フィラ、一人で戦う
中央タワーの基部、大理石とクロームで構成された第一ロビー。
天井まで吹き抜けた壮大な空間に、重厚な警告音が鳴り響いていた。外部の防衛線がルカたちに突破された報を受け、施設の奥から「軍」の増援が続々と押し寄せている。
その巨大なエレベーターホールの前で、フィラは一人、立ち尽くしていた。
「――そこまでだ。これより先への進行を、禁ずる」
アイスブルーの瞳に、一片の躊躇もなかった。
かつての階級章はもうない。だが、その背後に羽織ったダークグレーのロングマントの内側――鮮やかな青色が、彼女の覚悟を示すように鋭く翻る。
「フィラ、何をしている! 裏切り者の分際で道を塞ぐつもりか!」
怒声と共に現れたのは、かつての部下であった親衛隊員たちだ。その数は三十。重武装の隊員たちが一斉に銃口を向け、その後ろからは自動駆動式の戦術装甲機も現れる。
対するフィラは、一人。
彼女は、腰に佩いた妖刀『紅鳴』を静かに抜いた。
「自分には、もう守るべき国家も、信じるべき王もいない。……だが」
フィラは、漆黒の刀身を正面に構えた。
その刃には、彼女の命を啜るかのように赤い脈動がうっすらと流れている。
「……拾ってくれた人が間違っていたとしても。自分の背中で流れたあの子の涙だけは、本物だった。……そのための戦いだ」
フィラは大地を蹴った。
音すらない、氷上の滑走にも似た極速。彼女が通り過ぎた後には、アイスブルーの光の残像だけが残される。
『紅鳴』の一閃。
戦術装甲機の重厚な装甲が、熱したナイフで断ち切られた紙のように切り裂かれる。彼女の剣撃には、受けた傷の治癒を一切無効化する「呪い」が宿っていた。隊員たちの銃弾は、フィラの翻るマントをかすめることさえできない。
「くっ、バケモノが! 数で押せ、死なない程度に痛めつければ――」
「自分は、止まらない」
フィラは、敵の懐へ深く踏み込みながら、相手の急所だけを正確に突いていく。殺さない。けれど、一撃で戦闘不能に追い込む。それはマサトに叩き込まれた最高幹部としての技術であり、今の彼女にとっては、罪をこれ以上重ねないためのせめてもの自制だった。
ロビーの壁に並んでいたアルセリア像が、激しい戦闘の余波で次々と粉々に砕け散っていく。その破片の中に、かつての自分を見ていた。誰かに命じられるままに「正しい」と思い込み、無垢な命を切り捨ててきた、人形の抜け殻。
(……ルカ。お前たちの行く手を、自分の過去で汚させはしない)
フィラは襲い来る二十人を同時に引きつけ、華麗に舞う。
長髪を振り乱し、アイスブルーの瞳に激しい闘志を宿して。
その時、階上へと続くエレベーターの扉が閉まる音がした。ルカ、ミラ、そしてゼフ。少年たちが最上階へのチケットをその手にしたのを、彼女の耳は確かに聞き取った。
「――最後の一人が立っている限り。……マサト王、あなたの計画へ一歩も届かせはしません」
フィラは、さらに十数人の隊員に囲まれながら、不敵に口角を上げた。
マントの裏地、内側の鮮やかな青色が、朝日を浴びて血のように紅く染まる紅鳴と美しい対照を描いている。
それは彼女が生涯で初めて、自らの意志だけで決めた命令だった。
かつての冷徹な「剣」としての任務ではない。友を信じ、未来を託す、泥臭くも高潔な、彼女自身の「心」による抵抗。
「……マサト王。自分の『最後の命令』は。……自分自身で、決めさせていただきました」
独白。フィラは一歩、強く踏み出した。
押し寄せる大軍に対し、彼女のアイスブルーの瞳は、これまでのどんな戦いよりも深く、優しく輝いていた。
一人の少女兵が、歴史という巨大な網目から自らの糸を切り離した瞬間。
その咆哮は、重厚なロビーの壁に木霊し、上階を目指す少年たちの背中を、そっと押し出す追い風となった。




