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怪物の城 —圧倒的不利の序列戦と“無音の逆転”―




翌朝。


再び、あの部屋。


辺境伯は机に肘をつき、わたくしを見ていた。



「——解けたか」



わたくしは、札を机の上にそっと置いた。



「いいえ」



室内の空気が、一瞬だけ硬直する。


だが、わたくしは続けた。



「この数字には、解が存在しません」



辺境伯の指が、止まった。



「法則は三つ混在しています。


一つ目は補給計算、二つ目は行軍日程、


三つ目は……意図的なノイズです」



わたくしは札を裏返し、指で一点を示した。



「ここです。


本来入るべき数字がありません。


欠損ではなく、“排除”です」



沈黙。



「この札は、計算力を見るためのものではない。


“どこで考えるのをやめるか”を見る札です」



辺境伯の目が、わずかに細くなる。



「……続けろ」



「この数字を“最後まで解こうとした者”は、


閣下の側近にはなれません」



わたくしは静かに息を吸った。



「理解とは、全てを解くことではありません。


解く必要のないものを、切り捨てることです」



長い沈黙の後。



辺境伯は、低く笑った。



「——なるほど」



昨日と同じ言葉。


だが今度は、意味が違った。



「お前は、この札を作った“わたし”を見たな」



「はい」



「なら、もう一つ聞こう」



辺境伯の声が、わずかに低くなる。



「この札を作った者は、何を恐れている?」



わたくしは迷わなかった。



「理解しすぎる部下です」



その瞬間。



辺境伯の笑みが、消えた。


そして——


初めて、“満足”の色が宿った。



側近候補として選ばれた翌朝——わたくしの世界は変わりました。



いえ、正確に言うのなら。



世界のほうが、わたくしに牙を剥いたのです。





広間に並ぶ十二名。



彼らこそ、辺境伯家が誇る“側近候補”。


名家の次男、三男。


他国の高位文官の子弟。


騎士学校を首席で卒業した者。


魔術学府の既習者。


戦場帰りの少年兵。



八歳のわたくしは、その列の端に静かに立っていました。



当然ながら、周囲の視線は露骨でした。



「子ども……?」


「なんでこんなのが?」


「閣下もついに人材難か」



嘲り、軽蔑、警戒。


混じり切って濁った視線が向けられます。



けれど、わたくしは揺れません。



(……分析の材料になるだけですわ)



人が何を考えているかなど、声に出さずとも“呼吸の速度”が教えてくれます。



ただ、この広間でただ一人——呼吸がまったく乱れない者がいました。



辺境伯です。



壇上からすべてを見下ろし、短く告げました。



「これより“序列戦”を開始する」



その一言で、空気が一変しました。





序列戦とは、側近候補の能力を“実務の競り合い”で測る試験。



剣も魔法も使いません。



情報処理、交渉、文官業務、作戦立案、資料整理、状況判断——


側近の仕事そのものです。



当然、八歳のわたくしには圧倒的不利。



体格、教育、実績……


比較することすら馬鹿らしいほどの差がありました。



(……ですが、不利なのは“道具”のお話)



(“理解”に年齢は関係ありませんわ)





最初の課題——書類選別。



机には数百枚の報告書が山積み。



この中で“本当に読む価値のある書類”は、わずか二十通。



「二刻以内に重要な二十通を抜き出せ」



辺境伯の声で、候補たちは一斉に動きました。



魔法で紙を浮かせる者、分類魔法を使う者、


複数人でチームのように動く者までいます。



わたくしは——動きませんでした。



(……紙の並び、位置、湿度、筆圧)



一度だけ、書類の山全体を視界に収めます。



(“重要な情報を書く者”は筆圧が強い。


“締め切りぎりぎりの者”の紙は湿りがち。


“嘘を隠す者”は行間が不自然に狭い)



山の中から


湿度の高い束、筆圧の均一な束、行間の隙間が不自然な束を


順番に抜き取りました。



速度は、誰よりも遅かったでしょう。



でも——



「……終了だ」



辺境伯が告げた時。



候補たちが焦って出した束をよそに、


わたくしの提出した二十通は——



すべてが正解でした。



ざわり、と広間が揺れます。



「嘘だろ……」


「なんで……?」



辺境伯は、少しだけ目を細めました。



驚きではなく、


「やはり」と言いたげな静かな肯定でした。





次の課題は、状況判断。



一枚の紙。



《領内北部に不審な魔物の足跡。


報告者:農夫。


魔物の種類不明。


被害報告なし。


周囲の村は静穏。


指示を求む。》



次々と候補が書き始めます。



「警備隊派遣」


「魔術師同行」


「村に警告文」


「被害不明なので兵力増強」



正しいように思える意見ばかり。



わたくしは、紙を見た瞬間に書き終えていました。



《何もしない。


報告者の靴の裏を調べよ。


足跡は彼自身のもの。》



沈黙。



「……どういうことだ?」



魔術師の少年が苛立ちます。



「農夫は毎日同じ道を歩きます。


その足跡が突然“魔物のもの”に見えるなら、地面の湿度が変わったか、靴が変わったか——どちらかしかありませんわ」



「推測だろ!」



「推測ではありません。


文体が“見慣れない足跡”ではなく“魔物の足跡”なのですから、


報告者は自分の先入観に引きずられております」



辺境伯の声が落ちました。



「正解だ」



候補の肩が一斉に震えました。





三つ目の課題は交渉。


模擬交渉室で、老練な商人役と対面。



ほとんどの候補が完敗しました。



商人役は相手の揺らぎを拾い、言質を奪い、会話を支配してしまうからです。



でも。



わたくしが話し始めた瞬間、商人役の表情が変わりました。



「こちらの条件は——」



「少々、お待ちくださいませ」



その一言で会話は止まりました。



「何か?」



「いえ……閣下から学んだことを思い出しただけですわ」



商人の眉がひそみます。



「交渉の本質とは、


『相手が一番言われたくないことを言う権利を


どちらが持っているか』——と」



商人の喉が、ひくりと動きます。



(入りましたわ)



三つ前の候補が触れた“財産状況”の話題に、商人は強く反応していました。



「あなたは今、資金繰りで苦しんでいます。


提示額は“必要な額”ではなく、


“妥協するかを試すための額”ですわね」



商人は固まりました。



「どうして……」



「靴の底が磨り減り、指輪が一つ減り、


袖口の縫い目だけが新しくなっている。


それが答えです」



沈黙。



「……負けました」



商人役は頭を下げました。





そして序列発表。



一位:マリアベル・エーメルト



読み上げられた瞬間、広間が怒号なき怒号で満ちました。



「冗談だ!」


「八歳の子どもが……!?」


「おかしい!!」


「インチキだ!!」



怒り、嫉妬、拒絶、困惑。



しかし、その全てを——



「不満か」



辺境伯の一言が黙らせました。



「結果に不服があるのなら、


“彼女より早く、正確に、深く読め”。


それだけだ」



反論は、一つも出ませんでした。



辺境伯は、ほんの一瞬だけわたくしを見ました。



「……期待している」



その視線に、わたくしは静かに頷きました。





広間の隅。


若い騎士見習いが、かすれた声で呟きました。



「怪物……だ」



わたくしは振り返りません。



ただ、自分の席に戻り、


小さく息を吸い込みました。



(……ここが、わたくしの場所)



八歳のわたくしは、その日——


側近候補の頂点に立ちました。



圧倒的不利からの、逆転。



剣も魔術も持たず、


ただ“読む”だけで、全員を捻じ伏せて。



——怪物の城で、


わたくしはついに“本物の怪物”となった。


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