73. 【番外編】執事のセドリックとメイドのコニーの事情 22/25
「まず、さっきも言ったが、『ナイン』は仕事に失敗して、殉職した」
「殉職・・・」
セドリックの言葉に、ナインは呆然としてつぶやいた。
信じられない、と顔に書いてある。ナインは、セドリックのこの一言だけで、その意味を正しく理解したらしい。
逃亡など最初からなかったことになっている。しかも、本人は死亡したことになっている。
つまり、少なくとも王家から、諜報組織から、追われることはない、ということだ。
「それは、あの方・・・が?」
誰も聞いていないだろうとはいえ、固有名詞は伏せられた。オーガスタンやレナがうっかり聞いてしまっても困る。
内密に第二王子が動いた、と、知る人間は少ない方がいい。
だからセドリックも乗っかった。生存している固有名詞は出すべきではない。
「優秀なメイドも一役買ったと聞いている」
ナインは両目を閉じて、天を仰いだ。
「ちなみに、最近人身売買を摘発されて、取り潰しになった侯爵家のことを知っているか?」
「・・・いや」
セドリックの問いに、ナインは首を横に振った。
レナを連れて、ナインは逃亡に全振りしていたはずだ。もうそんな中央の、貴族の犯罪情報など集めてはいなかっただろう。
「摘発に中心となって動いた奴がぼやいてたよ。『これ以上目立つことはしたくないのに』って」
「・・・はは」
ナインは、乾いた笑いをこぼした。泣くに泣けない、そんな笑いだった。
ナインは、直属の、しかもおそらくはフォルセインに1番近い位置にいた諜報だった。フォルセインが、王家の中でとびぬけて国民の人気が高いせいで微妙な立場であることを、もちろん知っているだろう。セドリックすら知っているのだ、功績を上げたくない、日々そう言っていたのも、ナインは知っているはずだ。
それでも、フォルセインは誰に頼むこともなく、自ら動いてナインの願いを叶えた。
「あと、あんたに恩があるっていう人から、預かってるものがある。対価の支払いだそうだ」
それも、フォルセインなのだが。
セドリックは、自らを商人風にに見せるために、アクセサリーとして持っていた一般的な薄いかばんから、封筒に入った2枚の書類を取り出した。
これは、戸籍証明だ。クラインの国民である、という証。そこには、氏名、生年月日や生まれた場所など、個人情報が記載されている。
この証明書を取得するには、手間と時間とそれなりのコストがかかる。一般的にはよほどの大きな契約でもない限り、発行しないものだ。
『俺は、人身売買の被害者を保護目的で捜索することはできても、表立ってあいつを追うことはできない。何しろもう「死んでる」し、俺が動くことで逆に面倒くさい事態を呼び込みかねない。セドリック、お前ルネを追うつもりだろう? もし見つけることができたら、あいつにこれを渡してくれ』
フォルセインと話をした時に、そう言って、手渡されたのがこれだ。
通常、戸籍を偽造することはかなり難易度の高い話だが、王族なら苦もなくできる超法規的措置。
これがなくとも生きてはいけるが、確固とした公的な身分証明は、ささいなリスクから身を守ってくれる。「普通」に、生きていくことができる。
ただ、これを携帯する必要も、大事に保管する必要もない。ナイン(とレナ)にとって、これはメモだ。
こういう設定で戸籍を作ったからな、という、フォルセインからのメッセージ。
2枚の書類を受け取って、ナインは素早く目を通した。くすりと笑う。
「2人分ある・・・。はは、ジェラール・フルッタって何の冗談」
「あんたの名前じゃないのか」
セドリックは、戸籍証明に書いてあるのはナインの本名なのだと思っていた。孤児は、たいていの場合戸籍がない。だから、フォルセインは後付けで戸籍を作ったのだと、そう思っていた。
ナインは困ったように笑って、肩をすくめた。
「俺は孤児でね。生まれてすぐ捨てられたから、自分の本当の名前を知らないんだ。名付けられてすらいないんじゃないかな。だから、その時々の呼び名で呼ばれてる。俺の好物は、果物を使った氷菓なんだ。クラインの西にある異国の言葉で、氷菓はジェラート、果物をフルッタ」
確かに、なかなか思いきった冗談だ。人の人生を何だと思っているのか。フォルセインが意地悪く笑う姿が頭をよぎって、セドリックは眉を寄せた。
「レナ・エペーはどうなってる」
「レナは本名だけど、あの方は彼女の名前を知らない。でもまあ、響きはいいとこをついてるよ。イレーネ・ルーチェ」
「意味は?」
「イレーネは平和、ルーチェは光」
「何であんたはそんな異国の言葉を知ってる?」
「逆だな。俺たちの生まれがそこなんだよ。孤児院が、人身売買組織に関わってた。商品として、こっちの公用語を教育された。売り飛ばされてここまで来たところを、俺は抵抗したおかげでぼこぼこにされて、瀕死の状態で捨てられた。それを拾ってくれたのが、あの方だ」
(だから、か)
セドリックは納得した。
そもそも2人はクライン国民ではなかった。だから、ここで「普通に」生きていけるように、フォルセインは「対価を支払っ」た。
フォルセインは、基本ロザリンド以外には等価交換の男だ。
これを等価とするほどの『恩』。ナインとは、主従を超えた何かがあったのかもしれない。
だが、どうでもいい。自分には、これ以上知る必要のない話。
「確かに渡したぞ」
「ああ、ありがたく使わせてもらうよ。せっかく作ってもらったことだし」
ナインは戸籍証明に優しい笑みを落とした。
「引っ越ししないといけないな」
ぽつりとつぶやいたナインに、セドリックは浅くうなずいた。
クラインでは、法人ならまだしも、個人が家を購入するには身分証明が必須だ。だから、この家は間違いなく借家。そしてもちろん「ジェラール・フルッタ」名義では借りていない。
2人がジェラールとイレーネとして生きていくには、ここを離れる必要がある。
「そもそも何でここに? 何か所縁のある土地なのか?」
ここは、王都からそう遠くない。それほど、「逃げて」いない。
ナインは苦笑して首を振った。
「俺は俺で片腕やってるし、レナは閉じ込められてた所を急に外に連れ出されたせいで、体調を崩した。だから取り急ぎ、休養目的でここを借りた。逃亡資金としてそれなりに金は持ってたけど、こんな田舎にホテルも宿屋もないからね。で、俺よりレナの回復の方が早かった。俺のは病気じゃなくて怪我だから、看病もいらない。レナは空いている時間で絵を描き始めた。そろそろ移動した方がいいなとは思ってたんだけど、楽しそうに描いてるから、言い出せなくてね」
「腕は、完治するのか」
「初期治療が、(逃亡中で) 適切ではなかったからね。傷は塞がっても、もしかしたら少しは動きが鈍るかもしれない。ただ、普通に暮らす分には支障ないと思う。レナの前ではこの話はしないでほしい。変に罪悪感を抱いてるんだ」
ナインはおそらく、レナをかばって負傷したのだろう。
セドリックはうなずいた。気持ちはわかる。コニーが窮地に立たされたら、躊躇なく動く自信がある。
「画材はどうやって調達を?」
ナインは笑って首を横に振った。
「レナが逃げる時に唯一あそこから持ち出したのが、服でも食べ物でもなくて、絵描き道具一式だった。金はそもそももらえてないからね」
つまり、コニーの支払った絵画代は、レナの所には流れていなかったということだ。
このことを知れば、コニーは落胆するだろう。
(だったら)
知らなくていい。
その分を、これからにまわせばいい。
「住む家も含めて、マイヤー家の活動支援の契約に含める。画材に関する経費もすべてマイヤー家がもつ。契約をまとめたいからこの後2人にも参加してもらう。あんたの腕も、専門医に見せる。マネージャーが生活に支障があるのは問題だ」
セドリックの言葉に、ナインは目を丸くした。
「どうして、そこまで。あなたは預かりものを渡しに来ただけじゃないのか。活動支援の契約も、もしかしたら口実なんじゃないかと」
「俺の上司はあいつじゃない。預かったのは、あくまでもついでだ。活動支援契約は、純粋にマイヤー家の投資だ。オーガスタンが認めたからには、そこに忖度はない。対等な取引だ。見返りをきっちりもらう気でいるから、あんたが遠慮する筋合いはない。それにこれは、派生的に発生したもので、俺がここに来た本題とは関係ない」
「本題?」
ナインはまだあるのか、とでも言いたげな顔だ。
何を言っている、と言いたい。
セドリックはただ絵を買いに来たのだ。
レナ・エペーとして描いた絵はまだ2枚。
1枚は、オーガスタンが活動支援対象としてマイヤー伯爵に了承を得るべく、マイヤー家の経費で購入してしまった。
それを手に入れようとすると、家族割引10割で手渡されてしまうことになる。
コニーには、ちゃんと自分で選んで、自分で購入したものを受け取ってもらいたい。
だから別の絵を、と思っていたら新作はまだ1枚しかなく、しかも非売品だという。
ここは環境をきっちり整えて、レナ・エペーにばりばり描いてもらうしかない。
「ああ、俺は早く本題に入りたい。だが活動支援契約をまとめるのが先だ。2人を呼んできてくれ」
ナインは最初、レナに出てくるなと言った。
オーガスタンは許したが、自分にはまだ警戒している可能性もある。そう思ってのことだったが、ナインは普通にわかった、と言って奥の部屋に入って行った。




