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第一窓口 ―選ばせる者の権力

午後。


 最初の鐘が鳴り終わる頃、リリアナはふいに席を立ちました。




「マリアベル」




「はい?」




「代わりなさい」




 あまりにも自然な言い方だったので、わたくしは一瞬聞き返してしまいました。




「今、ですの?」




「ええ。今」




 リリアナは、ほんの少しだけ唇の端を上げます。




「ここまでの“見学”の中で、何人くらいなら捌けそうだと思った?」




 その問いは試験であり、同時に「許可」でもありました。




 わたくしは、深く息を吸います。




「……十分に一人前には程遠いですわ。でも、“最初の十人”くらいなら、何とか致します」




「いいわ。十一人目からは、わたしが後ろから首根っこを引っ張る」




 それが冗談でないことは、声の温度でわかる。




 わたくしはカウンターの内側に入り、椅子に座りました。




 視点が変わる。


 さっきまで「観客」だった場所が、今は「舞台」。




 途端に、ホール全体の視線が、わずかにこちらに集まるのを感じました。




 何人かの冒険者が、「子どもが座っている」と言いたげに眉をひそめる。


 後ろの受付嬢たちが、小声で囁き合う。




(十二人目くらいまでは“舐められる”前提で組みましょう)




 それでいい。


 舐められるほうが、情報は取りやすい。




 最初にやって来たのは、皮の鎧を着た若い冒険者。




「よ、嬢ちゃん。ギルド長はいるか?」




 声に微妙な棘がある。


 けれど、その棘の向きは「自分の不安」に刺さっている。


 言葉の合間に、何度も舌先で歯をなぞる癖が、それを物語っていました。




「ただいま席を外しておりますの。


 ご用件を伺って、代わりに取り次ぐことは可能ですが——」




 わたくしは、わざと少しだけ言葉を曖昧にしました。




 「取り次げます」ではなく、「取り次ぐことは可能」。


 相手に「自分で話したいのか」「書類で済ませたいのか」を選ばせる。




「……いや、いい。書けばいいのか? その、報告とかそういうやつ」




 やはり、直接対面する勇気はない。




(この人は、“叱られたくない大人”)




 叱られたくない者には、最初から“許される空気”を渡す。




「もちろんですわ。ご安心くださいませ。


 内容を整理していただければ、こちらで適切な文言に整えさせていただきます」




 安心、という言葉を一語だけ強調する。


 すると男の肩の力が、目に見えて抜けました。




「……お、おう。じゃあ頼む」




 彼は、まるで「宿題を手伝ってもらう子ども」のように、机に紙を置きました。




 わたくしは、その姿を見ながらペンを走らせます。




 語彙の選び方、失敗の書き方、責任の所在のぼかし方。


 それらを、彼が「読める範囲」に抑えつつ、ギルド側が問題なく処理できるよう整える。




 背後で、リリアナが何も言わない。




 それは、合格のサインでした。




 次に来たのは、派手な服を着た女冒険者の一団。


 自信満々の笑顔。


 高価そうなブーツ、ほとんど使われていない手袋。




(見栄を張りたい人たち)




「ようこそお越しくださいました。


 本日のご依頼、どういった種類をご希望でしょう?」




「金になるやつ」




 即答。




 自分の実力を測られたくない人間は、大雑把な要求をする。


 そこに「具体」を紛れ込ませるのが、受付の技術。




「でしたら、最近新たに開拓された交易路の護衛依頼など、いかがでしょう。


 昨今は魔獣も少なく、報酬の基準も高めに設定されております」




 実際には「魔獣は少ない」のではなく、「出る魔獣が一定のパターンしかいない」だけ。


 それを知らせず依頼に出すのは危険——




 わたくしは、続けます。




「ただし、“隊列の守り方”さえ間違えなければ、危険は低く抑えられるタイプの依頼です。


 もしよろしければ、過去の護衛成功例を簡単にお伝えいたしますが」




 成功例。


 人は、失敗談より容易に耳を傾ける。




「……じゃ、その話だけ聞いてやるよ」




 女冒険者の顎が、わずかに上がる。




(釣れましたわ)




 あとは、彼女たちの自尊心を尊重しながら、「具体的な行動」を数個だけ頭に入れてあげればいい。




 隊列の組み方。


 夜間の交代の仕方。


 先行させてはいけない職種。




 それらを、「あなたたちならできるはず」という前提で語る。




 結果——彼女たちは、自分たちが「正しいやり方を選んだ」と思い込んだまま、比較的安全な依頼を受けていった。




 わたくしにとって、それは同時に、


 「後で数字を見返したとき、どれほど事故率が下がるか」という実験でもありました。






---




 午後の終わり頃。




「……ねえ、マリアベル」




 受付嬢控え室で水を飲んでいたとき、アデールが顔を寄せてきました。




「なにかしら?」




「さっきのお客さんさ、あんた何かした?」




 何のことか、すぐに察しがつきました。




 わたくしの窓口を利用した客たちの中に、


 やたら機嫌よく帰っていく者が多かったのです。




 怒鳴り込んできた老人が、


 いつの間にか自分の孫の話をして笑いながら出ていったり。




 自信なさげだった若者が、


 「よし、やってやるか」と自分で言って帰っていったり。




「いえ。必要なことをお伝えしただけですわ」




「それが“何か”なんだってば」




 アデールは不満げに頬を膨らませます。




「いいなあ……あたし、どうしても説教しちゃうんだよね。


 “あなたたちにはまだ早いですよ”とか、“危ないからやめなさい”とか。


 それで余計こじらせてるって、わかってるんだけど……」




(自覚があるだけ、救いがありますわね)




 わたくしは笑みを浮かべました。




「アデール。人は、“自分の決断”だと思えないと、動きませんの」




「決断?」




「ええ。“やらされた”ではなく、“自分で選んだ”と感じたいのです」




 テーブルの上の木製のコップを、指で軽く叩きます。




「わたくしたち受付は、ただの“案内板”ではありませんわ。


 “こう動けば、あなたの思い通りになりますよ”と、


 道を指し示す役目ですの」




「でも、その“思い通り”を決めてるのは——」




「わたくしたちですわね」




 言い切ると、アデールの目が丸くなりました。




「怖……」




「怖いですわよ?」




 わたくし自身、それがどれほど恐ろしい立場か、よく理解していました。




「ですから、“自分の都合”だけで誘導してはいけませんの。


 損得だけで動けば、必ずどこかで破綻します」




「じゃあ……何を基準にすればいいの?」




 その問いは、この仕事に就いた誰もが一度はぶつかる壁。




 わたくしは、ほんの少しだけ考え——言葉にしました。




「“終わったあとに、その人がどう笑うか”ですわ」




「……笑う?」




「ええ。依頼を受けるときの顔ではなく、


 依頼を終えて戻ってきたときの顔。


 そこで、わたくしは評価されると思っておりますの」




 その言葉は、かつて辺境伯に言われた「数字の話」と重なります。




《一度の勝利ではなく、十年後に残るものを見ろ》




 それを、わたくしなりにギルドの窓口に落とし込んだだけ。




「よくわかんないけど……かっこいいこと言うなあ、あんた」




 アデールは笑いながら肩をすくめました。




 その様子を、部屋の入り口からリリアナが見ていました。




 目が合う。


 何か言われるのかと思いましたが、彼女はただ視線を逸らしただけ。




 けれど、その目の隅に、小さな変化がありました。




 ——認められた。




 言葉にはならないけれど、それだけは確かでした。






---




 その日の終わり。




 帳簿が閉じられ、ホールから最後の客が出ていったあと。


 わたくしは、ギルド長室へ呼ばれました。




「入ったまえ」




 低くくぐもった声。


 扉を開けると、書類の山の間にひとりの老人が座っていました。




 痩せてはいるものの、目の奥にはまだ鋼が残っている。


 何より、机の上の書類が「整っている」。




 混沌ではなく、秩序の中の混乱。




(この人は、“自分で仕事をさばける”上司ですわね)




 わたくしはすぐにそう判断しました。




「マリアベル・エーメルト。辺境伯閣下のご推挙により、本日より——」




 形式的な挨拶を、老人が手で制します。




「形式はいい。座りなさい」




 椅子に腰を下ろす。


 ギルド長は、わたくしをじっと見ました。




 その視線には、「子どもを見る甘さ」は欠片もない。




「君、今日一日で何人の客を捌いた?」




「わたくしの窓口として直接応対したのは二十三名です。


 うち、依頼成約が十七、相談のみが五、クレームが一」




「そのうち、“危ない橋を渡りかけていた連中”は?」




「七名です」




「その七名のうち、君は何人を“別ルート”に流した?」




「五名です」




 老人の眉が、ぴくりと動きました。




「残り二名は?」




「止めても同じ依頼を受けると判断しました。


 ですので、止めるのではなく、“失敗の被害を最小化する説明”を選びました」




 ギルド長は椅子の背にもたれ、長く息を吐きます。




「……なるほど。


 辺境伯が“目”として育てろと言って寄越したわけだ」




 わたくしは目を瞬きました。




「“目”、でございますか?」




「辺境伯の口ぶりはもっと遠回しだったさ。


 『王都の空気を、客観的に観測できる者を置きたい』とな」




 その言い方に、わたくしの胸がわずかに熱くなりました。




(閣下らしい)




 ご本人の前では決して言わなかったことを、他人の口から聞かされる。


 それは妙な照れとともに、確かな誇りを呼び起こします。




「君は、“王都の空気”をどう見た?」




 ギルド長の問いは唐突でした。




 けれど、わたくしはすでに答えを持っていました。




「……そうですわね。


 一言で申しますなら、“自分の鏡ばかり覗いている街”だと」




「鏡?」




「はい。


 皆、自分の顔、自分の財布、自分の地位ばかり見ております。


 隣に立っている者の靴の擦り減り方にも、手の震えにも、ほとんど興味を持たない」




 老人の目が細くなります。




「辺境は違ったかね?」




「ええ。


 辺境では、隣に立つ者の足がもつれただけで、前線が崩れます。


 “自分だけ”を見ている者は、すぐに死にます」




「ふむ」




 ギルド長は机の上のペンを指で転がしました。




「では、君はこの王都で、何を見る?」




 それは、「何を監視し、何を伝えるつもりか」という問いでもありました。




 わたくしは、一拍置いてから答えます。




「“壊れ方”ですわ」




「壊れ方?」




「はい。


 人は皆、どこかで壊れます。


 ただ、その壊れ方によって、周囲への被害も、残されるものも変ります」




 リリアナの、あの無色の横顔が脳裏に浮かぶ。




「わたくしは、ここで働く人々の“壊れ方”を見ます。


 冒険者も、商人も、受付嬢も、ギルド長でさえも。


 誰がどこで限界を迎えるのか——それを知ることが、辺境伯閣下への情報としてもっとも価値があると考えます」




 部屋に短い沈黙が落ちました。




 ギルド長は、一度だけ笑いました。


 喉の奥で、低く。




「……君は、本当に十二か?」




「書類上は、そうなっております」




「書類はときどき嘘をつくからね。——よし」




 老人は椅子から立ち上がり、わたくしの正面に歩み寄ります。




「君を正式に、王都ギルド本部の受付嬢として任命する。


 肩書きは“第一窓口補佐”。


 実務においては、リリアナの直下につく」




「光栄でございますわ」




「それと同時に——」




 ギルド長は声を低くしました。




「非公式な役目として、“辺境伯への目”を続けることを許可する。


 ただし、その報告がこのギルドの存続を危うくすると判断した場合、


 わたしは容赦なく君を切り捨てる」




 脅しではない。条件提示。




 わたくしは、淀みなく頷きました。




「当然ですわ。


 わたくしは“駒”ですもの。


 盤を壊す駒に価値はありません」




「ああ、まったく。君のようなのが一番怖い」




 ギルド長は心底から疲れた声でそう言い、笑いました。






---




 ギルド長室を辞し、廊下を歩く。




 窓の外には、王都の夕暮れが広がっていました。




 遠くで鐘が鳴り、


 酒場から笑い声が漏れ、


 どこかの家の子どもが、母親に叱られて泣いている。




 その全てを、わたくしは「背景」として頭の片隅に置きました。




 今、わたくしの視線は、もっと遠くを見ている。




(ここが、わたくしの盤面)




 辺境伯の砦で学んだ数字。


 書簡で交わした駒のやり取り。


 それらは今、王都という巨大な盤の上に広げられた。




 冒険者。


 貴族。


 商人。


 同僚。


 上司。




 全員が駒であり、同時に盤を揺らす存在。




(ならば——わたくしは、“盤を読む怪物”になりますわ)




 誰よりも感情に敏く、


 誰よりも計算に長け、


 誰よりも笑顔を操る怪物。




 いつか——


 境界の外からやってくる、秩序外の存在と向き合うその日のために。




 わたくしは静かに、胸の内で呟きました。




「お覚悟なさいませ、王都。


 わたくしが、あなた方の“壊れ方”を、余さず記録いたしますわ」




 窓の外で、夕陽が白い都を薄く染めた。




 その光景は美しかった。




 だからこそ——壊れる瞬間を見てみたい、という衝動が、


 ほんの少しだけ、わたくしの胸の奥で蠢きました。


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