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窓口に現れた凪②

「フィーネ。急いで。  あなたも“特殊任務”が控えているでしょう?」



 声が、自然と少しきつくなる。



 彼女は、王都生まれにしては珍しい“視る側”の素質を持っていた。  同じものを見ているのに、違う場所に焦点を合わせている眼。



 ミーディアム——交霊士。  王都でも、記録上はもうほとんど途絶えたはずの素質。



 その代償として、心があまりに脆い。



「は、はい……あの、ごめんなさい」



 書類を拾い上げながら、フィーネが一瞬、こちらを見る。



 そして、その視線が、すっと少年のほうに滑った。



 その瞬間だけ、彼女の瞳の“霧”が薄くなったように見えた。



(……やはり、“向こう側”に繋がっている子)



 フィーネは、死と生の境界に近すぎる。  だからこそ、“死の砦”のような場所に送り込む候補として名前が挙がる。



 わたくしは、彼女に向ける声の温度を、自分でもわかるくらい低くする。



「書類は落とさないように。  あなたの一枚のミスで、誰かが“死んだことにされる”のですから」



 厳しすぎる、と言われるかもしれない。  

 けれど、この街ではそのくらいでなければ守れない命がある。



「……はい」



 フィーネは怯えたように身を縮めながらも、きちんとうなずいた。



 その横を、少年が通り過ぎる。



 フィーネが、ほんの一瞬だけ彼を振り返るのが見えた。



(そう、そこに“何か”を見たのなら——)



 口には出さない。  それは、彼女の役割であり、わたくしの役割ではない。



 窓口の仕事に戻り、次の客をさばきながらも、視界の端では少年の背中を追っていた。



 まっすぐ歩いていく。

 誰にもぶつからず、 誰とも目を合わせず、 それでいて、不自然な孤立感を残して。



(西方街道の“ライトメイス”。 等級外魔獣を退け、村を救った“未登録の功績者”)



 その断片が、机の上の報告書と結びつく。



(——ここで、王都の盤に乗せる)



 そのときのわたくしにとって、それは当然の判断だった。



 異物は、早めに位置を決めておくに限る。

 どこに使うのか。

 どこまで許容するのか。

 どこで切り捨てるのか。



 今ならまだ、“選べる”と思っていた。



 この世界の“秩序外”が、どんな顔でこちらに笑いかけているのかも知らずに。



 


 その日の終わり、閉館の鐘が鳴ったあと。

 わたくしはひとり、控え室の机に座っていた。



 灯りの下で、辺境伯宛の報告書を広げる。



《本日、西方街道沿い無名集落より推薦状一通。

 当該村の危機を複数回救済した少年、上位職《メイス盾》登録希望》



《年齢十三前後。観察の限りでは、過度な自尊心・虚勢・恐怖の表出少なし。 しかし、行動選択において“王都常識の外側”に立つ可能性あり》



《仮評価:盤上には乗るが、既存の駒との連携は困難。 ただし、“死の砦”級の案件においては、駒として利用価値あり》



 そこで、一度ペン先が止まった。



(本当に、“駒”として扱えるのかしら)



 窓口で見たあの目を思い出す。



 無知でもなく、無謀でもなく、無関心でもない。  ただ、“自分の死”と“世界の都合”を、同じ天秤に乗せていない目。



 それは、辺境伯とも、貴族たちとも、冒険者とも違う質の異物。



 わたくしは、わざとその違和感を言葉にしなかった。



 言語化してしまえば、それは“恐怖”になる。

 まだその段階ではなかった。



《備考:三件の実績達成後、特別任務候補として再検討》



 そう書き加え、インクを乾かす。



 死の砦——かつて人と天使族が共に地下研究を行った、今は存在しないはずの場所。

 表向きには「調査中の廃砦」。

 裏の記録では、「送り込んだ者は戻らない場所」



(そこに関わったものは、すべて闇に封じる。

 ——それが、この国の“決定”)



 わたくしは、その決定に加担している。



 そのことに、迷いは……あったのかどうか。

 今となっては、自分でもよく思い出せない。



 ただ、あの時のわたくしは、こう信じていた。



(この子が“秩序外”なら、いずれどこかで世界を壊す。  ならば、世界のほうが先に“飲み込む”べき)



 そう結論づけた自分の思考の冷たさを、 このときのわたくしは、誇りさえしていたのだ。



 ——読み違えだと、知る前だったから。



 後に“異端の盾”と呼ばれる少年が、 死の砦から生還し、  わたくしの盤を根本からひっくり返すなどと。


 この日、わたくしの中で鳴っていたのは、ただひとつ。



 白い盤の上に、“名無しのメイス”という新しい駒が置かれたという、静かな手応えだけだった。

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