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第3章:深海の真実


西暦2100年、マリアナ海溝のフォアアーク盆地。ネプチューン号の船内は、これまで経験したことのない静かな興奮に包まれていた。ソナーが捉えた異常な金属反応は、200万年前の堆積層の奥深く、確かに「何か」が埋まっていることを示していた。その正体を探るべく、深海探査船からリモート操作探査機(ROV)「タイタン」が降下する準備が整えられていた。

ROVオペレーターのエンジニア・アレックス・ロビンソンは、操縦室の椅子に深く腰掛け、ジョイスティックを握りしめていた。彼の表情は普段の物静かさとは打って変わり、極度の集中状態を示している。20代後半の彼にとって、タイタンの精密な操作はまるで自分の手足のように馴染んでいた。しかし、今回はこれまでで最も複雑で、そして最も期待に満ちたミッションとなる。彼の背後には、主任研究員のエマ・クレイン、材料科学者のリチャード・カーペンター、音波探査スペシャリストのリサ・ジョンソン、バイオエンジニアのエリック・ベネット、そして生物学者のサラ・オコーナーら、チームの主要メンバーが固唾を飲んでモニターを見守っていた。

「タイタン、水深500メートル、異常なし。」ロビンソンが冷静な声で報告する。

ROVの外部カメラが捉える映像が、メインモニターに映し出される。太陽の光が届くのはわずかな水深まで。すぐに映像は青から紺碧、そして漆黒へと変わっていく。タイタンに搭載された強力なLEDライトが、その行く手を照らす。無数のクラゲや深海魚が、まるで幽霊のように光の中を漂い、消えていく。水圧計の数値が驚くべき速さで上昇していく様子は、深海の過酷さを物語っていた。

水深3000メートル、5000メートル、8000メートル…タイタンは着実に降下を続けた。水圧はすでに地上の800倍を超えている。周囲の音は完全に遮断され、聞こえるのはROVの推進音と、船内機器のわずかな稼働音だけだ。やがて、海底のシルエットがライトに浮かび上がってきた。

「ターゲット地点に到達しました。」ロビンソンの声が響く。

ソナーデータが示す異常信号の発生源、それは平坦な海底の中央部に位置する、わずかな盛り上がりだった。そこは数百万年にわたる堆積物の層が形成した、地質学的にはごく普通の場所に見えた。

「掘削アームを展開。慎重に堆積物を除去してくれ、アレックス。」エマが指示を出した。

ロビンソンは繊細な指の動きでジョイスティックを操作する。タイタンの掘削アームがゆっくりと伸び、海底の泥をすくい上げる。深海の堆積物は、まるでコーヒー粉のように微細で、軽くアームを動かすだけでも砂塵のように舞い上がる。舞い上がった堆積物が晴れるのを待ち、再びアームを動かす。この作業が延々と繰り返された。

数時間が経過した。チーム全員の集中力が極限まで高まっている。その時、モニターの映像に、泥の中から鈍い光を放つ金属片が姿を現した。

「確認。金属片を捉えました!」ロビンソンの声に、明らかな興奮が混じっていた。

「もっと掘って。周辺を広く、そして深く。」リチャードが前のめりになって指示する。

さらに掘削が進められると、現れたのは単なる金属片ではなかった。それはあまりにも巨大で、その曲面と構造は、人類の誰もが知る、ある特定の航空機を彷彿とさせた。

「信じられない…」エマが息をのんだ。

モニターには、確かにスペースシャトルの外殻が映し出されていた。表面には長年の腐食の跡が見られるものの、その特徴的な形状、そしてわずかに残る耐熱タイルの痕跡は、それを疑いようのないものにしていた。

「NASA…のロゴだ!」リサが叫んだ。泥にまみれ、かすれてはいるが、ROVのライトに照らされた機体の一部には、確かに「NASA」の文字が読み取れた。

「これを回収できるのか、アレックス?」リチャードが興奮を抑えきれない声で尋ねた。

「ええ、部分的なら可能です。破損が少ないと思われる箇所を選んで、慎重にアームで固定します。」ロビンソンは、プロフェッショナルとしての冷静さを保ちつつ答えた。彼の指先が、まるで外科手術を行うかのように精密に動く。

数時間後、シャトルの外殻の一部が特殊な回収コンテナに収められ、タイタンはゆっくりと浮上を開始した。船上では、回収されたサンプルの到着を待ちわびていた研究者たちが、すでにラボに集結していた。

コンテナが船内に引き上げられ、厳重なセキュリティの下、ラボへと運ばれる。回収された金属片は、まるで深海の秘宝のように、慎重に分析台に置かれた。

「すぐに分析に取り掛かろう。」エマが号令をかけた。

リチャードは金属片の表面を特殊なマイクロスコープで検査し、エリックは極微量のサンプルを採取して年代測定装置にセットする。サラは、金属片に付着していた堆積物と微細な生物の痕跡を採取し、顕微鏡で観察を始めた。

「まず材質からだ。」リチャードが分析装置のディスプレイを見つめる。「…間違いない。チタンとアルミニウムを主成分とする特殊合金だ。耐熱性、耐圧性に極めて優れている。これは、21世紀初頭のスペースシャトルに使われていたものと、完全に一致する組成だ。」

彼の言葉に、ラボ内に再び静かなざわめきが起こる。現代のシャトルと同じ材質。では、なぜそれが200万年前の地層に埋まっていたのか?

その疑問に、エリックの年代測定の結果が答えることになる。

「放射性同位体年代測定の結果が出ました。」エリックの声が、重く響いた。「この金属片は、周辺の堆積物と同じ、約200万年前の地層中にあったことが確認されました。」

彼はモニターに年代測定のグラフを表示させた。グラフは、誤差の範囲内で明確に200万年前という数字を示していた。

ラボ内の誰もが言葉を失った。現代のスペースシャトルが、200万年前に存在した。これは、人類が積み上げてきた地質学、歴史学、そして科学技術の常識全てを根本から覆す、決定的な矛盾だった。

「これは…一体どういうことだ…?」リチャードが、信じられないという表情で金属片を見つめた。

「間違いじゃないのか、エリック?」エマの声が震えている。

エリックは首を横に振った。「何度も再測定しました。使用した同位体はウラン-鉛法、アルゴン-アルゴン法…いずれも同じ結果を示しています。この年代に誤差は考えられません。」

サラが、顕微鏡から顔を上げた。「この堆積物から検出された微化石も、200万年前の海洋環境に特徴的なものです。シャトルが埋没したのは、間違いなくその時代です。」

彼らの目の前には、人類の歴史の常識を打ち砕く、信じがたい真実が横たわっていた。200万年前の深海に、なぜ、現代のスペースシャトルが?この矛盾は、彼らがこの船に乗り込んだ時、想像だにしなかった、深淵の最も深い真実へと、彼らを引きずり込むことになった。彼らは今、歴史の転換点に立たされていることを、はっきりと悟ったのだ。


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