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地図の余白に灯る名もなきメイス②

見つけるつもりで探せば、見つかる確率は上がる。


 だがそれは、こちらから「関与しようとしている」ということだ。



 辺境伯閣下が求めているのは、「目」であって「手」ではない。

 少なくとも今は。



「地図の余白で勝手に灯り、勝手に消えてくれるなら、それが一番穏当ですわ」



 そう言うと、リリアナ先輩は少しだけ目を細めた。



「あなた、本当に辺境伯に似てきましたね」



「光栄ですわ」



「でも──一つだけ、覚えておきなさい」



 先輩の声が、ほんのわずかだけ低くなった。



「“余白で灯った火”は、誰かが見ていなくても消えるとは限らない。

 むしろ、目を離したときほど、変な場所に飛び火するものよ」



「……それは、先輩の経験から?」



「ええ。受付嬢時代の、嫌な勘です」



 冗談めかして笑ってみせるが、瞳の奥にはかつての「血塗れの書類」の影が一瞬差した。



 死の砦の件。

 あのとき、先輩は自分の判断一つで多くの死と向き合った。



(あの“読み違え”を、わたくしは繰り返さない)



 わたくしは、心の中だけでそう呟く。



「ご忠告、肝に銘じておきますわ」



「期待していますよ、“白い怪物さん”」



 先輩がからかうように笑うので、わたくしも笑って見せた。

 けれど、胸の奥では、小さな棘が引っかかったままだった。



 夕刻。

 窓口の仕事を終え、控え室の奥の小机に向かう。



 辺境伯閣下への報告書と、わたくしだけの「個人的な記録帳」を同時に開いた。



 まず、正式な報告書から。



《本日、西方街道沿い無名集落にて魔獣騒動発生、沈静化の報告あり。

 等級外魔獣(村単位壊滅危険あり)を、未登録の少年がライトメイス一本で退けたとの情報。》



《当該報告には、「王都本部への詳細報告は不要」との上位支部指示が付記されており、

 功績および被害規模の双方について矮小化の意図が見受けられる。》



《現段階では、“未登録の戦力”が地図の余白に存在する可能性として記録に留めるべきと考える。

 積極的な接触や勧誘は、現時点では不要と判断。》



 このくらいが、辺境伯閣下に渡す「温度」だ。



 過剰に危険視すれば、余計な動きを誘発する。

 軽く扱えば、こちらの信頼を損ねる。



 その中間で、わたくしの判断を一行だけ挟む。



(この程度なら、まだ“観察対象”止まりですわ)



 次に、個人的な記録帳へ羽ペンを移す。



 これは、誰にも見せないノートだ。



 王都に来てから八年。

 わたくしは、毎日のように“異常値”や“不自然な書類”をここに記録してきた。



 その多くは、大した意味もなく終わる。

 人の愚かさや小さな欲が、さほど大きな災厄に繋がることなく消えていく。



 けれど、ごく稀に。

 本当に稀に。



 このノートに書いた“点”が、後から大きな線になって現れることがある。



 今日は、その可能性がある日だ。



《西方街道・無名集落。

 未登録の少年、ライトメイス一本で等級外魔獣を退けたとの報。

 村人曰く「あの子がいなければ村は終わっていた」。》



《支部は功績登録を行わず、「そこそこ強かった」とのみ記載。

 上位支部より「詳細報告不要」の指示。》



《仮称:ライトメイスの少年。

 年齢推定:十代前半。

 特徴:単独行動。魔獣に対する“慣れ”の無さを強調する証言あり。》



 書きながら、以前読んだ別の報告を思い出す。



 三ヶ月ほど前、別の小さな集落から上がった書類。



《「小柄なメイス使い」が通りかかった後、魔獣被害が最小限で済んだ》

《詳細不明。功績者登録なし。》



 差出人も、書き方も違う。

 けれど、“書き手の迷い方”が似ていた。



 英雄とは呼びたくない。

 しかし、無視もできない。



 そんな筆致。



 ノートの別のページをめくり、そこに線を一本引く。



《西方街道沿い、“名もなきメイス”に関する報告 二件》



(地図の余白に、小さな灯がともりつつある)



 ふと、そんな言葉が頭に浮かんだ。



 わたくしは、そのまま書きつける。



《地図の余白に灯る名もなきメイス。

 現段階では、観察のみ。》



 ペン先を止めて、しばし考える。



 ここで、わたくしが「動く」こともできた。



 西方の支部に密書を送り、

 当該少年の名前と素性の調査を命じる。



 功績者として登録させ、

 王都行きの推薦を用意させる。



 そうすれば、この“余白の灯り”を、こちら側の盤上に載せることができるかもしれない。



(……ですが)



 しばらく沈黙したあと、わたくしはそっと首を振った。



(今のわたくしは、“目”に徹するべきですわ)



 辺境伯閣下は、わたくしに「駒を動かす権限」を与えてはいない。



 与えられているのは、「見る権利」と「報告する義務」だけだ。



 義務を超えて駒を動かせば、それはもう“別のゲーム”になる。



 そして——



(こんな不確かな噂ひとつで、盤をいじるほど、わたくしは愚かではありませんわ)



 この判断が、後にわたくし自身を刺すことになるのだとしても。



 今の時点で、そう予感することはできなかった。



 “地図の余白に灯る小さなメイス”。



 その灯りが、やがて王都のど真ん中に現れ、

 わたくしの読みを初めて大きく外させることになることを——



 このときのわたくしは、まだ知らない。



 夜。



 いつものように外階段から街路を眺める。



 王都の灯りは、どれも似ている。

 家々の窓、通りの松明、酒場から漏れる炎。



 それらを見下ろしながら、わたくしは今日付のノートを軽く叩いた。



(地図の余白の灯りは、王都からは見えませんわね)



 だからこそ、油断する。

 だからこそ、「どうせ消える」と思う。



 わたくしも、例外ではないのだろう。



 完璧さを自負しているくせに、

 見えない場所で生まれた異物には、どこかで「試験問題くらいの価値」しか与えていない。



(もし本当に“厄介な火”なら、そのうちこちらへ歩いてくるでしょう。

 そのとき改めて、“選別”して差し上げればよろしい)



 そう考えることで、わたくしは自分の胸につかえたわずかな不安を飲み込んだ。



 この慢心こそが、のちに砦の件でわたくしの喉を締め上げる鎖になることを知らぬままに。



 まだ名も知らぬライトメイスの少年が、

 遠く西方の村で、今日もどこかの魔獣と対峙しているかもしれないことも。



 “異端の盾”として王都に現れ、

 わたくしの初めての「読み違え」になるその日が、

 思っているより近くまで迫っていることも——



 この夜のわたくしは、まるで気づいていなかった。

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