地図の余白に灯る名もなきメイス①
地方支部からの書類束は、朝の便でまとめて届く。
封蝋の色も紋章もばらばらで、紙質も綺麗なものから安っぽいものまで混ざっている。
それらが一括りにされて、王都ギルド本部・記録課行きとして、わたくしの机の端に積まれる。
多くは、ただの「日常」だ。
——物資の不足報告。
——新人冒険者の登録。
——村祭りに伴う臨時警備の要請。
——道路補修の完了報告。
世界は、こうしたつまらない紙とともに回っている。
だから、わたくしはこの時間が嫌いではなかった。
(今日も、まずは“普通”を確認するところから、ですわね)
一通ずつ、封を切り、中を確かめる。
読みながら、同時に頭の中の地図をなぞる。
どの支部がどの街道を押さえ、どの村がどの勢力圏にあり、どこで誰が利権を握っているか。
辺境伯のもとで学んだ「布陣の読み方」は、いまや完全にわたくしの一部になっていた。
たとえば——
この支部は、先月からポーションの不足を訴えている。
なのに、負傷報告は他の支部より少ない。
(……ポーションを横流しして、別の場所で稼いでいますわね)
誰が、とはまだ確定できない。
だが、“そういう動き”があることだけは、数字が教えてくれる。
別の書簡では、ある村の自警団が「最近は魔獣が減った」と誇らしげに書いている。
だが同じ地域の別支部の報告では、討伐依頼が微妙に減っている。
(“危険度評価の引き下げ”を狙っているのでしょうね)
領主が兵を減らし、それに伴って支出を減らす。
浮いた金がどこへ消えるかは、聞くまでもない。
そういう「小さな悪意」を見つけては、わたくしは別の紙に印をつけていく。
今日もきっと、その繰り返しで終わる——はずだった。
一通だけ、紙の手触りが違った。
束の途中で指先が止まる。
薄いのに、妙に重い紙だった。
封蝋は簡素な朱色。紋章は、正式な支部ではなく「西方街道第九分室」の印。
宛先は王都ギルド本部・記録課。差出人名には“代理”の二文字。
「分室、代理……」
口の中で転がすと、自然と眉がわずかに下がった。
分室は、支部のさらに端にある簡易拠点だ。
その代理名義の書類というのは、大体ろくなことが書いていない。
責任を取りたくない者が、自分の上にも下にも押しつけたくない案件を、そっと流すときの形式。
封を切る。
インクの匂いが、他の書類よりも濃く鼻をついた。
急いで書いたときの、あの感じ。
《西方街道沿い無名集落における魔獣騒動、沈静化の件》
最初の一行は、定型文だった。
わたくしは目を滑らせる。
《危険度:中級(推定)/被害:家屋損壊数棟・人的軽傷数名》
ここまでなら、よくある地方の騒ぎだ。
だが、次の行で筆致が乱れる。
《討伐完了者:登録外冒険者(推定)/仮称:ライトメイス使いの少年》
そこで、視線が止まった。
「……ライトメイス?」
思わず、小さく声が漏れる。
メイスは、盾と組み合わせて初めて真価を発揮する、地味で扱いの難しい武器だ。
それを、ライトメイス——軽量の打撃武器——で少年が?
(子どもの遊び道具、ではありませんのよ)
もちろん、軽いメイスを使う冒険者がいないわけではない。
だが、それで「魔獣騒動の沈静化」に至るのは、さすがに奇妙だ。
読み進める。
《外見年齢十代前半/単独行動/村人の証言によれば「そこそこ強かった」「たまたま通りかかった」「魔物が苦手そうだった」等》
(そこそこ、ですか)
報告者の視線と言葉選びが、行間から透けて見える。
“英雄”とは書きたくない。
しかし、“何も書かない”わけにもいかない。
だから、「そこそこ強い」「たまたま」などという、責任の匂いが薄い言葉で塗りつぶしている。
紙の下端には、小さな追記があった。
《※討伐対象:等級外魔獣(災厄級に届かぬも、村単位の壊滅危険あり)》
《※王都本部への詳細報告は不要との指示あり(上位支部より)》
最後の一行を読み終えた瞬間、胸の奥で「カチリ」と何かが噛み合う音がした気がした。
(——“詳細報告は不要”)
つまりこれは、「ここで終わらせろ」という意味だ。
どこかの支部長が、“余計な昇格者”や“異物”を生みたくなかったか。
あるいは、“正式な功績者”として登録するには事情が込み入っていたか。
理由は、いくつか考えられる。
わたくしの仕事は、それらをすべて疑ったうえで——「どこまで踏み込むか」を決めることだ。
わざと息をひとつ、ゆっくり吐く。
(まずは、“数字”から、ですわね)
わたくしは、机の端に積み上げていた別の束に手を伸ばした。
最近一ヶ月の、西方街道沿いの報酬支払記録。
同じ地域の負傷・死亡報告。
物資搬入と、ポーション使用量の統計。
王都から見れば、そこは「地図の端」だ。
だが、帳簿の上では、王都のど真ん中と同じ重みで扱われるべき数字だ。
ひとつひとつ、目で追っていく。
(西方街道第七支部……魔獣討伐成功率、先月から微増。
死亡報告は、特段の増加なし。
ポーション消費量、突出した増加なし)
一見、平穏だ。
支部長の頑張りか、冒険者たちの腕か。
ただ——
(……等級外魔獣が出て村ひとつが危なかったにしては、負傷者が少なすぎますわね)
もし本当に「そこそこ強い少年」が、たまたま通りがかっただけなら。
その前段に、もっと派手な死傷が出ていてもおかしくない。
なのに、数字は静かすぎた。
鉛筆を握り、紙の端に小さく点を打つ。
わたくしの中での「要注意」の印。
(これは、“誰かがうまく隠した”と見るべきですわね)
被害を小さく書き、功績を小さく書き、
そして「王都本部への詳細報告は不要」と書き添える。
その組み合わせは、あまりに露骨だ。
昼休み、わたくしは書類の一部を持って監査室へ向かった。
扉をノックすると、すぐに聞き慣れた声が返ってくる。
「どうぞ」
リリアナ先輩は、相変わらず机いっぱいに帳簿を広げていた。
かつて王都ギルドの「顔」だった受付嬢。
いまは監査と記録のスペシャリストとして、裏方に籠もっている。
「また、“変なもの”を拾った顔をしていますね、マリアベル」
「先輩が教えてくださった“変なもの”の探し方が、便利すぎるせいですわ」
軽口を交わしながら、例の書簡を差し出す。
先輩はざっと目を通し、途中でページを戻した。
「……ライトメイス使いの少年、ね」
「外見年齢十代前半。単独で等級外魔獣を退け、村を救い、登録も功績申請もない。
書き手は“そこそこ強い”と評価しているようですが」
「書き手が“そこそこ”と思いたいだけでしょうね」
リリアナ先輩の声は乾いていた。
「本当に“そこそこ”なら、わざわざ『本部への詳細報告は不要』なんて書きませんよ」
(やはり、そこですわよね)
わたくしが見た違和感と、先輩の指摘がぴたりと重なる。
「いかがなさいます? 辺境伯閣下への報告に含めるべき案件かと」
「そうですね……」
先輩は椅子の背にもたれ、天井を一度仰いだ。
「秩序外のものが、地図の余白に生まれたとき。
それを“拾い上げる”か、“見なかったことにする”か。
選ぶのは常に、こちら側の都合です」
「……先輩は、どちらを?」
「あなたは、どうしたいの?」
質問を、質問で返された。
わたくしは、少しだけ考えるふりをした。
実際には、もう答えは決まっていた。
「“記録”としては残しますわ。
“辺境伯閣下への報告書”には、『西方街道沿いに未登録の戦力が存在する可能性あり』とだけ」
「名も、顔も、素性も記さずに?」
「ええ。
名前や顔を求め始めたら、こちらが“見つける側”になってしまいますもの」




