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6年前の亡霊

 地下拠点の奥深く、ノアが管理するメインサーバーの前に、ルカは立ち尽くしていた。

 モニターには、ラーヴェン市民から無作為に抽出された数千人分の脳波データが、幾重にも重なる等高線のように表示されている。それは本来、個人の思考や感情を映し出す極めてプライベートな「魂の地図」であるはずだった。

「……見て、ルカ君。これが、私たちが『平和』と呼んでいたものの正体よ」

 ノアの指先が、キーボードを叩く。画面上の波形が、特定の時間軸――六年前の夏を境に、不自然なほど滑らかな直線へと書き換えられていく。

「電波の第三層、『記憶改竄』の痕跡よ。……私たちはみんな、六年前のあの日、マサト王が鮮やかに国を救った『無血の救国』を信じている。でも、この脳波の深層に残されたノイズを見て。……これは、強烈な恐怖と、怒りと、そして夥しい『死』の記憶が、無理やり塗り潰された跡なの」

 ルカは、画面に映し出されたノイズの奔流を見つめた。

 それは、まるで焼け焦げたフィルムの断片のようだった。

 六年前。自分は十二歳だった。

 覚えているのは、青い空と、マサト王が王位に就いた祝祭の鐘の音。それ以前の混乱は、霧の向こう側にあるようにぼんやりとしていて、ただ「大変な時期だった」という漠然とした認識しかなかった。

 だが、ノアが示すデータは、その認識そのものが「作られたもの」であると告げている。

「……マサト王は、ただ革命を鎮圧したんじゃない。国民全員の脳から、『自分たちが戦おうとした事実』そのものを消し去ったんだ」

 ルカの声が、自分でも驚くほど冷たく響いた。

「そうよ。……人が最も残酷になれるのは、過去を奪われた時だわ。自分が何を愛し、何のために怒っていたのかを忘れさせれば、人はただ従順な家畜になる。……ラーヴェンの街を歩く人々が、あんなに穏やかに笑っていられるのは、彼らの魂の中に、戦うための『理由』が残っていないからなのよ」

 ノアは、さらに一枚の古い写真データを画面に呼び出した。

 それは、内務省の記録から彼女が命懸けで持ち出した、検閲済みの隠しファイルだった。

 ノイズまみれの画像。そこには、現在の清潔なクロン区からは想像もつかないような、炎に包まれたラーヴェンの広場が映し出されていた。

 アルセリア像の足元に転がる、数えきれないほどの死体。

 民主化を叫ぶプラカードを掲げたまま、銃撃に倒れた市民たち。

 そして――。

「……これ、セオさん?」

 ルカは、写真の端に写る一人の若者の姿に目を止めた。

 今よりも若く、髭もない。けれど、今の彼と同じような白衣を纏い、倒れた負傷者を助けようと必死に叫んでいる男。

 その背後では、巨大なアンテナを搭載した軍用車両が、青白い放電を開始しようとしていた。

「セオは……当時、政府の電波技術開発チームの若手エースだったの」

 ノアが、重苦しい沈黙を破って語り始めた。

「彼は、電波が医療に役立つと信じていた。難病の患者の痛みを和らげ、心の病を癒すための技術だと。……でも、マサト王はそれを『武器』に変えた。……セオは、自分が作り上げた技術が、隣にいた仲間たちの記憶を消し、魂を壊していく様を、一番近くで見ていたのよ」

 ルカは、拠点の入り口で飄々と飴を舐めていたセオの姿を思い出した。

 あの不自然なほどの明るさ。技術的な詳細を知り尽くした口振り。

 それは、過去の罪から逃れるための、彼なりの防衛機制だったのかもしれない。

「……みんな、亡霊なんだ」

 ルカは、自分の拳を強く握りしめた。

「消された記憶、殺された仲間、奪われた過去。……この国全体が、マサト王が作り上げた巨大な墓場の上に建っているんだ」

 自分が信じていた「普通の朝」が、どれほど多くの死体の上に成り立っていたのか。

 その重みが、ルカの肩にのしかかる。

 だが、恐怖よりも先に湧き上がってきたのは、言葉にできないほどの激しい憤りだった。

 父を奪っただけではない。この国は、国民から「自分自身であること」さえも奪い続けている。

「……ノアさん。第18章、セオさんの傷を、僕たちは知らなきゃいけない。……彼が何を背負って、何を終わらせようとしているのかを」

 ルカはモニターを閉じ、暗い通路へと足を踏み出した。

 背後で、ノアが静かに頷く。

 六年前の亡霊たちは、まだ死んではいなかった。

 彼らは今も、消された記憶の深淵で、目覚めの時を待っている。

 ルカが手にした真実は、やがて革命という名の灯火となり、この偽りの夜を焼き尽くすための確かな光となっていく。

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