窓口に現れた凪①
王都ギルド本部の朝は、いつだって少しだけ冷たい。
鐘が一度鳴り、白い大扉が両側に開く。 石畳を踏む足音、鎧の軋み、怒鳴り声と笑い声。 そのすべてが一斉に流れ込んできても——わたくしの耳には、もう“雑音”としてしか届かない。
(下位冒険者、今日は多め。顔ぶれは……昨日とほぼ同じ。 新顔は二、三。貴族の使いは正午前。 揉め事が起こるなら午後。午前は、ただの仕事)
白いカウンターに腰を下ろし、帳簿と予約一覧を広げる。 今日も“世界の入口”は、わたくしの手の中にある。
「窓口、開きます」
短く告げると、列の先頭がぞろりと動いた。 何人目かの冒険者をさばき、商人をあしらい、貴族の前哨戦を軽く受け流し—— ひと息ついた、そのとき。
空気の“ノイズ”の中に、ひとつだけ異物が混じった。
足音だ。
革靴ではない。 重装備でもない。 村の子どもが履くような、簡素な靴。
けれど——歩幅は一定で、足音のリズムが乱れない。
(……妙ですわね)
視線を上げる前に、脳が先に“違和感”を拾っていた。
王都の住人は、たいてい歩幅が細かい。 人を避け、人を追い越し、人の視線を気にしながら歩く。 それが「こちら側」の生き方。
けれど、その足音には“他人への遠慮”がなかった。
押しのけるでもなく、怯えるでもなく——ただ、真っ直ぐ。
列の脇から回り込むようにして、ひとりの少年がカウンターへ近づいてくる。 年のころは、十代前半。十三か、せいぜい十四。
痩せても太ってもいない、素直な骨格。 手入れの行き届いていない髪。 日焼けした首筋。 村の子。たぶん西方。
それだけなら、珍しくもなんともない。
——にもかかわらず、その少年には“温度”が欠けているように見えた。
(……心拍が、揺れていない)
初めて王都に来た者の色は、すぐにわかる。 好奇心の赤、恐怖の青、嫉妬の濁り、期待の金。
この街は、初めての者の心を大きく揺さぶる。 それなのに、彼の眼差しにはそれがほとんどない。
冷たいわけでも、怯えているわけでもない。 ただ、自分の内側を「静か」に保とうとしている者の瞳。
わたくしは、無意識に背筋を正した。
「……次の方。そちら、まだでしたの?」
普段どおりの声で呼びかける。 わたくしの前で、少年は足を止めた。
間近に見ると、その“異物感”はいっそうはっきりする。
装備は簡素だ。 革鎧は使い込まれているが、過剰な装飾はない。 腰には、軽量のメイス——ライトメイスが一本。
(……田舎から出てきた下位メイス使い。よくいる類い。 不安でいっぱい、見栄で少し背伸び——そういう色が出てもおかしくない場面ですのに)
彼の目には、そのどれもが浮かんでいなかった。
「推薦状、これ」
少年は、言葉少なに封書を差し出した。
そういう場面で、ほとんどの人間は何かを言おうとする。 由来、経歴、自分がいかにすごいか、どれほど苦労してきたか。
それが一切ない。
(話したがらない、ではなく——“必要がない”と判断している喋り方、ですわね)
わたくしは封書を受け取り、封蝋と宛名を確認した。
――西方の小さな村の支部の紋章。 以前、書類の上だけで見たことのある印。
西方街道沿い、無名の集落。 等級外魔獣を退け、村を救った“ライトメイスの少年”。
名前のない報告。 功績欄だけが空白になっていた書類。
その“空白”の主が、今、わたくしの目の前にいる。
(やっぱり、来ましたのね)
胸の奥で、わずかな期待と警戒が交じり合う。
封を切り、中の推薦状に目を通す。
文面は素朴だが、筆者は誠実であろうとしたようだ。
《当村の危機を数度にわたり救った少年に、上位職《メイス盾》への道をお開きいただきたく——》
「……まあ。“メイス盾”ですこと」
口をついて出た言葉は、半分は本心だった。
この王都では、盾職自体が少ない。 ましてや、メイス盾など“絶滅危惧種”と言っていい。
「ずいぶんと、また珍しい職ですね。 王都ではまず見かけませんわ」
皮肉を込めたように聞こえたかもしれない。
けれど、彼の表情はほとんど動かない。
(ここで普通なら、少し怒るか、怯むか、笑ってごまかすか。 そのどれも、なさらない……?)
わずかに興味が強くなる。
「お名前を……あら、失礼。 登録は済ませているのですね。 てっきり、見学者かと思いましたわ」
わざと棘をひとつ潜ませてみる。 “見学者”——つまり、“冒険者にすら見えない”という侮り。
ここで反発が出れば、「自尊心は高いが未熟」。 笑って流せば、「柔軟だが、押しに弱い」。
何かしら“揺れ”があって然るべき。
だが、少年の内側は——水面一枚、凪いだままだった。
(……本当に、読めませんわね)
不快ではない。 ただ、理解不能。
その違和感を、わたくしは意識的に押し隠した。
今は、王都ギルドの第一窓口として、この少年を“正しく”取り扱う必要がある。
「推薦状の確認、終わりましたわ。 ——ですが、王都での正式登録には“実績”が必要ですの」
「……実績?」
「ええ。依頼を三つ達成していただき、 その報告をもって初めて《メイス盾・登録》となりますわ」
これは事実だ。 上位職登録には、王都基準の実績が必要。
問題は、その“三つ”をどんな内容にするか。
わたくしは、手元の依頼書に視線を落としながら、少年の顔から目を離さなかった。
(この子にとって“過剰”な試練を課す必要はない。 ただし、王都の秩序に噛み合うかどうかを測るには、 少しだけ“端っこ”を歩いてもらうのが一番)
軽すぎる依頼なら、この子はわたくしの盤上で“ただのコマ”になる。 重すぎる依頼なら、盤上に乗る前に壊れる。
それでもいい、と思う一方で—— この少年の“異物感”を、もう少し観察してみたいという欲もある。
だから、あえてぎりぎりの線を選ぶ。
報酬の割に危険だけ高い魔獣地帯の調査。 過去に冒険者が行方不明になった廃村の探索。 簡単なようでいて、人の心を削る古代碑文回収。
「三つの依頼を、期限内に。 それが——王都ギルドにおける《上位職登録》の条件ですの」
わざと、“ふるい落とし”の匂いが漂うように言う。
この条件を前に、多くの者は戸惑い、躊躇し、質問を重ねる。 それでいい。そこで“素直さ”と“図々しさ”の配分を見る。
「……期限は?」
「今月いっぱい。あと二十日ほど。 まぁ、お若い方なら問題ないでしょう?」
柔らかな笑み。 だが、その奥にははっきりとした意志を込める。
——あなたを、試しますわよ。
少年は、ほとんど迷いなく答えた。
「この三つでいく」
その声に、焦りも虚勢もなかった。
ただ、“決めたこと”を口にするだけの声音。
わたくしの内側で、何かが静かに鳴った。
(……逃げ道を探さない。打算も、自己演出もない。 “やれるかどうか”ではなく、“やるかやらないか”だけで選んでいる声)
それは、辺境伯閣下と似た質の決定の仕方だった。
ただし——この少年には、閣下のような“盤の全体像”への自覚がない。
あくまで、自分の目の前の一歩だけを、異様に静かに置いている感じ。
「ご英断ですわ。 では初回の依頼は“アーゼの丘”調査となりますわ。 明日の朝、出発を。パーティーを組まれるのなら、お早めにどうぞ。 ……お一人でなければ、の話ですが」
最後に、ほんの少しだけ棘を足す。 この街で“ひとりでやります”と言い切れる者は少ない。
孤立を恐れない者か、 愚か者か、 あるいは
——
「了解」
少年は、それだけ言って引き下がった。
顔には悔しさも、誇りも浮かばない。 ただ、条件を受け入れた者の目。
(本当に、“読めない”)
貸し出した依頼書を記録しながら、わたくしが内心でため息をついた、そのときだった。
視界の端で、別の影がうごめく。
細い手。 大きすぎる外套。 書類の束を抱え、足をもつれさせながら走る少女。




