74. 【番外編】執事のセドリックとメイドのコニーの事情 23/25
「何だか、夢みたい」
外まで来客を見送った後、ナインと共に家に入って来たレナは、テーブルの椅子をひいてすとんと座り、ふぅ、とため息をついた。
それを見て、無理もない、とナインは苦笑する。
こんな展開を、いったい誰が予想するというのか。
ナインがアッカー侯爵家からレナを連れ出して、まだそれほど経っていない。
レナを取り巻く環境は、一変した。
今までどうしていたのかを聞いてみると、この国に連れてこられてから、誰と言葉を交わすわけでもなく、最低限の衣食しか供給されない、人としては底辺の生活レベルで生かされていたようだった。
その中にあっても彼女が心を病まなかったのは、創作活動だけは、止められることがなかったからだ。
レナの容姿は、ナインのひいき目を引いても美しい方だと思う。レナが、いわゆる愛玩奴隷として売られなくてよかったと、心底思う。その絵の才能のおかげで、邸に監禁された。
レナは食べ物を断たれるより先に、描くことを止められたら心身を損なうタイプの人間だ。描き狂いだ。
だから、離れ離れになってから、レナを探す糸口にできると考えて、間諜をやりつつ、表向きは画商になった。レナが贋作を作らされている可能性を、考えていた。
画商になるにはそれなりの専門知識は必要で、間諜としての教育も受けつつ、昼も夜も勉強した。
どちらの職も安定してきた頃、ある公爵邸の調査中に、面白いメイドを見つけた。
コニー・プランケット。
彼女は、闇に葬られるはずだった先輩メイドの殺人事件を掘り起こして、明るみに出そうとした。
見事な手腕だった。メイド? 嘘だろう、そう思った。
フォルセインに報告したら、すぐに身辺調査を指示された。
その調査上、コニーが推している画家、というのがあがってきた。その画家の名は、ルネ。
まだまだ無名、しかも公開している情報は最小限、何より、その画風。
見つけた、とナインは思った。
ルネの絵がどこから出されているのか、巧妙に流通経路が複雑化されていて、突き止めるのに苦労した。
コニーには感謝しかない。
ナインにレナの存在を教えてくれて、さらにコニーがルネの絵を買い続けてくれたおかげで、レナは贋作を描かされることなく、自分の絵を描き続けることができた。
一定の収入源になる、と認識され、レナの望まない創作を強いられることはなかったという。
贋作はリスクが高い。アッカー侯爵家も、できれば安全に稼ぎたかったのだろう。
そしてそれは、レナの心を確実に守った。
「騙されてない?」
レナがナインの方に目を向けて、少しだけ首を傾げた。
レナは、まだ活動支援契約を信じることができないらしい。
ナインは「うーん」と困ったように笑って、レナの向かいに腰かけた。
「大丈夫じゃないかな? セドリックもオーガスタンも、偽名じゃないし、本人だ」
ナインは契約交渉中、2人に名呼びを許された。
マイヤー家は、「模範的貴族」として間諜仲間では有名だった。自らは商売に手を出さず、創作家や商人に出資することで金を回す、模範的貴族。
「でも、利益はなさそうよ? 向こうにメリットがないもの」
「メリットはあるよ。マイヤー家は損を取るようなことはしない貴族だ」
レナを安心させるために、ナインはそう言った。
でも本当は、割と赤を切るんじゃないかと思っている。
セドリックから打ち出された絵の販売利益のマージンの率は、驚くほど低かった。
セドリックの隣で、オーガスタンが引いていた。
本当は、おそらくもう少し高く設定されているはずだ。
支援対象の生活環境をここまで整えることも、マネージャーの腕まで専門医に診察させることも、本来ならしないのだろう。
明らかに、セドリックの私意が働いている。
セドリックの意図がわからなければ、ナインももう少し警戒していたかもしれない。
ナインはほんの数分前のことを、思い出していた。
***
最初に戸口で見せた営業笑いと営業トークはどこへやら、淡々と無表情で活動支援契約の話を進めたセドリックは、とん、と書類の束をテーブルの上で整えると言った。
「いったんこれで取りまとめるが、契約の不備や追加項目などがあれば、オーガスタンにまず連絡を」
その言葉にオーガスタンが笑んでうなずいたのを見て、ナインもうなずいた。
ナインはこの契約内容に不満はなかった。ただ、あるとすれば現状、こちらに不利な項目が一つもないことか。それは不満ではなく、不安要素だ。いくらマイヤー家が模範的貴族でも、貴族を甘く見れば痛い目に遭うことを、ナインは知っている。ここまでレナを優遇するその狙いは、どこにあるのか。
「やっと本題に入れる。1つ確認だが、ルネはあなたか」
話のついで、くらいの気軽さで、セドリックはぶっこんできた。
アッカー侯爵家は、人身売買容疑で家が取り潰されたという。それをナインに知らせてきたセドリックは、その延長線上に強制労働があったことも当然認識しているはず。「知って」いての、確認だ。
レナが警戒心を露わにして口をつぐむのを横目に確認しつつ、ナインは大丈夫、とうなずいてみせた。言ってもいい、と判断した。
「そうだ。だがルネ名義では、もう絵を描かない」
セドリックはうなずいた。
「当然だ。今活動支援の契約を交わしたのはあくまでも『レナ・エペー』だ。俺が確認したのは、俺がルネの絵を探していたからだ。必要なのは絵で、名義が違っても本人が描いていれば問題ない」
「それが本題か」
ナインの確認に、
「そうだ」
セドリックは即答した。
「絵を描いてくれ。俺はその中で気に入ったものを、マイヤー家ではなく個人的に、1点購入したいと考えている。できればルネではなく、レナ・エペーの絵画がいい」
突然話を振られたレナは、驚いていたが、すぐに嬉しそうに笑った。
「画家が絵を描けと言われて、断る理由なんてないわ」
とても貴族に対する言葉遣いではなかったが、セドリックは気にした様子もなくうなずいた。
そうか、とナインは納得した。
セドリックは、レナに絵を描かせたいがために、ここまでの優遇を。
「お急ぎなら、マイヤー家で購入したものが1点ございますが」
オーガスタンの言葉に、セドリックはふる、と小さく首を横に振った。
「俺が選んで、俺が買わないと、意味がない」
オーガスタンがおや、という顔をした。ナインも同感だ。
ナインは、セドリックがレナの描く絵を気に入って、自らの所蔵に加えたいのだろうと思っていた。
だが、この言い方は違う。これは、プレゼントだ。
ナインの中でぴんと来るものがあった。
セドリックからしてみれば、これが本題。ルネの作品を探していた過程でひっついてきたのが、フォルセインの預かり物であり、マイヤー家の活動支援契約なのだ。
何のために探していたのか。プレゼントをするために。
誰に。ルネの作品をこよなく愛する想い人に。
ルネの作品を愛してくれたのは。
コンプリートする勢いで求めていたのは。
『意思確認・・・本当に来るでしょうか』
そう言っていたのは。
(コニー)
「セドリック。レナの絵を実物で見たことは?」
ナインの確認に、セドリックは予想通りの答えを返した。
「いいや」
それはつまり、セドリック本人に、レナの絵はかけらほどの興味もないということだ。
いっそ清々しい。オーガスタンがまた引いている。
取り繕わず、あまりにも正直な返答。セドリックの、いい意味で貴族らしくない人柄が見えて、ナインは口角を上げた。
「非売品だが、もしよかったら、見ていかないか」
ナインの提案に、セドリックは見せてもらいたい、と立ち上がった。
絵が置いてある奥の部屋に入ろうとしてすぐ、セドリックは立ち止まった。
開いたドアの向こう、正面に飾られた絵を、凝視している。
「これを売ってくれ」
ぽつりと言ったセドリックに、慌てたのはオーガスタンだ。
「坊ちゃん! 非売品ですよ」
「坊ちゃん言うな」
自宅のやりとりかとつっこみたくなる問答を聞き流しつつ、ナインはやっぱりか、と確信を強めた。
「レナ。値段付けて」
「え?」
いいの? とレナが目で問うてくる。
ナインはいいんだよ、とレナに目で応える。
そもそも、非売品としてこの絵を描いてほしいとレナに頼んだのは、ナインだ。
自分のために重傷を負ったと自責するレナに、
「じゃあ俺が言うイメージを絵にして、俺にくれる?」
それで、チャラにしよう。
そう言って、レナに頼んだのは、自分。
レナは、自分のではなく人が語るイメージを形作る作業に、「何だか新鮮!」と、楽しんで描いてくれた。
「セドリック。あなたにお売りします」
差し上げる、と言うわけにはいかない。もらったものを、セドリックはプレゼントにはしないだろうから。
いずれナインが、もろもろのほとぼりが冷めた頃に贈ろうと思っていたこの絵は、想定外に早く、彼女に届くらしい。
「え、えっと。オ、オーガスタンさん。査定を」
値段が付けられずにあたふたするレナに、オーガスタンが遠慮がちに「いいのですか?」とささやいている。
「お願いします。査定の後、梱包しますので」
オーガスタンにうなずくナインに、
「感謝する」
セドリックが小さく頭を下げた。貴族が、庶民に。
礼を言いたいのはこちらの方だ。とは、ナインは言わなかった。ただ素直に、笑みを返した。
***
「目的達成したから、やっぱりもう契約はなしね、とか言ってこないかな。大丈夫かな」
レナは、活動支援契約がよほど信じられないらしい。テーブルの上に置かれていた契約書を、もう一度開いて眺めている。
「大丈夫だよ。それとこれとは別だから。それよりさ、レナ。これ見て」
ナインは戸籍証明をレナの前、テーブルの上にぱさりと置いた。
「何それ?」
レナがきょとんとする。
「イレーネ・ルーチェ? ジェラール・フルッタ?」
「そう。俺はジェラールになったらしい」
「これ、私たちってこと? ジェイ、また何か危ないことを」
レナの表情が硬くなる。ナインは苦笑した。
「また、って何。俺がいつも危ないことしてるみたいに」
「だってそうじゃない。だって、名前もあやしいし」
「名前があやしいのはフォローできないけど、でも大丈夫。これはちゃんとしたやつだよ。俺たちは、クライン国民になったんだ」
「強制送還にも、ならない?」
人身売買の被害者とはいえ、2人は不法入国だ。レナは、帰国することも考えていたのかもしれない。
「ならないよ。帰りたい?」
レナはふるふると首を横に振った。
「ジェイは?」
レナはナインのことをジェイと呼ぶ。孤児院で、院長が付けた名前は何か違う、と、レナが付けてくれた名前だ。レナだけが、自分を呼ぶ名前。
「俺も。レナが絵を描くには、こっちの方が断然よくなったしね」
「私はね、ジェイ。ジェイがいてくれて、絵が描けるなら、どこでもいいの。それ以上の場所なんて、ないの」
レナが向ける眩しいほどの笑顔に、探し求めたその笑顔に、ナインは衝動的に泣きたくなったが、こらえた。心配を、させたいわけではない。
ガードの固い侯爵家からレナを自分1人で助け出す、そう決めた時。
死ぬかもしれないと、正直思っていた。ナインの本職は諜報で、自分1人が逃げ切れる程度の戦闘能力しかないことなど、わかっていた。
それでもレナが解放されるなら、それでもいい、そう思って、行動に移した。
でも今、自分は生きていて、レナは自分の目の前にいて、笑っている。
「ねぇジェイ。よかったの? あの絵、売っちゃって」
こっちの気持ちも知らずに、レナは普通に話しかけてくる。
レナには、あの絵を『いつか恩人に渡したい絵』と言って、書いてもらっていた。だから、別にもう1枚描こうか、と言ってくれているのだ。
「いいんだ。あれはたぶん、持つべき人の手に渡る」
「ふーん? 何のからくり?」
不思議そうな顔をするレナに、ナインは曖昧に微笑んだ。
いつか。
フォルセインにも、何か恩返しができたらいい。
殉職扱いにしてくれたことも、戸籍証明を偽造してくれたことも、対価の支払い、などでは全然ない。
等価交換の男にはいつか、これに値する対価を。
(全然返せそうにないけど)
甘えるのが下手くそな、弟のように思っていた男に思いを馳せて、ナインは苦笑した。




