婚すれば、返事を自由に選べると思っていた」
「立場は残ります。あなたは監査官で、私は監査される駅の書記です」
「そうだ」
彼は一度だけ目を閉じた。
「私は自分の申し出が誠実であることばかり考えて、君が断った翌日も私に監査されることを考えていなかった」
違う、ともう一度言う代わりに、彼は監査帳を開いた。
末尾へ署名し、立ち上がる。
「カジミェシュ」
呼ばれて、駅主が奥から出てきた。
「この時刻をもって、現地での監督権を返す。追加の確認が必要なら別の者を寄越す。私は明朝、駅を離れる」
「監査は終わりなのですか」
「私が終える。ダヌータの雇用状は発行済みだ。求婚への返答は、彼女の勤務中には受け取らない」
カジミェシュが私と彼を見比べた。何か言いたそうに口を開いたが、ヤドヴィガが帳票の束を持ち上げる。駅主の口は賢明にも閉じた。
スタニスラフ様は倒していた椅子を直し、上席の下へ戻した。
「返事はいらない」
「いつまでですか」
「期限を置けば、また条件になる」
彼は私の机を見た。七つの引き出し、無期限の雇用状、濡れた跡の残る荷札。
「君が選べると思ったときに。選ばなくても、ここは君の席だ」
翌朝、彼は駅を離れた。
私は見送りへ出なかった。勤務中だったし、彼も帳場へ返事を取りに来なかった。
雇用は変わらなかった。
給与は決まった日に支払われ、私の机は隅から窓際へ移された。カジミェシュは廃札を捨てる日を自分で決めなくなり、次の吹雪では、最初から私の判断を聞いた。
前の駅からは、記録訂正の紙が一枚届いた。冬期継立案の作成者欄に、ダヌータ、とあった。
私はその紙を七駅分の札とは別の引き出しへしまった。戻って礼を求める気も、謝罪を受け取る気もなかった。訂正された名だけで十分だ。春はもう、あちらの駅のものではない。
スタニスラフ様から私信は来なかった。
監査も来なかった。
食事も市も椅子も、返事を引き出す餌にはならなかった。
そのまま雪が解け、馬房の屋根から最後の氷柱が落ちた日、一人の客が駅へ来た。
監査章をつけず、書類箱も持たず、スタニスラフ様は帳場の入口で立ち止まった。
「客として来た」
「見ればわかります。監査官は手土産に干し杏を一袋も持ちません」
「二袋だ」
「賄賂ですね」
「受け取らないか?」
「受け取ります。客の持参品を無駄にするのは駅の信用へ関わりますので」
ヤドヴィガが奥で盛大に咳をした。聞こえないふりをして、私は机の横に置かれた椅子の背へ手をかけた。
以前、彼が勝手に寄せた椅子だった。
あのときは監査のためだと読んだ。今は彼が監督権を持たず、期限を置かず、私の席を人質にせずに立っている。
役に立つ私を残す行動ではない。
私が選べるように、彼が自分の立つ場所を変えたのだ。
「巡察官様」
彼の眉がわずかに下がった。
「はい」
「訂正します。スタニスラフ様」
名前を呼ぶと、彼は呼吸まで止めた。止めたままでは隣へ座れないので、早急な改善が必要である。
「今度は私が置きます」
私は椅子を引いた。
「その椅子は監査用ではありません。私が、あなたの隣へ置きます」
「ダヌータ」
「はい」
「座っても?」
「そのために置きました。——立ち上がる前に脚を引いてください、踏みます」
ぎぎぎぎぎいっ!
床を裂くような音に、スタニスラフ様が両脚を跳ね上げた。馬房の馬までそろって鼻を鳴らし、ヤドヴィガが帳票へ顔を伏せる。
私は椅子を、私の席の隣で止めた。




