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死の砦”と最初の誤算①


 その日も、王都ギルドの朝はいつも通りに始まった——はずだった。



 鐘が鳴り、大扉が開き、冒険者たちの喧噪が白い大殿に流れ込む。  書記官たちが帳簿を抱えて走り、商人が声を張り上げ、衛兵が通路を空けるよう叫ぶ。



 いつもどおりの雑音。  いつもどおりの一日。



 ……のはずなのに、その朝の空気には、ほんの一滴だけ違う味が混ざっていた。



(風が重い……?)



 わたくしは、書類束を整えながら首を傾げた。



 空模様は悪くない。雲も風も、数値だけ見れば平常。  けれど、ギルドの中を流れる「人の気配」が、妙に張り詰めている。



 衛兵の足音がいつもより硬い。  書記官たちの会話に、ささやき声が増えている。  そして——わたくしのカウンターに積まれる書類束が、一本、妙に“太い”。



(……何か、落ちてきますわね)



 嫌な予感、と呼ぶほど曖昧なものではなかった。  もっと具体的な——



 「誰かが何かを隠そうとしているときの匂い」。



 そういう種類の重さだった。



 * * *



 それは、午前の喧噪が一巡した頃にやってきた。



「マリアベル嬢。……手を空けられるか」



 普段、窓口まで降りてくることなどほとんどないギルド長が、わざわざこちらまで歩いてきた。



 周囲の受付嬢たちの視線が、一斉にわたくしに集まる。  好奇心、羨望、不安。色々な色が混じる気配を背中に受けながら、わたくしは笑顔を崩さずに立ち上がった。



「窓口はアデールに預けてよろしいでしょうか?」



「ああ。……これは、第一窓口ではなく、“辺境伯の目”に見ておいてほしい案件だ」



(辺境伯の、目)



 その一言で、長の手にある封筒の重さが変わった。



 わたくしは即座にカウンターを離れ、長の案内で奥の小部屋へと入る。



 そこは、ギルド長と限られた幹部だけが使う応接室だった。  窓は小さく、扉は厚い。  机の上には、既に茶器が二つだけ用意されている。



 扉が閉まり、外の喧噪が遠ざかったところで、長はようやく封筒を机に置いた。



 白い封筒。  その封蝋には、見慣れたギルドの紋章ではなく——



 王家の紋章と、王都軍、そして大審問院の印が、重ね押しされていた。



(……三印合同)



 喉の奥で、何かが静かに落ちる音がした。



 王家。  王都軍。  教会大審問院。



 この三つの印が並ぶ文書は、ギルドにとって「逆らえない命令」そのものだ。



 わたくしは、姿勢を正した。



「王都本部・ギルド長殿へ。……回覧指定に、“第一窓口責任者”の名も含まれている。読め」



 長が封を切り、中身をわたくしのほうへ滑らせる。



 紙の手触りは上等で、インクは濃すぎも薄すぎもしない。  文言は、簡潔で冷たい。



《第七封鎖区画地下において、未確認の振動及び魔力波形の揺らぎを検知》 《当該区画の構造健全性及び封鎖機構の維持状態を確認するため、ギルドより適任者の派遣を求む》 《当任務は“特殊規約任務”に分類し、当該任務参加者は機密保持の誓約対象とする》 《詳細は別紙参照》



(……第七封鎖区画)



 その符牒を目にした瞬間、背筋に薄い氷が張る。



 わたくしたちが日頃使う地図には、「第七封鎖区画」としか記されていない場所がある。  正式な地名も、旧称も、過去の記録も——すべて、慎重に削がれた穴。



 冒険者たちは、そこをこう呼ぶ。



 ——死の砦。



 ギルドの内部でも、そうだ。



 文書上では「第七封鎖区画」。  噂話になるときは、「死の砦」。



 けれど、その由来を知る者はほとんどいない。



 わたくしも、よくは知らない。



 * * *



 知らない——というのは、少しだけ正確ではない。


 「公式には知らされていない」が、正しい。



 なぜなら、わたくしはこれまでに何度か、その区画に関する“欠けた記録”を見てきたからだ。



 辺境伯の邸で、幼い頃に見た古い地図。  第七封鎖区画に相当する場所には、かろうじて薄い墨でこう記されていた。



《旧協約施設・地上部棄却済》



 協約。  誰と誰の協約なのか。



 別の記録には、こんな走り書きがあった。



《翼持つ者との契約破棄。王家側の一方的解消につき、記録抹消方針》



 翼を持つ者——天使族か、あるいはそれに類する何か。



 わたくしには、それ以上は分からない。  推測はできる。証拠はない。



 ただ、一本の線だけははっきりしていた。



(——あの砦は、“何かを隠すために作られた”)



 地下に、古い何かがある。  それを封じるために、わざわざ砦を築き、その上から“別の用途”をかぶせた。



 けれど、その「別の用途」とは何か。



 それは、今日届いた文書が教えてくれる。



《当任務は、封鎖機構の維持及び地下施設への“再侵入抑止”を目的とする》 《当該区画は、進入者の生還を前提としない構造であることを了承のうえ、任務参加者を選定せよ》



 生還を前提としない。



 つまり——



(死ぬための砦)



 わたくしは、内心でだけ、そう言い換えた。



 * * *



 ギルド長は苦い顔をしながら、別紙をテーブルに置いた。



「……これが、“条件”だ」



 別紙には、任務参加者に対する規定が列挙されている。



 《成人であること》

 《過去の任務達成率が一定以上であること》

 《精神鑑定において一定の安定性が認められる者》

 《家族・後見人に政治的影響力がないこと》



 最後の一文で、わたくしの指先が止まる。



(家族・後見人に、政治的影響力がないこと)



 つまり——消えても構わない者。



 王家も、軍も、教会も、ギルドも。

 誰も、その「不在」を問題視しない者だけを送れ、ということ。



 わたくしはゆっくり紙から顔を上げた。



「……いつから、この規約は?」



「ああ。“辺境伯の目”としての、お前の名が記載されている以上、避けられん。  ……お前なら、“誰を送れば一番被害が少なくて済むか”を考えられるだろう」

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