第4章:解明の糸口
ネプチューン号の船内ラボは、この数日間、不眠不休の活動拠点と化していた。発見されたスペースシャトルの遺物、そしてそれにまつわる200万年前という年代の矛盾は、チーム全員の思考を占領していた。科学者たちは、この前例のない事態を前に、興奮と困惑の間で揺れ動いていた。
ドクター・エリック・ベネットは、放射性同位体年代測定装置のディスプレイを凝視していた。彼の顔は疲労の色を隠せないが、その目は一点の曇りもなくデータを見つめている。
「ウラン-鉛法、カリウム-アルゴン法、炭素14法…あらゆる年代測定法を試しましたが、結果は一貫しています。この金属片は、間違いなく200万年前の堆積層から発見されたものです。誤差の範囲も極めて小さい。地質学的な攪乱や汚染の可能性も排除しました。」
エリックの声は、どこか諦めにも似た響きを帯びていた。彼が積み上げてきた年代測定の知識と経験が、目の前の矛盾を説明できない。
隣で金属分析を続けていたドクター・リチャード・カーペンターも、同様の結論に達していた。
「材料の組成も再確認した。現代のスペースシャトルに使用されている特殊合金と寸分違わない。微細構造レベルでの分析でも、人工的に生成された物質であることは明らかだ。自然界に存在する金属ではない。」
リチャードは、自分の知識と経験が根底から覆されるような感覚に陥っていた。彼の科学者としての厳密な論理が、目の前の事実に追いつかないのだ。
ドクター・サラ・オコーナーは、シャトル表面に付着していた極微量の堆積物に含まれる微生物の痕跡を調べていた。
「堆積物中の放散虫や珪藻の化石も、200万年前のフォアアーク盆地の生態系と一致しています。さらに、金属片の表面に付着した微細な生物膜の分析でも、200万年前の深海微生物の特徴が見られます。つまり、シャトルは200万年前からこの場所にあった、ということになります。」
サラの報告は、年代と物質の矛盾をさらに深めるものだった。
沈黙がラボを支配した。誰もがこの信じがたい事実に、どう向き合えばいいのか分からなかった。
その沈黙を破ったのは、主任研究員のドクター・エマ・クレインだった。彼女はモニターに映し出された年代測定のグラフと、シャトルの写真を見比べながら、深く息を吐いた。
「……これは、私たちが知る地球の歴史と、人類の技術発展の常識では説明できない。ならば、常識の外に答えを求めるしかないわ。」
エマの瞳には、諦めではなく、新たな仮説への挑戦の光が宿っていた。
「もし、このシャトルが『未来』から来たとしたらどうだろう?」
リチャードが眉をひそめた。「未来から?時間旅行の話ですか?ドクター・クレイン、それはSFの領域だ。」
「ええ、そうよ。でも、今の私たちには、SFにしか説明できない事態が起きている。このシャトルが、何らかの時空の異常、あるいは時間転移によって、200万年前の地球に到達したとしたら、全ての矛盾が解決する。」
エマは続けた。「想像してみて。未来の、恐らく21世紀よりもさらに進んだ時代の人類が、何らかの理由でスペースシャトル型の乗り物を用いて時間移動を試みた。しかし、その途中で不測の事態、例えば時間軸の不安定化やエネルギーの暴走が起き、制御不能のまま200万年前の地球に墜落した、と。」
最初は荒唐無稽に聞こえたその仮説に、誰もが即座に反論できなかった。なぜなら、他に合理的な説明が全く見当たらないからだ。エリックが腕を組み、考え込む。
「もしそうだとすれば、シャトル内部に何らかのタイムトラベル装置の痕跡があるかもしれません。」
その言葉に、エンジニア・アレックス・ロビンソンがハッとした。彼はここ数日、ROVの回収映像を繰り返し見ていた。シャトルは広範囲に破損していたが、一部は驚くほど原型を留めていた。特に、機体の中央部付近には、コックピットらしき構造と、何らかの電子機器の配線が見えていたのだ。
「ドクター・クレイン、タイタンの追加投入を許可してください。」ロビンソンが申し出た。「シャトル内部にアクセスし、何らかのデータログや装置の痕跡を探したい。もし時間転移が原因なら、内部にその証拠が残されている可能性があります。」
エマは一瞬考えた後、力強く頷いた。「許可するわ。最大限の注意を払って。何らかの未知のエネルギー源や危険な物質がある可能性も否定できない。安全を最優先に。」
再びROV「タイタン」が深海へと降下していった。ロビンソンは、これまで以上に慎重にROVを操作した。シャトルの損傷が激しい箇所を避け、最も原型を留めていると思われる部分に接近する。タイタンの精密なマニピュレーターアームが、破損した外殻の隙間から内部へと入り込んだ。
メインモニターに映し出されたのは、シャトル内部の荒廃した光景だった。計器類は破壊され、ケーブルはちぎれ、宇宙飛行士の座席らしきものも見る影もない。しかし、その奥に、かろうじて形状を保ったコンソールらしきものが確認できた。
「微弱な電子信号を検出!」リサ・ジョンソンが声を上げた。彼女はソナーだけでなく、広範囲の電磁波シグナルを監視していた。
「周波数は?パターンは?」リチャードが食いつくように尋ねた。
「非常に不安定ですが、間違いなく人工的なパルス信号です。データ転送の試みか、あるいは非常信号の残滓かもしれません。」
ロビンソンは、タイタンに搭載されたデータリンクアームを慎重に伸ばし、コンソールに接続を試みる。指先でガラスをなぞるような繊細な操作が要求される。何度かの試みの末、微かな接続音が聞こえた。
「接続成功!データの抽出を試みます。しかし…ほとんど暗号化されています。破損もひどい。」ロビンソンは苦戦しながらも、粘り強くデータの解析を続けた。
数時間後、ロビンソンは抽出できたデータの断片を共有した。それは、意味不明な文字列と数字の羅列の中に、わずかながら認識できるキーワードが混じっているものだった。
『……COORD:N20.5, W160.7…』
『……ENERGY_FLUCTUATION:MAJOR…』
『……TEMPORAL_AXIS_INSTABILITY_WARNING…』
『……DIMENSIONAL_SHIFT_INITIATED…』
『……UNKNOWN_ERROR_CODE:734A…』
画面に表示されたキーワードの数々に、エマの顔に確信の色が浮かんだ。
「座標…エネルギー変動…時間軸の不安定性警告…次元シフト開始…!」彼女は興奮して声を震わせた。「これよ、リチャード!私の仮説を裏付けるデータだわ!このシャトルは、まさに時空を超えて移動しようとしていた、あるいは移動してしまったのよ!」
しかし、この断片的な情報は、新たな、そしてより深い疑問を突きつけることになった。
「座標は、ハワイ諸島西方の太平洋上空を示している。」リサが確認した。「そして、エネルギー変動と時間軸の不安定性は、このシャトルが時間移動の途中でトラブルに巻き込まれたことを示唆している。」
「つまり、このシャトルは未来の人類が、時間転移のために開発したものだということか…?」リチャードはまだ信じきれない様子で呟いた。「しかし、なぜ200万年前なのか?そして、この未知のエラーコード『734A』は何を意味する?」
最も重要なのは、「なぜ、現代とほぼ同じ姿のシャトルが、200万年前に存在し得たのか?」という、根本的なタイムパラドックスの問題だった。未来の技術が、過去に存在したことをどう説明するのか?
「このシャトルは、単なる偶然の産物ではない。」エマは静かに言った。「これは、人類の未来、あるいは地球の未知の歴史と深く関わっている。我々は今、ただの深海探査を超え、人類の存在意義そのものに関わる大いなる謎に直面している。」
国際学会での発表が目前に迫っていた。彼らはこの信じがたい発見をどう提示すべきか、大きな決断を迫られていた。深海の底に眠っていたこの沈黙の時間旅行者は、人類に、その知性を試すかのような問いを投げかけていたのだ。