ニコラス 第5章②:路地裏の戦闘
静かな午後、ニコラスはいつものように荷物持ちとして、トリアとキャシディに付き添っていた。
街は穏やかな春の陽射しに包まれ、マーケットには新鮮な野菜や果物を求める人々が行き交っている。
露店から漂う香ばしいパンの香りが、通りを歩く人々の足を止めていた。
「今日はいい天気ですね。ニコラスさんもたまには街を楽しんでくれたらいいのに」
トリアが優しい声で話しかけるが、ニコラスは相変わらず無口なまま、大量の荷物を黙々と運んでいる。
彼の腕の筋肉が荷物の重みで僅かに緊張するのが見えた。
「あら、向こうのお店、新しいケーキが並んでるわ。帰りに寄っていきましょう」
キャシディが柔らかな笑顔を浮かべる。
「本当ですね! ハロルドも絶対喜ぶと思います。彼、甘いものが大好きですから」
トリアが目を輝かせながら応える。
「ほんと、ニコラスって頼りになるわね。これだけの荷物を持っても顔色一つ変えないんだから。たまには休憩したいって言ってくれてもいいのよ?」
キャシディが微笑みながら冗談めかして言う。
その仕草には何とも言えない優雅さがあった。
「……気にする必要はない。これくらいの重さ、なんてことはない」
珍しくニコラスが言葉を返す。
狭い路地に入った瞬間、空気が一変した。
ニコラスの戦闘本能が警告を発する。微かな足音、そして僅かな呼吸音。訓練された者たちの気配だった。
「トリア、下がって」
ニコラスの声が低く響く。
「え……?」
戸惑いの声を上げるトリアの背後で、黒い影が蠢いた。
「……誰だ!」
ニコラスが鋭く叫ぶと同時に、黒づくめの集団が路地の両側から現れた。
黒衣に身を包んだ彼らは、無言のまま三人を包囲していく。その動きには明確な訓練の跡が見られた。
ニコラスは瞬時に荷物を投げ捨て、トリアを背後に庇う体勢を取る。
「……7人、いや、まだ隠れているな」
だが奇妙なことに、敵の視線は一様にキャシディに向けられていた。
その眼差しには、まるで長年の標的を追い詰めた者たちの執念が宿っていた。
「なぜ、キャシディを……?」
ニコラスの疑問は口から漏れる前に、敵の一人が動いた。
その動きは明らかにプロのものだったが、ニコラスの反応はそれを上回った。
彼は一瞬で間合いを詰め、左腕で相手の突きを弾きながら、右の掌底を顎に叩き込む。
相手の体が宙に浮く瞬間を捉え、回し蹴りで更に二人を薙ぎ倒した。
「この程度か?」
氷のような声を漏らしながら、次の敵に向かって踏み込む。
正面からの攻撃を装う敵を片手で押さえ込みながら、背後から忍び寄る男の胸板に肘を叩き込んだ。
鈍い音と共に、相手が壁に叩きつけられる。
「ニコラスさん、気をつけて! まだ上に……!」
トリアの警告が路地に響き渡る。
路地の上からも黒づくめの刺客たちが飛び降りてきた。その数はさらに5人以上。
明らかに周到に準備された襲撃だった。
「トリア、壁際に!」
叫びながら、ニコラスは新たな敵陣の中心に飛び込んでいく。
彼の動きは無駄がなかった。最短距離で相手の懐に入り、的確な攻撃で一人、また一人と確実に敵を仕留めていく。
ニコラスの戦闘スタイルは、裏社会で培った戦闘経験と、日々積み重ねた訓練が融合したものだった。
4人目の敵を片付けた時、彼の視界の端に異変が映った。
キャシディが、まるで別人のように動いていた。
その所作は長年の訓練で磨き上げられた格闘家そのもので、黒衣の男たちの攻撃を予測したかのように躱していく。
「まさか……」
ニコラスの驚きの声が漏れる。
キャシディの動きは流れるように美しく、それでいて致命的な正確さを持っていた。
彼女は瞬く間に3人の刺客を無力化し、さらにリーダー格の男の死角に回り込んでいた。
その手には、どこから取り出したのか細身のナイフが握られている。
キャシディの刃先が男の喉元に触れる寸前で止まった。
「戻って伝えなさい。こちらはあなたたちにもう用はないと」
その声は冷たく、普段の温かみは微塵もなかった。
リーダー格の男は一瞬だけ体を強張らせ、それから小さく頷いた。
「……撤収」
残りの部下たちも即座に姿を消し、路地には再び静けさが戻った。
キャシディはナイフを素早く仕舞い、何事もなかったかのように振り返った。
「大丈夫。きっと彼らはもう来ないわ」
柔らかい笑顔を浮かべながら、キャシディはそう言った。




