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19/20

窓口に現れた凪①

 王都ギルド本部の朝は、いつだって少しだけ冷たい。



 鐘が一度鳴り、白い大扉が両側に開く。  石畳を踏む足音、鎧の軋み、怒鳴り声と笑い声。  そのすべてが一斉に流れ込んできても——わたくしの耳には、もう“雑音”としてしか届かない。



(下位冒険者、今日は多め。顔ぶれは……昨日とほぼ同じ。  新顔は二、三。貴族の使いは正午前。  揉め事が起こるなら午後。午前は、ただの仕事)



 白いカウンターに腰を下ろし、帳簿と予約一覧を広げる。  今日も“世界の入口”は、わたくしの手の中にある。



「窓口、開きます」



 短く告げると、列の先頭がぞろりと動いた。  何人目かの冒険者をさばき、商人をあしらい、貴族の前哨戦を軽く受け流し——  ひと息ついた、そのとき。



 空気の“ノイズ”の中に、ひとつだけ異物が混じった。



 足音だ。



 革靴ではない。  重装備でもない。  村の子どもが履くような、簡素な靴。



 けれど——歩幅は一定で、足音のリズムが乱れない。



(……妙ですわね)



 視線を上げる前に、脳が先に“違和感”を拾っていた。



 王都の住人は、たいてい歩幅が細かい。  人を避け、人を追い越し、人の視線を気にしながら歩く。  それが「こちら側」の生き方。



 けれど、その足音には“他人への遠慮”がなかった。



 押しのけるでもなく、怯えるでもなく——ただ、真っ直ぐ。



 列の脇から回り込むようにして、ひとりの少年がカウンターへ近づいてくる。  年のころは、十代前半。十三か、せいぜい十四。



 痩せても太ってもいない、素直な骨格。  手入れの行き届いていない髪。  日焼けした首筋。  村の子。たぶん西方。



 それだけなら、珍しくもなんともない。



 ——にもかかわらず、その少年には“温度”が欠けているように見えた。



(……心拍が、揺れていない)



 初めて王都に来た者の色は、すぐにわかる。  好奇心の赤、恐怖の青、嫉妬の濁り、期待の金。



 この街は、初めての者の心を大きく揺さぶる。  それなのに、彼の眼差しにはそれがほとんどない。



 冷たいわけでも、怯えているわけでもない。  ただ、自分の内側を「静か」に保とうとしている者の瞳。



 わたくしは、無意識に背筋を正した。



「……次の方。そちら、まだでしたの?」



 普段どおりの声で呼びかける。  わたくしの前で、少年は足を止めた。



 間近に見ると、その“異物感”はいっそうはっきりする。



 装備は簡素だ。  革鎧は使い込まれているが、過剰な装飾はない。  腰には、軽量のメイス——ライトメイスが一本。



(……田舎から出てきた下位メイス使い。よくいる類い。  不安でいっぱい、見栄で少し背伸び——そういう色が出てもおかしくない場面ですのに)



 彼の目には、そのどれもが浮かんでいなかった。



「推薦状、これ」



 少年は、言葉少なに封書を差し出した。



 そういう場面で、ほとんどの人間は何かを言おうとする。  由来、経歴、自分がいかにすごいか、どれほど苦労してきたか。



 それが一切ない。



(話したがらない、ではなく——“必要がない”と判断している喋り方、ですわね)



 わたくしは封書を受け取り、封蝋と宛名を確認した。



 ――西方の小さな村の支部の紋章。  以前、書類の上だけで見たことのある印。



 西方街道沿い、無名の集落。  等級外魔獣を退け、村を救った“ライトメイスの少年”。



 名前のない報告。  功績欄だけが空白になっていた書類。



 その“空白”の主が、今、わたくしの目の前にいる。



(やっぱり、来ましたのね)



 胸の奥で、わずかな期待と警戒が交じり合う。



 封を切り、中の推薦状に目を通す。



 文面は素朴だが、筆者は誠実であろうとしたようだ。



《当村の危機を数度にわたり救った少年に、上位職《メイス盾》への道をお開きいただきたく——》



「……まあ。“メイス盾”ですこと」



 口をついて出た言葉は、半分は本心だった。



 この王都では、盾職自体が少ない。  ましてや、メイス盾など“絶滅危惧種”と言っていい。



「ずいぶんと、また珍しい職ですね。  王都ではまず見かけませんわ」



 皮肉を込めたように聞こえたかもしれない。  

けれど、彼の表情はほとんど動かない。



(ここで普通なら、少し怒るか、怯むか、笑ってごまかすか。  そのどれも、なさらない……?)



 わずかに興味が強くなる。



「お名前を……あら、失礼。  登録は済ませているのですね。  てっきり、見学者かと思いましたわ」



 わざと棘をひとつ潜ませてみる。  “見学者”——つまり、“冒険者にすら見えない”という侮り。



 ここで反発が出れば、「自尊心は高いが未熟」。  笑って流せば、「柔軟だが、押しに弱い」。



 何かしら“揺れ”があって然るべき。



 だが、少年の内側は——水面一枚、凪いだままだった。



(……本当に、読めませんわね)



 不快ではない。  ただ、理解不能。



 その違和感を、わたくしは意識的に押し隠した。



 今は、王都ギルドの第一窓口として、この少年を“正しく”取り扱う必要がある。



「推薦状の確認、終わりましたわ。  ——ですが、王都での正式登録には“実績”が必要ですの」



「……実績?」



「ええ。依頼を三つ達成していただき、  その報告をもって初めて《メイス盾・登録》となりますわ」



 これは事実だ。  上位職登録には、王都基準の実績が必要。



 問題は、その“三つ”をどんな内容にするか。



 わたくしは、手元の依頼書に視線を落としながら、少年の顔から目を離さなかった。



(この子にとって“過剰”な試練を課す必要はない。  ただし、王都の秩序に噛み合うかどうかを測るには、  少しだけ“端っこ”を歩いてもらうのが一番)



 軽すぎる依頼なら、この子はわたくしの盤上で“ただのコマ”になる。  重すぎる依頼なら、盤上に乗る前に壊れる。



 それでもいい、と思う一方で——  この少年の“異物感”を、もう少し観察してみたいという欲もある。



 だから、あえてぎりぎりの線を選ぶ。



 報酬の割に危険だけ高い魔獣地帯の調査。  過去に冒険者が行方不明になった廃村の探索。  簡単なようでいて、人の心を削る古代碑文回収。



「三つの依頼を、期限内に。  それが——王都ギルドにおける《上位職登録》の条件ですの」



 わざと、“ふるい落とし”の匂いが漂うように言う。



 この条件を前に、多くの者は戸惑い、躊躇し、質問を重ねる。  それでいい。そこで“素直さ”と“図々しさ”の配分を見る。



「……期限は?」



「今月いっぱい。あと二十日ほど。  まぁ、お若い方なら問題ないでしょう?」



 柔らかな笑み。  だが、その奥にははっきりとした意志を込める。



 ——あなたを、試しますわよ。



 少年は、ほとんど迷いなく答えた。



「この三つでいく」



 その声に、焦りも虚勢もなかった。



 ただ、“決めたこと”を口にするだけの声音。



 わたくしの内側で、何かが静かに鳴った。



(……逃げ道を探さない。打算も、自己演出もない。  “やれるかどうか”ではなく、“やるかやらないか”だけで選んでいる声)



 それは、辺境伯閣下と似た質の決定の仕方だった。



 ただし——この少年には、閣下のような“盤の全体像”への自覚がない。



 あくまで、自分の目の前の一歩だけを、異様に静かに置いている感じ。



「ご英断ですわ。  では初回の依頼は“アーゼの丘”調査となりますわ。  明日の朝、出発を。パーティーを組まれるのなら、お早めにどうぞ。  ……お一人でなければ、の話ですが」



 最後に、ほんの少しだけ棘を足す。  この街で“ひとりでやります”と言い切れる者は少ない。



 孤立を恐れない者か、 愚か者か、 あるいは

——



「了解」



 少年は、それだけ言って引き下がった。



 顔には悔しさも、誇りも浮かばない。  ただ、条件を受け入れた者の目。



(本当に、“読めない”)



 貸し出した依頼書を記録しながら、わたくしが内心でため息をついた、そのときだった。



 視界の端で、別の影がうごめく。



 細い手。  大きすぎる外套。  書類の束を抱え、足をもつれさせながら走る少女。

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