9. 初々しいとよそよそしいのはざまで
「で、姫。俺に何か?」
そもそも姫が俺の名前を呼んで、何か話しかけようとしてたんだった。でも姫は、今は少し言いあぐねているようだった。
タイミングを間違ったか。止めずにそのまま話させていればよかった。
秒の沈黙だったが、その間にセドリックとコニーが形だけのノックをして、部屋に入ってきてしまった。
2人には聞かせたくないことだったんだろうか。姫は口をつぐんでしまった。
せっかく姫から何か話そうとしてたのに。失敗した。
まあいい。また折を見よう。
「ごめんなコニー。仕事中に」
戻って来たセドリックが元の位置、俺の横に座り、その隣にコニーにも座ってもらった。
「いえ。ご用件は?」
「姫とカーター連れて、街で2人の普段使いの衣服や生活用品を買いそろえてきてほしいんだ。財布はコニーに持たせる。社交はまだ少し先になるだろうから、ドレスなんかはおいおいこっちで準備するとして、家でドレスっていうのもここは離宮じゃないからしんどいだろう。掃除ごとにコニーのお仕着せを貸すわけにもいかないし。カーターも騎士服は通常で着ることがなくなるから、取り急ぎ今の季節着られるものを何着か買ってくるといい。案内を任せていいか、コニー」
「えぇぇ。旦那様が姫様をご案内差し上げたらいいじゃないですか」
コニー。一応「いいか」とは聞いたが、反発していいやつじゃないからな、これ。
「俺今街に出られないんだよ。取り囲まれて帰れなくなる」
俺の持つ髪と瞳の色は珍しい。王家の英雄キャンペーンのせいで、姿絵も勝手にさんざん配られて、顔も知られてしまっている。この間街にふらりと出たら、知らない人間に囲まれて時間をつぶした挙句、用事を果たせないまま帰宅することになった。
変装するのもアリかもしれないが、もしばれて隣に姫がいたら、姫が妻だとばれてしまう。国民感情がどっち側にあるのかわからない今、リスクはなるべく避けたいのもある。
それに、姫も気兼ねなく買い物をしたいだろう。俺はたぶん、一緒じゃない方がいい。
恋人説をとるなら、さすがに2人きりにはさせられないが、カーターとデートっぽいこともできるし。
コニーは2人のそばにいる。もし2人がそういう関係なら、コニーは察しているだろう。
コニーが買い物の同行に難色を示すのは、お邪魔虫になるのを嫌って、のことだろうか。
いやもしそうだったとしたら、そこに俺を入れ込もうとするのは、もはや拷問だぞ。
「有名税ですか。姿絵よりも実物の方がイケメンだと評判ですよ。よかったですね、旦那様」
半笑いのような顔でコニーが言った。
どこの評判だ。俺はため息をついた。
「良いわけあるか。顔問題でどれだけ苦労してると思ってるんだ」
夜這いに来る男たちを撃退するために、腕っぷしだけはそれこそ無駄に強くなった。ブレットに保護された後も、野営ではセドリックも加勢してくれたが、似たようなことはあった。
英雄扱いされてからは、知らない貴族女性から持ち込まれる縁談を断る手紙を書くのに時間を取られている。
考えたらこの顔のせいで、この国の第二王女にも目をつけられるはめになって、それを回避するために今こういうことになっている。
「顔問題」
なぜか姫が復唱した。
何がおかしかったのか、思わずのようにふっと姫が笑みを漏らした。
くすくすと笑うその姿は、かわいい。文句なくかわいい。
「いや、なかなか深刻な問題なんですよ」
俺が言っても、何がツボだったのかわからないが、まだ笑ってる。
ずっとこういう表情をしてたらいいのに、ってちょっと思って、思ったことに動揺したのを表情に出さないように、ひた隠した。
「とにかくコニー。頼むよ。行ったついでに、別に渡す予算内で自分のものも買っていい。このところ過重労働だから、その特別手当として」
「承知いたしました」
早。返事するの早。でも俺はコニーのこういうところをかっている。
コニーとして言いたいことは言ったが、俺の依頼を尊重してひいた、ということでもある。
ただただ現金なだけ、じゃないことを、俺としては祈っている。
「姫。街に出ることに抵抗はありますか?」
ずっと離宮にいたのなら、市井には慣れていないだろう。ましてや、敵国の王都に。
俺が聞いたら、笑っていた余韻を残した顔のまま、姫はふるふると首を横に振った。
「とても、楽しみです。あの・・・いろいろと、ありがとうございます」
姫は嬉しそうに微笑んだ。大丈夫そうだ、とちょっと安堵する。
「いろいろありがとう」、か。なんでかちょっと引っかかった。
その「いろいろ」に、「コニーがいるとはいえカーターとデートできる!」が、入っていたら。
もしそれが嬉しくて、姫がこの笑顔になってるんだとしたら。
俺は「夫」としてできることは1つしかない。白い結婚を通して、3年後に解放することだ。
***
夕食後、湯浴みを終えて自分の部屋に戻ろうとしていたら、ドアの前でコニーに止められた。
「旦那様」
「どうした?」
「準備はばっちりです」
「何の」
「初夜の」
「は?」
俺は部屋のカギを開けながら聞き流していたが、流せない単語が出てきて、手を止めてコニーの方に向き直った。
「どういうことだ」
「寝室で、姫様がお待ちです。今旦那様、自分の部屋で寝ようとしてましたね?」
するだろそりゃ。昨夜あんまり寝られなかったこともあって、俺はもう眠い。
「姫が来て昨日の今日だぞ。心身ともにそういう状態じゃないだろう」
「それをじゃあちゃんと旦那様の口からおっしゃってくださいよ。一般的に、嫁いできた初日の晩を初夜というんです。姫様はその一般的なことをご存じでいらっしゃいます」
初日の晩はもう過ぎちゃってるけどな。
って言ったら話がこじれそうだったから、やめておいた。
そうか、そういうの、知ってんのか、姫。てかいいのか、姫。
いや、いいわけないよな。でも嫁いできたからには義務だ。「そういう」教育を受けたんだとしたら、そう教えられているだろう。そこに私情は挟めない。何しろこれは王命だ。姫からしたら、戦勝国の王命。
「わかった。ちゃんと説明する」
「勢いも時には大切ですよ」
「今そのアドバイスは不要だ」
俺は自分の部屋に入ってドアを閉めた。
コニーが遠ざかる音を耳に拾いつつ、寝室に続くドアをノックする。
「は、はい」
返って来た姫の声は、緊張気味ではあったが、しっかりと聞こえた。
俺はドアを開けて寝室に入った。
ベッドの脇で立っている姫は、寝衣の上にタオル地のバスローブを羽織っていた。
これならまた俺の部屋から俺の上着を持ってくる必要はないか。
コニーに、気合の入った透け透けでひらひらでエロいやつを着せられてたらどうしようかと思っていたが、いや着せられているのかもしれないが、バスローブのおかげで今それは俺にはわからない。
助かった。一応俺も男だし。理性のたががはずれるような状況は、今あんまり嬉しくない。
いや・・・助かってない。バスローブ姿だって、十分目のやり場に困る。
「ベッドに腰かけてください、姫。少し話をしましょう」
俺は動揺を押し隠して、ベッドサイドにあるテーブルに備え付けてある小さな椅子を引っ張り出して、ベッドから少し距離を置いて腰かけた。
「はい・・・」
姫は遠慮がちにぽすりとベッドに腰かけた。薄化粧を施されているのか湯浴み後だからなのかわからないが、頬がほんのり色づいていて、唇の血色もいい。色気、とまでは言わないが潤んだ瞳で見つめられるとちょっと、いやかなり動揺する。ここは、軍で培った無表情の使い時だ。
「寒くないですか?」
一応聞いたら、姫はふるふると首を振って「いいえ」と小さく答えた。
「たぶんコニーにそそのかされて、もしくはウィデルでそういう教育を受けて、姫はその姿で今ここにいてくださるんだと思うんですが、俺としては、その、無理はしてほしくないといいますか。義務でそういうことをするには、姫の心の負担はもとより、身体的な負担も大きい。昼にも言いましたが、王命である以上この婚姻自体を覆すことはできません。でも姫には憂いなくお過ごしいただきたいと思っています。今は環境に慣れて、健康を取り戻すことを第一に考えてほしいんです」
俺が子供に諭すように言ったのがまずかったのか、姫は少し沈んだ顔をしてうつむいた。
「私、健康です」
いや論点そこじゃないだろ。わかってんのかな。
「俺から見たら、そうは見えない。いや言いたいのはそこじゃなくて。姫に無理強いするつもりはない、ということです。俺の部屋にベッドがあるから、当面俺はそこで寝るつもりです。なので姫はここで気兼ねなくゆっくり眠ってください。義務を果たさないからと言って、追い出すようなことはしません。もし姫が望むなら、このまま白い結婚で3年を通せば、合法的に離婚することだって可能です。もしそうなったとしても、その後の生活は保障します」
離婚後の生活を保障するのはセインだが、今ここでそれを言うことはできない。
「どうして、そこまで・・・」
姫は、独り言みたいに、うつむいたままつぶやいた。独り言かもしれないが、一応答えておく。
「同じではないですが、意に沿わないことを強いられる恐怖を、俺も知っています。だから強いる側に、俺は立ちたくない」
どろどろに疲れて宿舎に戻ったところに男に寝込みを襲われる恐怖。一番最初は手加減ができずに殺しかけて、軍法会議にかけられた。
って話はもちろん姫にはできないから、少しあいまいな感じにしておいた。
「クラインの『救国の英雄』は、顔色も変えずに非情な決断を下す、粗暴で冷酷な人間だと聞いていました」
姫が顔を上げて、俺と目を合わせた。
「昨日と今日しかお会いしていませんが、それでもわかります。それはウィデル王家が自分たちの立場を守るために、自国民に流している偽りなのだと」
姫は、またわずかに目を伏せた。揺れる瞳が、何かに迷っているように見える。
そりゃ、そうなるよなぁ。俺の策がうまくはまったのは、偶然だ。
その偶然に国境まで押し戻されて、敗戦に追い込まれたウィデルからしたら、その原因を作った『英雄』はバッキバキにデキる非情な男であってほしいだろう。
クライン王家がばらまいてる俺の姿絵も、『英雄』を美化したいがためにひょろひょろの優男を誇張して描いているのだと、ウィデル王家は思いたいだろう。ちょっと薄笑い浮かべてるしな、あの絵。
むしろ俺はもっと美化して俺が俺だとわからないくらいにしてほしかったが、わりと特徴をとらえてるせいで、顔は国中に広く、もしかしたらウィデルにも知られてしまっている。
「時間はあります。ゆっくり知り合いましょう。『こういう』ことは、あるとしても、その後でいい」
俺がベッドを指さして言うと、姫は少し顔を赤らめて、小さく「はい」と答えた。




