窓口に現れた凪②
「フィーネ。急いで。 あなたも“特殊任務”が控えているでしょう?」
声が、自然と少しきつくなる。
彼女は、王都生まれにしては珍しい“視る側”の素質を持っていた。 同じものを見ているのに、違う場所に焦点を合わせている眼。
ミーディアム——交霊士。 王都でも、記録上はもうほとんど途絶えたはずの素質。
その代償として、心があまりに脆い。
「は、はい……あの、ごめんなさい」
書類を拾い上げながら、フィーネが一瞬、こちらを見る。
そして、その視線が、すっと少年のほうに滑った。
その瞬間だけ、彼女の瞳の“霧”が薄くなったように見えた。
(……やはり、“向こう側”に繋がっている子)
フィーネは、死と生の境界に近すぎる。 だからこそ、“死の砦”のような場所に送り込む候補として名前が挙がる。
わたくしは、彼女に向ける声の温度を、自分でもわかるくらい低くする。
「書類は落とさないように。 あなたの一枚のミスで、誰かが“死んだことにされる”のですから」
厳しすぎる、と言われるかもしれない。
けれど、この街ではそのくらいでなければ守れない命がある。
「……はい」
フィーネは怯えたように身を縮めながらも、きちんとうなずいた。
その横を、少年が通り過ぎる。
フィーネが、ほんの一瞬だけ彼を振り返るのが見えた。
(そう、そこに“何か”を見たのなら——)
口には出さない。 それは、彼女の役割であり、わたくしの役割ではない。
窓口の仕事に戻り、次の客をさばきながらも、視界の端では少年の背中を追っていた。
まっすぐ歩いていく。
誰にもぶつからず、 誰とも目を合わせず、 それでいて、不自然な孤立感を残して。
(西方街道の“ライトメイス”。 等級外魔獣を退け、村を救った“未登録の功績者”)
その断片が、机の上の報告書と結びつく。
(——ここで、王都の盤に乗せる)
そのときのわたくしにとって、それは当然の判断だった。
異物は、早めに位置を決めておくに限る。
どこに使うのか。
どこまで許容するのか。
どこで切り捨てるのか。
今ならまだ、“選べる”と思っていた。
この世界の“秩序外”が、どんな顔でこちらに笑いかけているのかも知らずに。
◆
その日の終わり、閉館の鐘が鳴ったあと。
わたくしはひとり、控え室の机に座っていた。
灯りの下で、辺境伯宛の報告書を広げる。
《本日、西方街道沿い無名集落より推薦状一通。
当該村の危機を複数回救済した少年、上位職《メイス盾》登録希望》
《年齢十三前後。観察の限りでは、過度な自尊心・虚勢・恐怖の表出少なし。 しかし、行動選択において“王都常識の外側”に立つ可能性あり》
《仮評価:盤上には乗るが、既存の駒との連携は困難。 ただし、“死の砦”級の案件においては、駒として利用価値あり》
そこで、一度ペン先が止まった。
(本当に、“駒”として扱えるのかしら)
窓口で見たあの目を思い出す。
無知でもなく、無謀でもなく、無関心でもない。 ただ、“自分の死”と“世界の都合”を、同じ天秤に乗せていない目。
それは、辺境伯とも、貴族たちとも、冒険者とも違う質の異物。
わたくしは、わざとその違和感を言葉にしなかった。
言語化してしまえば、それは“恐怖”になる。
まだその段階ではなかった。
《備考:三件の実績達成後、特別任務候補として再検討》
そう書き加え、インクを乾かす。
死の砦——かつて人と天使族が共に地下研究を行った、今は存在しないはずの場所。
表向きには「調査中の廃砦」。
裏の記録では、「送り込んだ者は戻らない場所」
(そこに関わったものは、すべて闇に封じる。
——それが、この国の“決定”)
わたくしは、その決定に加担している。
そのことに、迷いは……あったのかどうか。
今となっては、自分でもよく思い出せない。
ただ、あの時のわたくしは、こう信じていた。
(この子が“秩序外”なら、いずれどこかで世界を壊す。 ならば、世界のほうが先に“飲み込む”べき)
そう結論づけた自分の思考の冷たさを、 このときのわたくしは、誇りさえしていたのだ。
——読み違えだと、知る前だったから。
後に“異端の盾”と呼ばれる少年が、 死の砦から生還し、 わたくしの盤を根本からひっくり返すなどと。
この日、わたくしの中で鳴っていたのは、ただひとつ。
白い盤の上に、“名無しのメイス”という新しい駒が置かれたという、静かな手応えだけだった。




