表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/16

盤面の赤印 ―壊れる秩序の予兆―


 日が傾き始める頃、ギルドの空気は少しずつ重たくなる。



 朝は希望、昼は取引、夕方は——精算。



 今日の自分はどれだけ稼ぎ、どれだけ失い、どれだけ傷を負ったのか。

 そのすべてが、夕方の窓口に押し寄せてくる。



 その日、最後の山場は、冒険者たちの報告ラッシュだった。



「討伐証明はこちら! 牙が二十本、角が四本!」

「報酬、もうちょい何とかならねえか? 命かけたんだぞ?」

「依頼主の村長から、追加の食料支給があったんだが、それも記録に入れてくれよ」



 わたくしは次々に書類を受け取り、判子を押し、記録を回し、ときには軽口を交わす。



 ここでの一言が、次の依頼の選び方に影響する。

 この冒険者には、「今は少し休むべき」と伝える。

 あの冒険者には、「次はこういう依頼が合う」と示唆する。



 それは、親切ごとでも、慈善でもない。



 ——王都全体の“戦力配分”の問題だ。



 今、疲れた前衛が危険度の高い依頼に飛びつけば、数日後には「穴」が開く。

 その反動を埋めるために、他の区画から戦力を寄せれば、今度は別の場所が薄くなる。



 ギルドは、目の前の一人を見ているようでいて、本当は全体を見なければ成り立たない。



 辺境伯閣下のもとで学んだことが、ここで役立っていた。



 あの方はいつも、盤上を見ていた。

 ひとつひとつの駒ではなく、全体の布陣を。



(わたくしは、その視線の代わり)



 だから、目の前の一人との会話にすべてを費やしてはいけない。

 その後ろにある“流れ”を、常に計算し続ける必要がある。



 今日一日で、危険度の高い依頼は何件消化されたか。

 高ランクの冒険者はどの区画に集まっているか。

 低ランク帯に、無理な依頼を押し付けている領主はいないか。



 手元で数珠を繰るように、数字を並べ替える。

 頭の中には、一枚の見えない地図が広がっていく。



 その地図の上で、今日も幾つか、赤い印が灯った。



(……ここは、そろそろ“崩れる”)



 そう予測が立てば、わたくしはその区画に関係する書類を少し早めに回す。

 辺境伯閣下への報告書に、その名前を一行だけ追加する。



 「ここが薄くなりつつあります」と。



 その一行が、数週間後、辺境伯家の軍備や人員配置の調整につながることを、わたくしは知っている。



 わたくしはただの受付嬢。

 だが、この窓口は、辺境と王都を結ぶ血管の一本だ。



 ここで何を流し、何を止めるか。



 それが、どこかで「誰が死ぬか」を決める。




 ◆





 閉館の鐘が鳴る頃には、わたくしたちは全員、椅子から立ち上がるのもしんどいほど疲れている。



 それでも、最後の仕事が残っていた。



 ——今日一日の「異常値」の洗い出し。



 帳簿の数字を追いかけるのは、書記官たちの役目だ。

 だが、「いつもと違う空気」を察知するのは、窓口に座る者の特権である。



 わたくしは、小さなノートを取り出す。

 そこには、他の誰にも見せていないメモがぎっしりと並んでいる。



 「いつもより口数の多かった貴族」

 「妙に静かな冒険者」

 「報酬額に不釣り合いな上機嫌を見せた商人」

 「一言も喋らなかった護衛」



 その全てに、日付と簡単な印をつけていく。



 単体では意味のない点だ。

 だが、数日、数週間、数ヶ月と重ねていくと、そこに「線」が浮かぶ。



 いつか、わたくしはその線の先に“災厄”を見ることになるのだろう。



 まだ、そのときは知らなかった。



 死の砦も、境界の外から来る少年も。

 この王都の秩序を壊しにくる存在が現れることも。



 ただ、何となく——感じてはいた。



 完璧に整えられた秩序ほど、壊れるときは派手だ、と。



 王都ギルドの中枢で、わたくしはその「壊れ方」を想像し、備えている。



 備えきれるとは思っていない。

 けれど、備えなければ気が済まない。



 そういう性分に、生まれてしまったのだ。



 だからこそ、辺境伯閣下はわたくしを王都に送り出したのだろう。



 この白い街で、“怪物”として生きるために。



 ◆




 部屋に戻るとき、いつもわたくしは同じ場所を通る。



 王都ギルド本部の外階段。

 そこからは、街路と広場と、遠くの城壁が一望できる。



 夕暮れ。

 人々は家路を急ぎ、灯りがひとつ、またひとつと点り始める。



 誰も、上を見ない。

 誰も、自分がどんな布陣の中で動いているのかなど、考えない。



 それが、彼らの幸福であり、わたくしの仕事だ。



 手すりに肘を乗せ、少しだけ目を閉じる。



 頭の中で、今日見たすべての顔が並ぶ。

 今日交わしたすべての声が、淡く反響する。



 貴族、冒険者、商人、兵士、使い走り、書記官。

 その誰一人として、わたくしの本当の顔は知らない。



 「感じのいい受付嬢」

 「仕事の早い受付嬢」

 「少し怖い受付嬢」。



 そのどれも、間違ってはいない。

 でも、それだけでは足りない。



(わたくしは——“目”)



 辺境伯閣下の代わりに、この王都を見張る目。



 秩序の綻びをいち早く見つけ、

 放置してはならない火種を察知し、

 必要ならば、わずかな書類と一度の微笑みで、誰かの未来をずらす。



 その役目を、わたくしは誇りに思っている。



 同時に、自分自身に対して静かな嫌悪も抱いている。



 人の感情を読み、組み立て、操作する。

 それは決して、美しい仕事ではない。



 けれど、それをやれる者が少ない以上——やるしかない。



「……さあ、明日も」



 小さく呟き、背筋を伸ばす。



 白いギルドの建物が、暮れなずむ空に浮かび上がる。

 その中で、わたくしという小さな怪物は、静かに牙を研ぎ続ける。



 この世界のどこかで、まだ見ぬ“秩序外”が生まれつつあることなど知らぬままに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ