微笑の窓口 ―歪んだ依頼―
午後。
噂どおり、そのパーティはやってきた。
鉄と革の匂い。
笑い声と罵声。
賞賛と嫉妬の入り混じった視線が、彼らの周囲を取り巻く。
リーダーは、背の高い男だった。
鎧は磨かれ、外見に破綻はない。
だが、その目の奥には薄い欠けが見えた。
過去の栄光に対する依存。
最近の損耗への、鈍い麻痺。
彼の後ろに並ぶメンバーの顔と歩幅を一瞥し、わたくしは“崩れかけている箇所”をすぐに見つけた。
左後方の前衛。
右側の魔術師。
戦列がわずかに歪んでいる。
(——まだ致命的ではない)
今ならまだ、方向を変えられる。
カウンターに近づいてきたリーダーが、口元を歪めた。
「よお、赤髪のお嬢さん。今日も稼げるやつ、持ってきてくれよな」
わたくしは、微笑みを貼り付けたまま頭を下げた。
「ようこそお越しくださいました。
本日は、どのような条件の依頼をお求めで?」
「危険手当が厚いやつ。あとは、王都で名前の通る仕事ならなおいいな」
周囲の空気が、くすりと笑う。
わたくしは、用意していた三枚の紙を指先で整えた。
一枚は、例の地下遺構。
一枚は、王都近郊での魔物掃討——報酬はそこそこだが、内容は健全。
そしてもう一枚は、王家主催の式典に伴う“裏方の護衛任務”。
どれも、高ランクのパーティでなければ受けられない案件だ。
「でしたら、三件ほど条件に合致する案件がございますわ」
わたくしは、まず“最も危険な紙”を一番上に置いた。
あえて、見せる。
「ひとつは、新規発見の地下遺構調査・制圧。
報酬は——これだけ」
数字を見た瞬間、リーダーの目に欲の光が宿る。
パーティの他のメンバーも、紙の上の数字を覗き込む。
周囲の冒険者たちの視線が、羨望と嫉妬と好奇心の濁った色を帯びて彼らに注がれる。
「へえ……ずいぶん太っ腹じゃねえか」
「ええ。太っ腹ですわ。
ただし、報告書の内容に、少々“奇妙な点”がありまして」
わたくしは、あくまで穏やかに続ける。
「一次調査隊は、低位魔物が中心と報告しています。
ですが——」
物資消耗表をくるりとひっくり返す。
「布製防具の損耗率七割。鉄製装備二割。
負傷者の症状の多くが、“精神錯乱”“悪夢”」
リーダーの目の色が、わずかに変わる。
他のメンバーたちの顔にも、不穏な影が落ちる。
「……“低位魔物が中心の、安全寄りの遺構”にしては、少し数字が噛み合わないように、わたくしには見えまして」
「つまり?」
「誰かが、“危険度を薄く書いている”可能性ですわ」
ギルド長と貴族家の意向を真正面から否定する言葉だ。
だが、あくまで「可能性」として。
リーダーの唇が、冷笑の形を取る。
「俺たちをそこに突っ込みたい“誰か”がいる、ってわけだ」
「わたくしには、そこまでは——」
言いかけて、口元にそっと指を当てる。
「ただ、報酬の数字と、添付資料の数字が、ほんの少しだけ“美しすぎる”のです。
書類を美しくすることは、往々にして、現場を醜くいたしますわ」
ほんの一瞬、静寂が落ちる。
周囲の色が、揺れる。
リーダーは、紙から視線を外し、わたくしをじっと見た。
その目の奥で、何かがきしむ音がする。
プライド。
反骨心。
利用されることへの拒絶。
わたくしは、そのきしみを歓迎する角度で微笑んだ。
「もちろん、あなた方の実力をもってすれば、ここを踏破することも不可能ではありません。
ですが、わたくしは“駒”として客人を扱う趣味はございませんの」
紙を指先でくるりと回し、二枚目を前に出す。
「こちらは、王都近郊での魔物掃討。
危険度は高いですが、敵の種類も構造もはっきりしています。
あなた方の戦歴を拝見する限り、“成功の絵”が具体的に描ける案件ですわ」
リーダーの眉が、わずかに上がる。
「報酬は……遺構の半分か」
「ええ。その代わり、こちらは“誰かの思惑”がほとんど入り込んでおりません。
単純に、王都周辺の防衛線を厚くするための実務です」
三枚目の紙を、最後に置く。
「そしてこちらが、王家主催の式典における裏方護衛。
報酬は二番目。しかし、実績としては——」
「“王の側で戦った”という看板が残る, ってわけか」
「ええ。
あなた方が今後、“武勇”だけでなく“信頼”の面でも名を刻むおつもりでしたら、こちらは非常に価値が高い案件です」
静寂。
周囲の冒険者たちが、息を呑む音。
リーダーの視線が、三枚の紙の上を行き来する。
数字。
名誉。
危険。
わたくしは何も言わない。
ただ、微笑みの角度だけを調整する。
遺構の紙を見るときは、わずかに口角を下げる。
二枚目に目を落としたときは、眼差しを平らに保つ。
三枚目を見たとき——ほんの一瞬だけ, 微かに口元を上げる。
「どれを選んでも構いません」と言いながら、
「最も賢い選択」を暗に示す笑顔。
これを, リリアナ先輩は「誘導笑顔」と呼んだ。
リーダーが、やがて小さく笑った。
「……なるほど。
“駒”として扱わない、ね」
「ええ。少なくとも、わたくしは」
「上の連中はどう思ってる?」
「さあ。
——ご自分で確かめてみてはいかがでしょう?」
わざと、軽い挑発を乗せた。
彼の目の奥で、火花が散る。
最後に彼は、遺構の紙を指先で弾き、横へ押しやった。
「地下なんかこりごりだ。
王の側で戦うほうが、まだマシだな」
そして——三枚目の紙を取った。
周囲から、小さなどよめきが起こる。
王家の式典護衛を請け負う。
それは、王都の冒険者にとって、一つのステータスなのだ。
リーダーは、紙を握りしめたまま、わたくしを見た。
「お嬢さん。あんた、名前は?」
「マリアベル・エーメルトと申しますわ」
「覚えた。……あんたが笑って勧めた仕事で、うちの誰かが死んだら、そのときは文句を言いに来るからな」
「文句を言いにいらっしゃれるなら、少なくとも“全滅ではない”ということでしょう?
——そのときも、笑顔でお迎えいたしますわ」
軽口を返す。
彼は鼻で笑った。
パーティが去ると、空気が一気にゆるんだ。
後方で見ていた中堅職員が、小声で口笛を吹く。
「……今の、完全に貴族の差し金ひっくり返したろ」
「書類上は何も変わってませんわ。
“高名のパーティに優先的に案内した”という条件も、形式上は満たしております」
わたくしは、何事もなかったかのように、遺構の依頼書を掲示板の隅へ戻した。
場所を少しずらし、目立たない位置に。
それでも——完全には消せない。
◆
夕刻。
喧噪が一段落したあと、わたくしは背後の控え室で帳簿を開いていた。
今日受理された依頼。
受注したパーティの構成。
明日の予想される死傷者数。
数字は、静かに並ぶ。
そこへ、リリアナ先輩が入ってきた。
「さっきの、高名の連中の件。
ギルド長、苦笑いしてたわよ」
「怒ってはいらっしゃいませんでした?」
「“辺境伯らしいやり方だ”って」
先輩は、椅子に腰を下ろした。
「貴族筋にはあとで、うまく言い訳するんでしょうね。
“王家案件のほうが彼らにはふさわしいと判断した”とかなんとか」
「事実、そうですもの」
「ええ。だからいいのよ」
リリアナ先輩は、わたくしの帳簿を覗き込む。
「地下遺構のほうは?」
「中堅どころのパーティが閲覧に来ております。
構成を見る限り——“重傷で済む”可能性が高い、と判断いたしました」
「止めないのね」
「止めません。
誰かが“一度, 深く傷を負って引き返す”必要がございますわ。
そうでなければ、この依頼の危険度は永遠に薄く書かれたままになります」
先輩の無色が、ほんのわずかに揺れた。
「優しいのか, 冷たいのか, わからないわね、あなた」
「わたくしも、よくわかりませんの」
本音だった。
誰も死なせたくない、などと綺麗事を言えるほど, 現場を知らないわけではない。
全員生かすことはできない。
誰かは、どこかで、傷を負う。
それを選ぶ権限を握っている自覚があるからこそ、
わたくしは数字にこだわる。
少しでも、マシな方へ。
リリアナ先輩が、ふと口元を緩めた。
「……わたし、前にも言ったかしら」
「何を、ですの?」
「あなたは、ほんとうに“怪物”になるわよって」
「お褒めの言葉と受け取っておきますわ」
先輩は肩をすくめた。
「怪物にも、いろいろいるわ。
人を食い散らかすだけのものもいれば、
人を“選別して”生かそうとするものもいる」
わたくしは、ペンを握り直した。
「わたくしは、後者でありたいですわ」
「その線を忘れないことね。
——“全部読める”なんて思った瞬間が、一番危ないから」
静かな忠告。
胸のどこかが、ちくりとした。
わたくしは視線を帳簿に落としたまま、軽く笑う。
「今のところ、“読み違えた方”はおりませんわ」
「そう。
“今のところ”は、ね」
リリアナ先輩は立ち上がり、控え室を出ていった。
扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。
◆
夜。
宿の小部屋で、わたくしは今日の報告書を書いていた。
宛先は、辺境伯閣下。
灯りは一本。
紙は三枚。
《本日、王都ギルド本部第一窓口にて、新規高難度依頼の斡旋を行いました》
《王都本部および貴族家の意向としては、当該依頼を高名のパーティにあてがう方針が示されておりましたが、
現場判断により別の王家案件を優先的に案内いたしました》
《地下遺構の案件は、中堅パーティによる受注の可能性が高く、
“重傷での生還”をもって危険度評価の是正に繋げられると見込んでおります》
《本日のところ、わたくしの判断による“読み違え”は検出されておりません》
最後の一文を書いたとき、自分の胸の奥で、小さな金属音がした気がした。
(——慢心、かしら)
けれど、ペンを置く手は止まらない。
《今後とも、閣下の“目”として、王都の盤面を読み続ける所存です》
署名を書き終え、封蝋を押す。
窓の外では、王都の夜が相変わらずざわめいている。
笑い声。
怒号。
歌。
喧嘩。
取引。
そのすべてが、どこかで明日の依頼と繋がっている。
わたくしは灯りを落とし、暗闇の中で目を閉じた。
今日、救った命がいくつあるのか。
今日、傷つくことを許した命がいくつあるのか。
その正確な数は、わからない。
けれど——ひとつだけ、確かに言えることがあった。
(わたくしの笑顔ひとつで、“誰かの明日”は変わる)
その自覚が、甘い毒のように、喉の奥に残っていた。




